翌朝、寧々子(ねねこ)は荷物をまとめた。

「寧々子さん、待ってください! もう一度、ちゃんと話し合って……」

 必死で説得しようとする蒼火(そうび)に、寧々子は静かに首を横に振った。

「いいの、私がいたら蘇芳(すおう)が帰ってこないわ」

 それでは本末転倒だ。
 仕事で疲れている蘇芳に屋敷でゆっくり休んでほしかった。

 寧々子は風呂敷包みを手に立ち上がった。
 ほんの数日滞在しただけなので、荷物は少ない。

「寧々子さん! 大丈夫ですよ! 蘇芳様は帰ってきますから!」
「いいの、蒼火さん。もう無理だわ……」

 もともと人間嫌いのうえ、望まぬ花嫁から騙されていたとわかった今、絶対に許さないだろう。
 もし少しでも許そうと思うのならば、遅くなっても昨晩帰ってきたはずだ。

(ただでさえ多忙なのに、外泊なんて体を壊してしまうわ……)

 どこに泊まったのかわからないが、仮宿では体も心も休まらないだろう。
 廊下に出ると、珠洲(すず)が飛んできた。

「寧々子様!! そのお荷物は?」
「珠洲さん、今までありがとう。私は人間界に帰ります」
「チュン!」

 驚いた珠洲が雀の姿になる。

「そんな! 寂しいです!」

 珠洲がちょん、ちょん、と足元を飛び回る。

「私もよ、短い間だったけど楽しかった……」

 誰も知り合いのいないこの国で、そばにして話し相手になってくれた珠洲の存在は癒やしだった。

「寧々子様! 寧々子様!」

 必死で追いすがってくる珠洲を振り払うようにして、寧々子は足早に廊下を進んだ。

「どこ行くんだい」

 玄関には割烹着を着た銀花(ぎんか)が腕を組んで立っていた。
 長い銀色の髪は後ろできりりとまとめている。

「まったく、蘇芳様もあんたもまだまだ子どもだねえ」
「銀花さん……」

「そんな急いで結論を出すこともあるまいに」
「でも……」
「とりあえず、荷物を置きな。私がとりなしてあげるよ」
「そうですよ! 何も出て行かなくても!」
「チュン!」

 追いついてきた蒼火も珠洲も大きくうなずく。

「でも、私がいたら蘇芳様が帰ってこられないし……」
「フン、そろそろ腹も減っただろう。町ではロクなものが食べられないし、私のご飯が恋しくなる頃さ」

 ふっと銀花が笑う。

「まあ、冗談は置いておいて、あの方も王なんだ。そんなに屋敷を()けないよ」
「……」
「あんた、借金があるんだろ? このまま人間界に帰って大丈夫なのかい?」
「……いいえ」

 契約を破って帰ったら、待っているのは破滅だけだ。
 両親の絶望する顔を思い浮かべるとキリキリと胃が痛む。

「だったら帰るのは、もっとあがいてからにしな。必死であがいてそれでもダメなら、少なくとも後悔はしないよ」

 銀花のぶっきらぼうだが、優しい言葉に涙がこぼれる。

「はい……」

 寧々子は差し出された手ぬぐいで涙をふいた。

「銀花さん、なんでこんなに優しくしてくださるんですか……?」
「フン。私は真面目で要領が悪い人間に弱くてね。まったく、もっと不貞不貞しくずる賢く生きればいいのに、面倒なこった」

 銀花が何かを懐かしむような遠い目になった。

「そういう人間は得てして貧乏くじを引くもんさ。でも、周囲の人間は見てるよ。困ってる時に手を差し伸べてもらえるのは、あんたの人徳だ。ほら、しゃんとしなよ!」

 背中を軽く叩かれて、寧々子は体を丸めていたことに気づいた。

「美味しい朝食を作ってあげるから、それを食べて元気を出しな。蒼火、蘇芳様に夜には帰ってくるよう言い含めな。おまえさんの責任でもあるんだからね」
「はいっ!」

 蒼火が姿勢を正す。
 銀花が寧々子の方を向く。

「あんたは腹がいっぱいになったら、気分転換に町に行くといいよ。甘味処で美味しいものでも食べて、そうさね。また土産を買ってきてくれ」
「銀花さん、ありがとう……」

 胸がいっぱいでそれしか言えない。

「あんたはもう、ボロボロ泣くんじゃないよ! 私は和菓子が食べたいだけさ!」

 手をひらひらと振って座敷を出る銀花に、寧々子は頭を下げた。

「私もまた和菓子が食べたいです!」

 珠洲の無邪気な言葉に笑みがこぼれる。

「そうね。ご飯を食べたら、出かけてくるわ」