「こちらです……」
蒼火が案内してくれた厨房は、一階の奥にあった。
入り口には白いのれんがかかっている。
中はよく見えないが、慌ただしく働いている気配が伝わってくる。
足を進めようとした寧々子を蒼火が止めた。
「寧々子さんはここで待っていてください。銀花さんを呼んできます」
「え、ええ」
確かに作業をしている厨房に入ったら邪魔になるだろう。
寧々子は大人しく廊下で待った。
すると、しばらくしてのれんをかきわけて割烹着姿の女性が出てきた。
(うわあ……銀色の髪だ)
後ろでひとまとめにされた髪は白銀だったが、顔立ちは若い。
髪は白髪ではなく、おそらく生来のものだろう。
肌も真っ白く、彼女からはひんやりした冷気が漂ってくる。
(本当に雪女なんだ……)
寧々子は思わずまじまじと銀花を見つめた。
「寧々子さん、こちらが料理長の銀花さんです」
ゆっくりと銀花が顔を向けてくる。
銀花は切れ長の目をした美女だった。
年の頃は人間だとしたら三十代くらいに見える。
「あんたが嫁入りしてきた人間?」
銀花がじろっと睨んできたので、寧々子は思わず居住まいを正した。
「は、はい!」
銀花が頭の天辺からつま先までじろっと見据える。
「フーン、若様の晩ご飯を作りたいんだって?」
「はい! ご迷惑なのは重々承知しておりますが、一回だけでいいので厨房をお貸し願えませんでしょうか!」
寧々子は深々と頭を下げた。
とにかく厨房を使わせてもらいたい一心だった。
「なんで自分でご飯を作りたいわけ? 私の料理に文句でも? 雪女の作ったものなんか食べたくないとか?」
「ち、違います! すごく美味しかったです!」
銀花に睨みつけられ、寧々子は慌てた。
「特に晩ご飯の鯛の煮付けは絶品でした! しっかりお味が染みこんでいて、身はふかふかで! はまぐりのお吸い物、紅白のなます、どれも華やかで美味しくて……お祝い膳、嬉しかったです!」
この屋敷で初めて食べるご飯には、結婚を祝う品々ばかりだった。
「あらそう。ならいいけど。こっちは冷気でガードをしながら一生懸命温かいものを作っているのに、雪女が作る料理など冷えて食べられたものじゃない、とか言うやつがいるから……」
銀花は何やら思うところがあるらしく、険しい表情になった。
(そうか……人の姿をしているけれど、どこか元のあやかしの性質が残るのね。確かに雪女が火のそばにいるのは大変に違いない……)
「どれも食べやすい温かさでした。それにこれから夏になりますから、そのときは腕の振るいどころですね」
「まあね」
寧々子の言葉に銀花が鼻を鳴らす。どうやら若干機嫌が直ったようだ。
「私が料理を作りたいのは、蘇芳様とお話ししたいからなんです」
「話?」
「……まだちゃんとお話しできていないんです。晩ご飯も別々で……」
「ふうん。つまり、花嫁アピールをしたいわけね?」
「は、はい!」
少なくとも、自分は嫌々来たわけではないと証明したい。
銀花が満足げに笑む。
「ふふっ、若様のご機嫌取りね……そうでなくちゃ!」
「えっ?」
「あやかしの王に嫁入りなんだから、本来とても名誉なことなのよ!」
銀花がじろっと見つめてくる。
「確かに霊力が高い貴重な人間の女だけどさ」
「貴重……?」
寧々子は首を傾げて蒼火を見やった。
「ええ。霊力の高い女性はまずいないですし、そもそも異界には人間がほとんどおらず……。とても目立つ存在なのです」
「そうなの……?」
初めて聞く情報に寧々子は戸惑った。
「皆、何かしら人間界に憧れや執着を持つ者が集まっているのが境国なので、人間の配偶者、しかも霊力が高い女性ともなれば、とても誇らしいことなのですよ」
「はあ……」
「だからって、調子に乗らないでよね!」
銀花が不機嫌そうに顔を歪める。
「そ、そんなつもりはありません! 新参者で右も左もよくわからないので、皆さんにいろいろ教えていただきたいです!」
まさか自分がそんなにも特別視される存在とは知らなかった。
寧々子は慌てて頭を下げる。
「ふん……高慢ちきにふんぞり返っているのであれば厨房に一歩たりとも入れる気はなかったけどね。若様を振り向かせるために頭を下げるというのであれば、今日のところは蒼火の顔に免じて使わせてあげるわ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
銀花の言葉に、寧々子はホッとした。
「ただ、使う材料は自分で買ってくるのよ。自分の料理、と言うのであれば、材料の品定めからするべきね」
銀花が挑戦的な目を向けてくる。
「銀花さん、寧々子さんは屋敷を出るなと厳命されていて――」
「わかりました! 自分で買ってきます!」
寧々子のきっぱりした言葉に蒼火が目を見開く。
「寧々子さん? 蘇芳様の言いつけに背くことになりますが……」
「わかっています。でも、蘇芳様の言葉は私の身を案じてのことでしょう。慣れない場所で危険な目に遭わないように、と。大丈夫です。買い物くらいできま――」
言いかけて寧々子はハッとした。
「あの、この国ではどういった方法で買い物を……」
「人間界と同じですよ。同じ貨幣を使って買い物ができます」
「なら、大丈夫ですね」
多くはないが、貯めていたお金を持ってきている。
晩ご飯の材料を買うくらいできるはずだ。
寧々子の決意が固いのを見た蒼火が、腹をくくったようにうなずいた。
「わかりました。では私が付き添います。寧々子さんのお支度用のお金もお預かりしておりますし」
「えっ、でも――」
「寧々子さんに万一のことがあれば申し開きしようがない。最近、厄介なあやかしが不法侵入してきているんです」
「……」
そういえば、佐嶋のそのようなことを言っていた。
「それに町のことを何も知らないでしょう? 私が案内しますよ」
「ありがとう……お言葉に甘えます」
正直、不安だったのでホッとする。
「でも、町に行くことは蘇芳様に内緒ですよ。余計な心配をかけてしまいますからね」
「わ、わかりました!」
これ以上、蘇芳の機嫌を損ねたくない。
寧々子は大きくうなずいた。
蒼火が案内してくれた厨房は、一階の奥にあった。
入り口には白いのれんがかかっている。
中はよく見えないが、慌ただしく働いている気配が伝わってくる。
足を進めようとした寧々子を蒼火が止めた。
「寧々子さんはここで待っていてください。銀花さんを呼んできます」
「え、ええ」
確かに作業をしている厨房に入ったら邪魔になるだろう。
寧々子は大人しく廊下で待った。
すると、しばらくしてのれんをかきわけて割烹着姿の女性が出てきた。
(うわあ……銀色の髪だ)
後ろでひとまとめにされた髪は白銀だったが、顔立ちは若い。
髪は白髪ではなく、おそらく生来のものだろう。
肌も真っ白く、彼女からはひんやりした冷気が漂ってくる。
(本当に雪女なんだ……)
寧々子は思わずまじまじと銀花を見つめた。
「寧々子さん、こちらが料理長の銀花さんです」
ゆっくりと銀花が顔を向けてくる。
銀花は切れ長の目をした美女だった。
年の頃は人間だとしたら三十代くらいに見える。
「あんたが嫁入りしてきた人間?」
銀花がじろっと睨んできたので、寧々子は思わず居住まいを正した。
「は、はい!」
銀花が頭の天辺からつま先までじろっと見据える。
「フーン、若様の晩ご飯を作りたいんだって?」
「はい! ご迷惑なのは重々承知しておりますが、一回だけでいいので厨房をお貸し願えませんでしょうか!」
寧々子は深々と頭を下げた。
とにかく厨房を使わせてもらいたい一心だった。
「なんで自分でご飯を作りたいわけ? 私の料理に文句でも? 雪女の作ったものなんか食べたくないとか?」
「ち、違います! すごく美味しかったです!」
銀花に睨みつけられ、寧々子は慌てた。
「特に晩ご飯の鯛の煮付けは絶品でした! しっかりお味が染みこんでいて、身はふかふかで! はまぐりのお吸い物、紅白のなます、どれも華やかで美味しくて……お祝い膳、嬉しかったです!」
この屋敷で初めて食べるご飯には、結婚を祝う品々ばかりだった。
「あらそう。ならいいけど。こっちは冷気でガードをしながら一生懸命温かいものを作っているのに、雪女が作る料理など冷えて食べられたものじゃない、とか言うやつがいるから……」
銀花は何やら思うところがあるらしく、険しい表情になった。
(そうか……人の姿をしているけれど、どこか元のあやかしの性質が残るのね。確かに雪女が火のそばにいるのは大変に違いない……)
「どれも食べやすい温かさでした。それにこれから夏になりますから、そのときは腕の振るいどころですね」
「まあね」
寧々子の言葉に銀花が鼻を鳴らす。どうやら若干機嫌が直ったようだ。
「私が料理を作りたいのは、蘇芳様とお話ししたいからなんです」
「話?」
「……まだちゃんとお話しできていないんです。晩ご飯も別々で……」
「ふうん。つまり、花嫁アピールをしたいわけね?」
「は、はい!」
少なくとも、自分は嫌々来たわけではないと証明したい。
銀花が満足げに笑む。
「ふふっ、若様のご機嫌取りね……そうでなくちゃ!」
「えっ?」
「あやかしの王に嫁入りなんだから、本来とても名誉なことなのよ!」
銀花がじろっと見つめてくる。
「確かに霊力が高い貴重な人間の女だけどさ」
「貴重……?」
寧々子は首を傾げて蒼火を見やった。
「ええ。霊力の高い女性はまずいないですし、そもそも異界には人間がほとんどおらず……。とても目立つ存在なのです」
「そうなの……?」
初めて聞く情報に寧々子は戸惑った。
「皆、何かしら人間界に憧れや執着を持つ者が集まっているのが境国なので、人間の配偶者、しかも霊力が高い女性ともなれば、とても誇らしいことなのですよ」
「はあ……」
「だからって、調子に乗らないでよね!」
銀花が不機嫌そうに顔を歪める。
「そ、そんなつもりはありません! 新参者で右も左もよくわからないので、皆さんにいろいろ教えていただきたいです!」
まさか自分がそんなにも特別視される存在とは知らなかった。
寧々子は慌てて頭を下げる。
「ふん……高慢ちきにふんぞり返っているのであれば厨房に一歩たりとも入れる気はなかったけどね。若様を振り向かせるために頭を下げるというのであれば、今日のところは蒼火の顔に免じて使わせてあげるわ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
銀花の言葉に、寧々子はホッとした。
「ただ、使う材料は自分で買ってくるのよ。自分の料理、と言うのであれば、材料の品定めからするべきね」
銀花が挑戦的な目を向けてくる。
「銀花さん、寧々子さんは屋敷を出るなと厳命されていて――」
「わかりました! 自分で買ってきます!」
寧々子のきっぱりした言葉に蒼火が目を見開く。
「寧々子さん? 蘇芳様の言いつけに背くことになりますが……」
「わかっています。でも、蘇芳様の言葉は私の身を案じてのことでしょう。慣れない場所で危険な目に遭わないように、と。大丈夫です。買い物くらいできま――」
言いかけて寧々子はハッとした。
「あの、この国ではどういった方法で買い物を……」
「人間界と同じですよ。同じ貨幣を使って買い物ができます」
「なら、大丈夫ですね」
多くはないが、貯めていたお金を持ってきている。
晩ご飯の材料を買うくらいできるはずだ。
寧々子の決意が固いのを見た蒼火が、腹をくくったようにうなずいた。
「わかりました。では私が付き添います。寧々子さんのお支度用のお金もお預かりしておりますし」
「えっ、でも――」
「寧々子さんに万一のことがあれば申し開きしようがない。最近、厄介なあやかしが不法侵入してきているんです」
「……」
そういえば、佐嶋のそのようなことを言っていた。
「それに町のことを何も知らないでしょう? 私が案内しますよ」
「ありがとう……お言葉に甘えます」
正直、不安だったのでホッとする。
「でも、町に行くことは蘇芳様に内緒ですよ。余計な心配をかけてしまいますからね」
「わ、わかりました!」
これ以上、蘇芳の機嫌を損ねたくない。
寧々子は大きくうなずいた。