「えっ、ええ、甘味処よ」
「やっぱりな! まだ開店前だが、佇まいでなんとなくわかるんだ」

 満足げに俊之(としゆき)がうなずく。

「おまえ、この店に入ったことは?」
「あるけど……」

 俊之の食いつくような口ぶりに、寧々子(ねねこ)は戸惑った。

「厨房もついているのか?」

 なぜか俊之は興味津々だ。

「ええ。店で作って出しています」
「いいな。ここの店主はどんなあやかしなんだ?」

「あやかしではなくて……人間です」
「え?」
「もともとウチで働いていた職人さんがやっているの」

 俊之がじっと考え込む。

「あのさあ、この店、俺に譲ってくれないか?」
「は?」

 思いがけない言葉に、寧々子は耳を疑った。

「何を……ここは修三(しゅうぞう)さんのお店ですよ」
「そこを何とか頼む!」

 俊之がパンと両手を打ち合わせ、頭を下げてくる。

「おまえ、王の嫁だろ? 俺に店を譲ってくれるよう、頼んでくれないか?」
「……!!」

 寧々子は信じられない思いで俊之を見つめた。

(この人……私や蘇芳(すおう)を利用できる駒にしか見ていない……)
(しかも、修三さんから店を取り上げるなんて!)

 久方ぶりに怒りがわいてきた。
 俊之が敏感に寧々子の表情が変わったのを感じ取ったようだ。

「な、なんだよ、その目は!」

 寧々子はぐっと拳を握った。

「……俊之さん、馬鹿な考えは捨ててください。お店を出したかったら、一からちゃんと物件を探して手続きをしてください」
「だから、この店がいいんだって!」

 俊之が駄々っ子のように叫ぶ。
 まったく引く様子はない。

「今はさ、和菓子より洋菓子なんだよ。あやかしたちも洋菓子が食べたいに決まってる!」
「いい加減にしてください!」

 寧々子はたまらず叫んだ。まったく理屈が通じない。

「こっちだって切羽詰まってるんだよ! 早く店を出して軌道に乗せたいんだ!」
「商売がそんな甘いものじゃないのはわかっているでしょう? 新しく店を出しても、トントン拍子にいくとは限らないし――」
「大丈夫だよ、客はあやかしなんだぜ?」

 俊之が自信満々に言い放つ。

「あやかしだからなんですか?」
「あいつらに味なんかわかるわけがないってことだよ! 人の形をとって、人間の真似をしているが、もともとは手づかみで人の食べ物を盗んでいくような奴らだ」

 寧々子はあまりの暴言に声を荒らげた。

「それは偏見よ!」
「おまえ、やたらあやかしの肩を持つんだな!」

 苛立ったように俊之が目をつり上げる。

「とにかく、あやかし相手なら、適当な菓子を高値で売ってボロ儲けできる!」
「えっ……?」

 寧々子は愕然とした。

「何を言ってるの?」
「人間相手みたいにちゃんとした商売をする必要がない! 消費期限を過ぎた材料だと、タダ同然で手に入る! それらしい形にして売ればいい!」
「そんな……! また食中毒を起こすつもり!?」

 あやかしたちを見下し、(おとし)めようとしている俊之に愕然とする。

(こんな人だったなんて……。お坊ちゃま育ちだとは思っていたけど……)
(ダメだ。話が通じない)

「……」

 寧々子は無言で猫の面をつけた。
 もう俊之と店について論じる気にはなれなかった。

「どうした、寧々子。お面なんか付けて」
「佐嶋さんに報告します」
「は?」

 俊之がいきなり横っ面を殴られたような顔になった。

「今、異界は大変なんです! これ以上混乱させるわけにはいきません」
「ふざけるな!」
「いたっ!」

 乱暴に腕をつかまれ、寧々子は悲鳴を上げた。

「寧々子! おまえは人間だろ? なんであやかしの肩をもつんだ。俺の邪魔をするな!」

 俊之が空いたほうの手を振り上げる。

(蘇芳!!)

 衝撃に備え、きつく目をつぶったときだった。

「貴様、何をしている!!」

 まるで心の中の呼び声が聞こえたように、蘇芳が駆け寄ってきた。