「あ、ごめんね。つい話しこんじゃって」
「いえ、僕の方こそ……。なんか踏み込んだこと聞いちゃって……」
「いいのいいの。アキトくんは聞き上手ね。初めてお店に来たお客さんに、アタシの身の上話をしたのは初めてよ」
 久城さんはそう言いながら、カウンターから出てきて、僕の隣の椅子に腰掛けた。距離が近い。
「アキトくんと初めて会ったのは……そうね、アタシが貴方の会社にクレームを入れたことがきっかけだったわね」
「……そうでしたね」
 返答に困り、僕は慌てて飲み物のグラスを掴んだ。言葉を探すふりをして、ミルクを口に含む。話を続けると不自然なタイミングになるように時間を稼いで、ゆっくりとそれを味わった。
「あの時は本当にごめんなさい。アタシ、ムシャクシャしてたの。アキトくんの後ろにいた、あの男の子の態度が、その、頼りなく見えちゃって、思わず八つ当たりをしちゃったんだわ」
「相良……、あ、その男の子は、今年入った新卒のやつなんです。まだ社会人に成り立てで、いろんなことに慣れていなくて……」
 僕は何故、こんなところで自分の後輩を庇っているのだろう。久城さんが自分の家宛てに荷物を頼まない限り、二人が再び出会うことはないだろうに。
 最近、頻繁に店に配達があることからして、自宅での荷物の受け取りはしていないのだと察することができる。それは、久城さんが相良と出会うことを嫌がっているのか、あるいは気まずく思っているからなのだろうと思っていた。人と人とのつながりは希薄なほど、ほんの些細なことで崩れやすくなるものだ。面倒で、自分の気持ちが沈んでしまうことならば、できるだけ避けたいと思うのが真理だろう。
「アキトくんは、もう結婚してるの?」
「えっ!?」
 唐突に話題が変わったので、僕はびっくりして声が裏返ってしまった。こればかりはプライベートのことにも斬り込んでくるのだと想定していなかった僕が悪い。
「彼女はいます……でも、結婚はまだしていません」
「そう。……一緒に暮らしているの?」
「いえ、まだ。たまに会うくらいです。あっ、でも職場が同じなんです」
「へえ。なんだか素敵ね」
「よく言われます」
 そう言って僕は苦笑した。「久城さんは?」
「ふふっ、もしアタシが誰かの奥さんなら、きっとこんな仕事してないわね」
 すみませんと、僕は詫びた。一体何を詫びることなんて、と思い直したが、一度口にした言葉が相手に届いてしまえば、それは取り消せない。
「彼女さんとは、うまく言ってる?」
「えっ?」
 またもや僕は言葉に詰まった。さっきの僕の質問に反撃をしてきたような喉元で色々な言葉が喧嘩しているのは、理性やプライドが感情を邪魔しているからだ。僕は何事にも正直でいたいと思っている。だけど、里菜とのことは、他の人には隠すしかないだろう。
「ここで話すことは、みんな、秘密が守られるのよ」
 悪戯っぽく笑う久城さんの顔をまじまじと見つめる。見透かされているのかと心臓が跳ね上がる。
「言葉に詰まるってことは、なにか事情があるってことよ」
 その言葉を皮切りに、僕はぽつりぽつりと話し始めた。一度話し始めてしまえば、躊躇っていたことが嘘だったかのように、洪水のように言葉が溢れてくる。久城さんが聞き上手なのか、僕は饒舌になった。
「でも勘違いしないでください。僕は決して里菜のことが嫌なわけじゃないんです。あいつを受け入れられるのは僕だけだって、そう思っています」
 そう言って話を締め括った僕を、久城さんはずっと微笑みながら見つめていた。僕のことを肯定も否定もせず、ただ話を聞いているだけ。彼女の職業柄、男を立てるのが当たり前なのかもしれないけれど、僕は少々アドバイスみたいなものが欲しかった。はたから見て、僕と里菜の関係はどうなのか。僕はただそれが知りたかったのだ。
 久城さんは、僕と里菜の関係について、「そんな女、早く別れた方がいいわよ」とでも言われれば、もしかすると僕もその気になったかもしれないが、「アキトくんは自分も大切にしてあげないとダメよ」と、妙に優しく言われただけだった。
 久城さんからすれば、僕と里菜のことなんて、自分の人生には関係ないからどうでもいいことなのかもしれない。ただ、彼女の励ましは、捉えようによっては含みのある言い方だったなと、店を後にする頃に気づいたのだった。