「そこだよ」
 彼が指差す先にあったのは大きな建物だった。
「えっ? ルチオさんのお店って……」
 美術館を指差すと、「違う、違う。その横だよ」と弦の体を少し右に向けた。美術館の隣に三色に塗り分けられた軒先テントが見えた。パン屋だった。しかし、テントには奇妙な文字が並んでいた。BAKERY『BREAD』
 ん? パンのパン屋? 
 首を傾げながらもルチオについて中に入ると、焼きたてのいい匂いが鼻をくすぐった。唾液腺がすぐさま反応し、味蕾は待ち切れないと叫んでいた。
 おいしそう……、
 すると、その呟きをルチオがすぐに拾った。
「どれでも好きなものをどうぞ」
 それに反応して弦は手を伸ばしそうになったが、そんなわけにはいかないと躊躇った。だが、意外な味方が後押しをした。タイミングよくお腹が鳴ったのだ。
 ほら、というように笑みを浮かべたルチオがトレイとトングを差し出したので、素直に受け取って品定めを始めた。色々なハンバーガーやホットドッグにサンドイッチ、そしてベーグル。それに、クロワッサンやフランスパン。それと、見たこともないようなパンがいくつもあった。
「それはグリッシーニだよ」
 棒のような細長いパンの前に立ち止まった弦にルチオが助け舟を出した。
「こっちはフォカッチャで、これはチャバッタ」
 すべてイタリアのパンなのだという。
「もともとはイタリアのパンだけを作って売っていたんだけど、息子の代になって世界各地のパンを作るようになったんだよ」
 店名も、ルチオが店を始めた時は『BOTTI(ボッティ) BAKERY』だったのが、息子の代になって今の名前になったのだそうだ。
「変な名前だろ。私は反対したんだけどね」
 ルチオが口を歪めて首を振った。その時、奥からがっしりとした体格の男性が現れた。