天咲高校の風紀委員会は、各学年二人ずつ出される。
それも信頼される二人が。

二年生からは佐々木美緒(ささきみお)浅野楓(あさのかえで)
一年生からは、仁平馨(にへいかおる)東優月(ひがしゆづき)

この話は風紀委員会一年生の甘酸っぱくて青いくて忙しい恋の話。


「馨、お前また本読んでんのかよ!」

「真面目なフリはやめろって!」

「ガハハ」と少し汚い笑い声をあげて、また僕の事を見て
笑う。
そんなに本を読むのがおかしい?本は面白い。
いろんな考えがあって、そこで新しい自分の意見が生まれる。その感覚が楽しくて仕方がない。

別に友だちと話すのも面白い。それこそ小説で味わえるような事。 だけど、休日までいるのは少し面倒くさいし
ちょっと大変。

「まーた、考え事ですか?馨くーん?」

「ちげーよ、まあ、あれだ。男の悩み的な?」

ちょっと適当な言い回しになってしまった…。

「え?!恋?」

ま、そうなるよな。

「だれだれ?」

「嘘だよ、いねー。」

恋愛なんて本の世界だけだ。
僕には何も関係がないって思っていた。


「優月、また視界がどっか行っちゃてるよ!」

「ええ?」

私、優月は一目惚れの相手がいる。
始業式でその子のお友達と、見た時に目があった時に
微笑まれただけで。
軽い女?でも凄い優しい子。

この前ショッピングセンターにいたのを見つけたから
様子を見ていたら、泣いてる子がいたら話聞くし、
迷子の子がいたらお母さん見つかるまで一緒にいて
あげたり。
本当に優しい男の子なんだ。

「ほら、また馨くんを見てるでしょう?」

「な、なんで?わかったの…。」

「だって視線が追いかけているもん。」

「そんなに気になるなら話しかけてみれば?」

そんなのできたら苦労しないよ。
でも共通点がないんだ。
彼は自転車通学、私は電車通学。
彼はたくさんの人といる、私は少人数でいる。
彼は勉強が得意、私は苦手。

話せることが一つもないんだ。
私は読書好き、彼はなんとなく本を読まなそう。

「そう…だね。」

近くにいたい。そんな思いから私は風紀委員会に入った。
彼と同じ委員会へ…。


初めての委員会の時、同じ学年同士の挨拶があった。
その時はもう15分間が、本当に1分間に思えた。

「はじめまして、僕は三組の仁平馨です。君は?」

心臓がバクバクしていて、エアコンがすごく効いてるのに
全身が暑くて…。

「は、はじめまして!四組の東優月です!」

会話を続けることができなかった…。どうしよー!

「よ、よければ、下の名前で呼んでもらいたいです。」

私何言ってるんだろ…!頭が回らなくて、変なことを口走ってしまっても、貴方は、

「りょーかいです、優月さん。」

丁寧に答えてくれた。

「同い年なんだから敬語外しません?」

と聞いたら

「オッケー。」

って優しく答えてくれたからもっと好きに、
させられちゃったんだよ?

「なんて呼べば良い?」

「馨でいいよ。」

「分かった!馨くん、よろしくね。」

顔が赤くなりながら答えると、彼は笑って、「呼び捨てでいいよ。」と言う。

そうやって自己紹介が終わるとお互いが呼び捨てで呼ぶ仲になっていった。

これも全部、馨のおかげだ。馨がしっかり話しかけてくれて、話題を振ってくれたおかげだ。

本当にすごいな、馨は。
また一段階深く、惚れ直してしまった。


私達の街には少し大きめの川がある。
逢川(あいがわ)という川だ。
伝説によると、ここで告白した人はほとんどが成功する
らしい…。

私が二年生になる前にはここで馨に告白すると決めている。同じ委員会に入れてなんなら少し仲良くできた。

絶対に成功させたい。

少しずつでも距離を詰めていって二日に一回くらいに
話しかけにいけば少しは意識してもらえるかな?

そう思って少しのことだけでも、話しかけに行くように
なった。


隣のクラスの東優月はすごく可愛い。正直言ってめっちゃ可愛いし美人。皆が惚れる理由もわかる。 
そんな彼女と同じ委員会で呼び捨てし合う仲になってしまった…!まるで小説の世界だ。でも、僕は別に恋愛感情を抱いてはいない。理由は簡単だ。
僕は恋愛に向いていない。
本当は人と関わるのは苦手だし、女の子も
少し苦手だから。

最近、よく優月が話かけてくれるようになった。
わざわざクラスまで来たり、委員会時に前より多めに
話しかけてくれるようになった。

彼女はまるで太陽のようだ。
そして僕が月。
何人かといる君の周りを回るうちの一人。その中でも
特別な一人になりたい…。そんな馬鹿げた妄想をまた繰り広げ、小説の読み過ぎだ、と自分を軽蔑する。

何故、僕の周りに人が集まるんだろう。
いつまでも考えてもわからない疑問。
僕なんか面白くないのに。
その疑問について考えていくと、マイナスな方に考えてしまう。
あまり明るくなかったから自分をからかって良いように使うのではないか。
もしかしたら宿題とかを見せてもらうために近づいたのではないか。
内申点とかのために…。

最初はそう思っていたが、実際そんな奴らじゃないって
気づいていった。皆良いやつで、周りを気遣えて、面白い子たち。
あぁ、こういう子達が世界を作っていくんだな…と気づいてしまった。
自分はただの本が好きな男の子。

お隣の天使様となんて…無理だよな。


今日もまた委員会が終わってしまった。そう心の中で呟く私。
外は豪雨。まるで私の感情を表しているようだ。
「はぁ」

どうしよう。傘は持ってきてない。天気予報は晴れだったじゃない…。
そうしたら私の心の中での豪雨が一気に止むような一言が隣から聞こえた。

「優月さ、傘持ってないなら入れよっか?」

馨だった。気遣いまでできるなんてめっちゃ良い人…やっぱ大好きだ、と思っていると返事するのを忘れていて、慌てて

「傘持ってないけど流石に申し訳ないから大丈夫だよ。」

と伝えた。
もちろん、帰れるところまで一緒に帰りたい。
けれど流石に迷惑なことは承知の上だ。嫌われたくない。だからあえて遠慮をする。

「別にいいよ、風邪引かれても心配だしね。」

え?心配…?心配って言ってくれた?
私なんかのために?
いい人過ぎでしょ…私のこと好きなんじゃないかって錯覚しちゃうじゃん。

ズルい人だな。

「でも、自転車通学でしょ?」

「別に、歩いて途中まで行くよ」

優しすぎる!途中まで一緒に帰れる!はじめてだ。馨と一緒に帰るの…。
やっと、念願の夢への第一歩が叶う。

「じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな。」

「いーえ、どうぞ。」

「ありがとう。」

そう言って私達は帰路についた。


「優月、いつもどこから帰る?」

「えっとね、こっちの道進んで駅の方から帰るよ。
だから駅までで大丈夫!」

「いいよ、家まで送るよ。」
 
―僕が送りたいっていうのもあるし…。
って、僕何考えてんだろ。恋愛はしないっていうのに。

「馨はいつもどの道で帰るの?」

「僕は、逢川沿いから自転車で。」

「そうなんだ。私あの川好きなんだよね。」

「僕も好きなんだ、あの川。」

「え!珍しい…あんま自然とかを嗜むような人じゃない
って思ってたから…。」

そう言ってから少し失礼かなと思ったが、取り消すことはできなかった。
けれど、彼は気にしできない感じで、

「よく言われる。」

と、笑った。

「馨ってさ、なんか趣味あるの?」

私は少し強引に話題を変えた。

「なんだろな…本とかかな。」

本?漫画とかってことかな?
イメージ的に小説は読まなそうだからな…。

「漫画とか?」

「いや、小説。」

「え、小説好きなんだ!意外…!」

私は驚いた顔をしていたんだと思う。
だから、彼は少し眉を下げて、

「うん。」

と儚げに笑った。

その顔が私の中から離れなくて他愛もない会話をして、その日は別れた。

言ってはいけない事だったのかもしれない。
私は見た目だけで判断してしまっていたのだ。
私だって、それで傷ついたのは何回もあったじゃないか。


私の母は、モデル業をしていて、父は母のカメラマン。
二人が初めて会ったのは仕事関係でだった。
私は母によく似ていると言われる。自分ではよくわからないが、すごく嬉しかった。

東京を歩くと知らない人が「うちの事務所へ来ないか。」と、連絡先を渡してくることもよくあった。
それが嫌で、少し田舎の方に引っ越してきたんだ。

「東さんって、真面目だよね…。ちょっと綺麗すぎて怖いっていうか…。」

私は本当は真面目なんかじゃない。比較的社交的な性格で、遊ぶことが大好きなただの女の子だ。
けれど見た目だけで、「冷たい」や「怖そう」と言われるのが本当に嫌だった。
でも、こっちの学校の子はそんな事言わなくて、クラスの輪に入れてくれた。
それがすごく嬉しかったんだ。それでも、自分のことを勝手に判断する人は出てくる。
しょうがないことだ。自分に合わない人なんて世の中たくさんいる。

私の友達に、少し内向的な友達がいる。けれど、その子は話してみるとすごく面白くて周りを見てみんながどのような話が好きかを
観察しながら面白くする。すごく頭のいい子だと思う。
でもその子は、前髪が長くて顔が見れないから表情を感じ取りにくいっていう人もいる。実際にあまりみんな近寄って話そうとしない。そんなある日にその友達の前髪を切ってやると言った男の子がいた。
後にわかったことだが、その男の子はその友達のことが気になっていて自分に意識を向けたかったそう。そんな彼を止めたのが
馨だった。一目惚れをした後だったから、すぐに誰かわかって目が彼を追いかけてしまっていた。馨は、
「嫌がってんだろ、もうちょっとマシな方法考えろ」と言葉は強いが、口調は優しく語りかけていた。それを聞いた男の子は、反省した素振りを見せ「ごめん」と誤って私の友達から離れていった。


その日から今まで以上に見た目から受けた印象をそのまま飲み込まないように気をつけていた。なのに、たった今、もしかしたら気を許してしまっていたのかもしれない。馨に最初受けた印象…一目惚れをする3秒前に受けてしまった印象。【ザ・陽キャの全てが思い通り人間】という印象から本を読まなそうと言ってしまった。
否、これは言い訳だ。なんとかして許してもらわなきゃ。悪い意味じゃない、小説が好きなら尚更気が合う。話題が見つかったんだ。

小説はさ、面白いんだ。たくさんの種類の考えがあって、そこで新しい自分の考えが生まれる。その感覚が楽しくて、自分を成長させているような達成感があって、仕方がない。

馨もきっと、そんなような理由があって本が好きなんだよね?小説が好きなんだよね?
ごめん、私はまだ未熟だったみたい。まだ、成長できてなかったみたい。だからお願い、一つすごく大きいわがままを言わせて欲しいの。
貴方のそばで、学ばせてほしい。
君の大きくて頼れる背中を、周りを見れる目を、他人を思いやれる優しい心を。
もしかしたら馨はまだ気づいていないかもしれない。貴方の素晴らしさに。でも、私は気づいてるよ。馨のいいところ沢山知ってる。
毎日教えてあげるからさ、お願い。
私の最悪な予感が当たらないことを願うね。


「馨ってさ、なんか趣味あるの?」

突如、意外なことを言われた。今までは言えなかったかもしれない答え。
でもなんだか…彼女なら大丈夫かなと感じてしまった。

「なんだろな…本とかかな。」

ジャンルが広すぎたかもしれない。これじゃあ漫画とかって思われても仕方がない。

「漫画とか?」

予想通りの返答だった。正直…返事に困った。漫画も、もちろん大好きだ。でもやっぱ一番は小説。
もし、相手が違っていたらゲームやアニメと答えていただろう。

「いや、小説。」

そうすると彼女は驚いたように、

「え、小説好きなんだ!陽キャなのに意外…!」

と言ってきた。
「陽キャなのに意外」…よく言われる言葉だった。その言葉が一番嫌いだった。嫌いというよりその人と合わないのかなって感じだった。でも、相手にそれを悟られないように少し微笑んで

「うん。」と伝えた。
彼女のほうが泣きそうな顔をした理由が僕には分からない。
ねぇ優月、知ってる?実は僕…割と繊細なんだ。
自分でも嫌になるくらいの繊細さ。相手を気にしすぎるから自分がその分傷ついているんだよってよく言われる。
そんな自分が大嫌いで、大好きな学校に行きたくないって思う時もあるんだ。大好きな学校に大嫌いな自分を否定されたらもうやっていけなそうだったから。
そんな学校に一筋の光が見えた。本当の自分の近くにいて笑ってくれる光が。
優月は太陽だった。


次の日は昨日の雨で停電になる可能性が高いため学校は休みだった。その代わり、土曜日が学校になった。皆は三連休じゃないのか、と喚いていたが私は心臓がバクバクしていた。

「お、おはよ!」

自分のクラスにはいる前に通る、馨のクラスに顔出して挨拶をすると馨以外の子のほとんどは「はよー?」と返事してくれたが、馨は目の会釈だけだった。
ズキッと心に来たが、もしかしたらたまたまかもしれないというおめでたい考えもある。

「お…はよ。」

自分のクラスの挨拶はまるでゾンビの様な挨拶になってしまった。

「いやどうした!」

全員から突っ込まれてしまう位に疲労感が出ていた。

「優月?大丈夫?マジで元気ないじゃん。なんかあった?仁平のせい?」

私の友達が心配するような声音でおずおずと聞いてくる。
それだけ元気がなかったのかと気づく。
でも、心配をかけたくなかったし、馨のせいにするのも
違うから

「いやー昨日全然寝れなくてさ…。」

と言葉を濁すことしかできなかった。


「お、おはよ!」

いつも通り優月が僕のクラスに挨拶してきた。
けれどやっぱり僕は弱かった。
優月がこっちを見ているのは分かっていたけど軽く目で会釈するだけが僕の精一杯だった。
心が弱い?そうかもしれない。だけど気にしちゃうんだ。もしかしたら一緒にいるこの子たちも内心、僕のことをバカにしながら、話のネタにしているんじゃないかって。違うのは分かっている。だけどもう怖いんだ、人に裏切られるのが。

「今日さ、天使様に態度悪くない?馨。」

昼休みになり、異変に気付いた友達がいた。いわゆる、イツメンという内の一人の子が。

「それは思った。」

周りの子が賛成していく。まるで僕だけがおかしい、空気を読めていないような状況に陥っていた。

「ハハ、ちょっとね」

下手くそな笑いを入れて言葉を濁らせた。追及してくると思ったけれど、案外

「そっか、頑張れ。お前には俺らがついてるからな」

と優しくて芯のある言葉が返ってきた。思わず目に水が溜まり、焦ってポケットにいつも入れている目薬を使った。

もしかしたら、僕はヒトを勘違いしていたのかもしれない。昔のことに囚われすぎていたのかもしれない。優月だって…。


僕は施設で育ち、今はそれなりに裕福な家に居させてもらっている。
施設には8歳の頃に入り、13歳の時に引き取られた。僕がヒトを信頼できない理由は家庭環境にあった。

最初は幸せだった。親は二人とも、元スポーツ選手。
家は周りの子と比べてすごく大きくて豪華だった。母も父も、最初は多分、ちゃんと愛してくれていた。
いつも寝る前には本を読んでくれていたのが頭に残っている。それが本が好きな理由にも発展しているとは思う。二人は元スポーツ選手なだけあって、ご飯のバランスにはすごく気をかけていた。
野菜や肉、魚などの分量をしっかり考え、炭水化物を摂りすぎないように制限をされていたこともある。
僕にはその理由がわからなかった。今になってはわかるが、小さい頃は自分の体のことを考えてくれているんだろうと楽観的に捉えていた。でも違った。
小学生になると、やっぱりみんな外で遊びたがる。僕自身も遊ぶのがとても楽しかった。

ある日、クラスのほとんどの子が集まって「鬼ごっこ」をすることになった日があった。
僕はじゃんけんで負けてしまってもう一人の鬼の子と二人でみんなを捕まえることになってしまった。その日は両親が「鬼ごっこ」の様子を見ていた。
もう一人の鬼の子は、すごいスピードでたくさんの子を捕まえていく。それに比べて、僕はまだ片手で数えられるくらいだった。
悲しくなって両親を見ると、凄い形相でこちらを見ていた。幼い僕にはそれが怖くて、遊んでいる間は二人の顔が見れなかった。
少し怖がりながら家に帰ると、いつも通りの景色だった。僕は安心して家に入った。
気のせいだったんだ、と思いながら。

すぐに風呂に入って、テレビの前で読みかけの本を読んでいると、

「馨は本当に本が好きだね」

と父が言ってきた。僕は、

「うん。すごく面白い。」

と答えた。初めてそんなことを言われてとても驚いたことを覚えている。でも、疑問には思わなかった。

「馨、ご飯食べよう。」

と声をかけられるまで、ご飯ができたこともわからないくらいに本にのめり込んでいた。

「あ、うん」

と答えて普段通りに栞を挟み、食卓の方へ向かう。

その年の運動会。その日が最初の綻びだった。

「馨、貴方は私たちの子。だったらきっと徒競走だって一位よね?」

と少し圧をかけられて聞かれたから、僕は咄嗟に、「うん」と答えてしまった。でも絶対無理だった。だって、僕が走るレーンの隣には学年一位のランナーがいるから。

「では、よーいはじめ。」

ピストルを撃ち、みんなが走り出した。やはり早いのは学年一位の子。でも僕だって二位だ。
そう思っているうちにも段々と一位の子の隣に近づいてきた。初めてスポーツで「イケる」と思った瞬間だった。だから、油断して
しまったのかもしれない。

「痛っ。」

小さい石。それでも人より少し小柄な僕には十分大きかった。足元を気にしていなかったせいで、転んでしまったのだ。もちろん、
周りはそれに構わず僕を抜かしていく。僕は最下位になってしまった。
慌てて走り出すも、六位中四位という残念な結果になってしまった。両親を見ると、とても驚いた顔をして僕を心配する素振りすらしないで帰って行った。
僕は、ダメだったんだ、もしかしたら見放されたかもと感じてしまった。

両親は負けるのがトラウマになっているのには薄々気づいていた。
けれど気づかないふりをした。年齢を盾にした。そのツケが回ってきたのかと思った。

おずおずと家に帰ると、この前のように誰も喋っていなくても明るい家ではなかった。まるで綺麗なお化け屋敷のようだ。
僕が「ただいま」というと、返ってきたのは沈黙だけだった。『沈黙』、それは一番、自分には辛く感じた。
けれどそれは沈黙じゃないことに気づいた。居間にあるテーブルで母と父が話していたのがわかった。僕にはただ単に、気づいていなかっただけだった。その話に聞き耳を立てると、

「あの子が私たちを超えられないなら、意味ないじゃない。」
「そんなこと俺に言われたって…お前の教育が悪いんじゃないか。」
「何。全部私のせいだって?だったらアンタだって馨が本を読むのを褒めてたじゃない。」
「それは別に関係ないだろ。」

どうやら話の話題は僕みたいだった。
そこからは二人がどんどん言い争いとなっていって、

「馨が勉学の道に進むなら私たちが一緒にいる理由はなくなる。離婚、しましょう?」
「ああ、そうだな。そっちの方がお互い良い関係になれそうだ。」

「ちょ、ちょっと待って。」

思わず会話に入ってしまったことを後悔した。

「なんで、なんでそんな話になったの。」

幼かった僕には「離婚」という意味がわからなかったが、なんとなく二人とはもういられないということがわかるようだった。

「それはね、馨。あなたが私たちの夢を叶えられなかったからだよ。」

優しく、けれども反論ができないような口調で言われた。その時の僕は馬鹿だった。

「やだよ。ママとパパと離れたくない。」

「うるさいっ。黙れ、元はと言えばお前のせいだ。馨。」

父だった。大きな手を握りしめながら、高圧的な口調で言ってくる。

「お前が、俺たちの息子なのに運動が人よりできないからだ。」

「ご、ごめんな、さい。」

そこからはもう記憶がない。すごく泣きじゃくって疲れて寝てしまった気がする。
次の日、朝起きたら、昨日の態度とは打って変わって、「馨、明日からは天咲児童養護施設で生きていくんだ。」と言われた。
もちろん、否定したかった。だけど僕は昨日のことに恐怖が根付いてしまって反論ができなかった。

「では、この子をよろしくお願いいたします。」

そう言って母は施設の人にゴミを捨てるように僕を差し出した。施設の人は少し驚きながらも、「わかりました。」と言いドアを
閉めた。
ここの施設は実際にとても素晴らしい施設だった。先生も優しいし、小学校も前とは違うからトラウマに囚われない、そう思っていたのに。

「馨の親、誰だか知ってる人ー!」

ある少年が言った。

子供というのは残酷だ。どこからか漏れた情報を話題にし、遊ぶ。そして面白くなくなったら、また別の話題を探す。それが例え、人が傷つくものだとしても、平気で話す。

「え、だーれ?」

そしてそれに色んな子が興味を持つ。そしてそれを待っていたかのように、その少年は話し始める。

「あの有名な陸上選手だってさ。」

両親はそれなりに有名だった。僕を産んで少しした後に、
引退をしたからたまにテレビで放送されている。

「えー、でも馨くんさ、私達より「うんどーしんけー」
悪いよね。陸自選手の息子なのに。」

『陸上選手の息子なのに。』
親に言われた言葉に似ていた。
『俺たちの息子なのに。』

お前らの息子だからって運動ができるかは
分からないだろ。

そんな事を言える勇気は僕にはなかった。少しずつ心が削れて無くなっていくような感覚に陥りながら行きていくことしかできなかった。

「あは、そうなんだよね。」

ヘタクソな作り笑いを浮かべて、またのらりくらりと逃げる。それが僕の生き方となっていった。


「今日から馨くんのお母さんとお父さんになります。
仁平秋(にへいあき)仁平一(にへいはじめ)です。
よろしくね、馨くん。」

ほとんどの人生を施設で育った僕に新しい家族ができた。仮にこれがもう少し前なら飛んで喜んだだろうか。でも、今はもうどうでもいいやと思うような出来事の一つだった。

「よろしくお願いします。」

でも少なくとも、失礼なことはないように必要最低限の事はしないといけないという、また面倒くさい優等生気質が僕の中にあることが分かってしまった。

そこからしばらく経った時の出来事だった。

「馨くん、すごいじゃない!テストで1位取ったん
ですってね!」

テストで褒められたことがあった。

「でも、体育のテストでは下から数えたほうが早い点数でした。」

体育の知識のテストは良かった。けれどもやっぱり、実技は無理だった。
その事で怒られてしまうかもしれないと思ったが、
秋さんは、

「何言ってるの、どちらか両方できない子もいる。できる子もいる。けれど、貴方は貴方でしょ。一位って思っているよりすごいのよ。」

と言ってくれた。
その簡単で単純な言葉にどれほど救われただろう。

『お前が、俺たちの息子なのに運動が人より
できないからだ。』

その言葉は多分いつまで経っても忘れられない。
だけど少し軽くなって気がした。
多分、僕はこの家で初めて作り笑いじゃない笑いを 
浮かべて

「ありがとう、ございます。」

と伝えた。敬語じゃなくていいと言われているが、
僕は大人には、敬語でしか話せなくなっていた。だから本当の両親以外にはずっと敬語だった。
今となっては馬鹿らしい。両親には、タメ語を使っていたということが。


そう…じゃないか。
今僕が一緒に住んでいる人たちは僕を受け入れてくれたじゃないか。
優月だってそれが人を傷つけるって思っていなかっただけかもしれない。言った後の表情は、後悔かもしれない。

でも、やっぱ怖い。友達だと思っていたけれど、また両親に言われたようなことを言われたらきっとやっていけない。

自分から話しかけることのできない臆病者なことが、よくわかってしまってそんなことにも嫌気が差す僕は、 僕が嫌いだ。

「はぁ…。」

自然と洩れたため息は、誰に向けたものだろう。
きっと僕自身だと思う。

そんな事を考えていると、あっという間に六限目が
終わった。
もしかしたら僕が優月を傷つけてしまっていたのかもしれない。そんな考えが浮かんだ。けれど、とりあえず今日は一旦、様子を見ようという阿呆な自分もいる。
僕は阿呆で臆病者な心が弱い人間。心底嫌になる。

そして、また本に逃げる。
学校から逃げ出すように、友達に適当な言い訳をして僕が好きな逢川に向かう。

静かな水の音が聞こえてきて少しずつ心が落ち着いてきた時、読みかけの本を読み始める。
いつも何分経っているかわからないが、その時間だけは自分を好きでいられる気がする。


「よし!優月、行っておいで。」

「うん!」

私は、馨が勘違いしてしまっているかもしれない事を「違うよ。」と言ってあげたい。私も本が好きだから今度一緒がに話をしたい、とか。
ギャップ萌え、しちゃったとか。
全部私の言葉不足なのは分かってる。だけど、絶対に言いたかった事だけでも伝われば…と思う。

「すみませーん、馨、いますか。」

隣のクラスを除いて聞いてみるも、もう用事があるから帰ってしまったらしい。

「そう…ですか。」
明日はもう日曜日で学校はない。できれば今日言いたかったけれど…。
でも今思えば、ギャップ萌えって告白じゃないか…?でもまあ馨は鈍感そうだしいいか。

「はぁ。」

一人でため息を付きながら珍しく逢川方面から帰る。綺麗な川に傷を癒してもらおうと思って。

「ん?」
いつもほとんどお客さんのいない川に誰かの影が見える。
それはすごく見覚えのある影。

「かお…る。」

おそらく、学校からすぐここまできたのだろう。天咲高校は土曜日にある学校だけは私服でいい校則だ。
今、馨が着ている服は学校に着て来たものだった。近くに自転車もあり、間違いなかった。

優月は行くべきか引くべきかと一人で迷っていたが、優月の選択肢は行く一択だった。


静かに優月は駆け寄り本に集中している馨の隣に座った。
馨は反応はしたが、顔を確認はしない。

「あ、私もその本好きだよ。」
優月は馨の読んでいる本の題名が分かり、声をかける。
驚いて隣を見る馨。

「え?」
未だに状況が理解できていないような顔でこちらを見る。

「馨もその本が好きなんだね。」

まるで小学生のような言葉で伝える。

「私も好き。馨、貴方が。」

驚いたように目をパチパチとさせる馨。

「私のことも、よんでみてよ…。」

頭がごちゃごちゃになって何から言えばいいか分からなくて、謝ることよりも先に言ってしまった。
もう取り返しはつかない。

「優月…?」

本当に不思議そうに、伝えてくれた名前はどこか不安げで。優月はそんなに馨を傷つけてしまっていたのだと気づいた。

「馨、本当にごめんね。」
優月が真剣に、けれども不安そうに伝える。
馨は、優月の様子を伺っているようだった。

「陽キャなのに意外って言葉で馨を傷つけたの、本当にごめんなさい。
その時に言いたかったことはね、なんだろうな…、
私も本好きだから一緒に話せるじゃんって心の中がお花畑で頭が動いていなかったの。言い訳に聞こえるかもだけどね…。」

馨は、安心したように微笑み

「僕が悪いんだ。昔に囚われてしまって人を信頼できなくて。一つの言葉で塞ぎ込んでしまう。
そんな僕が嫌いだったんだ。でもね、忘れてしまっていた変わろて言う気持ちを思い出させてくれたのは、
優月のおかげ。
ありがとう、大事なことを思い出させてくれて、謝ってくれて。」

優月は思わず泣いてしまって、馨が

「僕も、本も優月も好き。だけど優月の方が本より好き。僕が変わる瞬間を側で見ていてほしい。そしたら、僕も
君の人生をずっと読んであげる。ううん、読ませてほしい。」

優月は泣きながら笑い、

「うん…!ありがとう。」


「落ち着いた?」

泣いたり笑ったりして忙しかった私の背中を、馨はずっとさすってくれていた。

「うん、ごめんね、ありがとう。」

少し気恥ずかしくなって、顔を下に向けると馨が読んでいた本が置いてあった。

「え、地面においちゃってたの?」

私は慌ててそれを拾い上げる。

「うん、優月の方が大事だし。」

照れずに、そんな事を言う。

「そ、そっか?」

私は納得できていないまま、頷いた。
そして、今になって告白のことを思い出した。
…あんな感じじゃ、格好つかないよね。
もう一回、ちゃんと言おう。

「ねぇ、馨。あのさ、私と…。」

「ごめんまって、僕から言わせてほしい。」

「え?」

「僕は優月が大好きです。初めて人を好きになったんだ。
優月の人生を明るくさせたい。僕は僕が嫌いだ。けれど、変わりたいと思い出させてくれたのは優月だった。
優月、僕は僕が好きな自分になりたいと思っている。だから、えっと、俺の人生のこれからを隣で見ていてほしい。」

私が言葉を挟む暇がなかった。
けれど言う言葉は決まっている。

「こ、こちらこそ!見ていてほしい。よろしく、お願い、します!」

顔を真っ赤にしながら私は答えた。

「うん、ありがとう。」

少し顔を赤くさせたと思って、馨の顔をまじまじと見ると
耳を真っ赤にさせていて

「かわいい。」

と呟いた。その言葉が馨にも伝わってしまって、もっと
耳を真っ赤にさせていたのがすごく可愛くてお互いツボってしまった。


「「やーっとあの二人付き合ったんか。」」

そう語り合うのは笑い合っている二人を見ていた、二人の
親友。

「「え?」」

「あ、どーも。馨の親友です。」

「優月の親友です。」

「「ははははっ」」

二人は自分たちの親友を見て笑う。
二人の親友の笑いは周りをも笑顔にさせる 
最高の笑顔だった。
ここが仮に舞台だったとしたら、今この瞬間、スポットライトが当たっているのは間違いなくあの二人だ。

「よかったね、」「よかったなー。」

「優月。」「馨。」


これは一目惚れから始まった一つの恋。
夏の空で人を怖がり信頼できていなかった少年と、優しい月の人を照らすような少女が出会う話。