(1)
ああ、自分のせいか。そう心に呟いて、深い絶望が落ちてくる。
集う人たちの悲しみに浮かんだ優しい表情のあと、中心にいる人物にそっと視線を落とす。
もう無理だ。この首に提げているものを、これ以上自分は持っていられない。
この呪いのような後悔も、ずっと前から知ってたはずなのに。
「芽吹。そろそろ出ないと、本当に遅刻すんじゃないの?」
「あのね、誰のせいで寝不足だと思ってんの!」
ばたばたと鞄の中身を確認しながら、軽く悪態を吐く。
手ぐしで髪を梳きながら玄関まで急ぐと、息吹がついてきた。その指先には、スクーターのキーが軽やかに円を描いている。
「だからスクーター乗せてあげるって言ってるのに。友達との待ち合わせ、隣の駅でしょ」
「結構です。休日の今日にまで一緒にいたら、さすがに変な噂が立ちかねないでしょ」
「別に俺は気にしないよ? イブと1年の来宮さん、実はデキてるんだってえ、みたいな?」
「やーめーなーさーいー!」
噛みつくように声を荒げると、息吹は肩を揺らしながら扉を開けた。数回押し問答を繰り広げた後、ようやく1人で妹の外出を見送ることにしたらしい。
扉を閉めた芽吹は、ようやく溜め込んでいた長い息を吐いた。
先日の保健室で思いがけず重ねられた、息吹の唇。
それがきっかけでこの関係が形を変えてしまうことは、芽吹自身本意ではなかった。だから、本当に良かった、と芽吹は思う。
ただ――あれから幾度となく、あの未知の感触が、前触れなく降ってくるけれど。
「……さよなら。私のファーストキス」
努めて優しく、穏やかに、そっと手放すように別れを告げる。
大丈夫。こんなのきっと、すぐに忘れられる。
「私のモデルになってください」
唐突な申し出に、言葉が出ない。
それを告げる奈津美の瞳はあんまり真剣だった。
「えっと、モデルって、つまりカメラの被写体ってことだよね?」
「うん」
なんだろう。奈津美の様子がおかしい。奈津美がおかしいのはいつもだけど。
一駅先の最寄りのカフェで、芽吹と奈津美、そして華はともにランチを楽しんでいた。珍しく、奈津美からの召集を受けて。
奈津美がまとうスキッパーシャツとチノパンは、制服の時以上に彼女を大人びて見せた。しかし、中身までそうとは限らない。
「えーっと。今までも何度も言ってると思うんだけど、私、カメラ向けられるのが苦手なんだよね」
「うん」
「だから、そういうのはできる限り避けて生きてきたわけで。もちろん、カメラが好きな奈津美のことは応援してるんだけど」
「うん」
「……うん?」
そんな友人のさっきから「うん」しか言わない友人に痺れを切らし、隣の華にヘルプの視線を送った。
黒いシンプルなワンピースを身につける華の姿は、小さくオレンジジュースをすすった後、じっと奈津美を見つめた。
「奈津美。芽吹、困ってるみたい」
「私の、モデルになってください」
「いや、人の話聞いてた?」
思わず突っ込む。すると奈津美はいつになく真剣な表情を浮かべた。
直後、素早くスマホを操作し、ある画面を見せてくる。
「第40回…、高校生写真コンテスト?」
全国的規模で行われているらしい、写真コンテストのホームページだった。
優秀作品に選ばれた場合は賞金や賞状の他、有名カメラマンのアシスタントとして1か月間プロの仕事を経験することができるらしい。
「へえ。こんなコンテストがあるんだね」
「これに出たいの。芽吹には、その写真のモデルになってほしい」
「いやいやいやいや。他にもモデル候補ならいっぱいいるよ。私の隣にもいるし、学校内にだって」
「ねえ芽吹。あんたがカメラを苦手にしたきっかけって、何なの」
唐突に根本の疑問を突き付けられ、返事に窮する。
隣の華が「奈津美、その話は」と小さく制するも、奈津美の強い眼差しは変わらなかった。
「私は、これまでもずっと、いろんな人も物も写真に撮ってきたの。でも、あんたほど全力で撮ってみたいって思った人、いない。もしも嫌な思い出があるなら、それで少しでも和らぐなら話してほしいし、単に苦手だっていうなら、出来る限り苦手が軽くなるように私も手を尽くすよ」
「……でも」
「これ、見て」
テーブルにおもむろに広がったのは、写真だった。モデルは全て、視線がカメラに向いていない。
「……今まで不意打ちで撮ってきた、私の写真……?」
こんなに綺麗に撮って写真にしてくれていたなんて、知らなかった。
撮られた後は文句を言うだけで、写真の出来は特に確認したことがなかった。
ただの練習台にされているだけだと思っていたのに。
「芽吹、きれい」
同じく写真を見つめた華が、感嘆するように洩らした。
「ね。あんたはどうやら私や華と比べて、自分は平凡凡とか思ってるみたいだけど、それは誤解もいいところなのよ。あんたのこと、私が撮って、それを表現したい」
「で、でも」
「それに芽吹、あんた最近、綺麗になったよ」
いたずらっぽく目を細める奈津美が、芽吹の心臓をどきりと震わせた。
「それが私の琴線に触れたの。つまり、あんたが悪い。恨むなら自分を綺麗にした原因を恨むのね」
「な、奈津さん、ちょっと落ち着こう」
「仕方がないね、芽吹」
「え、華まで奈津美側に!?」
ふんわりと微笑む華は、有無を言わさない妙な力がある。
2対1。勝利を確信した奈津美は、先ほどとは打って変わって満面の笑みを浮かべていた。
ああ、自分のせいか。そう心に呟いて、深い絶望が落ちてくる。
集う人たちの悲しみに浮かんだ優しい表情のあと、中心にいる人物にそっと視線を落とす。
もう無理だ。この首に提げているものを、これ以上自分は持っていられない。
この呪いのような後悔も、ずっと前から知ってたはずなのに。
「芽吹。そろそろ出ないと、本当に遅刻すんじゃないの?」
「あのね、誰のせいで寝不足だと思ってんの!」
ばたばたと鞄の中身を確認しながら、軽く悪態を吐く。
手ぐしで髪を梳きながら玄関まで急ぐと、息吹がついてきた。その指先には、スクーターのキーが軽やかに円を描いている。
「だからスクーター乗せてあげるって言ってるのに。友達との待ち合わせ、隣の駅でしょ」
「結構です。休日の今日にまで一緒にいたら、さすがに変な噂が立ちかねないでしょ」
「別に俺は気にしないよ? イブと1年の来宮さん、実はデキてるんだってえ、みたいな?」
「やーめーなーさーいー!」
噛みつくように声を荒げると、息吹は肩を揺らしながら扉を開けた。数回押し問答を繰り広げた後、ようやく1人で妹の外出を見送ることにしたらしい。
扉を閉めた芽吹は、ようやく溜め込んでいた長い息を吐いた。
先日の保健室で思いがけず重ねられた、息吹の唇。
それがきっかけでこの関係が形を変えてしまうことは、芽吹自身本意ではなかった。だから、本当に良かった、と芽吹は思う。
ただ――あれから幾度となく、あの未知の感触が、前触れなく降ってくるけれど。
「……さよなら。私のファーストキス」
努めて優しく、穏やかに、そっと手放すように別れを告げる。
大丈夫。こんなのきっと、すぐに忘れられる。
「私のモデルになってください」
唐突な申し出に、言葉が出ない。
それを告げる奈津美の瞳はあんまり真剣だった。
「えっと、モデルって、つまりカメラの被写体ってことだよね?」
「うん」
なんだろう。奈津美の様子がおかしい。奈津美がおかしいのはいつもだけど。
一駅先の最寄りのカフェで、芽吹と奈津美、そして華はともにランチを楽しんでいた。珍しく、奈津美からの召集を受けて。
奈津美がまとうスキッパーシャツとチノパンは、制服の時以上に彼女を大人びて見せた。しかし、中身までそうとは限らない。
「えーっと。今までも何度も言ってると思うんだけど、私、カメラ向けられるのが苦手なんだよね」
「うん」
「だから、そういうのはできる限り避けて生きてきたわけで。もちろん、カメラが好きな奈津美のことは応援してるんだけど」
「うん」
「……うん?」
そんな友人のさっきから「うん」しか言わない友人に痺れを切らし、隣の華にヘルプの視線を送った。
黒いシンプルなワンピースを身につける華の姿は、小さくオレンジジュースをすすった後、じっと奈津美を見つめた。
「奈津美。芽吹、困ってるみたい」
「私の、モデルになってください」
「いや、人の話聞いてた?」
思わず突っ込む。すると奈津美はいつになく真剣な表情を浮かべた。
直後、素早くスマホを操作し、ある画面を見せてくる。
「第40回…、高校生写真コンテスト?」
全国的規模で行われているらしい、写真コンテストのホームページだった。
優秀作品に選ばれた場合は賞金や賞状の他、有名カメラマンのアシスタントとして1か月間プロの仕事を経験することができるらしい。
「へえ。こんなコンテストがあるんだね」
「これに出たいの。芽吹には、その写真のモデルになってほしい」
「いやいやいやいや。他にもモデル候補ならいっぱいいるよ。私の隣にもいるし、学校内にだって」
「ねえ芽吹。あんたがカメラを苦手にしたきっかけって、何なの」
唐突に根本の疑問を突き付けられ、返事に窮する。
隣の華が「奈津美、その話は」と小さく制するも、奈津美の強い眼差しは変わらなかった。
「私は、これまでもずっと、いろんな人も物も写真に撮ってきたの。でも、あんたほど全力で撮ってみたいって思った人、いない。もしも嫌な思い出があるなら、それで少しでも和らぐなら話してほしいし、単に苦手だっていうなら、出来る限り苦手が軽くなるように私も手を尽くすよ」
「……でも」
「これ、見て」
テーブルにおもむろに広がったのは、写真だった。モデルは全て、視線がカメラに向いていない。
「……今まで不意打ちで撮ってきた、私の写真……?」
こんなに綺麗に撮って写真にしてくれていたなんて、知らなかった。
撮られた後は文句を言うだけで、写真の出来は特に確認したことがなかった。
ただの練習台にされているだけだと思っていたのに。
「芽吹、きれい」
同じく写真を見つめた華が、感嘆するように洩らした。
「ね。あんたはどうやら私や華と比べて、自分は平凡凡とか思ってるみたいだけど、それは誤解もいいところなのよ。あんたのこと、私が撮って、それを表現したい」
「で、でも」
「それに芽吹、あんた最近、綺麗になったよ」
いたずらっぽく目を細める奈津美が、芽吹の心臓をどきりと震わせた。
「それが私の琴線に触れたの。つまり、あんたが悪い。恨むなら自分を綺麗にした原因を恨むのね」
「な、奈津さん、ちょっと落ち着こう」
「仕方がないね、芽吹」
「え、華まで奈津美側に!?」
ふんわりと微笑む華は、有無を言わさない妙な力がある。
2対1。勝利を確信した奈津美は、先ほどとは打って変わって満面の笑みを浮かべていた。