静かで退屈な田舎町で、車が消火栓にぶつかるなんて事件は滅多に起きない。辺りに響き渡った衝突音と、虚しく潮を吹き上げる鯨の消火栓。異音を聞きつけた住民たちは、刺激的な甘い匂いに誘われて虫のように群がって来る。

「おい! 怪我はないか?」
「動物でも飛び出してハンドルをとられたのか?」
「ああ! お前、ブランドンのところのベンじゃないか。大丈夫か?」

 付近の住民たちが家族総出で駆け寄ってきて、代わる代わる質問を浴びせるのに対し、僕は間抜けに微笑んで、愛想笑いするのが精一杯だ。

 その人だかりのなかに、ロザリー・エイムスもいた。そしてその隣には杖をついた昼間のあの女性の姿も。

 消防隊員を呼ぶまでもなく、集まってきた近隣の男たちの手によって消火栓の仮補修が進められた。心配と驚きの声をかけられたのは最初だけで、もはや僕は、楽しそうに作業する男たちを見つめる見学人と化している。

 水浸しのまま突っ立っていると、ロザリーが駆け寄ってきた。

「まあ! あなたベンじゃない!? ベンジャミン!」驚いて両手で口を覆い、声を弾ませる。

「ああ……ええ、お久しぶりです、どうも、エイムスさん……」

 それ以上返せず言い淀んでいると、ロザリーの後ろから杖の女性が近寄り、不思議そうにこちらを見た。足取りがおぼつかないのは、やはり地面が濡れているからだけではなさそうだ。

「知り合いなの? おばさん」

 ――おばさん、ということは、ロザリーの姪なんだろうか。

「ほら? さっきまで話してた町のわんぱく坊主の一人よ」

 それを聞いて、杖の女性が大きく目を輝かせた。「あなたがそうなのね! クッキーギャングのベンジャミン!」

 クッキーギャングのベンジャミン!? 一度だって呼ばれたことのない間抜けなあだ名に、僕は驚き戸惑った。

「そんなことよりベン、あなた水浸しじゃないの! 父の服がまだ保管してあるからとにかく家に来なさい。話はそれからよ」
 腕を引っ張られるがまま家に招かれ、ロザリーの父親の物だったというジーンズとシャツに袖を通す。

 杖の女性は部屋の真ん中の丸テーブルにつき、腰を下ろした。

「いやだわ、なんだか思い出すわね。すごく素敵よ」

 ブカブカのシャツに、手で持ち上げてないとずり落ちてしまうジーンズ。そんな間抜けな僕の姿を見てロザリーは喜んだ。

「そうだ! ほら、これもつけてみて? ――私、お茶を淹れてくるわね!」

 引き出しから太いサスペンダーを取り出してこちらに渡すと、僕を急かすように丸テーブルに着かせる。ロザリーは軽い足取りでキッチンへ向かうと、すぐに飲み物を用意して戻ってきた。

「ブランドンに電話をしておいたから、すぐに迎えに来ると思うわ。それにしても大きくなったものね。あなた今年でいくつになったのかしら?」

「今年で二十二になったよ。ところでそっちの彼女は?」

 小さな女の子のようにそわそわとしている。代わる代わる僕とロザリーに目をやりながら、早く私を紹介しろ!と言わんばかりにニコニコしていた。

「私の名前はハンナよ! ハンナ・エイムス。あなたが噂のベンジャミンね!? 相方のグレゴリーは? あなたの仕事はなに? どうして事故を起こしたの?」

 やっと出番が来たとばかりに、マシンガンのごとく攻め立てる口調に、僕は正直戸惑った。

「ハンナ? ベンが怯えてるじゃないの。ごめんなさいね、この子ったら妹に似て落ちつきのない子なのよ……」ロザリーも苦笑いする。

「ところで」半笑いで返しながら、僕はハンナに顔を向けた。「さっき君が話していた、クッキーギャングってなんのこと?」

「君、じゃなくてハンナよ! 今、自己紹介したばかりでしょ? わかってないのね!」

 初対面なのにズケズケとものを言う彼女を不快に思いながらも、僕はそれを悟られないように振る舞った。

「ほら、まだあなたたちが子供だった頃、よく家にお菓子を貰いに来ていたでしょう?」

 ロザリーが会話に割って入り、説明を始める。

「きっかけは、そうね、あの日よ。私が買い物に出かけた帰りに少し遠回りして公園を散歩していて……本当のことをいうと、見慣れないかわいらしい鳥が近くに留まったものだからそっと追いかけたらちょっと奥まで迷い込んでしまって。――あのときに初めて会ったのだわ。あなたたちは湖のほとりで水浸しのまま楽しそうに寝転がっていて、私の手元にあった、ガサガサいう大きな紙袋を物欲しそうにずっと目で追いかけるものだから、思わず声をかけたのよ」

 話を聞くうちに記憶が甦ってくる。

「お裾分けできるお菓子をちょうど持ち合わせていたし。そしたらあなたたちったら! 毎日私の散歩のコースに現れるようになってお菓子をせびるようになったのよ!」

 事実は少し違う気がする……。あの日は、グレッグと湖で泳いだあと休んでいた。そしたら知らないおばさんが突然現れて、お菓子をくれたんだ。

 腹を空かせた僕たちが、物欲しそうにねだったなんて記憶は全然ない。けど、確かにその日食べたビスケットがあまりにも美味しかったものだから、味を占めた僕たちは、彼女を探してお菓子を貰うのが日課になった。

〝空腹は最高のスパイス〟っていうソクラテスの言葉は正しい。子供をあやすにゃ言葉は要らぬ、クッキー一枚あればいい、ってね。

「あなたたちの視線っていったら、それはもう、ハロウィンのかわいらしいお化けの何十倍も怖かったんだから! 次の日もそのまた次の日も、同じ場所で同じ時間に私を待ち伏せて」

「ああ、それでクッキーギャング……」

 甦った思い出に浸っていると、彼女は笑いを堪えて、首を振った。

「ほら? あなたたち、私が散歩に出なくて会えない日があると、お菓子欲しさに家まで押しかけていたでしょ? 雨でも、ハリケーンが近づいている風の強い日でも、家の前でこれ見よがしにキャッチボールを始めて、わざと庭先にボールを投げ入れてたんだから! 私に気づいてもらうために」

 たしかにそれじゃギャングと変わりない。雨の日にわざわざ人の家の前でキャッチボールするなんて僕たちくらいなものだ。どうやら僕は、この恥ずかしい記憶に蓋をしていたらしい。

「毎日執念深くおばさんにお菓子を貰いに来ていたあなたたちが、どうしてパタリと来なくなったのか覚えてる?」

 意地の悪そうな笑顔でハンナが口を挟んだ。そう、それこそが重い蓋をするに至った理由だった。

 あの日も丁度午後から雨が降り出していた。僕たちは懲りずにグローブとボールを持ってロザリー邸までやって来て垣根越しに庭先へボールを放り投げた。

 強まってくる雨で手が滑り、ボールは勢い余ってこの家の窓ガラスを直撃。そして粉砕させた……。

 もちろん僕たちは全速力で逃げた。大雨にも関わらず、大慌てで普段使わない道をぐるぐる回って、迷いながら自宅に戻った。

 おばさんが追いかけてきてないか何度も後ろを確認して、家に帰りつくころにはひどいずぶぬれで、驚いた母さんに即座に服をすべてはぎ取られて、グレッグと一緒にバスルームに放り込まれた。

 お菓子欲しさに、毎日ロザリーにまとわりついていたくせに、一転してその日から彼女を避けるように過ごし始めた僕たちは、最初こそびくびくしていたけれど、罪を問われることなく平穏に日々は過ぎていき、いつしか罪の意識も消えて、そんなことがあったことさえすっかり忘れていた。

 でも当然ロザリーには、犯人が誰かなんて見当はついていたはずだ。

「あの……エイムスさん。あのときは本当にごめんなさい。僕たちもパニックになっちゃって、思わず逃げ出してしまったんだ」

「いいのよ! もう十年以上も前の話よ。それに、私は逆にあなたたちに感謝してるくらいなんだから」

 心から謝罪する僕の横で、ハンナが言った。

「本当、恩を仇で返すとはこのことよね! ずいぶんと青白い顔をしているけど、それはさっき頭から水を被ったせい? 子供時代のバツの悪いツケを突如今返す羽目になったから?」

 ハンナは無邪気に語気を強める。

「ギャングだって、わざわざ自分の縄張りを荒らすようなマネはしないわ。だとすると、当時のベンたちのマナーの悪さは、今のアメリカを象徴するようなものよね」

 彼女の言うことにはさっぱりだ。自責の念でうな垂れていた僕の気持ちが一瞬にして、ハンナへのいら立ちでいっぱいになる。

 この短い時間の中で、はっきりとわかったことが三つある。

 ひとつ目はハンナは嫌味な女だということ。ふたつ目は彼女は僕のことを完全に馬鹿にしているということ。そして最後は――僕は彼女みたいな女が大嫌いだということだ。

「それとも多くの活動家と同じように、新聞の見出しに載るような突飛な行動を採る必要性があったのかしら?」

「ハンナ! 言い過ぎよ! 彼は私の大切な客人なの。ベンに謝ってちょうだい!」

 さすがのロザリーも姪をたしなめた。それを聞いて、ハンナもまずいと思ったのかすぐに謝った。

「ごめんね、ベン。私ってすぐに調子に乗っちゃって、言いすぎちゃうところがあるのよ! 気にしないでね?」

 そんな手の平を返すようなやり方こそ、君がいうような素行の悪さそのものなんじゃないのかと言い返したい気持ちを抑える。

「本当にこの子は誰に似たんだか。ジュリアもあなたのように落ち着きはなかったけれど、こんなにお喋りではなかったわ」

 呆れ顔のロザリーに、ハンナは不満そうに口を尖らせる。

「ママはなんでも言いたいことを溜め込むから良くないのよ!」

 そのとき、家の前でトラックが止まる音が聞こえ、誰かがドアをノックした。

「きっとあなたのお父さんね」

 ロザリーが席を離れると、ハンナがこちらに身を乗り出し、興味深そうに訊ねる。

「ねえ、ベン。グレゴリーとはまだ交流はあるの?」

「グレッグか、あいつはうちの農場で一緒に働いている仲間だよ。今日だって、仕事中にへべれけに酔ったあいつを家まで送った帰り道だったんだ」

「あなたたちって、子供の頃からやってることは進歩してないのね!」

 ハンナは、うれしそうに目を輝かせる。なにかいえば、すぐに嫌味で返してくるこんな態度には、ため息しか出ない。彼女は僕の反応に気づいたのか、また言いすぎたって顔をした。

「ごめん! 変な意味じゃないの! ただ、ほら? 子供時代からずっと仲良くしてきた親友と、大人になっても変わらずに馬鹿やれるなんて、羨ましいなって思ったから……」

 どんなに慌てて取り繕ったって、結局のところやっぱり僕を馬鹿にしている。だけどそんなことにはさっぱり気づいていない様子のハンナと、少しだけやり取りしていると、ドカドカと大きな足音を立てて父さんが部屋へと入ってきた。

「ベン、お前って奴は‼ この忙しい時期にトラックまでおしゃかにしちまいやがって、一体どういうつもりだ!?」

 怒鳴り声が、静謐なロザリー家の佇まいを不似合いに割く。あまりの勢いに思わず怯んでしまった僕は、言葉を詰まらせて上手い言い訳も思いつかない。

「この大馬鹿野郎が! 大方アルコールでも飲んで酔っ払いながら車を飛ばしてたんだろう!? 図体ばかりがでかくなるだけで、頭の中は空っぽのままだ!」

 僕を罵り叱りつける。父さんにとって、僕はいつまでたっても手足の生えないオタマジャクシのような存在なんだろう。

 だけど、父さんがこれほどまでに怒り狂うわけもわかる。怪我こそしなかったものの、この繁忙期にトラックはパー。グレッグや僕が大怪我でもして仕事ができなくなるような事態になっていたら、それこそ一家で首を括らなきゃならないんだから。

 顔を真っ赤にした父さんが、僕の胸倉をつかんで拳を振り上げると、ハンナが割って入った。

「まさかとは思うけど、その振り上げた拳で、怪我ひとつなく無事にすんだ息子を殴るつもりじゃないでしょうね?」

 ハンナの動きは素早く力強かったが、言葉は柔らかかった。そんなハンナに父さんがピクリと反応する。

「あんたは一体何者だ?」拳をそのままに、視線を彼女に向ける。

「私はハンナ・エイムス。ロザリーの姪よ。あなたの自己紹介は要らないわ。私の質問は、その振り上げた拳をどうするつもりなのかってことだけ」

 毅然とした態度でハンナが答えると、父さんは不愉快を露わにした。

「他所の人間に、家のことをとやかく言われる筋合いはない!」

 張り詰めた空気が、部屋全体を覆った。

「ブランドン、ハンナだってベンを心配して言ったことだよ。それにベンだって怪我もなく無事だったんだからそれで良いじゃないか」

 怯えた表情を滲ませるロザリーに、父さんは目もくれずに再び僕を睨みつけると、硬く握りしめた拳を容赦なく振り落とした。鈍い音が脳裡を貫くと、鉄の味で口中がいっぱいになる。

 まあ、父さんとのこんなやり取りは日常茶飯事だけど、この家に住む者にとっては滅多に見るような光景じゃないはずだ。ロザリーは短い悲鳴を上げると、力なくその場に座り込んでしまった。

「あらあら立派な父親よね? 口で言えばわかることを、怪我ひとつなく無事だった息子にわざわざ怪我までさせて一体なにを教えたつもりなのかしら。人の傷つけ方? それとも人の尊厳の踏みにじり方かしら?」

 容赦なく責め立てるハンナの言葉に、父さんの顔がさらに染まった。

「女のくせに、男のやることにとやかく口を出すな! ロザリーの姪だかなんだか知らんが、これがうちのやり方だ! そんなに生温い愛だのなんだのを説きたいなら、自分の子供にでも教えてやれ!!」

 つかみかかりそうな勢いで怒鳴りつける父さんを、僕は慌てて体で止めに入る。

「もう良いだろ父さん。悪いのは僕なんだ。さあ家に帰ろう」

 父さんは舌打ちしながら振り返ると、無言で部屋を出ていった。

「なによ! あの態度! 典型的なかび臭い古ぼけたアメリカの男だわ! 女だって同じ人間なのよ!」

 ハンナはハンナで、父さんの言ったことに腹を立てまくっている。僕はロザリーに駆け寄ると、座り込んだ彼女を立たせて謝った。

「エイムスさん、本当にごめんよ。僕のせいで不愉快な思いをさせてしまって……」

 彼女の体は小刻みに震えて、足にはまるで力が入らないようだった。僕は側にあった椅子を引き寄せ、彼女をそこに座らせるとあらためてお礼を言った。

「借りた服は洗濯して後日持ってくるよ、本当にありがとう。エイムスさんのおかげで風邪をひかずにすみそうだ」

 そう言った僕を、ロザリーは愛想笑いで黙って見つめる。きっとそれほどに、今の光景は刺激が強すぎたんだろう。

「怖がらせて本当にごめんよ、でも僕は大丈夫! あれくらいですんで逆にラッキーだよ! いつもならこの後に徹夜の説教さ!」

 僕がかがんで舌を出して笑って見せると、やっとロザリーの表情も少しだけ柔らかくなって口許を緩ませた。家の外では、なかなか出てこない僕に痺れを切らした父さんがクラクションを鳴らしている。

「それじゃ僕は行くよ。また父さんが部屋に入ってきたらすごく面倒臭いことになるからさ。今夜は本当にありがとう」

 僕は立ち上がり、部屋を後にしようと振り返ると、ハンナが言った。

「親だからってすべてが正しいとは私は思わないわ!」

 彼女の不服の火も、まだしぶとく燻っているらしい。

「もちろん僕だってわかってるさ。だけど今日のことは僕が悪いし、君はもう少し女らしく、おしとやかに振る舞った方がいいよ」

 彼女は驚いた顔をして、すぐさま首を振り意地悪く返した。

「あなたもなの? ベン。この町の男たちが、皆あなたたち親子のように差別的な男じゃないことを祈るわ」

 落胆するハンナを後にして、僕はロザリーの家を出た。

 帰りの車中は気まずかった。寡黙に押し黙る父さんと会話の糸口も見つからまま息苦しい時間がしばらく過ぎた。もちろんそんなことは予想通りだったし、無言の責め苦は当然覚悟はしていたけど、どうやら今日の父さんはいつもとは違った。

「あの女は何者だって?」

 ハンナに対しての怒りが未だに収まらない様子だ。

「さあ? 僕もさっき会ったばかりだから詳しくはわからないよ。知ってることと言えば、ロザリーの姪だってことぐらいだ」

 父さんは、「フンッ」と気に入らなさそうに窓の外を見る。
「ああいう勘違いな輩が入ってくると、この町がどんどん悪くなっていくんだ。早く帰ってくれれば良いんだが」

 この町の住人は、新しいことを好まず保守的な人間が多い。父さんはその典型だ。トウモロコシの栽培にしたって、先祖から受け継いだ伝統的手法にこだわり続ける言わば頑固者。

 トウモロコシはとても天候に左右されやすい。状況次第では早々にトウモロコシを諦め、大豆の生産へと切り替えるのがこの町でも一般的なやり方。連作は地力を低下させ、害虫の影響を受けやすくなるという理由もある。

 しかしうちの農家ではよほどの理由がない限りトウモロコシの連作を続けていた。追肥の回数や除草剤、農薬の種類にいたるまで、すべてが伝統的にこの家で代々守られてきたとおりのやり方だ。
 良く言えば伝統を守る継承者だけど、悪く言えば融通の利かない石頭だ。

 とにかくここは、新しい風を嫌う者ばかり。
 それは当然この町で生まれ育ってきた僕自身にも当てはまることかもしれないけど、代々受け継ぎ、そして守ってきた習慣が変化することをとても怖がっていた。

「ベン……」父さんが窓の外を見ながらつぶやく。「私たちだっていつまでも畑仕事ができるわけじゃない。いつかはあの畑をお前たちの代に託さなくちゃならないんだ」

 飽きるほど聞いた父さんの話に耳が痛い。

「兄貴たちは早々に先祖から受け継いだ畑を他人に渡してしまったが、あんな罰当たりなことはない……」

 兄弟の中でも、父さんは特に責任感と使命感の強い人間なんだろう。この話をするときの父さんは、いつもすごく悔しそうだった。

「なあベン? 私はただ先祖から受け継いできたあの畑をお前にしっかりと守っていってほしいだけなんだ」
「ああ、わかってるよ……」

 気のないそぶりでやり過ごす。この時ばかりは、父さんもそんな息子の態度に揚げ足をとったりはしない。

 だけどこんな話をされるたび、僕の気持ちは静かに沈み込んでいく。ここに自分が生まれた理由や、その最後の瞬間までもが、すべて既に定められているかのような感覚に支配される。

 話の終わりはいつもこの言葉で締めくくられた。

「私が息子のお前にたったひとつこれだけを望むことが、そんなに罪深いことなんだろうか? ベン」

 父さんのこの言葉は呪いを帯びている。新しい生き方を認めず、守り続けてきた物の価値もわからないままに、その責任だけを次の世代へと押しつける。

 そんな伝統に耐えられない者たちは皆この町を去り、そしてここに存在していたという確かな記憶すらも消し去ってしまう――ここはそんな忘却の町。

 だけど、現在もこの町で暮らすほとんどの人たちは、ここでの生き方になんら疑問を抱かずに平和に暮らしている。ここはそんな古き良き町でもあるんだ。

 この町の人や生活が僕を骨抜きにしている、だからこの町を出て……なんて考えたとしても僕には他でやっていける自信なんてないままだ。

『女のくせに……』

 父さんの言葉が頭に浮かんでくる。僕は父さんがあんな風に女性に言い責められるところを見たことがなかった。僕自身もハンナに対しては、同じく「女のくせに」って思う部分も正直あった。

 でも冷静になって考えてみれば、毅然とした態度で堂々と主張するハンナのことを、あのとき僕は心のどこかで羨ましいと妬んでいたのかもしれない。

 彼女のように振る舞うことができたら、自分にももっと違う未来が待っているような気がして。