「えっ? どういうこと?」

 俊之(としゆき)の言葉の意味がわからず、寧々子(ねねこ)は問い返した。

「だからさあ、俺ともう一回仕切り直さないか、ってことだよ」

 照れくさそうに髪をかき上げながら俊之が言う。

「なあ、おまえも人間界に帰りたいだろう?」
「え?」
「異界のバランスとやらが安定したら、帰れるそうじゃないか」
「は?」

 そんな話は聞いたことがない。
 寧々子は愕然とした。

「何をそんなに驚いているんだ?」
「だって、私は嫁入りをして……誓約書も書いたわ。王の許しがなければ帰れない、って」
「それは異界の気が整うまでの話だろ?」

 俊之がきょとんとしている。

「あやかしの王は人間が嫌いなんだと。でも、結界を安定させるために人間の花嫁を娶った。形だけのな。つまり、ほころびがなくなれば、おまえは自由。結婚は終わり、だ」

 寧々子は胸に冷たいものが満ちるのを感じた。
 すべての合点(がてん)がいった。

 蘇芳(すおう)のあの冷ややかなよそよそしい態度は、寧々子が一時の花嫁だったからなのだ。
 一生添い遂げようなどと思っているのは、自分だけだったのだ。

(馬鹿みたい……)

 悲しみとも悔しさともつかない感情が込み上げてくる。

(最初から……終わっていたのだ、この結婚は)

「何をやっている、俊之」

 鬼の面をつけた男たちが三人、近づいてきた。
 人の姿をとってはいるが、あやかしだ。
 人間とはまとう空気が違う。これが妖気というものだろう。

「いや、商売の話を……」

 俊之が怯えた表情を浮かべる。
 鬼たちが寧々子を見た。

「この女……人間か?」
「おい、こいつは上玉だな! 霊力が高い!」

 鬼たちは一瞬にして、寧々子の霊力を感じ取ったようだ。

「こっちに来い!」

 強い力で腕をつかまれ、寧々子は悲鳴を上げた。

「乱暴にするな! 傷でもつけたら値が下がる!」
「わかってる。大事に扱うさ。抵抗しなければ、な」

 鬼たちの冷ややかな目にぞっとする。
 こちらをモノとしか見ていない目だ。

「歩け」

 ドン、と背中を押される。
 俊之がおろおろと鬼たちにすがった。

「おい、寧々子をどうするつもりだ」
「おまえも来い、俊之」

 うるさそうな顔をすると、鬼たちが俊之の背もつく。
 寧々子と俊之は逃げることもできず、鬼たちに小突かれながら道を進んだ。

 どんどん周囲がさびれていく。
 建物が少なくなり、空き地が目立ってきた。
 鬱蒼とした手入れのされていない森が見えてくる。

(どこに行くつもり……?)

 恐怖を押し殺しながら、寧々子は鬼たちに指示されるとおり森に入った。

「あっ……!」

 森の中にぽっかり黒い洞穴のようなものがある。
 それはどう見ても、空中にできた穴だった。

「入れ」

 鬼たちが簡潔に命ずる。

「……」

 寧々子はすぐに穴の正体に思い当たった。
 これは――結界のほころびではないだろうか。

(別の場所に連れていかれる!)

 寧々子はとっさにリボンをほどき、そっと地面に落とした。
 次の瞬間、強く背を押され、寧々子は穴の中に入った。

「あ――」

 湿った森の空気が体を包む。
 覚えのある感覚に、人間界に戻ったのだと感じた。

(見覚えがあるわ……)

 穴を通って出た先は、同じような森の一角だった。
 すぐ近くに神社の拝殿の屋根が見える。

(ここは鎮守(ちんじゅ)の森――夏祭りに使われる空き地がある場所だ)

 寧々子は十年前に異界に迷いこんだときのことを思いだした。

(やっぱりあのとき、結界のほころびがあったんだ)

「人間界ならあやかしたちもそうは追ってこれない」

 鬼たちが笑みを浮かべた。