八月の終わり。十七歳の始まり。
 きのうまでリビングで日向ぼっこしていた祖母とナツは、今朝起きると姿を消していた。本当に十七歳になったら消えるんだな、と橋本先生の言った言葉に感心した。
 久しぶりに仏壇の前で手を合わせる。涼真は小説が完成したことを祖母に報告した。祖母が幸せそうにナツと日向ぼっこしていたときの顔がすぐ目の前に浮かんだ。

 河川敷のアスファルトは熱く、踊る炎のような陽炎が見えた。初めて七海を見つけた日を思い出す。
 自転車を止めて、鞄からノートを取り出した。また新しい物語を紡ぎたい。七海のためだけに書いた物語は、鞄の中に大事にしまってあった。

――この花火が消えたら、この恋も終わる。

 思わず、口ずさむ歌。自分で歌って、音痴だなと笑う。

――この花火が消えたら、この恋も終わる。

 でも、できれば終わってほしくないな。
 そんなことを思いながら、涼真は生ぬるい風を感じた。
「相変わらず、音痴だね」
 背後から、懐かしい声がした。ずっと聞きたかった、優しい声。村山七海の声だった。
 覗き込むように横から顔を覗かせた七海は、涼真が知っている七海よりちょっぴり大人で、でも真っすぐに見つめてくれる瞳は同じだった。黒くて長かった髪は、少し明るく短くなっていた。薄い化粧に、甘くて優しい香水の香りがふわっと漂う。
 座る涼真の隣にしゃがみ込んで、頬に手を添え微笑んでいる。
「どおりで、その曲知らないわけだよ。私が作ったんだから」
「……え?」
 驚きの連続で、涼真の心臓は身体から飛び出しそうなほど大きく鼓動していた。
「この曲、村山さんの……?」
「そうだよ。私、ちょっとだけ夢に近づけたかな」
 七海は立ち上がって、川の方を見る。そして、そっと口ずさむ。

 ――この花火が消えたら、この恋も終わる。
 ――結ばれるだけが運命じゃない。
 ――だけど、
 ――結ばれる運命がよかった。
 ――届かない。
 ――消えゆく言葉を私は紡いでいる。
 ――逢いたい。
 ――逢いたいよ。
 ――また同じ夏を探している。

「四年も、待っちゃった」
 振り返り、苦そうに笑う。
「……ごめん」
 涼真は俯く。
「でも、小説完成させたんだ。だから、読んでくれる?」
「それも、四年も待った」
 涼真は鞄の中から分厚い紙束を取り出した。ずっしりと重たい。
「それと……僕も、村山さんみたいに夢を目指して、叶えるよ。こんなにも有名人になった村山さんとは、釣り合わないかもしれないけど……。それに、僕十七歳だし、大人にもなれてないけど……待って、くれる?」
 涼真の言葉に、七海は俯く。
「私は四年待った」
 だからもうこれ以上は待てないよ、と言われる気がして、涼真も俯く。
 当然と言えば当然だ。四年の時の流れは大きい。それに、七海には恋人がいるかもしれない。今じゃ有名歌手だ。
「私は四年待った。だから、この先もっと時間がかかっても、平気」
 思わず顔をあげ、七海を見る。
 七海も顔をあげて、涼真を見た。

 近くて遠い十六歳の夏。僕と君のひと夏の出来事。あの日、僕らは十六歳だった。
 ふたりの間を風が駆け抜ける。
 少しだけ、秋の香りがした。