(2)
「そっかあ。それならまあ、部活に復帰してよかったのかもねー」
移動授業のあと、今回の部活復帰にいきさつについて詰問を受ける。
野球部に半強制で戻された話に最初は憤った奈津美も、最後には首を縦に振った。
「てっきり、また体よくあの先輩に言いくるめられたのかと思ったけれど」
「いや、それはその通りだけどね」
「でもさー、芽吹ってなんか妙にその先輩に弱いよね」
自覚していたことを突き付けられ、居心地が悪くなる。
あの先輩の独特な雰囲気はどうも不思議と人を惹くのだ。本当、始末に置けない。
「そうそう。そういや安達と倉重、別れたらしいって噂で聞いた」
「あ、やっぱりそうだったんだ」
ぽんと手を打った奈津美の言葉に、思わず納得した。
前に部活に所属していた時は、安達の身の回りの世話はすべて百合がしていた。
それは部内でも公然の事実で、他のマネージャーも受け入れていた。うちのエースピッチャーはと美人マネージャーの仲は、誰も邪魔しないようにと。
百合には、それを良しとするような美貌がある。付き合い始めたと聞いたときも、それほど驚かなかった。
だけど、部活に戻って以降、安達と百合は絶妙な間合いをもって互いとの接触を避けていたように思えた。
「やっぱり。それで気まずくなって、私をマネージャーに引き戻したんだ。なるほどね」
「違うと思う」
「違うと思う。けど」
話を黙って聞いていた華が、口元をふわりと柔らかく緩ませる。
「芽吹、楽しそう。だから、安心した」
「そうだね。部活のことでは、心配ばかりかけたもんね。でも、もう大丈夫そう」
笑って返した芽吹は、心からそう思っていた。
部活を一度辞めたとき、芽吹はマネージャー内で孤立していた。
当時のマネージャーは芽吹を含めて4人。その孤立は絶妙な間合いを図られたもので、注意していないと気づかない――言ってみれば女子特有の陰湿なものだ。きっかけは今でも謎のままだが、きっとあってないようなものなのだろう。
その程度ならまだ良かったが、その嫌な空気が選手たちにも徐々に伝わりつつあった。部内の空気が淀む前にと、結局芽吹は部活を辞めたのだ。
理不尽さを感じていなかったといえば嘘になる。しかし芽吹自身野球部にそこまで執着がなかったのもあり、後腐れなく離れられたと思っていた。……退部後も、安達に廊下で声をかけられるまでは。
奈津美たちと別れ廊下から階段の踊り場を通ると、見覚えのある人がいた。息吹だ。
また保健室に入り浸っていたのか。保健室の引き戸を後ろ手に閉めた息吹は、どこかに電話をかけ始めた。写真サイズのメモを手にして。
誰にかけているんだろう。息吹の視線が、不意に芽吹のそれと重なる。思わず肩を揺らした芽吹に、息吹はいつもの笑みを浮かべて手を振った。
さっさと職場に戻りなよ、とジェスチャーして歩みを戻そうとすると、広げた手を付き出され引き留められた。
芽吹と息吹が兄妹ということは、苗字が違うこともあってごく少数しか知らない。
噂立つことは避けたい芽吹は、辺りを気にしながらそっと息吹に近づいた。
「ありがと。いつも助かる。じゃね」
電話途中だった息吹は、短く言って早々に電話を切った。息吹にも、電話をかける相手がいるのか。
「ごめんね、引き留めちゃって」
「本当にね。どうしたの、何かあった?」
「ううん。ただ、芽吹元気かなーってね」
相変わらずのゆるい口調に、一気に力が抜ける。それなら家でも聞けるでしょ。
「また小笠原先生に迷惑かけて。保健室はあんたの休憩所じゃないんだからね」
「はは、芽吹もそんな冗談言うんだ」
「……その休憩所じゃない!」
思わず声を上げる。最近はこんな調子でしょっちゅう気を乱される。でも、そこまで嫌じゃない自分もいた。「そういえば」
「今日の芽吹、いつもと違うことがあるかも」
「なにそれ、占い?」
「うん。お兄ちゃん占い師からの予言」
「占いか予言かどっちかにして」
「でも、心強いお兄ちゃんがいるから、ちゃんと大丈夫」
謎の日本語の予言を残し、息吹は手を振った。
手にしていたはずの写真サイズのメモは、いつの間にか姿を消していた。
「来宮さん、ちょっといいかな。話したいことがあるの」
そして、いつもと違うことはすぐに訪れた。
放課後前のホームルーム直前、隣のクラスの百合が唐突に芽吹を呼び出した。隣のクラスの美女の登場に、クラスの視線が一気に集まる。
「部活の連絡事項?」
席を立った芽吹は、小走りで百合のもとに向かう。
「ここで話すのはアレなんだけど、でももうホームルーム始まるよね」
だったらこのタイミングで来る必要なかったんじゃね、と近くの席に座る奈津美の鋭い視線が飛ぶ。
内心同調しながら、ひとまず扉から数歩離れた廊下まで出た。
「実はね、私、部活を辞めようと思うんだ」
「え、そうなの」
素っ頓狂な声が出た。
マネージャー1人で仕事を回すことになるのか。ちょっと辛い。監督に仕事内容の相談にいこう。
そこまで考えていると、辺りの空気がどよめいたのがわかった。百合は唇をわなつかせ、瞳は潤みが集まっている。
え、なんで泣いてるんだろう。
「そっかあ。それならまあ、部活に復帰してよかったのかもねー」
移動授業のあと、今回の部活復帰にいきさつについて詰問を受ける。
野球部に半強制で戻された話に最初は憤った奈津美も、最後には首を縦に振った。
「てっきり、また体よくあの先輩に言いくるめられたのかと思ったけれど」
「いや、それはその通りだけどね」
「でもさー、芽吹ってなんか妙にその先輩に弱いよね」
自覚していたことを突き付けられ、居心地が悪くなる。
あの先輩の独特な雰囲気はどうも不思議と人を惹くのだ。本当、始末に置けない。
「そうそう。そういや安達と倉重、別れたらしいって噂で聞いた」
「あ、やっぱりそうだったんだ」
ぽんと手を打った奈津美の言葉に、思わず納得した。
前に部活に所属していた時は、安達の身の回りの世話はすべて百合がしていた。
それは部内でも公然の事実で、他のマネージャーも受け入れていた。うちのエースピッチャーはと美人マネージャーの仲は、誰も邪魔しないようにと。
百合には、それを良しとするような美貌がある。付き合い始めたと聞いたときも、それほど驚かなかった。
だけど、部活に戻って以降、安達と百合は絶妙な間合いをもって互いとの接触を避けていたように思えた。
「やっぱり。それで気まずくなって、私をマネージャーに引き戻したんだ。なるほどね」
「違うと思う」
「違うと思う。けど」
話を黙って聞いていた華が、口元をふわりと柔らかく緩ませる。
「芽吹、楽しそう。だから、安心した」
「そうだね。部活のことでは、心配ばかりかけたもんね。でも、もう大丈夫そう」
笑って返した芽吹は、心からそう思っていた。
部活を一度辞めたとき、芽吹はマネージャー内で孤立していた。
当時のマネージャーは芽吹を含めて4人。その孤立は絶妙な間合いを図られたもので、注意していないと気づかない――言ってみれば女子特有の陰湿なものだ。きっかけは今でも謎のままだが、きっとあってないようなものなのだろう。
その程度ならまだ良かったが、その嫌な空気が選手たちにも徐々に伝わりつつあった。部内の空気が淀む前にと、結局芽吹は部活を辞めたのだ。
理不尽さを感じていなかったといえば嘘になる。しかし芽吹自身野球部にそこまで執着がなかったのもあり、後腐れなく離れられたと思っていた。……退部後も、安達に廊下で声をかけられるまでは。
奈津美たちと別れ廊下から階段の踊り場を通ると、見覚えのある人がいた。息吹だ。
また保健室に入り浸っていたのか。保健室の引き戸を後ろ手に閉めた息吹は、どこかに電話をかけ始めた。写真サイズのメモを手にして。
誰にかけているんだろう。息吹の視線が、不意に芽吹のそれと重なる。思わず肩を揺らした芽吹に、息吹はいつもの笑みを浮かべて手を振った。
さっさと職場に戻りなよ、とジェスチャーして歩みを戻そうとすると、広げた手を付き出され引き留められた。
芽吹と息吹が兄妹ということは、苗字が違うこともあってごく少数しか知らない。
噂立つことは避けたい芽吹は、辺りを気にしながらそっと息吹に近づいた。
「ありがと。いつも助かる。じゃね」
電話途中だった息吹は、短く言って早々に電話を切った。息吹にも、電話をかける相手がいるのか。
「ごめんね、引き留めちゃって」
「本当にね。どうしたの、何かあった?」
「ううん。ただ、芽吹元気かなーってね」
相変わらずのゆるい口調に、一気に力が抜ける。それなら家でも聞けるでしょ。
「また小笠原先生に迷惑かけて。保健室はあんたの休憩所じゃないんだからね」
「はは、芽吹もそんな冗談言うんだ」
「……その休憩所じゃない!」
思わず声を上げる。最近はこんな調子でしょっちゅう気を乱される。でも、そこまで嫌じゃない自分もいた。「そういえば」
「今日の芽吹、いつもと違うことがあるかも」
「なにそれ、占い?」
「うん。お兄ちゃん占い師からの予言」
「占いか予言かどっちかにして」
「でも、心強いお兄ちゃんがいるから、ちゃんと大丈夫」
謎の日本語の予言を残し、息吹は手を振った。
手にしていたはずの写真サイズのメモは、いつの間にか姿を消していた。
「来宮さん、ちょっといいかな。話したいことがあるの」
そして、いつもと違うことはすぐに訪れた。
放課後前のホームルーム直前、隣のクラスの百合が唐突に芽吹を呼び出した。隣のクラスの美女の登場に、クラスの視線が一気に集まる。
「部活の連絡事項?」
席を立った芽吹は、小走りで百合のもとに向かう。
「ここで話すのはアレなんだけど、でももうホームルーム始まるよね」
だったらこのタイミングで来る必要なかったんじゃね、と近くの席に座る奈津美の鋭い視線が飛ぶ。
内心同調しながら、ひとまず扉から数歩離れた廊下まで出た。
「実はね、私、部活を辞めようと思うんだ」
「え、そうなの」
素っ頓狂な声が出た。
マネージャー1人で仕事を回すことになるのか。ちょっと辛い。監督に仕事内容の相談にいこう。
そこまで考えていると、辺りの空気がどよめいたのがわかった。百合は唇をわなつかせ、瞳は潤みが集まっている。
え、なんで泣いてるんだろう。