「いつも動画をご視聴くださっている皆さま。この度はお騒がせしており、またご心配をおかけして申し訳ございません。せっかく皆さまのおかげで初めてランキングに載れたのにこんなことになってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。いつも楽しみにメイク動画を待っていてくださる皆さまには申し訳ございませんが、今回の動画では、現在炎上している件についてお話させてください」
部屋ではいつもと違うかしこまった雰囲気の静歌が謝罪動画を撮っている真っ最中だった。
炎上したあの日から今日まで少し間が空いてしまったが、静歌の心が固まったので動画を撮ることに決めたのだ。
相変わらず騒動は収まっておらず、いまでも心ないコメントがぽつぽつとついていた。
それに何度心を痛めたかわからない。
だが、このままにしておくわけにはいかなかった。
桜花の噂話にも尾ひれがついて回り、大学内では居場所がなくなっていた。
美樹をはじめとして律と諒は変わらず桜花の傍にいてくれ周囲に弁解もしたが、風船のように大きく膨れ上がった“有名人”の噂話は一度や二度の弁解では収束しなかった。
元々人気のあった桜花なのでその存在を知らない人の方が少なかったと思うが、今回の件で知らない人はほぼいないに等しいと言えるほど桜花は大学内で注目を浴びていた。
良い意味での注目だったならどれだけ良かっただろうと、桜花は考える日々だった。
それからの桜花はどうしても出席しなければならない講義のときだけ大学へ行き、それ以外では自宅に引きこもる日々を送っていた。
周りからの視線や噂話に耐えられなかったからだ。
それもそうだろう。
いままで光を浴びるように歩いてきた道は、突然に閉ざされてしまったのだから。
裏サイトの投稿はいつの間にか削除されていたがスクショが拡散されたようで、収まりがついていなかった。
日々憔悴していく桜花の様子を受けて、やっと謝罪動画を撮るという決断に至ったのだった。
静歌は白いカッターシャツを纏い、普段桜花がしているような落ち着いたメイクで撮影に臨んだ。
普段上げているショート以外の動画をサイトに上げるのは、この間の生配信と合わせると二度目なので、話す内容も相まって静歌はより緊張しているようだった。
カメラや照明を決まった場所にセッティングし、姿見と向き合うようにして動画を撮るのは静歌のこだわりで、それだけは今回も変わらない。
鏡が目の前にあると自分がどんな表情をしているのかがわかりやすいからそうしている。
「コメントにもありましたが、わたしがパパ活をしているというのは事実です。申し訳ございません。始めた当初、周りがみんなやっているからという軽率な理由で、お金欲しさにわたしはパパ活をしました」
静歌はただ粛々と事実を述べた。
視聴者からの反応は怖いが、事実を隠してバレた時の方が怖いと静歌はもう知っていたからだ。
その後も、SNSで騒がれていた一連に対してひとつひとつコメントを述べ、何度も何度も静歌は謝罪した。
「動画配信をして皆さまに見ていただいている立場のわたしが、していいことではなかったと思っています。犯罪にあたる行為は誓ってしていませんが、パパ活が褒められる行為ではないこと、皆さまの嫌悪を煽るものだということは理解しています。この度はお騒がせして、本当に申し訳ございませんでした」
静歌は深く深く、頭を下げた。
「……そして、ご存じの方も既にいらっしゃるかと思いますが、実はわたしには双子の妹がいます。今回の件はすべてわたしが招いたことであり、妹にはなんの罪もありません。わたしに一番の責任があることは承知の上でお願いしますが、妹が以前のような生活を送れるよう、ご協力いただければと思います」
力強いまなざしで、静歌はそう言った。
「この度はご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした」
最後にもう一度深々と頭を下げた後、静歌は録画停止ボタンを押した。
「……これでよかったんだよね?」
呟いた静歌の表情は暗かった。
桜花はその問いかけに返事をすることができずにいた。
謝罪動画を上げるのは賢明な判断だと桜花は思っていたが、それが正解かはわからなかったからだ。
「これで、少しは落ち着くといいんだけど……」
明日からの大学生活を思い浮かべて、桜花は小さく呟いた。
静歌が謝罪動画を上げてからしばらく経ち、なんとか勇気を振り絞って大学へと赴いた桜花は、早くも挫けそうになっていた。
「東雲さん、双子だったって?」
「え? じゃあ、パパ活疑惑は東雲さんじゃないってこと?」
「うーん……、この前の謝罪動画見た?」
「見た見た。けど、見たらさー、余計に怪しくない?って思っちゃって」
「どういうこと?」
「だってさ……似すぎてるって思わなかった? 顔も声も。髪型もなんか似てるしさ。双子ってより、同一人物って感じで」
「えー、でも一卵性の双子だったらそういうものじゃないの? あたし小学生の時クラスメイトに双子いたけど、見分けつかないくらいそっくりだったよ」
「そうなの? けど私はそこまで似る?って思ったよ。まあ、知らないけど」
「なんにせよ、一緒の空間にいたくないよねー。身内にパパ活やってる人いるとか最悪だし。結局さ、あのseeチャンネルの人だけじゃなくて、東雲さんもやってんじゃないの? パパ活」
くすくすと笑いながら、桜花に聞こえるようにわざと大きな声で話しているのが見え見えで、桜花の内心は怒りで燃えていた。
(——大学生にもなってよく知りもしない他人の悪口で盛り上がれるなんて、低俗だ)
わなわなと肩を震わせる桜花に気付いた美樹が「大丈夫?」と声をかけるも、桜花の耳にそれは届いていなかった。
「……それにさあ、東雲さんとよく一緒にいる斎藤って人も、派手だし一緒にやってんじゃないの? パパ活」
「あはは、それまじだったらきもいね」
女子三人のグループから美樹の言葉が聞こえてきて、桜花はさずがに我慢ならず、彼女たちの方をきつく睨んだ。
睨まれていると気付いた女子たちは、口々に「こっわ」「東雲さんもあんな顔するんだー」「いままでは猫かぶってたんですか~?」と嘲った。
「東雲さーん、ちょっといいすかー?」
そのとき、女子たちの騒ぎを近くで聞いていたらしい茶髪のチャラそうな男子が、馴れ馴れしく桜花と美樹の方へと近づいてきた。
(——誰、この人。服も色合わせめちゃくちゃだし、ださい)
「……なんですか?」
内心では失礼なことを考えながらも、これ以上ことを荒立てたくなくて、桜花は努めて冷静に男に返した。
「実はあ、俺seeチャンネル見て、seeちゃんのことめっちゃかわいーと思っててー。東雲さんと似てるとは思ってたけど、まさか双子だとは思わなかったわけ。ほら、世界には自分と似ている人が三人はいるって言うじゃん?」
「はあ」
語尾を伸ばした間抜けな喋り方も相まって男が何を言いたいのかが余計わからず、桜花は適当に相槌を打つ。
そんな桜花を気にする素振りもなく、男は突然目の前で両手を合わせた。
「会わせてくんね⁉ 友達のよしみでっ!」
「はあ?」
呆れを含んだ声が、思わず喉元から漏れた。
男は相変わらず両手を合わせて目を瞑り、「お願い!」としつこい。
(——いつ、誰と誰が友達になったというのだろう。間違いなく、この男とわたしは初対面なのに)
「ちょっと! あんた、いきなり何? seeちゃんに会わせられるわけないじゃん! だって、いま……!」
桜花をかばうために美樹が咄嗟に前に出たが、途中で言い淀んだ。
桜花の前で「いま炎上しているんだから」と続けるのが躊躇われたのだろう。
それがわかっていたので、美樹の代わりに桜花自身が言葉を紡いだ。
「悪いけど、姉には会わせられない。炎上してるし、曲がりなりにも“有名人”だし」
「えー、でも、東雲さん的にはいいのー?」
「はい?」
「連れてきて、あの女子たちもseeちゃんに会ったら、SNSとかで擁護してくれるかもよ?」
にやにやと下品な笑みを浮かべる男の言葉を聞いて、さっきの女子グループも遠くからヤジを飛ばしてくる。
「そーそー。一回連れてくればいいんだって。うちらは有名人に会えてラッキー。向こうはSNSで擁護してもらえる。そうしたら、東雲さんも晴れて炎上回避じゃん? お互い得しかないでしょ」
「それにー、ジジイとヤるより、俺みたいに若くていい男の方が、seeちゃんも良くね? 金なら払うし」
「うっわ。ゲスいわ、こいつ。ワンチャン狙い? それにあんた、別にいい男じゃないけど」
「いーじゃん。男はみんな、一度は可愛い子とヤりたいもんなんですぅ~。夢くらい見させてくれよー」
ゲラゲラと品のない笑い声に、桜花は辟易した。
(——こいつらと同じ偏差値とか、信じられない)
みんなの顔が、桜花には同じに見えた。
吊り上がった目、にやにや緩む口元。
まるで人を化かし、嘲り笑う狐のような顔だ。
お祭りでよく売っている、目が吊り上がった狐面をみんながつけているようだと桜花は感じていた。
「まあ、seeちゃんに会わせてくれないっていうなら、東雲さんでもいいけど? いくら払えばいいの? どうせやってんでしょ、パパ活」
その言葉が、桜花の怒りの頂点を突いた。
瞬間、一気に頭が沸騰したように熱くなる。
桜花は両手で作った握りこぶしで力の限り机を強く叩き、叫んだ。
「うるさいっ! そんなことやってない!」
言った直後我に返り、桜花は後悔した。
(——やってしまった……)
桜花の叫び、机を叩いた音で、講義室内は一気にしんとした。
視線がすべて桜花へと注がれているのが自分でもわかった。
どんなときでも明るく笑みを絶やさず穏やかに、嫌味を言われても上手く受け流してきた。
それなのに。
(——なんで、こんなことに……)
机に拳を打ち付けたまま俯いている桜花に、言葉の刃が降り注ぐ。
「こわー。でも、人って極限に立たされた時に本性出るって言うよね。これが結局本性なんじゃない? あれだけムキになって、やっぱ東雲さんもパパ活やってたんでしょ」
吐き捨てられるように落ちてきたその言葉は、桜花を打ちのめすには十分だった。
いてもたってもいられなくなり、美樹を置いて桜花は講義室を飛び出した。
「最悪……」
照明の落ちた部屋の中、桜花の体はベッドへと沈んでいた。
呟いた言葉はまるで煙のように、暗がりへと吸い込まれるように消えていった。
やっとの思いで腫れぼったい瞼を持ち上げて、スマホを操作する。
(——こんな簡単に収まるわけなかったんだ)
桜花は静歌の動画のコメント欄を見ながら、画面をスクロールしていく。
謝罪動画を上げたあの日から、静歌のメイク動画は投稿されていなかった。
炎上効果でむしろ動画の再生回数は増えたが、それに比例して心ないコメントは多く寄せられるようになった。
中には静歌を励ます言葉もあったが、それらは簡単に汚い言葉の波へと埋もれていった。
桜花はなんとなく、肌で感じ取っていた。
すれ違うたびに声をかけられることも、羨望の眼差しを受けることも、もうないのだと。
もうあの輝かしい日々には戻れない、と。
(——どうしてこんなことになったんだろう。パパ活なんてしなければ)
桜花が後悔の念に苛まれているそのときだった。
眺めていた画面が着信表示へと切り替わり、そこには『お母さん』と記された。
(——出た方がいいに決まってる。それに、今度こそわたしのことを心配してくれるかもしれない……)
桜花は一縷の望みをかけ、震える細い指先で通話ボタンをタップした。
『ちょっと、あれはどういうことなの⁉ なんなの、あの動画は⁉』
耳に当てる前に聞こえた金切り声に、桜花はぎゅっと唇を噛みしめた。
電話の向こうでは何を言っているかわからないほどの早口で、桜花を責め立てる声が響いていた。
情報通な母親のことだ、どこかで動画のことを知り反乱狂で連絡してきたに違いない。
いつもそうだ。
何か悪いことが起これば桜花の責任で、静歌にはただ甘い言葉を投げるだけ。
静歌のことを怒るに怒れないから、母親はその憤りすべてを桜花に押し付けていた。
桜花は零れそうになる涙を、必死に瞼の奥に押し込めた。
(——結局、いつも静歌のことばかり。わたしのことなんて、本当にどうでもいいんだ)
いまだに電話の向こうで騒ぎ立てる母親の声が、急に遠くに聞こえる。
桜花の心が、本当に母親から離れていく間際のようだった。
思い返せば母親との会話の中には、いつも静歌が登場していた。
「学校での静歌はどう?」「静歌は悪い友達と一緒になっていないでしょうね?」「静歌はこの前も賞をとったのよね!」など。
そうして最後には「同じ双子なのに、なんでこんなに違うのかしら」と付け足され、桜花が母親に褒められたことや心配されたことなど記憶上にはただの一度もなかった。
一方で、「静歌はなんでもできて、本当に偉いわあ」「こんなに多才で、いったい誰に似たのかしら!」「世界一の自慢の娘」など、静歌には甘い言葉をさんざん言って聞かせた。
母親は、静歌に甘かった。
けれど、桜花にはとりわけ厳しかった。
今日出た洗濯物は一番右のかごに入れる、という家のルールを守らなかった静歌に気付き注意した桜花へは「あんたってほんと細かい子ね」と呆れたように言い、静歌へは「そういうときもあるわよね」と優しく頭を撫でた。
桜花が間違ったときには「こんなことも覚えられないの?」と睨み、静歌に対しては「静歌はちゃんとできて偉いね」と褒めた。
桜花が一生懸命手伝いをしても、やって当たり前という態度。
習い事の隙間に静歌が手伝おうとすれば「なんでもかんでもお姉ちゃんらしくしようとしなくていいの。あなたは忙しいんだから。こういうことくらい、桜花にやらせないと。わがままな子に育つでしょう」と桜花を見下げた。
その頃は“毒親”なんて言葉は知らなかったので、桜花は愛されようと必死に努力した。
なんの取り柄もない自分が悪いと、ただ自身を責めた。
たったひとつ勉強だけは静歌に劣らなかったが、それさえも認められなかった高校生の時に、やっと桜花は自覚したのだ。
(——お母さんは、たとえ天地がひっくり返ってもわたしを愛さない)
そうして母親に見切りをつけ、桜花は地元を離れたのだった。
電話の向こうでは、耳が痛くなるほどの声でまだ母親が騒ぎ立てていた。
「……おかあさん、」
小さく小さく、桜花はぽつりと呟いた。
見切りをつけたはずなのに、どうしてだろう。
何年振りだろうか、そう呼びたくなったのだ。
(——助けて。わたしもいま、学校で大変なんだよ)
鼻を啜る音があちらに聞こえたのだろうか、母親のまくしたてるような声が一度だけ止んだ。
『なに言ってるのか聞こえないわよ! 相変わらず愚図なんだから!』
だが、続けられた言葉は求めていたものではなく、桜花の心は深淵へと落ちていった。
(——もう、うんざりだ)
電話の向こうでギャーギャー騒ぐ母親の声を遮って、桜花は初めてはっきりと告げた。
「……わたし、もうお母さんの娘、やめるから」
そうして桜花は通話を切り、かかってきた電話番号をそのまま着信拒否に設定した。
心はすっきりしているはずなのに、桜花の目からはとめどなく涙が溢れていた。