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 このノックは発生から約三年間、世界中で猛威をふるった。
 先にも書いたが、実に人口の六割が消えてしまった。しかも社会を動かしていたような、お金も影響力もある上流階級の人間ばかりである。そして生き残ったのはお金も影響力もない下層の人たちとそのムニャムニャばかりだった。
 もちろん世界は大混乱におちいった。
 その混乱は十年たった今も回復していない。というか、今後も回復することはないだろう。
 飛行機は飛ばなくなり、電車は止まった。かろうじて車だけが動いているがこれは車が太陽電池で動いていたからだ。
 テレビもなし、ラジオもなし。これは放送する人間がいないせいだ。それでも携帯電話は使える。インターネットやDVD映画を見たりすることもできる。乾電池と太陽電池で動くものはすべてオーケーだからだ。
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 それでもわたしたちにとって特に困ったことはなかった。
 わたしたちは最初から何も持ち合わせていなかったから『なにかを失う』ということもなかったのだ。
 貧乏もときにはいいことがある。
 少なくともこういうショックに対しては無類の強さを発揮する。
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 もちろん政府というものも崩壊した。
 だがこれも特に困りはしなかった。
 わたしたちは最初からそれを失っていたからだ。
 ついでにいうと病院もそう。保険に入れない人間には最初から縁のないところだった。
 世界中の生き残った人々も同じようなことを感じていたのではないかと思う。
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 もちろんよかったこともある。
 まず家が選び放題になった。豪華な家がいくらでも空いていた。
 とはいえ、わたしたち家族はやはりあのマンションで暮らし続けた。
 なんといってもそこは慣れ親しんでいた我が家だし、広い家や豪華なマンションはなんとなく落ち着かなかったのだ。
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 それから家電製品も好きなだけ手に入った。テレビやDVDもそう、洗濯機や冷蔵庫なんかもほとんどが太陽電池で動いたから、わたしたちは積極的にそれを利用させてもらった。
 ちなみにこういった品物は、もちろん店からもらってくる。なにしろものすごい量の家電製品があるのだ。わたしたちは必要な分だけをもらっていくし、他の人たちも同じようにして利用している。
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 あとはなんといっても洋服類だ。
 これもお店からもらってくるのだが、ボロを着る必要がなくなったのは、なんともすがすがしい気分だった。
 しかも洋服屋はいっぱいあったし、お店ごとにいろんな服がいっぱいあった。
 今のわたしたちは南国の小鳥たちに負けないくらい、カラフルでおしゃれな格好をしている。
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 そうそう、それから本も読み放題だ。
 町中の書店にはとにかく読み切れないほどの本があった。
 小説から漫画から専門書から図鑑からと、ありとあらゆる本が無料で読めた。
 子供たちはもちろん、大人たちも書店からよく本を借りてくる。
 それこそ紙の本は高くて買えなかったのだ。
 そうそう、本を読むことは大切だ。
 本は知識を広げ、視界を明るくし、心を豊かにしてくれる。
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 ともかく。生き残ったわたしたちは、結局のところ、あまりに多くの物を手に入れた。
 その多くは、かつてどれだけ望んでも手に入らないようなものばかりだったから、わたしたちはそれだけで充分に幸せになることができた。
 それはいわば、上流階級と呼ばれた人たちからの『大いなる遺産』だった。
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 ちなみに生き残ったわたしたちのもっともよいところは、とにかく貧乏で、それだけ物の大事さを知っていたことだ。
 一つの電子レンジを後生大事に磨き上げてきたわたしたちである。
 物を粗末にするなど考えもしなかった。
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 生き残った他の人たちも、わたしたちと大して状況は変わらなかった。
 だから、世界が混乱したときも大規模な暴動も略奪も破壊もなにも起きなかった。
 ただみんな呆然として、ジッと隠れていたのだ。そしておっかなびっくり外に出てみると、そこには宝の山が無料、取り放題で、目の前に積まれていたというわけだ。
 わたしたちは自分たちのまわりに物が充分あることを分かっていたし、それを自分たちの手でわざわざ破壊したり、盗んだりすることが、もったいない行為だと分かっていた。それに破壊してしまえば、それを直せなくなること、直せる人間がいなくなっていることにも気がついていた。
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 わたしたちは今もこのことを肝に銘じている。
 必要以上に多くを望んではならない。
 強欲は結局自分と仲間の首を絞めるだけなのだ。
 あるものを大事に使うことで、わたしたちはこの生活を一日でも長く守ることができるのだ。
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 長々と本編から外れてしまった。
 だがこれはどうしても聞いて欲しかったのだ。それが今のわたしたちを取り巻いている状況だからだ。それが今のわたしたちを作り上げた歴史だからだ。
 どうしてわたしたちが生き残ったのか? その歴史を知れば、人類はさらに未来へと生き続けることができる。
 わたしはそれを強く信じているし、それを伝えることこそ、教師であるわたしのつとめだと思うのだ。
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 ということで最初に宣言した『わたしはわたしの知っているムニャムニャを後世に残さねばならない』に戻ってくるわけだ。
 さて、そろそろ講義の時間も終了だ。
 この日記、学校のムニャムニャたちが読むにはまだ早いが、言葉を覚えればいずれ読むことができるだろう。
 だが結構な分量になってしまった。
 そろそろみんな飽きてくることだろう。
 次の日記をもって講義を終了することにしよう。
 最後の日記はちょっと個人的な日記になる。

 ~ 自然淘汰という死神 終わり ~