蘇芳(すおう)様、お話が!」

 療養所で体調を崩したあやかしの話を聞いていた蘇芳の元に、蒼火(そうび)が駆け込んできた。

「どうした、蒼火!」

 血相を変えた蒼火のただならぬ様子に、蘇芳は立ち上がった。

「寧々子様がさらわれました!」
「なんだと!?」
「お、俺のせいなんです!」

 蒼火のかたわらにいる狐の少年が進み出た。

「お、俺、紺太(こんた)と言います! 桃を欲しくて……倒れているところを助けてくれて、それで売人を追いかけて――」

 焦っているのか、紺太と名乗る狐の少年の話は要領を得なかった。
 蘇芳はなんとか話の断片を拾い上げた。

「整理させてくれ。おまえは桃の中毒になっているところを寧々子に助けられた。その売人が寧々子の知り合いの人間らしいということで、追跡をして路地裏で見つけた。で、おまえはそれを知らせに甘味処に戻った」

「はい! 修三(しゅうぞう)さんに話したら蒼火さんに連絡をつけてくれて、それで一緒に戻ったんです。そしたら寧々子さんの姿がなくて!」
「……」

 蘇芳はその売人の人間の男に心当たりがあった。
 昨日、甘味処の前で寧々子と一緒にいた男だろう。
 洋装の人間の男など、まず朱雀国で見ることはない。

(まさか、違法品を売る売人だったとは……!)

 ここ最近増えていたのは、結界破りのあやかしの犯罪ばかりだった。
 人間はそもそも少ないし、許可証がなければここに来られない。

 許可証を得るには、関係者の推薦が必要になる。
 身元は確かなはずだった。

(だから、人間がやっているとは思えなかった。そもそも、桃で中毒を起こすあやかしがいるとなぜその男は知っていた?)

 一瞬、寧々子の顔が浮かぶ。
 だが、寧々子が嫁いでくる前から、中毒者は増えていた。

(第一、寧々子があやかしに危害を加える事件に加担するわけがない……)

 過ごしたのはわずかな時間だったが、それくらい蘇芳にもわかる。
 屋敷にいるあやかしとも交流し、見ず知らずの狐の少年を助けているのだ。

 蘇芳に対しても思いやりのある態度で接してくれた。
 手強(てごわ)銀花(ぎんか)と交渉してまで、手作りの料理を食べさせてくれた。
 疲れているだろうと、息抜きになる甘味をそっと添えてくれた。

 ミケだったときもそうだ。
 優しく笑いかけ、甘味に興味津々な蘇芳にクリームあんみつを食べさせてくれた。
 ミケには何の得にもならないというのに。
 それは彼女の気遣い以外の何ものでもない。

(俺は……わかっている。寧々子が優しく情の深い人間だと)
(騙されていたと知って、頭に血がのぼってしまった)
(だが、それは寧々子を人間だからと避けていた俺のせいでもある)

 様々な寧々子との思い出が浮かぶ。
 当初から、自分がいかに素っ気なく接していたか思い出し、蘇芳は頭を抱えたくなった。

(俺は……こんなにも与えてもらっているのに、寧々子に何も返していない)

「……絶対に寧々子を探し出す!」
「あのっ、蘇芳様!」

 紺太がきゅっと手を握り、見上げてくる。

「俺、あの男の匂いなら追えます!」
「ああ、頼む」

 ひどい胸騒ぎがする。

「行きましょう、蘇芳様!」

 蘇芳は紺太と蒼火とともに駆け出した。

(おそらく、寧々子は相手に探っていることがバレた……)

 最悪の事態が脳裏をよぎる。

(ダメだ、俺がいくまで無事でいてくれ)
(俺はまだ、おまえに何も話していない。ちゃんと向き合わせてくれ!)

 寧々子を最後に見たという路地裏まで来たが、やはり寧々子の姿はない。

「こっちです!」

 紺太が町外れに向かって走っていく。
 どんどん人気(ひとけ)がなくなり、森に着いたときには三人だけになっていた。

「あっ!」

 地面に何か赤いものが落ちている。
 蘇芳は金の縁取りがされた赤いリボンを拾った。
 寧々子に贈ったリボンに間違いなかった。
 そのとき、蘇芳は気づいた。

「ここは――」

 幼い頃、夏祭りに連れてきてもらった場所だ。
 夏の夜の生暖かい空気や、提灯(ちょうちん)の明かり、喧噪(けんそう)が蘇ってくる。

 ほころびができやすい場所で、何度か結界を貼り直してきた。
 そう、人間界と行き来をしやすい場所だ。

「寧々子……」

 十年前、夏祭りの日に森で泣いていた女の子の姿が浮かぶ。
 どうして忘れていたのだろう。
 この場所のせいか、それとも寧々子に向き合おうと決心したせいか、記憶が驚くほど鮮明に蘇ってくる。

 泣いている人間の女の子は、可愛らしい金魚模様の浴衣を着ていた。
 泣きやんでほしくて、喜んでほしくて、自分が一番好きなイチゴ大福を持っていった。

 女の子が見せてくれた笑顔がとても可愛かった。
 甘味で素直に笑う少女を見て、人間といっても自分たちと変わらない、そう思った。

(だが、あれから色々ありすぎた……)

 朱雀(すざく)王として人間界とやり取りをし、人間たちの偏見や裏切りに嫌悪が募り、信頼関係を取り戻すのに多大な時間を要した。
 幼い頃の思い出などとっくに忘却の彼方にあった。

(でも、寧々子はずっと覚えていてくれたのだな……)

 ――縁談の相手があなただとわかったから、私は受けたの。私、あなたにもう一度会いたくてここに来たの。

 寧々子がまっすぐ見つめながら言ってきた。
 その目に嘘はなかった。

(俺はひどい勘違いをしていた……)

 寧々子はあやかしの王ではなく、イチゴ大福をくれた蘇芳に会いにきてくれたのだ。
 ミケと初めて会ったとき、とても可愛らしいと思った。
 一緒にいると、とても気持ちが和んだ。

 あれが自分の素直な感情ではないだろうか。
 先入観なく出会っていたら、きっと寧々子に対しても同じ感情を抱いたに違いない。

「俺は……なんて馬鹿なんだ」

 蘇芳は近くの木に拳を叩きつけた。

「あいつに会って、話さなくちゃいけないことがたくさんある!!」

 蘇芳は目の前にある、洞穴のような暗い結界のほころびに飛び込んだ。