次の定休日に呼ばれて行くと、いきなりルチオの特訓が始まった。台の上にはパンを作るための材料が置かれていた。
「これが強力粉で、これがフランスパン専用粉、そしてこれが全粒粉、それからライ麦粉にコーンフラワー」
 指差しながらルチオの説明が続いた。
「これはパン酵母だよ。こっちが生イーストで、そっちがドライイースト」
 その後は専門書のような本を開いて製法の説明が始まった。
「すべての材料を一度に混ぜてこねる伝統の製パン法が『ストレート法』で、じっくり発酵させるから歯応えのある食感のパンができるんだよ。しかし発酵時間が3時間近くかかるから、それを短縮するために考え出されたのが『ノータイム法』で、ミキサーを使って早くこねるから発酵時間が30分もかからなくなったんだ。それにふっくらとしたパンを焼けるようになった。でも、ストレート法に比べて香りや風味が落ちるのが玉に(きず)だけどね。それから、アメリカで開発された製パン法に『中種法』というのがあるんだ。中種と呼ばれる発酵種を作って4時間ほど発酵させるという手間がかかる方法なんだけど、機械を使った大規模な製造に適しているから多くのパン工場で採用されているんだよ。でも、うちで採用しているのはそれではなく、『冷蔵生地法』という作り方なんだ。冷蔵庫で一晩発酵させる製造法なんだけど、これだと朝の時間を節約できるし、ゆっくり発酵させるから香りや風味がマイルドになって美味しいパンが焼けるんだよ」
 ルチオは懇切丁寧に教えてくれたが、頭にまったく入ってこなかった。左の耳から右の耳に抜けていくだけで、どんなに集中しても専門的な解説についていけなかった。
「次は」と言いかけたルチオの口が開いたまま止まった。アントニオが「ちょっと休憩したらどう?」と救いの手を差し伸べてくれたからだ。弦はホッとしたが、それで解放されたわけではなかった。
「試作品が出来上がったから意見を聞かせてくれるかな」
 アントニオが指差した先には焼き上がったばかりのパンがパントローリーに乗っていた。それをトングでバスケットに移し替えて、弦の前にある台まで運んできた。
「これは」
 大きく目を見開いた弦に向かってアントニオが笑顔で頷いた。
「そう、あんパンを作ってみたんだ。うまくできているといいんだけどね」
 弦は1個手に取って、それを半分に割った。つぶあんだった。それらしくできているようだったが、口に入れると、ん? という感じになった。余り甘くなかったし、粘りが足りないようだった。
「砂糖が少なかったかな~」
 アントニオも気づいたようだった。
「この前食べたあんパンよりはあっさりしすぎているね」
 ルチオがダメ出しをした。
「う~ん」
 顔を歪めたアントニオがスマホを手に取った。何かを確認しているようだった。
「これに出ているレシピを参考にしたんだけどね」
 弦が画面を覗き込むと、『How to make Anpan』という文字が目に入った。ユーチューブだった。ベーカリーエプロンを着けたアメリカ人らしき男性があんパンのつくり方をレクチャーしていた。それらしい雰囲気はあったが顎髭がなんか怪しそうで、本物のパン職人のようには見えなかったし、つぶあんを熟知しているとは到底思えなかった。弦は「ちょっと調べてみますね」と断ってスマホに〈つぶあんのつくり方〉と日本語で入力し、検索結果の中からよさそうなものをタップした。東京にある和菓子店のホームページだった。そのレシピをアントニオに伝えると、「フィー」というような口笛音を出して両手を広げた。大豆と砂糖と塩の配分がかなり違っていたようだった。
「手伝ってもらえるかな?」
 アントニオが真剣な表情になったので、もちろん、と大きく頷いてから、ホームページに書かれていることを読み上げた。アントニオはそれを聞きながら時々画面を確認して作業を進めた。