フローラの父親はファッション関係の会社を経営しており、生地の素晴らしさに惹かれて度々日本に出張していた。その度にお土産として色々なものを買って帰るのだが、フローラが一番喜んだのはアニメのビデオで、可愛いお人形さんのような女の子が出て来るビデオが大のお気に入りになった。なかでも『美少女戦士セーラームーン』には夢中になり、『月野うさぎ』はアイドルを超えた存在になった。だから、セーラームーンの衣装と『ムーンスティック』を父親にねだった。月野うさぎに成り切りたかったのだ。

 願いはクリスマスの日に叶えられた。目が覚めると、ベッドの横のテーブルに包み紙が置かれていて、それを開けると死ぬほど欲しかったものが現れた。フローラは大きな声を上げて両親の寝室に走って行き、ベッドにダイブして2人に抱きついた。

「月に代わっておしおきよ!」
 ポーズをとったフローラの声を一日に何度も聞かされることになった両親だったが、その度に大きな拍手をするのを忘れなかった。娘が日本語に興味を示して喋ろうとしていることが嬉しかったのだ。

「ご存知! 愛と正義のセーラー服美女戦士セーラームーン!」とスラスラ言えるようになった時は父親に抱え上げられて両頬にキスの嵐が降ってきた。この子は天才に違いないと狂喜乱舞してくれた。嬉しくなったフローラはもっと日本語が喋れるようになりたいと勉強に励むようになり、大学在学中にローマで実施された『日本語能力試験』で『N1』に認定されるという快挙を成し遂げるまでになった。N1は最も難しいレベルであり、認定されるためには幅広い場面で使われる日本語を理解する必要がある。新聞の論説や評論などを読んで理解することや、自然なスピードで会話をすることなどが求められるのだ。つまり、ネイティヴの日本人と変わらない日本語能力が身に着いているかどうかが試されることになる。そんな超難関の試験だったが、フローラは一回で合格を勝ち取った。本人はもちろん嬉しかったが、両親の喜びようはそれを超えていた。そのせいか、父親は最高のプレゼントを用意してくれた。大学を卒業する年に日本へ行かせてあげると言ったのだ。今度はフローラが狂喜乱舞した。父親の首にしがみついて両頬にキスの雨を降らせた。

 しかし、そのご褒美が実現することはなかった。フローラが卒業する年に日本を襲った大災害が原因だった。東日本大震災。そして、福島での原発事故。放射線被害を恐れた日本在住のイタリア人が続々と帰国していた。そんな中で日本に行くことはできなかった。苦境に陥った日本人を励ましたいと願う気持ちは強かったが、断念せざるを得なかった。
 
 憧れの日本が遠ざかっていくような気がして、かなりの間気分が落ち込んだ。それでもこの薬局で日本人観光客の応対をするようになって元気を取り戻した。日本人観光客の役に立つことは日本を間接的に支援することだと思うようになったからだ。それ以来フローラの顔から笑みが消えることはなくなった。