家の中と外は、天国と地獄程の温度差がある、冷えきった城崎が、心臓麻痺を起こす事を心配したが、寒さに動きの鈍った城崎は、靴を脱ぐにも10分程も時間を要した為、十分に暖かい部屋に入る迄に、体を慣らす事が出来た様だった。
正直、心臓麻痺を起こしても救急車を呼べば良かっただけの話、初対面の人間である以上何の思い入れもない。
そんな事を思いながら10畳間の隣にある台所から城崎の様子をうかがっていた。
10畳間の真ん中に設置された炬燵に、限界迄、手足を突っ込み丸まる城崎。
震えが治まり落ち着いたのか、背中を丸めた状態で目線だけがキョロキョロと部屋を見回していた。
死んだ祖父母から引き継いだ日本家屋、10畳の居間×1、広めの台所×1、6畳間×3、その他。
昭和初期に立てられたこの日本家屋は、柱も梁もかなり大きい、珍しいのかもしれない。
もしくは、何か物色でもしているのか。
正直、同じ会社に勤務しているとはいえ、初対面の男1人を家に上げるのは怖い。
本社の無茶な宿泊要請を受けたのは、在宅勤務を受け入れてもらった本社への後ろめたさと、部署の違う同期の女性が同伴だったからだ。
しかし、玄関先で死なれるのもうっとうしい。
見殺しにした女の噂でも立てられたらここで生活しづらくなる。
まさか、そこを計算したのか?でなければスーツに薄いダウンジャケットで、雪を搔き分けてくるなど正気の沙汰じゃない。
普通は駅で除雪を待つ位はする。
ふと、城崎がこちらを振り返った。
慌てて火にかけていたヤカンの蓋を意味もなく開けて覗き込む。
「新田さんは図書館の設計で、凄い賞を取られましたよね」
「ああ、まあ、緑茶に抹茶入れます?」
それは、私をここへ追いやった、いやな賞。
ヤカンの水がコトコト音をたて始める。
「僕ね、イタリアまで新田さんの設計した図書館見に行って来ましたよ」
ヤカンの水がボコボコ音をたて始める。
「抹茶入れます?」
「有給取って見に行った甲斐ありました、特にあの天井」
「抹茶は!」
自分で驚くほどの、気色ばんだ私の声に、城崎の緊張した声が返ってくる。
あの賞は私を地獄に落とした。
設計した図書館が受賞して1週間後、私を筆頭に新たな部署を会社は立ち上げた。
第3設計部。
会社の命令で私の元に集まったプライドの高いエリート社員。
設計部の同僚も、上司も全て私の下についた。
嫉妬。
嫉妬の的にならない訳がなかった。
特に男の嫉妬が……。
ダメだ思い出すだけで吐き気が。
「新田さん?」
城崎の声に我に返り、私は手早く急須に抹茶を放り込み、湯を注ぐと、取り繕う様に、なるべく優しい声を出した。
「朝食は食べました?」
「そう言えば、手土産に東京で面白い羊羮買ってきたんですよ」
質問に答えない城崎に、私の感情は徐々に、警戒心からイラつきへと変化し始めた。
城崎が鞄から出した縦5×横20×高さ5cmの箱を炬燵の上に嬉しそうに置いているのを確認し、私は小振りの果物ナイフを盆にのせる。
皿など必要ない、私にはこの先の展開は読めている。
城崎は私がお茶を差し出すのもそっちのけで箱の蓋をあける。
中には長方形の黒い羊羮が現れ、城崎が切って欲しそうに私の顔を見る。
私は要望に応えて包丁で羊羮を真っ二つに切りに掛かった。
シャリ、ゴリ。
「……」
ナイフの刃が2cm程めり込んだまま押すことも引くことも出来なくなった。
当たり前だ、マイナス10度近い中を歩いてきて凍らないはずがない。
そして、よく生きていたものだ。
「すいません、ちょっと置かせて下さい」
城崎は申し訳無さそうに蓋を被せて、ナイフが飛び出たままの羊羮の箱を部屋の隅にそっと置いた。
「豚汁でいいですか?」
そう言うと、私は城崎の返事を待たずに待たずに台所に立った。
早く何かを済ませれば、早く時間が経つのではと、そんな気持ちになっていた。
私は流しの下にある収納棚から黒い寸胴鍋を引っ張り出した。
祖母から引き継いだ寸胴が3つある。
白い寸胴はもてなしたい客、花柄の寸胴は胃袋を掴みたい客、黒は招かれざる客の為の寸胴。
白は使った事があるが 、花柄と黒は使った事がない。
正直、効果のほどは定かではないが、出来る事は全てやっておきたい。
今さらだが、正直色んな意味で男を泊めるのは怖い。
城崎は相変わらず、キョロキョロしている、たまに羊羮を覗きこんだり。
おばあちゃん守って、そんな想いを込めて黒の寸胴をコンロの火にかけた。