村は巨大な焚火(たきび)と化して熱煙を空へ轟かせていたが、家畜小屋が一棟だけ焼き払われずに残っていた。食糧となる豚を移動させてから処理するつもりなのだろう。

 フィックスが歩を緩め、姿勢を低くしろと指で合図する。それに従い壁に張り付き、逆サイドから家畜小屋の手前の茂みへと滑り込んだ。この位置からではなにも見えず、豚の鳴き声以外なにも聞こえない。

 フィックスが銃を構えたまま壁に背を添わせ、ミラーを取り出し窓から中の様子を伺った。見る見るうちにその顔を青白くし、怒りの表情を溢れさせた。

「おい、どうなってるんだ? グレッグは無事なのか!?」

 フィックスは応えず銃を構え直すと、空に向かって一発だけ発砲し、小屋の中へと飛び込んだ。最悪の映像が脳裏に浮かび上がる。状況も確認できないまま、僕も銃を構え後に続く。

「貴様ら!! 一体なにをしているんだ!?」小屋へ踏み込んだフィックスが怒鳴る。

 正面を捉えた僕の銃口の先に、信じられない光景があった。
 生きた家畜の臭気と撃ち抜かれた豚の死骸、奥では泣きじゃくる子供を抑えつけ、その母親らしき女を強姦する三人の姿。

 フィックスは銃を構えたまま、怒りを露わに荒々しい足取りで前へ進んだ。僕は銃を降ろすのも忘れ、入口で立ちすくんだ。男がにやりと振り向く。そこには、ベトナム人の親子以外に「人」の姿はどこにもなかった。この豚小屋の家畜と同じように、地を這い欲求を満たすことしか考えていない畜生の姿しかなかった。

「今すぐに表へ出ろ!!」

 銃口を三人に向け、フィックスが叫ぶ。

「チッ! また暑苦しい奴に見つかったもんだぜ……」
 薄笑いを浮かべながらデクスターが女から離れると、煙草でも取り出すように胸から小銃を取り出し、女の頭を撃ち抜いた。渇いた音が響く。

「デクスター!!」

 フィックスが緊迫した目つきで銃口を向ける。

 デクスターはにやけたまま片手で軍衣の乱れを直し、今度は本物の煙草に火をつけて口に銜えると、両手を上げてヒラヒラとひらつかせた。

「おいおい、フィックスさんよ? その銃で一体なにをやらかすつもりだ。俺たちはただ穴蔵に潜んでた女スパイを見つけて訊問してただけだぜ。立派な職務遂行ってもんよ」

 口に銜えた煙草を顎で上下に揺らし、下劣なピストンをして見せるデクスターに、僕は吐き気をもよおした。

「デクスター! こんなこと、許されると思ってるのか!?」

「言ったろ? この女は敵なんだ。見倣えよ。口を割らないから拷問にかけてたんだよ。お前こそ証拠もないのに決めつけて、そんなもん俺たちに突きつけるつもりなら軍法会議ものだぜ」

 渋々銃を降ろすフィックスを見て、デクスターは満足そうに微笑んだ。まだ睨みつけたままのフィックスの脇を通りすぎながら、煙草を深く吸い、気持ちよさそうに煙を高く吹き上げた。

「よし! ジェフ、子供は捕虜として列に加えろ。グレッグはベンジャミンとこの小屋を焼き払え!」

 デクスターはそういうと、小屋の入口で銃を構えたまま立ちすくんでいた僕の鉄帽にタバコの火を押しつけ、外へと出ていった。

「フィックス! このままデクスターを見逃すのか!?」

 フィックスはなにも言わず首を振り、落胆して小屋を出ていった。

 目の前で母親を殺され引き攣るように泣く子供を、ジェフが無理矢理引き離しながら僕に言った。

「聞こえなかったのかよ、ベン。この女は敵と繋がってたから始末したんだ。いつまでもグチグチ言ってんじゃねぇよ!」

 グレッグが僕から目を背け小屋から出ていく。

「待てよ! グレッグ!」

 引き止めようとする僕に、ジェフが言った。
「くどい野郎だな!? そんなんじゃここでは長生きできないぜ?」

 口もとに不敵な笑みを湛えたまま僕を睨みつける。『俺がウィズリーを殺した』と仄めかすような目つきだった。

「ウィズリーをやったように、僕のことも殺すつもりか?」

「なに言ってやがる、奴は敵にやられてもう助からないと踏んで自決したんだ。お前も見たろう? ガキを連れて行け! ここは俺とグレッグでやる」

 ジェフは唾を吐くと、押さえつけていた子供を僕に向かって放り投げた。
 ちらりと小屋の入口に目をやったジェフの視線の先を振り返ると、グレッグが壁に背を預けたまま立っている。

 動かなくなった母親に縋り付こうと泣きわめき、四肢をばたつかせる子供を押さえて僕はつぶやいた、「シンローイ(ごめんね)」と。

 この国では、見るものすべてが醜く歪んで見える。一体、どこでこんな風になってしまったのか。戦争は、人の命を奪うだけじゃ飽き足らず、戦争に荷担するすべての者の心に、手に負えない化け物を棲まわせる。

 そうやって変わっていくグレッグを僕は許せなかった。なによりも目を覚ましてほしかった。泣き叫ぶ子供を抱えたまま僕が小屋を出ると、グレッグは黙ってこちらを見た。

「グレッグ! この子の姿をよく見ろ! お前たちがレイプし、そして目の前で殺した女の子供だ!」

 詰め寄ると、グレッグは生気をすっかり失った目で僕を見る。

「俺は……来なければ良かった……。ハンナやお前の前で格好つけて、お前なんかについて来なければ良かったよ……」

 その言葉が冷たく僕の胸を突き刺して、さらにその傷口をえぐった。

「ベン、これは戦争なんだ! 敵は俺たちの命を奪いに来るんだ! だから俺たちだって、敵からなにを奪おうと文句はないはずだ!!」

 そういってグレッグは小屋を焼き払うと、去っていった。
 僕はなにもいえず、消えゆく村の中でただ立ち尽くすだけだった。

 ハンナ、このベトナムへやって来て、すでに半年、僕たちは生き延びたことになる。でも、この半年を生き延びるために支払った代償はあまりにも大き過ぎて、僕の持ち物の中で残りの半年分を支払えるようなものは、もうなにひとつ残っていない気分さ。

 倒すべき敵なんて、ひょっとしたらこの国にはいないのかもしれない。僕たちが本当に倒さなくちゃならないのは、この戦争によって生まれた、自分の心に巣くう醜い悪魔なんだ。

 僕たちはこの国でなにをしているんだろう? 

 疲れたよハンナ。
 もうクタクタだ。
 君に逢いたい。