「……聞いてますか、寧々子さん?」
ぼうっと思い出に浸っていた寧々子はハッとした。
「す、すいません。もう一度お願いします」
「あやかし、と聞いて警戒されるのはわかりますが、特殊な能力以外は人と変わらないと思っていただければ、というお話です」
「は、はい……」
「見た目も、目や髪の色以外は我々と変わらず……ああ、右手の甲に炎の紋様がありますが、入れ墨のようなものですから」
(手に紋様!!)
おそらく間違いないだろう。
迷い込んだ寧々子に優しく接してくれ、元の世界へと送ってくれた少年。
(間違いない……あのときの少年の蘇芳だわ……)
寧々子の心にさざ波がたつ。
もし、会ったこともない見知らぬあやかしとの縁談であれば、きっと、断っただろう。
その結果が一家離散という破滅に繋がるとしても、思い切れなかったに違いない。
わけのわからない異界へ、あやかしに嫁入りなど、考えるだけで恐ろしい。
(でも――蘇芳なら)
あの優しかった少年の笑顔が浮かぶ。
思い出すだけで懐かしさでいっぱいになる。
(そうだ私、ずっともう一度、蘇芳に会いたかったんだ……)
親に振り回され、店で一心不乱に働き続けてきた。
毎日仕事をこなすのに必死で、誰かに心を寄せる余裕などなかった。
だから、ずっと心の底に押し込めていた。
二度と会えると思っていなかったのだ。
(もともと、家のために結婚をしようと思っていたのだから……)
(なら、その相手が俊之様でなくとも構わない)
寧々子は顔を上げ、佐嶋を見た。
「あの、本当に借金を帳消しにしてくださるのですか?」
「もちろんですよ。大事な契約ですからね。ご安心ください」
「なら――私、嫁入りします。蘇芳様のもとへ」
佐嶋が少し驚いたように目を見張った。
「えっ、即決して大丈夫ですか? 了承した暁にはもう、後戻りはできませんよ?」
「……佐嶋様は我が家の苦境をご存知ですよね」
「ええ、まあ」
「私、朱雀国に行きます」
得心したように、佐嶋がうなずく。
「では、こちらに署名をお願いします。申し訳ありませんが、こちらも切羽詰まっていましてね」
佐嶋が懐から折り畳んだ紙を取り出してきた。
「嫁入りを了承する、という書類です。異界で暮らすことを義務づけ、こちらに里帰りなどしたい場合は蘇芳様の許可が必要です。つまり、あなたに自由はない」
佐嶋の冷徹な言葉に、思わず息を呑む。
「厳しいようですが、中途半端な決意で嫁いでいただくわけにはいかないのです。記載事項にご納得いただければ署名をお願いします。契約内容に違反した場合、10万円の損害賠償を求めます」
「10万円……!?」
店や家、自分すら売り払ったとしても、とても賄える金額ではない。
「ご心配なく。あなたがつつがなく嫁入りしてくだされば、何も起こりません。もちろん、無事夫婦になった際には借金をすべてこちらが払うと書かれています」
寧々子は契約書の記載事項を確認し、署名した。
心を決めたつもりだったが、ペンを持つ手が震える。
(絶対に失敗はできない……)
もし、嫁入りがうまくいかなければ、完全な破滅だ。
「では、確かに」
佐嶋が契約書を丁寧に折り畳み、懐に直す。
「では、すぐ嫁入りの準備に入ります。あなたも身辺整理をしておいてください。ああ、着物などはこちらで用意します」
もう後戻りはできない。
だが、妙に清々しい気持ちだった。
(そうだ……私はもう、一歩を踏み出したのだ)
ぼうっと思い出に浸っていた寧々子はハッとした。
「す、すいません。もう一度お願いします」
「あやかし、と聞いて警戒されるのはわかりますが、特殊な能力以外は人と変わらないと思っていただければ、というお話です」
「は、はい……」
「見た目も、目や髪の色以外は我々と変わらず……ああ、右手の甲に炎の紋様がありますが、入れ墨のようなものですから」
(手に紋様!!)
おそらく間違いないだろう。
迷い込んだ寧々子に優しく接してくれ、元の世界へと送ってくれた少年。
(間違いない……あのときの少年の蘇芳だわ……)
寧々子の心にさざ波がたつ。
もし、会ったこともない見知らぬあやかしとの縁談であれば、きっと、断っただろう。
その結果が一家離散という破滅に繋がるとしても、思い切れなかったに違いない。
わけのわからない異界へ、あやかしに嫁入りなど、考えるだけで恐ろしい。
(でも――蘇芳なら)
あの優しかった少年の笑顔が浮かぶ。
思い出すだけで懐かしさでいっぱいになる。
(そうだ私、ずっともう一度、蘇芳に会いたかったんだ……)
親に振り回され、店で一心不乱に働き続けてきた。
毎日仕事をこなすのに必死で、誰かに心を寄せる余裕などなかった。
だから、ずっと心の底に押し込めていた。
二度と会えると思っていなかったのだ。
(もともと、家のために結婚をしようと思っていたのだから……)
(なら、その相手が俊之様でなくとも構わない)
寧々子は顔を上げ、佐嶋を見た。
「あの、本当に借金を帳消しにしてくださるのですか?」
「もちろんですよ。大事な契約ですからね。ご安心ください」
「なら――私、嫁入りします。蘇芳様のもとへ」
佐嶋が少し驚いたように目を見張った。
「えっ、即決して大丈夫ですか? 了承した暁にはもう、後戻りはできませんよ?」
「……佐嶋様は我が家の苦境をご存知ですよね」
「ええ、まあ」
「私、朱雀国に行きます」
得心したように、佐嶋がうなずく。
「では、こちらに署名をお願いします。申し訳ありませんが、こちらも切羽詰まっていましてね」
佐嶋が懐から折り畳んだ紙を取り出してきた。
「嫁入りを了承する、という書類です。異界で暮らすことを義務づけ、こちらに里帰りなどしたい場合は蘇芳様の許可が必要です。つまり、あなたに自由はない」
佐嶋の冷徹な言葉に、思わず息を呑む。
「厳しいようですが、中途半端な決意で嫁いでいただくわけにはいかないのです。記載事項にご納得いただければ署名をお願いします。契約内容に違反した場合、10万円の損害賠償を求めます」
「10万円……!?」
店や家、自分すら売り払ったとしても、とても賄える金額ではない。
「ご心配なく。あなたがつつがなく嫁入りしてくだされば、何も起こりません。もちろん、無事夫婦になった際には借金をすべてこちらが払うと書かれています」
寧々子は契約書の記載事項を確認し、署名した。
心を決めたつもりだったが、ペンを持つ手が震える。
(絶対に失敗はできない……)
もし、嫁入りがうまくいかなければ、完全な破滅だ。
「では、確かに」
佐嶋が契約書を丁寧に折り畳み、懐に直す。
「では、すぐ嫁入りの準備に入ります。あなたも身辺整理をしておいてください。ああ、着物などはこちらで用意します」
もう後戻りはできない。
だが、妙に清々しい気持ちだった。
(そうだ……私はもう、一歩を踏み出したのだ)