(2)
 どうしよう。
 2人と別れて以降、何度目かわからない疑問を抱え、唸り声を上げる。
「まさかモデルのこと、本気で言ってたなんて思わなかった……」
 半強制的に差し出された、1枚の写真にそっと視線を落とす。
 先日、校庭の木の下で昼食を取ったときの写真だった。夏風に髪が巻きあげられ、木漏れ日がきらきら差し込む。
 自分がこんな風に写り込むことができるなんて、信じられなかった。
 写真に撮られるのが苦手になったきっかけは、幼少時代だ。
 通っていた幼稚園で、何かの行事で撮られた写真がお遊戯室に貼りだされた時のこと。人気者の男子が、秘かに私単独の写真をこっそり盗んでいたことが判明したのだ。
 それを聞いた当時の女子ボスが、芽吹や友だちの前でこう言った。
「何でこんな写真欲しがったんだろーね? だって芽吹ちゃん、写真写り悪いじゃん!」
 今思えばただのやっかみだったのだろう。
 それでも、幼稚園児にとっては「写真写り」という目新しいキーワードも相成って、その発言は一気にヒットワードナンバー1になった。
 後は芋づる式に、女子からのわかりやすい圧力と、写真を極力避ける日々が始まった。小学校入学と同時に嫌がらせは消えていったが、写真への苦手意識は残ったまま――。
「馬鹿だなあって、自分でも思ってるんだけどねえ」
 今でもカメラを向けられると、当時の無邪気な悪意が透けて見える気がする。
 頭ではわかっていても、幼少期の数少ない記憶は、なかなか簡単に消えてはくれないのだ。
「え?」
 家の前まで差し掛かったとき、誰かが来宮家の外壁にもたれかかっているのに気づいた。
 立ち止まった芽吹に気づき、野球部にしては少し長い髪の毛が、ぴくっと心地悪げに揺れる。。
「お、おうっ」
「安達先輩……どうしてここに?」
 友人2人の私服姿もそうだが、安達の私服姿はいっそう新鮮だ。引き寄せられるように歩みを進めると、安達は逆に小さく後ずさりした。
「先輩?」
「えーと。あれだな、今日は出掛けてたんだな」
「はい。友達と遊ぶ約束をしていて」
「そっか。そりゃーいいな!」
「はい」
「……」
「……」
 おかしな会話を終わらせたのは、芽吹が小さく噴き出す音だった。
「へ……、芽吹?」
「ふふ。先輩でも、そんなぎくしゃくすることあるんですね。試合のときは、どんな展開でもへらへらしてるのに」
「へらへら……あれはチームメイトを安心させる、ピッチャーの心意気だろ?」
「そうですね。だからきっと、みんなどんな時も野球を楽しんでるんだと思います」
「だと、いいんだけどな」
 ようやく表情がほぐれた安達が、口元に笑みを浮かべた。
「で。安達先輩はいったい何をしに来たんですか」
「そりゃ、お前に会いに来たに決まってんだろ」
 もはや開き直ったように、安達は告げた。
「昨日保健室で話したこと、ちゃんとお前に謝りたくて、さ」
「先輩が謝ることじゃありませんよ。謝らなくちゃいけないのは、私の方です」
 先輩は話さなくてもいいことをわざわざ話してくれた。
 それなのに私は聞くだけ聞いて、勝手に傷ついて、先輩を責めるような真似をしてしまったのだ。
「本当にごめんなさい。許してくれますか」
「そんなの、これっぽっちも気にしてねーよ。それに……」
 小さく視線を逸らされた後、大きな手のひらが芽吹の頭に乗せられる。
「正直、少し嬉しかった。もしかしたら、俺にもまだチャンスがあるんじゃないかってさ」
「っ、チャンスって……、あ」
 びゅっ、と突然、強い風が辺りに吹き付ける。
 次の瞬間、顔を伏せた芽吹の脇を安達が踏み切った。
「え?」
「っと。ナイスキャッチ」
 ジャンプした安達が、軽やかに着地をした。
 まるで外野に抜けると思われた速球を、マウンドの遥か上空で仕留めるように。
 呆気に取られていた芽吹に向けられた邪気のない笑顔が、やけに眩しかった。
「なんか飛んだぞ。写真か?」
「あ、それは……!」
 その手には手のひらサイズの紙が掴まれていた。つい先ほど、奈津美から受け取った写真だった。
「すみません、私の写真です」
「お前の?」
 見下ろすなり、安達は目を見開いた。
「安達先輩?」
「すっげー。綺麗だな、お前」
「え……」
 いつもの軽口とは違う、感嘆の溜め息のような呟きに、芽吹の胸がりんと音を鳴らした。
「いいなーこの写真。俺、もらってもいい? 懐に忍ばせとけば、秋季大会で好成績間違いなしなんだけど」
「駄目ですよ。友達からもらった、大切な写真なんですから」
「はは、冗談だって」
 肩を揺らした安達が、写真を渡してくる。
「ん?」
 ――と思いきや、写真を引っ張ったところで安達にピンと抵抗された。
「あの?」
「あー……、一応言っとくと、今の『冗談』っていうのは『写真を返さない』ってところだけだからな」
 話の意図がわからず、目線で説明を促す。
「つーまーり!『写真が欲しい』っつーところは、冗談じゃないってこと」
「……はあ」
「あー! とりあえず、もういいや。芽吹の顔も、ちゃんと見れたし」
 大げさに声をあげた安達が、くるりと背を向ける。
 その一瞬で掠めた安達の赤い頬に、芽吹は咄嗟に口を開いた。
「その。先輩は一体いつから、私のことを気に入ってくれたんですか」
「……何だよ、その恥ずかしい質問」