一通り話を終えて、母さんが春香に部屋の案内を済ませた後。俺達四人は車でレストランに向かい、みんなで昼食を共にした。

 食事中は、両親が春香に向こうの親御さんの話なんかを聞いてたんだけど。あいつはさっき同様、自然に会話を熟していた。
 昔だったら間違いなく、消極的で片言の反応をしていたはず。
 だからこそ、その成長っぷりに改めて驚かされた。
 
 ただ、ここまでの流れから考えて、俺が下手に春香に話しかけると、あいつがまた口数少なくなるのは目に見えている。
 そう考えて、俺はみんなの会話にあまり口を挟まないようにした。まあ、半分は春香の笑顔に見惚れていただけなんだけど。

 ちなみに、木下さん夫婦には既に事情を話し、こっちに来る時には近くのホテルに泊まってもらう事にしたらしい。
 それでも遊びに来てくれる辺り、やっぱりあの夫婦は優しくていい人達だなって思う。

 その後も、春香が泊まるのに必要な家具とかを、みんなで買いに行ったりした。
 既に母さんと打ち解けたあいつは、まるで家族のように笑顔で話しながら歩いている。
 だけどその間、俺と春香はまるで赤の他人のように、話す機会を完全に逸してしまい。俺は、まるで別人のように可愛く積極的になった彼女を、ただ見守る事しかできなくなっていた。
 
      ◆   ◇   ◆

 買い物も一段落し、夕方前に家に戻って来た俺達。
 丁度そのタイミングで、春香の実家から彼女の荷物が届いた為、あいつはそのまま部屋に戻って荷物整理を始め、俺も邪魔にならないよう、自分の部屋に籠もる事にした。

 ……この半日で一気に色々起こりすぎて、ちょっと気持ちが落ち着かない。
 私服のままベッドの上に寝転がった俺は、ぼんやりとここまでの事を思い返す。

 見違えるほど可愛くなった春香との、六年ぶりの再会。
 あいつが病気だったからこそ、俺に連絡先を教えなかったという過去。
 両親とは人が変わったように話せているのに、俺とは昔のままという違和感。
 彼女が俺の家に居候するという現実。
 再会できた喜びと、一緒に暮らす事になった戸惑い。
 この先、どうやって接していけばいいかという不安。

 やっと春香と再会できたんだし、もっと色々と話せたらっていう気持ちはすごくある。
 だけど、あいつは俺に対してだけは、昔の反応のまま。
 流石に直接話をするのは難しいだろうし、やっぱり無理強いはさせたくない。

 変わっていないなら、昔と同じように接っするのが、あいつにとっても楽でいいとは思う。
 ただ、一緒に暮らしていくんだろ? それはそれで、何か違うような気も……。 

 何処かもやもやとしながら、ごろりと横向きになると、ふと自分の机に目をやる。
 机に置いてあるのは、出会った時に春香から預かったノートだ。

 ……色々聞きたければ、やっぱりあれに頼るしかないのか。
 最初の感じだと、もう少し普通に話せると思ったんだけど……。
 俺はどこか恨めしい気持ちで、それをじっと見つめた。

 書かなくなって、六年も経つ交換日記。
 あれにまた色々書いて春香に渡せば、きっと返事をくれるだろう。
 でも、こっちだってこの六年。手紙や日記みたいな文章なんて、まともに書いてないんだ。
 そんな中で、また頑張れと言われると……。

 億劫さが先行してしまい、ノートに向かう気持ちが持てない自分に情けなくなる。
 とはいえ、遅かれ早かれ書かないといけないんだよな。あいつにノートを託された時、こう言われたし。

  ──「……次は、ター君の番だから」
 
 ……あれ?
 ふっと頭に浮かんだ、川べりで気恥ずかしそうな顔をした春香が、俺に口にした言葉。
 それを思い返した時、俺ははっとした。

 あいつ、次は俺の番(・・・)って言ったよな? って事は……。
 ベッドから飛び起きた俺は、そのまま机に向かうと立ったままノートを手にし、ペラペラとページを捲る。

 ……やっぱり。
 さっき俺は、自分が書いた最後の日記までしか見てなかった。
 でも、その裏面──六年前には空白だったはずのページに、それはあった。
 春香からの新しい日記(メッセージ)が。
 
      ◆   ◇   ◆
 
 2024年 7月20日(土)

 またこんな風に日記を書く日がくるなんて、思ってもみなかったな。
 こんにちは、でいいのかな? 久しぶりだと挨拶に困っちゃうね。

 これを書いている今は、まだ夜なんだけど。
 ター君と再会できるって分かったその日から、私はずっとわくわくしてるし、すごく不安にもなってて、今晩ちゃんと眠れるか、ちょっと心配かも。

 私が引っ越してから、もう六年も経っちゃったんだね。
 ター君はあれから、どんな風に変わったのかな?

 部活とかしてるのかな。
 学校で人気者になってたりするのかな。
 やっぱり、彼女とかいたりするのかな。
 優しいター君だもん。それも十分ありえそうだよね。

 お母さんってば、園子おばさんからター君の画像を貰ってるのに、私には見せてくれなかったの。
「楽しみがなくなっちゃうでしょ?」なんて言って。
 でも、お陰で今は、ター君がどんな風に変わったのか、すごく楽しみなの。
 焦ったさもあるけど、一応お母さんには感謝しなきゃね。

 私ね。引っ越した後に、ター君の日記を読んで決めたの。
 これ以上心配かけちゃいけない。だから、頑張って変わろうって。

 引越し先の学校で、たまたまター君みたいに優しい女の子がいて、私にも気さくに話しかけてくれたから、その子と頑張って友達になったんだ。
 そうしたら、そこから友達も沢山できたの。

 みんなファッションとかもこだわってたから、私も色々教わって外見も変えてみたの。
 眼鏡はお父さん達に相談してコンタクトにしたし。髪の毛もおさげを止めて流してみたんだよ。
 ター君がこの姿を見たら、どう思うだろう?
 似合ってるって思ってくれたら、頑張った甲斐もあるんだけど。

 友達ができてから、みんなとLINEしたり、一緒にカフェに行ったり、遊びに行ったりもするようになって。今じゃ自然にみんなとも話せるようになったの。
 だからきっと、ター君とも自然に話せるはず……って、思ってるんだけど。

 ……正直、まだちょっと不安。
 だって、やっぱりター君は特別だから。

 あのね。
 私も頑張って、自然に話そうと思ってる。
 変わった所を見せたいなって思ってる。

 でも、もしそうできなかったらどうしよう。
 ター君が、そんな成長できない私を見て、がっかりしたらどうしよう。
 イメチェンしたけど、ター君の好みじゃなかったらどうしよう。
 そんな不安も沢山あるの。

 それでも、私はター君と会って話したいから。
 できる限り頑張ってみるね。

 ター君。
 私がちゃんと話せなくって、昔みたいに無口になっちゃったらごめんね。
 もしそうなっちゃっても、この先少しずつでも、ター君と普通に接していけるよう頑張るから。
 できれば気長に見守ってくれると嬉しいな。

 あと……できればでいいから、交換日記は続けてほしいの。
 やっぱり口で話しにくいこととかもあるかもしれないし。もしうまく話せなかった時の保険に……っていうのは、ちょっと虫が良すぎるかな?
 でも、今日これを書く前に日記を読み返したら、ター君との沢山の想い出を思い返せたの。
 だから、二人の想い出を残しておくのにいいかなって。

 あ。勿論これは私のわがまま。だから、嫌だったら素直に言ってね。
 それじゃ。会えるのを楽しみにしてるね。 

                     春香

      ◆   ◇   ◆

 高校生らしい、以前より綺麗で可愛い文字。
 ちょっと自信のなさが滲み出る、だけど六年という月日を感じる、しっかりとした文章。
 そこにある返事を読み終えた俺は、胸がいっぱいになった。

 あんな拙い俺の日記を見て、あいつは頑張って変わってくれたのか。
 だから、あれだけ母さん達とも話せるようになったんだな。
 俺に対しては上手くいかなかったけど。それでも変わった自分を見せたいからって、最初は一生懸命に話し掛けようとしたんだよな。

 もう、昔のあいつとは違う。
 それなのに、春香に変われ変われって言っておいて、俺は全然変わってないじゃないか。
 あいつがこれだけ頑張ってるのに、まるで彼女が変わっていないかのように、昔と同じように接しようとするとか。
 そんなの、あいつの努力を無碍にしてるだけだろ。
 
 ……そう。あいつも頑張ったんだ。
 今の春香を見てやらなきゃ、合わせる顔がない。
 だったら、俺も変わらないと。

 頭をガシガシと掻いた俺は、ゆっくりと机に向かい、鉛筆立てに収まっているシャーペンと消しゴムを手に取る。
 そして、もうすぐ西日になっていくであろう陽射しを窓越しに浴びながら、少しずつノートに返事を書き始めた。

 わかってはいたけど、久々に文章を書くのは決して簡単じゃない。
 中々書き進められない返事に、自分の文才の無さを漢字、ちょっと焦れったくなる。
 こんなに書けないなら、春香の言葉に甘えて交換日記を諦めてたっていいんじゃ……。
 そんな事を思ったりもしたけど。
 俺は大きく首を振り邪念を振り払うと、川沿いで見たあいつの微笑みを思い出して、必死に書き続けた。

 必死に頭を悩ませながら、書いては消してを繰り返し。
 途中で暗くなってきた部屋に気づき電気を点けて、そのまま少しずつ筆を走らせた。
 書いているうちに、少しずつ昔の感覚を思い出してきたのか。途中から、自分の想いを素直に書けるようになってくる。

 ……こんな感じでどうだ?
 ある程度書き進めた俺は、一旦そこで文章を読み返す。
 文才は相変わらず皆無。正直内容に自信が持てない。 
 でもまあ、こればかりは仕方ない。久々の日記なんだ。慣れるまではこんな感じで書いていくしかないだろ。

 とりあえず、もう少し伝えたい事とかを書き加えてみるか。
 俺は再びノートに向かい、勢いでペンを走らせる。

  コンコンコン

 ……ん? あれ?
 ノックの音にふと我に返ると、既に窓の外の景色は夜景に変わっていた。
 途中から集中しすぎてて、全然気づいてなかった。

「あの……ター君?」
「え? ああ。どうした?」

 と。ドアの向こうから聞こえた不安そうな春香の声に、慌てて返事をする。

「あ、あの。夕ご飯だから、ター君を呼んできてって」
「そ、そっか。すぐ行くよ」
「う、うん。じゃあ」

 短い会話を交わすと、ドアの向こうで足早に彼女が去っていく足音が聞こえる。
 それが俺を避けてるようにも聞こえて、ちょっとだけ胸が痛む。

 やっぱり、俺と二人だけで面と向かうのは、まだ緊張するんだろうな。
 でも、こればかりは仕方ない。これから一緒に暮らすんだ。春香にも、少しずつ慣れてもらわなきゃ。

 日記はもう少しで書き終わる。でも、まずは息抜きも兼ねて、夕飯を済ますとするか。
 俺はノートを一旦閉じると、そのまま部屋を出て行った。

      ◆   ◇   ◆

 四人での夕食を終えた後、母さんに勧められ、先に風呂に向かった春香。
 その間に、俺は一人部屋に戻り、さっきの続きを書き始めた。

 ……よし。こんなもんかな。
 時間を掛けた割に、あまり長くならなかった文章。
 だけど、俺なりに頑張れたと思うし、書き切れただけでもほっとした。

 後は、あいつが部屋に戻って来たら……。
 変に緊張しだした気持ちを落ち着けるべく、机に置いていたイヤホンを耳に付けスマホと繋ぐと、そのままベッドに戻って音楽を聞きながら、その時を待った。
 何曲目かのお気に入りの曲が終わった頃。ブブッとスマホが震える。
 手に取り画面を見ると、母さんからのLINEが入っていた。

『春香ちゃんがお風呂を出て、部屋に戻ったから。次はあなたが入りなさい』
『わかった』

 短く返信した後、イヤホンを外すと上半身を起こし、一旦大きく伸びをする。

 ……よし。いくか。
 ふっと短く息を吐き気合いを入れると、パジャマや着替えと一緒にノートを手に取り、廊下に出て春香の部屋のドアの前に立った。
 隙間から漏れる光。そこにあいつの存在を感じて、ちょっと緊張する。

 ……すー……はー……よし。
 深呼吸の後気合を入れ、コンコンコンッと部屋をノックした。

「はい」

 中から聞こえたのは、普段通りに聞こえるあいつの声。

「悪い。俺だけど」
「え?」

 だけど、相手が俺と分かった途端、それがちょっと緊張と戸惑いを孕んだものに変わる。
 まあ、これは十分想定内。いくら六年離れたからといって、伊達に五年間も幼馴染でいたわけじゃないからな。 
 ……いいか。怯むな。俺だって変わるんだ。
 ゆっくり、少しずつ、お互い話ができるように。

「あ、ドアは開けなくていいから。ちょっとだけ、話を聞いてくれないか?」

 緊張で言葉が詰まりそうになるのを必死に堪え、俺がそう願い出ると。

「……うん」

 どこか覚悟を決めたような、真剣さを感じる短い返事が聞こえた。

 OKを貰えただけなのに、めちゃくちゃほっとするとか。俺もやっぱり不安なんだな。
 思わず自嘲しつつ、俺は立ったままドアに背を向け寄り掛かる。

「あのさ。日記に色々書いておいたけど。これだけは直接言っておくな」
「うん」
「今日の俺、お前にあまり話しかけられなかったし、返事も歯切れが悪かったよな」
「……うん」

 成長してより声が綺麗になったけど、やっぱり経験で分かるもんだな。
 同じ「うん」なのに、あいつが何を思ってるか。手に取るようにわかる。
 最初は普通の返事。でも、後の返事は、俺に何を言われるのか、不安になってる時のやつだ。
 次の話を伝えたら、どんな声色の返事が返ってくるのか。内心不安になりながらも、俺は語り続けた。

「でさ。勘違いされたら困るから言っておくけど。その……俺、お前とまた会えて、めちゃくちゃ嬉しかったから」
「……え?」

 別に、好きだって告白したわけじゃないのに。
 少し顔を赤くしながら口にした俺の本音を聞いて、春香から漏れたのは驚きの声。
 って、そこで驚くのかよ。

「い、いや。え? じゃないって。これは本当だからな。だから、その……ちゃんと、信じてほしいんだ。いいか?」
「……うん」

 少し間が空いてから届いた、ちょっと嬉しそうな声。

 ……良かった。
 それを聞き、俺はほっと胸を撫で下ろす。
 そして、同時に思う。やっぱり今でも、あいつを好きなんだなって。

 でも、何でだろう。
 こうやってドア越しに話しているだけのに。何故かあいつもドア越しに俺に背を重ねて、話を聞いてくれている気がする。
 そうだったら、それはそれで嬉しいけど。

「えっと、話はそれだけ。ノートはここに置いとくから、後で読んでおいてくれ」
「え? うん。わかった」

 ちょっと驚き交じりの返事に、ちょっと苦笑する。
 俺は昔から日記を書きあげるのが遅かったし、返事まで数日空く日もざらだったからな。
 まさかこの早さで返事をもらえるなんて、春香も思ってなかったのかも。

 さて。あまり長話をするのは、春香も大変だろうし。
 母さんに早く風呂に入れって、ドヤされるのも嫌だしな。

「じゃあ、後はゆっくり休めよ」
「……うん」
「それじゃ、お休み」
「うん。おやすみなさい」

 優しい挨拶を聞いて満足した俺は、ノートをドアの側にそっと置くと、そのまま一階へと降り風呂に向かったんだけど──まさかこの後、すぐに後悔することになるなんて、思ってもみなかったんだ。