「おまえが行ったのは、人間の(いとな)む甘味処……のっぺらぼうの店主の店だな」

 朱雀(すざく)国で人間のやっている甘味処など一つしかない。

「はい……」

 寧々子(ねねこ)がうなだれる。

珠洲(すず)といい、寧々子といい、なぜ俺の言いつけを破るのだ……)

 蘇芳(すおう)はため息をこらえた。

(叱りたくなどないというのに……)

「屋敷から出るなと言ったはずだが……」
「すいません、町の様子が気になって、蒼火(そうび)さんに無理を言って出かけたんです。蒼火さんを怒らないでください」

(俺も今日、あの店に行ったが会わなかったな……)

 だが、ちょうど店じまいのタイミングでのれんを仕舞うところだった。
 寧々子と蒼火はその前に寄っていたのだろう。

(行き違いか……)

 寧々子が肩を落とし、しょんぼりしている。
 落ち込んでいる寧々子の姿に心が痛む。

(ずっと屋敷にいろ、と言ってしまったが、それも(こく)な話だな)

 人間の娘からするとずいぶん窮屈だったに違いない。
 今、朱雀国は治安が良くないうえ、人間の娘は目立つ。
 危害が及ばないようにと言えば聞こえはいいが、要は厄介事を増やしたくないという自分勝手な考えだ。

「……危険な目には遭わなかったか?」
「え? あ、はい。蒼火さんも一緒でしたし、楽しかったです」

 寧々子がほっとしたような表情になった。

(確かに蒼火がついているなら、町に出ても問題はないだろう)
(しかし、それにしても蒼火のやつ……)
(俺の言いつけに背いて連れ出すとは……)
(いや、外出したがる寧々子を心配してついていったのか?)

 蒼火は冷静沈着だが、優しい男だ。
 寧々子にほだされたとしても仕方ない。

(それにしても本当に変わった娘だ)

 あやかしばかりの町に自ら出向くなど、恐ろしくなかったのだろうか。

「勝手な真似をして申し訳ございません。でも、私もっと朱雀国のことを知りたいんです。夜には必ず戻りますので、今後出かける許可をください」
「……」

 もう認めざるを得なかった。
 寧々子は蘇芳が思うような、あやかしに偏見を持つ人間の娘ではない。
 それどころか、朱雀国に馴染もうと努力しているのだ。

「……わかった。だが、なるべく蒼火を連れていけ。甘味処くらいならいいが、裏路地や町外れなど人気がない場所には行くな」
「は、はい!」

 寧々子の顔がぱっと輝く。
 蘇芳は思わず目をそらせてしまった。

(可愛い、などと……人間の娘に……思うわけがない)

 食事を食べ終えると、寧々子が腰を上げた。

「あ、あの、私、一品だけ作ったんです。銀花さんに頼んで……。よかったら召し上がっていただきたいのですが」
「わかった」

 蘇芳は首肯した。
 いったい何が出てくるのかと楽しみにしている自分がいる。
 いそいそと寧々子が小皿を出してきた。

「こちらです」
「……? これは……」

 小さな赤い実に緑色のヘタがついている。

「ミニトマトか……?」

 異界では滅多に見られない、珍しい舶来の野菜だ。

「召し上がっていただければわかります」
「……」

 小皿についていたフォークを刺すと、柔らかい身にすっと通る。
 蘇芳は赤い実を口にした。

「……っ!」

 甘い餡の感触の次に、とろりと柔らかいクリームが口の中に溢れる。

「これは……」

 密かに期待していたとおり、野菜に見立てた甘味だ。
 だが、昨日の金団(きんとん)の素朴な味わいとはまた違う、濃厚な甘みだ。

「赤い練り切りの中に、小豆を混ぜたクリームを詰めました」
「ほう……」
「朱雀国では赤いものが体にいいと聞きましたので」
「!!」

 蘇芳は驚いた。
 おそらく蒼火あたりから聞いた知識なのだろうが、それを実践するとは思わなかった。

(もしや、本気でこの国に向き合うつもりなのか……?)

「お味はいかがでした?」

 寧々子が少し緊張気味に尋ねてくる。

「なかなかだった……」

 とても美味しい、と喉元まででかかったが、口から出たのは別の言葉だった。
 蘇芳は混乱していた。
 異界のあやかしの王の元へ嫌々嫁いできたと思っていたのに、寧々子は蘇芳に喜んでもらおうとしているように見える。

(俺は距離を取ろうとしているのに……)

 自分の大人げない態度に嫌気が差すが、過去の苦い経験がどうしてもよぎってしまう。
 じっと寧々子が蘇芳の言葉を待つように見つめてくる。

「……っ」

 明日も楽しみにしている、との一言がどうしても言えない。

(異界の気が安定し、ほころびが消えれば、いずれ元の世界に戻れるのだ)
(一時的な縁だと、割り切っているのではないのか?)

 心のざわめきが消えないまま、蘇芳は自室に戻った。
 机の引き出しから赤いリボンを取り出す。

 縁に金糸の刺繍がしてある、美しいシルクのリボンだ。
 わざわざ異界に来てくれた花嫁のために用意したが、渡しそびれた。

「蒼火」

 呼び出した蒼火にリボンを渡す。

「は、なんでしょう、蘇芳様」
「これを人間の女に渡してこい」
「……寧々子様のことでしょうか?」
「ここで人間の女と言ったら一人しかおらん」

「……如何様にお伝えしましょう?」
「料理の礼だと言え」
「承知しました。でも、ご自分で渡された方がよろしいのでは?」
「いらぬ期待をもたせたくない」

 蒼火が何か言いたげな表情をしたが、その口は動かなかった。
 一人になると、蘇芳は乱暴に金色の髪をかき上げた。

(……俺はどうしたいのだ)
(わからない)
(だが……何かしてやりたくなった)

 これ以上考えたくなくて、蘇芳は報告書を取り出した。
 ここ数日の間に、体調を崩して療養所に運ばれる者が続出している。
 口にしたのは、タバコ、酒、甘味――。

(誰が何の目的であやかしたちに毒をもっているんだ……?)

 今日も寝苦しい夜になりそうだった。