「今日はもう閉めます……」
「ごめんなさい、私が安易に注文を取ったから……」

「いえ、お嬢さんのせいじゃありませんよ。俺ももっとあやかしのことを勉強しないと……ここは人間界じゃないんだから」

 しょんぼり落ち込む修三(しゅうぞう)を慰めて、寧々子(ねねこ)は閉店準備に入った。

「じゃあ、のれんを仕舞いますね」

 店の外に出ると、珍しく女性たちが集まっているのが見えた。

「え……?」

 その中心にいるのは、輝く金色の髪をした長身の着物姿の男性――蘇芳(すおう)だ。
 困ったように女性たちをあしらっている。

「えっ、蘇芳様!?」

 思わず声を上げると、蘇芳が寧々子に気づいた。

「ミケ! ……すまないが用事がある」

 蘇芳がなんとか女性たちの輪の中から抜け出そうと試みるが、彼女たちの壁はなかなか崩れない。

「そんなあ、蘇芳様」
「せっかくお目にかかれたのに、もう行ってしまわれるんですか?」

 女性のあやかしたちがきゃっきゃっ、と蘇芳の羽織の袖を引く。

「蘇芳様、新しい茶屋ができたんですって。ご一緒しません?」
「それより今度庭園に行きませんか? ゆっくりお話ししたいわ」

 女性たちはなんとか蘇芳を誘いだそうとしている。

(……蘇芳は女性に人気があるのね)

 考えてみれば当然だ。
 国を治める若く美しい男性――女性が放っておかないだろう。

(もしや、恋人や好きな人がいらっしゃるのかも……)
(私なんか、急遽決まった政略結婚の相手……)

 それならば、まったく自分に興味がない蘇芳の態度にも納得がいく。
 寧々子は自然とうつむいてしまった。

(私、なんでこんなにショックを受けているんだろう……)

「誘いはありがたいが、俺は妻帯者だ。受けることはできない」

 蘇芳のきっぱりした声に、寧々子ははっと顔を上げた。
 あやかしの女性たちが不満げな表情になる。

「人間の花嫁でしょ? お連れになっていませんのね」
「ああ。屋敷にいる」
「お披露目もしないし、形式だけの結婚と聞きましたわ」
「じゃあ、構わないじゃないですか」

 女性たちがすっと蘇芳の腕に手をからめる。

「悪いが、もう行く」

 やんわりと女性たちから逃れ、蘇芳が足早にこちらに向かってきた。

「ミケ! 店は開いているか? ちょっと休ませてくれ」
「は、はい」

 寧々子はのれんを外した。

(ちょうど店じまいだし、貸し切りにしてしまおう)

「なあに、あの子」
「見ない猫娘ね」

 女性たちの嫉妬の視線を感じ、寧々子は慌てて店に入った。

「朝からずっと見回りでな……」

 蘇芳がふう、とため息をつくと座敷に上がる。

「客はいないのか?」
「それが……」

 寧々子は先程まで混雑していたこと、狐の男の子が倒れたことを話した。

「桃か……」

 蘇芳の表情が曇る。

「その狐の少年はどうなった?」
「赤いものを与えるのがいいと聞いたので、餡子を食べさせました」
「おお! なるほど小豆か……! 療養所では赤じそのジュースを与えているが……。よくやった、ミケ」

 頭を撫でられ、寧々子はお面の中で赤面した。

(すごく優しい声……)

「どうした? もっと撫でて欲しいのか?」
「えっ」

 寧々子は自然と蘇芳の体に身を預けてしまっていることに気づいた。

「す、すいません!」
「構わぬ。猫の習性だろう」

(すいません、私、猫じゃないんです……!)

 寧々子は慌てて姿勢を正した。

(こんなに甘えてしまって! ちゃんとしなくちゃ!)

 寧々子は咳払いをし、話を元に戻した。

蒼火(そうび)さんがお話ししてくれたのですが、桃を使った嗜好品が出回っているそうですね」

「ああ。ただの桃ならば、多少具合が悪くなるくらいで済むのだがな。どうも混ぜ物をしているらしく、流しの商人から買った者はひどい中毒症状を起こしたり、依存症になってしまっている」
「そんな……!」

 あまりに悪意のある使われ方だ。

「いったい誰が何の目的で……」
「金目当てなのか、それともあやかしを狩りたいのか……。どちらにしろ、朱雀(すざく)国に悪影響を及ぼす。早く手を打ちたいのだが……聞き込みも(かんば)しくなくてな」
「そうですか……」

 面をつけている者も多いし、犯人は紛れ込みやすいだろう。
 蘇芳がため息をつく。

「これ以上被害が広がり犯人が捕まらないのであれば、国民に注意喚起も必要だがどれほど効果があるか……」
「そうなのですか?」

「あやかしたちが皆、店を持っているわけではない。流しの商人はもちろんのこと、物々交換も盛んだ。いちいちそんな商売を取り締まるわけにもいかないし、タバコや菓子の売買を禁ずるわけにもいかない」

 お手上げだというように、蘇芳が宙を仰ぐ。

「せめて、犯人に辿り着ける何かが見つかればいいのだが……」