「良い? この戦争にはアメリカの正義などどこにもないのよ? たとえこの戦争に勝ったとしても、アメリカはいずれ他の国から非難を浴び続けることになるわ! そんな無意味な戦いに、ベン、あなたが駆り出されて命でも失うことになったら馬鹿げてるわ!」
ハンナは振り返ると、激しく僕の肩を揺らした。
「逃げることと臆病なこととはまったく違うのよ! あなたのそのきれいな心を、国の利権のために汚されたくないの! 戦争ですべてを失ってほしくないの! あなたに……いつまでも生きていてほしいのよ! 私の分まで!!」
赤く腫らした瞳から、涙は尽きることなく流れ続ける。叫び続けて声は掠れ、すごく聞き取りづらいけど、彼女の言葉一つひとつが、僕の胸に深く突き刺さった。
「ハンナ、だから行くんだ。すべてを失いたくないから」
僕は、僕の肩をつかむハンナの手をそっと降ろし、彼女を抱きしめて言った。
「この町には、父さんや母さん、兄弟同然に育ったグレッグだって暮らしてる。そしてなにより僕を夢中にさせるハンナ、君もだ。もし、自分の命が惜しくてここから逃げ出せば、僕は一生逃げ続けなくちゃならないだろ?」
耳元でささやく僕を、ハンナは顔を上げ黙って見つめた。
「君ならそんな生き方を選ぶかい? 僕は君に、絵の書き方だけじゃなく自分らしい生き方も教わったんだ」
僕を見つめ続ける君の瞳の奥が、その言葉で一瞬輝いたように見えた。それは、僕の見間違いかもしれないし、そうじゃないかもしれなかった。
「生意気なこと言わないでよ」
それでも、そういって僕を窘める彼女の表情は少しだけ穏やかさを取り戻していた。
グレッグの手を借りてロザリーがゆっくり立ち上がる。
「ハンナ、信じて待ちましょう。大丈夫! 彼は私たちのヒーローだもの。きっと無事に帰ってきてくれるわ。ね、そうでしょ? ベン」
「もちろんだよ、ロザリー。なあ、そうだよな? ベン」
グレッグがロザリーの背中に腕を回して彼女を支えると、僕に向かって問いかけを重ねた。僕はそれに力強く肯くと、ハンナに向きなおり想いを伝えた。
「だから、ハンナ。必ず無事に戻ってくるから、そのときは……もう一度僕と次のステージのことを考えてほしいんだ」
ハンナは動じず、うっすらと頬を染めていた。それから一度ゆっくり瞼を閉じると、ふたたびゆっくりと開いた。
そのやり方は、彼女が僕の言葉を受け入れて、心にしっかり刻み込んだ合図に思えた。ハンナは僕の頬に手を添えて、優しく笑った。
ロザリーが顔を真っ赤にして両手で顔を覆い、指の隙間からこちらを見る。
グレッグはその横で締まりなく大口を開けていたけど、状況を呑み込むと、馬顔でにたぁと歯を見せて笑った。
ロザリーは恥ずかしそうにしながらも、心からうれしそうに目に涙を溜めた。
「素敵よ、ベン! 本当に素晴らしいわ! ハンナも家ではあなたの話ばかりしていたから、本当にうれしいわ……」
少し気持ちが先走り過ぎてるんじゃないかと不安にもなったけど、僕たちを祝福しようとするロザリーの想いは素直にうれしかった。
そしてグレッグは、さらに先走った言葉を僕たちに投げつけてくる。
「次のステージなんてまどろっこしいこと言うなよ? もう結婚で良いじゃないか!」
にやける親友に、僕は完全に言葉を失った。
「グレッグ!? あなた、なに飛躍してるのよ!」
動揺したハンナが声を荒げる。
「それ良いわね。本番の結婚式は、ベンが帰ってから行うことにして、仮の結婚式を今からやりましょうよ」
「ちょっと!? おばさんまで!」
手を打って喜ぶ叔母にハンナが振り返ると、ロザリーは潤んで零れる涙を指ですくいながら歩み寄り、愛しそうに彼女を見つめて手を握った。
「カタツムリみたいに遅いあなたたちの決断を待ってたら、私なんていつジュリアが《《お迎え》》に来てもおかしくない年齢よ。そうなる前に、ジュリアの忘れ形見であるあなたと、私のヒーローが結ばれるところをこの目で見たいの! これが、私があなたに求める最初で最後のお願いよ」
ハンナがなにかを言おうとしたが、それを飲み込んで口を閉ざした。
ロザリーは、なかなか首を縦に振らないハンナに痺れを切らせて、「ベン?」と僕を振り仰いだ。
ロザリーの言いたいことはわかった。同時にハンナの沈黙の理由も、きっとこれだ。
僕はうなずき、ハンナの前に立つ。
「ハンナ、たとえ君と過ごす時間が残りわずかだったとしても、僕はその最後の一分一秒まで君と過ごしたいんだ。その気持ちを諦めたくはないよ」
ハンナは顔をグシャグシャにして、僕の言葉に何度も何度もうなずいた。ロザリーが彼女の手をかたく握る。
「君は、僕の退屈だった人生を吹き飛ばしただけじゃなく、生きる目的まで与えてくれた。希望の光で満ち溢れた目的まで……」
ハンナの頬に涙が伝う。
「君が僕にそうしてくれたように、今度は僕が君の希望の光になりたいんだ! 君と過ごせる最後の一分一秒まで、そして、その先もずっと……。それが、僕の目の前に広がる荒野の先にある、目的の家だから」
僕が言い終わらないうちに、ハンナは見たこともないほど顔をぐしゃぐしゃに崩した。ロザリーが彼女の身体を包み込み、耳元でささやく。
「ハンナ! あなたの望みだって、ベンとまったく変わらないはずよ。さあ、今度はあなたの番」
そういうと、ロザリーはハンナを僕に向き合わせる。そしてグレッグが僕たちの間に立ち、牧師の役をかってでた。
「じゃあいろいろすっ飛ばして、これがお互いの誓いの言葉になるな。ハンナ、ビシッと決めてくれ!」
グレッグがハンナに合図を送ると、彼女は涙目のまま吹き出した。
「もう! いろいろと省略しすぎだわ! でも、とても私たちらしいけど……」
グレッグがうれしそうに、しきりにハンナを急かす。ハンナは少し咳ばらいをすると、恥ずかしそうにこちらに向き、背筋を伸ばして踵を揃えた。
「なんだか急で照れ臭いわね……」
横からグレッグが「予行練習のようなものさ」とせっついた。
「良いわ、私の番よ」
ハンナは自分に言い聞かせるようにつぶやくと、目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。
ハンナは振り返ると、激しく僕の肩を揺らした。
「逃げることと臆病なこととはまったく違うのよ! あなたのそのきれいな心を、国の利権のために汚されたくないの! 戦争ですべてを失ってほしくないの! あなたに……いつまでも生きていてほしいのよ! 私の分まで!!」
赤く腫らした瞳から、涙は尽きることなく流れ続ける。叫び続けて声は掠れ、すごく聞き取りづらいけど、彼女の言葉一つひとつが、僕の胸に深く突き刺さった。
「ハンナ、だから行くんだ。すべてを失いたくないから」
僕は、僕の肩をつかむハンナの手をそっと降ろし、彼女を抱きしめて言った。
「この町には、父さんや母さん、兄弟同然に育ったグレッグだって暮らしてる。そしてなにより僕を夢中にさせるハンナ、君もだ。もし、自分の命が惜しくてここから逃げ出せば、僕は一生逃げ続けなくちゃならないだろ?」
耳元でささやく僕を、ハンナは顔を上げ黙って見つめた。
「君ならそんな生き方を選ぶかい? 僕は君に、絵の書き方だけじゃなく自分らしい生き方も教わったんだ」
僕を見つめ続ける君の瞳の奥が、その言葉で一瞬輝いたように見えた。それは、僕の見間違いかもしれないし、そうじゃないかもしれなかった。
「生意気なこと言わないでよ」
それでも、そういって僕を窘める彼女の表情は少しだけ穏やかさを取り戻していた。
グレッグの手を借りてロザリーがゆっくり立ち上がる。
「ハンナ、信じて待ちましょう。大丈夫! 彼は私たちのヒーローだもの。きっと無事に帰ってきてくれるわ。ね、そうでしょ? ベン」
「もちろんだよ、ロザリー。なあ、そうだよな? ベン」
グレッグがロザリーの背中に腕を回して彼女を支えると、僕に向かって問いかけを重ねた。僕はそれに力強く肯くと、ハンナに向きなおり想いを伝えた。
「だから、ハンナ。必ず無事に戻ってくるから、そのときは……もう一度僕と次のステージのことを考えてほしいんだ」
ハンナは動じず、うっすらと頬を染めていた。それから一度ゆっくり瞼を閉じると、ふたたびゆっくりと開いた。
そのやり方は、彼女が僕の言葉を受け入れて、心にしっかり刻み込んだ合図に思えた。ハンナは僕の頬に手を添えて、優しく笑った。
ロザリーが顔を真っ赤にして両手で顔を覆い、指の隙間からこちらを見る。
グレッグはその横で締まりなく大口を開けていたけど、状況を呑み込むと、馬顔でにたぁと歯を見せて笑った。
ロザリーは恥ずかしそうにしながらも、心からうれしそうに目に涙を溜めた。
「素敵よ、ベン! 本当に素晴らしいわ! ハンナも家ではあなたの話ばかりしていたから、本当にうれしいわ……」
少し気持ちが先走り過ぎてるんじゃないかと不安にもなったけど、僕たちを祝福しようとするロザリーの想いは素直にうれしかった。
そしてグレッグは、さらに先走った言葉を僕たちに投げつけてくる。
「次のステージなんてまどろっこしいこと言うなよ? もう結婚で良いじゃないか!」
にやける親友に、僕は完全に言葉を失った。
「グレッグ!? あなた、なに飛躍してるのよ!」
動揺したハンナが声を荒げる。
「それ良いわね。本番の結婚式は、ベンが帰ってから行うことにして、仮の結婚式を今からやりましょうよ」
「ちょっと!? おばさんまで!」
手を打って喜ぶ叔母にハンナが振り返ると、ロザリーは潤んで零れる涙を指ですくいながら歩み寄り、愛しそうに彼女を見つめて手を握った。
「カタツムリみたいに遅いあなたたちの決断を待ってたら、私なんていつジュリアが《《お迎え》》に来てもおかしくない年齢よ。そうなる前に、ジュリアの忘れ形見であるあなたと、私のヒーローが結ばれるところをこの目で見たいの! これが、私があなたに求める最初で最後のお願いよ」
ハンナがなにかを言おうとしたが、それを飲み込んで口を閉ざした。
ロザリーは、なかなか首を縦に振らないハンナに痺れを切らせて、「ベン?」と僕を振り仰いだ。
ロザリーの言いたいことはわかった。同時にハンナの沈黙の理由も、きっとこれだ。
僕はうなずき、ハンナの前に立つ。
「ハンナ、たとえ君と過ごす時間が残りわずかだったとしても、僕はその最後の一分一秒まで君と過ごしたいんだ。その気持ちを諦めたくはないよ」
ハンナは顔をグシャグシャにして、僕の言葉に何度も何度もうなずいた。ロザリーが彼女の手をかたく握る。
「君は、僕の退屈だった人生を吹き飛ばしただけじゃなく、生きる目的まで与えてくれた。希望の光で満ち溢れた目的まで……」
ハンナの頬に涙が伝う。
「君が僕にそうしてくれたように、今度は僕が君の希望の光になりたいんだ! 君と過ごせる最後の一分一秒まで、そして、その先もずっと……。それが、僕の目の前に広がる荒野の先にある、目的の家だから」
僕が言い終わらないうちに、ハンナは見たこともないほど顔をぐしゃぐしゃに崩した。ロザリーが彼女の身体を包み込み、耳元でささやく。
「ハンナ! あなたの望みだって、ベンとまったく変わらないはずよ。さあ、今度はあなたの番」
そういうと、ロザリーはハンナを僕に向き合わせる。そしてグレッグが僕たちの間に立ち、牧師の役をかってでた。
「じゃあいろいろすっ飛ばして、これがお互いの誓いの言葉になるな。ハンナ、ビシッと決めてくれ!」
グレッグがハンナに合図を送ると、彼女は涙目のまま吹き出した。
「もう! いろいろと省略しすぎだわ! でも、とても私たちらしいけど……」
グレッグがうれしそうに、しきりにハンナを急かす。ハンナは少し咳ばらいをすると、恥ずかしそうにこちらに向き、背筋を伸ばして踵を揃えた。
「なんだか急で照れ臭いわね……」
横からグレッグが「予行練習のようなものさ」とせっついた。
「良いわ、私の番よ」
ハンナは自分に言い聞かせるようにつぶやくと、目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。