年末の富士山駅伝が終わればすぐに新年、そして……箱根駅伝だ。



 箱根駅伝の始まりは大正時代まで遡る。

 大正9年、“マラソンの父”として知られる金栗四三(かなくりしそう)さんの『世界に通用するランナーの育成』、そして『一度に多くのマラソン選手を育成する方法』として『駅伝』がスタートした。



 12月10日、“チームエントリー”によって、各大学の出場選手は16人に絞られる。さらに12月29日の“区間エントリー”で、各区を走る10選手+補欠6人が登録される。
 当日のエントリー変更は、区間登録された選手と補欠選手の入れ替えに限り、4人まで。10区間のうち、外国人留学生は1人に限ると決められている。

 往路優勝は、往路を1位でゴールしたチーム。復路優勝は、“復路だけ”のタイムが一番速かったチーム。そして全チームが目指す総合優勝は、2日間の総合タイムで決まる。さらに、1区から10区まで“1度もトップを譲らずに”勝つのが完全優勝
 選手の誰もが憧れる名誉・区間賞。各区間でタイムが一番速かった選手に贈られる。もらえるものは、賞状とトロフィー。さらに、最優秀選手1人に贈られるのが『金栗四三杯』。