「ミケから手を放せ!」

 駆けつけた蘇芳(すおう)が、俊之(としゆき)の腕を思い切り捻り上げる。
 たまらず俊之が悲鳴を上げた。

「痛い! やめてくれ!」
「貴様、人間だな? ミケに何をした!?」
「ミケ!? やめてくれ! 折れる!」
「……」

 蘇芳が乱暴に俊之を地面へと放り投げた。

「な、なんだよ、おまえ!」
「俺は蘇芳。この国の王だ」

 俊之がぽかん、と口を開けた。
 彼の目の前には襟元に優美な毛皮のついたマントをなびかせた、輝く金色の髪を持つ男が立っている。

 蘇芳のオーラに俊之が息を呑むのがわかった。
 気圧(けお)されながらも、俊之は弁明を始めた。

「お、俺は……ただ、この国に店を出そうとしただけで……」
「店を出すだと? 誰が許可した? 許可証を出せ!!」

 俊之が震える手で内ポケットに手を入れる。

「お、往来許可証です」
「……店の出店許可証は?」

 俊之がぐっと詰まる。
 俊之はごそごそとポケットを探った。

「あ、あれ? おかしいな。いや、確かにあるんですよ! ……どうやらどこかに落としたみたいで……」

 俊之が引きつった笑みを浮かべ、へつらうように頭をぺこぺこと振る。

「……」

 蘇芳の目がすっと細められる。
 剣呑(けんのん)な空気を感じ取ったのか、俊之が後ずさりした。

「や、やめろ! 俺を食う気か!?」
「はっ……。誰がおまえなんかを食うか。体が穢れる!」

 蘇芳が侮蔑をこめた目を向ける。

「失せろ。おまえの往来許可証は、王の名において破棄する。二度と顔を見せるな。次は容赦せん」
「ひいっ」

 最後通告だと気づいたのか、俊之が転がるようにして走り去っていく。
 上等なスーツも埃まみれになって台無しだ。

(なんてみっともない人なの……)
(あんな人と婚約していたなんて……)

 寧々子(ねねこ)は思わずため息をついた。
 家同士がうまくいくためとはいえ、あまりにも情けない。

(婚約破棄されたよかったんだわ……)

「ミケ、大丈夫か?」

 優しい声が上から降ってくる。
 蘇芳が心配げに寧々子を見つめていた。

「はい、蘇芳様が来てくださったので」
「あんな人間の男に絡まれるとは災難だったな。」

 寧々子はハッとした。
 蘇芳は思い違いをしている。

 猫のあやかしのミケが、通りすがりの人間の男に因縁をつけられたと思っているのだ。
 ふたりが知り合いなどとは夢にも思ってないのだろう。

(ど、どうしよう……)

 心臓が激しく打つ。

(正直に話す……? 私は寧々子で、あの人は元婚約者って……)

 だが、口からは声が出なかった。
 いったい、蘇芳がどんな反応をするのか考えるだけで恐ろしい。

(正体を隠していただけでも不興を買うのに、こんなトラブルなんてタイミングが悪すぎる……!)

「ん……?」

 蘇芳が首を傾げた。

「おまえ、そのリボン……」

 寧々子はハッとした。
 蘇芳にもらったことが嬉しくて、何も考えずに赤いリボンをつけている。
 縁に金の刺繍がしてある目立つリボンを――。

「なぜ、おまえがそのリボンを……」

 蘇芳の顔色が変わるのがわかった。

「まさか、おまえ……」