一九六五年を迎えた、まだ闇深い未明――本部から北の兵士がこちらへ移動する動きがあるとの情報が入った。僕たちは叩き起こされ、エリック・ガーナー中尉が軍曹らに指示を出す。

「この場所に地雷を設置して二〇〇ヤード下がり境界線にする。一班と二班は側面で待ち伏せ、敵が来たらここへ誘導しろ!」

 そのとき、マシンガンの銃声と砲撃音が轟き次々と悲鳴が上がった。
 
 銃声と叫び声がすぐ近くで鳴っているような感覚と戦いながら、僕は必死にずぶ濡れの引き金を引く。その弾が誰に当たったのかなんて、もはやなんの価値もないものだ。

 死にたくない! ただその気持ちに任せて(はじ)き続ける。

「ベン! 危ない!」

 グレッグが突然こちらに向けて発砲した。次の瞬間、僕のすぐ隣で敵兵の一人がドサリと転がる。グレッグは「平気か!?」とこちらへ滑り込み、息が絶えているのを確認すると前方の敵に向けて再び発砲した。

「助かったよ! ありがとう」
「弾はあるか!?」

 グレッグに背中を預ける。しゃがみ込み装填すると、僕も銃を構え逃走する敵兵に向けて発砲していった。

 実際の交戦時間はそう長くない。お互い弾が尽きるから、戦闘が数十分も続くことは稀だ。でもこの無意味な命の削り合いにおいては、たとえそれが一分でも永遠に思えるほど長い。

 兵士数や装備、また火力において、圧倒的な力を持つアメリカに対して、ベトコンなど田舎の小隊程度のようなもので比較にならないと、僕たちは訓練中に何度も上官から教わっていた。

 しかし彼等には強固な精神力と、なによりも愛国ベトナムを守るという強い使命があった。戦闘のほとんどはゲリラ戦で、住み慣れたジャングルを軽装備で音もなく進むベトコンの兵士たちは、奇襲攻撃によってこちらに大打撃を与えては、深追いせずに一時離脱を繰り返した。

 獲物に狙いを定めた肉食獣のように、彼等の視線はこのジャングルの至る所から僕たちへと向けられ、じわじわとなぶり殺すのを待っている。――僕はいつもこんな恐怖に身を置いている。守る盾もないままに。

「畜生! ベトコン野郎共め! 逃げ足だけは毎度素早いぜ!」

 すでに姿を消した相手を罵ると、グレッグは銃を降ろした。

「だけど見たかよ、ベン! 今日も俺はベトコン野郎を一人殺したぜ!」

 興奮が冷めないグレッグに、僕はうなずくので精一杯だった。

 ベトナムへやって来て五ヶ月が経つ。

 僕の徴収に合わせて志願兵となったグレッグは、持ち前の明るさと対話能力でどこに配属されても驚くほど順応が早く、仲間からの信頼も厚かった。

 しかし、だからこそ僕には不安があった。

 グレッグはトム・ウィッカー軍曹に気に入られていた。ただ気に入られてるだけなら問題はない。だがこの軍曹が曲者だった。彼は少数のチームで戦場を巡り、確実に敵兵を仕留める。殺戮を楽しむように、率先して敵の中心に突入していく男だった。

 仲間の兵士から、こう聞いたことがある。

「トム・ウィッカーに気に入られた奴は長生きできない」

 戦禍が激しくなってから徴兵や志願でやってきた非正規兵は、短時間の基礎訓練しか受けておらず、正規の軍人とは訓練内容も経験も歴然の差があった。

 いくらグレッグの順応力が高いといっても、実地経験が圧倒的に少ない僕らが真っ向から敵陣に飛び込むなんて自殺行為でしかない。

「気持ちはうれしいけどよ、ベン。ここは戦場なんだよ。それに、命令されれば俺たちは従うだけだ。でなけりゃ軍法会議にかけられちまう」

 確かに、上官に逆らえばたちまち犯罪者扱いだ――裏切り者として。それでも、命より大事な命令なんてこの世に存在するんだろうか。

 もうひとつの悩みは最も非人道的なものだ。

 隊の中に、殺した敵兵の数を競い合っている奴らがいた。いつ誰が始めたのかはわからない。だけど確実にそのゲームは存在していた。

 そして、グレッグもそのゲームに参加しているんじゃないかと、僕は疑っていた。

 紙幣の束を嬉々として一枚一枚舐るように数える金の亡者の如く、人間の数を数える糞に、グレッグまでもが成り果ててしまいそうで、この戦争によって僕の大切なものがすべからくすべて、醜く歪められてしまうという怯えを抱えていた。

 ――その恐怖ゆえに、僕は強烈な憂鬱と喪失感に苛まれていた。