「乾杯!」
 ウェスタの発声でグラスを合わせた。
「貴重な経験をさせていただいてありがとうございました」と改めてお礼を述べると、どういたしまして、というように笑みを浮かべたウェスタだったが、「ところで、明日の朝、店に寄ってくれる? 渡したいものがあるから」と意外なことを口にしたので、そのことを訊こうとした時、前菜が運ばれてきて話題が変わってしまった。
「トリッパのサラダをお楽しみください」
 牛の胃袋を玉ねぎなどと和えてヴィネガーで味付けしたものだとシェフが説明すると、2人がもう待てないという感じでフォークを手に取った。
「あっさりとした酸味でとても美味しいわ」
「本当。サラダで食べるトリッパも最高」
 フローラが幸せいっぱいという表情になってグラスを口に運ぶと、その中に無数の泡が消えていった。その泡が羨ましかった。泡になりたいと真剣に思った。しかしそれは長続きせず、次の皿が運ばれてきて終止符を打った。
「牛の骨髄のオーブン焼きをお楽しみください」
 オーナーの声で弦の視線がフローラの口元から離れたのと同時にウェスタが皿に添えられたブリオッシュ(ふんわりとした触感の甘い発酵パン)を手に取り、それに骨髄を乗せて口に運んだ。
「う~ん、最高」
 これ以上はないというような笑みを浮かべた。
「もう言うことないわ」
 フローラも幸せいっぱいというように頬を緩めて、「甘めのブリオッシュとの組み合わせが最高ね」とウェスタに笑みを投げた。
 自分のことはもう眼中にないかのようだった。仕方なく2人の真似をして口に入れたが、その瞬間、未経験の口福に襲われた。
「なんだこれは」
 思わず声が出ていた。今まで食べたことのない美味しさだった。

 その後も次々に美味しい料理が運ばれてきて舌鼓を打った。アーティチョークを卵で包んで焼いたもの。タリアータと呼ばれるグリルした牛ロース肉を薄切りにしてルッコラと合わせたもの。シュリンプのカレーリゾット。そして、生クリームをモッツァレラチーズで包んだパスタ。
「一つ一つの量が少ないから色々な料理が楽しめるのよね」
「そう、女性に対する気配りが半端なくて最高なの」
 デザートのジェラート風トマトゼリーをスプーンですくいながら、たまらないというような表情で2人が見つめ合った。

 食事が終わると、ウェスタがバッグからカードを差し出した。受け取って見てみると、Forno de` Mediciの住所と電話番号とメールアドレスが記載されていた。
「いつでも連絡してね」
 もしアドバイスできることがあればどんなことでも協力するからと支援を口にしてくれたので、「本当にありがとうございました。厨房に入らせていただいた上にこんなにも美味しい料理をご馳走になって」と礼を言ったが、そこで詰まってしまった。次の言葉が出てこなかった。次いつ会えるかわからない状態で別れるのは辛すぎることだった。しかし、いつまでも黙っているわけにはいかないので、「本当にありがとうございました」と同じ言葉を繰り返して深く頭を下げた。