ダンテの家をあとにしたフローラが路地を北へ向かうと、大きな建物が見えてきた。ドゥオーモだ。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。花の聖母教会とも呼ばれている。赤レンガで造られた巨大なドーム型円天井『クーポラ』が威容を誇っている。1296年から建設が始まって1468年に完成した見事な建造物で、その西側には『ジョットの鐘楼』がそびえ立っており、85メートルの塔を14世紀に完成させた建築技術には驚くばかりだ。その東側にはドゥオーモ付属美術館があり、そこにフローラが愛してやまない彫刻が置かれている。ミケランジェロ作の『ピエタ(キリストの遺体を膝の上に抱いて悲嘆にくれる聖母マリア像)』だ。『神曲』に影響された作品で1550年頃に制作されたが、最終段階でミケランジェロが制作放棄をして弟子が引き継いだという(いわ)れがある。
 ミケランジェロはピエタ像を4つ制作しており、中でもローマのサン・ピエトロ大聖堂のピエタが有名だが、フローラはフィレンツェのピエタが一番気に入っている。磔刑(たっけい)(はりつけ)の刑)に処されたあと、十字架から降ろされたキリストと抱きかかえる3人の物悲しい姿が胸を打つからだ。それに、未完というのも意味があるとフローラは考えている。物事にはすべてなんらかの意味があり、無駄なものは一つもないと信じているのだ。だから、物事をあるがままに受け入れることを心がけている。

 ピエタ像を思い浮かべながら頭を下げて十字を切ったフローラは、マルテッリ通りを北へ進み、メディチ・リッカルディ宮殿へ辿り着いた。コジモ・デ・メディチが15世紀に建てた正方形の館だ。その角を西へ向かうと最初のルネサンス建築の一つであるサン・ロレンツォ教会が見えてきて、そこをぐるっと回ると隣接した建造物の入口が現れた。メディチ家礼拝堂だ。歴代のトスカーナ大公家の墓所である。
 
 入口を抜けると絵画や聖遺物が出迎えてくれ、更に通路を進んでいくと、2階へ続く階段が見える。そこを上ったところに君主の礼拝堂がある。床には数百種類の豪華な色大理石が敷き詰められ、その先の壁面に墓碑があり、6人の大公が埋葬されている。
 
 フローラは一つ一つの墓碑に頭を垂れて十字を切った。
「フィレンツェを未来永永お守りください。そして、メディチ家の幾久しい繁栄を見守りください」
 しばらく頭を垂れたあと、もう一つの願いを口にした。
「日本が大震災から一刻も早く復旧しますように。原発事故を克服できますように。そして、いつか日本の地を踏むことができますように」