寧々子(ねねこ)さん、これ桃のみつ豆です」
「はい!」

 寧々子は狐の男の子の前にお膳を置いた。

「お待たせしました」

 桃がたっぷりのったみつ豆を見た狐の男の子の顔がぱっと輝くのが、お面越しにもわかった。
 男の子はスプーンを手に取り、夢中で桃をすくって食べる。

「ごゆっくり」

 微笑ましい気分で寧々子は仕事に戻った。
 ようやくお客の波が途切れだし、寧々子は食器を片付け、テーブルを拭いていた。

 ガタン!!
 大きな音に座敷席に目をやると、茶色の大きな尻尾が見えた。

「え……?」

 よく見ると、狐が一匹倒れている。
 慌てて駆け寄ると、狐のかたわらには狐の面が落ちていた。

(みつ豆を頼んだ狐面の男の子!? あやかしの姿に戻ってしまってる!)

「どうしました?」

 異変に気づいた蒼火(そうび)が駆け寄ってくる。

「あの、お客様があやかしに戻って倒れていて……」

 狐は目をつぶり、ぐったりしている。

「これは……この客は何を食べました!?」
「桃のあんみつです」
「桃!! これはたぶん、桃にあたったんだと思います」
「桃にあたる……?」

「桃は魔除けの力を持つ果実です。あやかしによっては、強い刺激を感じ、場合によってはこうやって具合が悪くなってしまうんです!」
「そんな……」

 寧々子はおろおろした。

「ど、どうしたら……」
「中和できるといいのですが……。何か赤い食べ物はありますか? ここは朱雀(すざく)の領域で、赤が強いのです」
「赤……小豆はどうですか?」
「いいですね!」

 餡子ならたくさんある。
 さっそく厨房で餡子をもらい、そっと狐の口に近づけた。

「お願い、食べて……」

 舌の上に餡子をのせると、ごくりと嚥下(えんげ)した。

「これで良くなるといいのですが……。この子は療養所に運びます」
「療養所?」
「臨時で作られた場所です。具合が悪くなったものを運び、隔離して、安定するまで経過観察します」
「そういう人が他にもいるんですか?」
「ええ」

 蒼火が顔をしかめる。

「……最近、タチの悪い嗜好品が出回っているんです。食べ物や飲み物、タバコなんですが、いずれも桃の実や葉が使われています」
「そんな……!」

「刺激を求めて嗜好品を入手した者たちが体調を崩してしまっているんです。タチの悪いことに中毒性があって、すぐに欲しくなってしまうんだとか」
「まるで麻薬じゃないですか……!」

 思った以上に深刻な事態だったようだ。

「いったい誰がそんなことを?」
「調査中ですが、お面をかぶっている男としかわかっていないんです。おそらくは外部から金を稼ぎに来たんだと思いますが、悪質なので取り締まろうとしているのですが、なかなか尻尾が掴めず……」

 蒼火が悔しそうな表情になる。

「もしかして、結界のほころびから?」
「ええ、その可能性が高いです。あちこちにできてしまって、閉じても閉じてもキリがない」

 寧々子の想像以上にほころびによる弊害があるようだ。

(だから、結婚を急いだのね……。効果はまだ出ていないけど……)

「この国にいるあやかしたちは、新しいものや珍しいものに目がないんです。その性質をうまく利用しているのでしょう。腹立たしいことです」

 蒼火が怒りを(にじ)ませる。

「今、蘇芳様が先頭に立って調査中です」

 厨房から出てきた修三(しゅうぞう)が、お面をとってため息をつく。

「申し訳ありません。私が作ったものでこんな……。桃が禁忌だとは知りませんでした……」
「どのあやかしにも危険なわけではないし、人間が知らなくても仕方ないです。このあやかしは若いから、特に影響が強かったのかもしれない」

 しょんぼりする修三を慰めるように寧々子は肩に手を置いた。

「修三さんは悪くありません。桃はその狐の男の子が所望したんです」
「わざわざ自分から……?」

 蒼火がため息をつく。

「この子も中毒者かもしれないな。桃の刺激に耽溺して、探し回ってこの店に来たのかもしれない」
「そんな……」
「思ったより嗜好品が蔓延しているのかもしれない。僕はこの子を療養所に連れていきます。寧々子さん、一人で帰れますか?」
「大丈夫です。私のことはお気になさらず」

 人とあやかしが共存するこの国で、何かが起こっている。

(私が力になれるといいんだけど……)