「青春ってさ、フラッシュバックに似てると思わない?」

 希の唐突な言葉……。

フラッシュバック(走馬灯)?」

 人生最期の瞬間にフラッシュバックで自身の人生を一瞬のうちに振り返る……。一体どこまで振り返る事だろう?


「生きてきた全部が流れるのかな?」
「食べたご飯のメニューまでフラッシュバックされるとはとても思えないわね」
「人生の転機だったり、イベントや何か大きな出来事だったり? なんじゃない?」
「それが嫌な事ばっかりだったら悲し過ぎるよね……」

 最期の最後、フラッシュバックで振返る人生が、良い事ばっかりなら、『良い人生だった』と満足して逝けるはず。

 フラッシバック(走馬灯)が嫌な事ばっかりだったら、ある意味すでに地獄、閻魔様が再生ボタンを押しているのではなかろうか? 地獄か天国生きか決めるのがフラッシュバック、閻魔大王の持つ『浄玻璃の鏡』が生涯を映し出すというのだから、あながち間違ってはいるまい。

 人生の再生ボタンを押した時、『あぁ~いい人生だった』と感じられるその判断は果たして、『良い行いをした数』ではなく、『良い思い出の数』なのではなかろうか?



「クラス会とかで、『あたしの青春悲惨だった~』って地獄を見るってこと?」
「違う、違う……いつだって青春はフラッシュバックのように鮮烈に思い出せるのよ、きっと……」

 あの輝いた日々は走馬灯のように鮮明に甦る。涙した出来事の方が多いかも知れない、しかしそれすらもこのフラッシュバックは輝き放つ。だから青春は眩しいん(グレア)だ。苦しいことも悔しさも全部ひっくるめて充実した日々を過ごしたのなら、青春時代の経験は間違いなく『最高の思い出』となる。そう思える過ごした日々が支えになるときがきっとある。
 その再生ボタンを押すときは仲間と笑顔に溢れているに違いない。

「だから今日の経験は財産なのよ!」