あなたの魔法買い取ります~異世界中古魔法店の日常~

 三日目、私はやっぱり路頭に迷っていた。昨夜の意気込みは何だったのか。そう思うくらい、露骨にテンションが下がっていた。
 だって、もう手の打ちようがありません。
 街のドワーフは全て一人残らず確認済み。もちろん、ドワーフ族以外が営む武具店や鍛冶屋も網羅した。それでも、やっぱりロムガさんは見つからない。

 あてもなく街をふらつき、いつの間にか人気のない場所まで来てしまった。街の南、貧民街の奥だ。
 喧騒的な中心部と打って変わって、静寂が辺りを漂う。

「こんな場所にいるはずもありませんね。ナー、引き返しま――」

 気配のない広間の木陰から、何者かが私をじっと見つめていた。

「ナァー?」

 私が声を発するよりも先に、ナーが不思議そうに鳴く。
 小柄な少女だった。私の胸元程の伸長で、暗灰色の肌。フード越しの頭の先を二つのコブがツンと伺える。アーモンドのような大きなくりっとした瞳も相まって、やたらと猫っぽい。
 私、猫に好かれるタイプだったっけ?

「あなた、そんなところでどうしたの? 獣人族の方かしら」

 貧民街の孤児だろうか……。それにしては身綺麗だし、着ている服もそれなりに値が付きそうなものだ。
 やっぱり、じっと私を見つめてくる。

 そして、ゆっくりと私に歩み寄る。しっかりとした足取りに、情けなくも少しだけ嫉妬してしまう。

「……パンダ」

「えっ……」

 突然、少女が喋った。彼女の発した言葉を私は聞き間違えてしまったに違いない。

「すみません。聞き逃してしまいました。もう一度、よろしいですか?」

 少女はゆっくりと口を開く。

「パンダ」

「ぱん……だ?」

 聞き間違いじゃなかった。しっかり、〝パンダ〟と言っていた。
 パンダって、あのパンダのことだろうか。リンリンだとか、シャンシャンだとか。そう、あれのことだ。

「それがあなたのお名前?」

 少女がこくっと頷く。偶然なんだろうか……。
 パンダ……。パンダねぇ……。まっ、たったの三文字ですし、そういうこともあるでしょう。

「それでパンダさんは私に何かご用ですか?」

「用……は無い」

「そ、そうですか……」

 不思議な人もいるものだ。いや、獣人族なら人ではないのだろう。
 不意に、ぱさっと彼女がフードを取る。その中に隠れていたものを見て、私は吃驚した。

「ツ……ツノ!?」

 耳だと思っていた二つのコブは、小さな白い角だった。思わず身体を大きく逸らす。こういう時、自由に脚が動かないというのは不便だ。
 実物を見たことが無くてもわかる。紛れもない、魔族だ。

「ナー! 下がってください!」

 じっと動かない少女から、すぐに距離を取ってもらう。心臓が痛いくらい跳ねていた。
 魔族とは、人類や亜人種の共通の敵。魔王の下で人々を蹂躙する畏怖すべき対象。
 そんな魔族が、どうしてこんなところに!? とにかく、早く衛兵さんに伝えなくては……。

「ナー、引き返してください!」

 しかし、ナーは動かない。どうしたというのだろうか。
 私は自分の脚で走れない以上、ナーに頑張ってもらうことしか出来ないというのに。

 突然、魔族の少女が袖から何かを取り出す。丸い、林檎のような果実だった。ただし、その色は鮮やかな紫色で、どう見ても食べてよさそうに思えない。絶対、毒があるタイプの果実だ。
 その果実を少女は一口喰らう。皮が裂け、果肉が姿を見せるも、やっぱり不気味な黒紫色。

 怪しげな果物を無言で食べ続ける少女。その瞳はずっと私から離れることはない。一体、どういう状況なのだろうか。ナーは依然として動こうとしないし。
 私は腹を括ることにした。大きく深呼吸をし、少女と目を合わせる。

「それ、美味しいですか?」

 もう対話するしか術がない。
 私の言葉に、少女が力強く首を振る。

「すっごく、まずい……!」

 そんな堂々と言うことだろうか。

「そ、そうですか……。見たことのない果物だったので、気になってしまいまして」

「ウルの実。信じられないくらい、まずい」

 やたら美味しくないことを力説するな、このパンダさんは。さぞ、酷い味わいなのだろう。それほどに血走った目が物語っている。

「それほどとは逆に気になりますね」

 少女は猫のような瞳をぱちりと瞬く。

「……今はあげることは出来ない。においだけだったら、いいよ」

 存外、魔族とも会話って出来るものですね。もっと、出会った瞬間食い殺されるものだと思っていました。本にもそう書いてありましたし。

「では、失礼して……って、くっさ……」

 おっと、思わず汚い言葉が。いけません、いけません。この可憐な容姿に相応しい言葉遣いでないと。
 少女は嬉しそうに頷いていた。なぜだろう……。

「私、もう行く」

 少女はくるっと踵を返す。

「えっ、どこに……」

 返事をすることもなく、少女はさらに人気のない街の奥へと姿を消してしまった。

「不思議な人でしたね……。人じゃないですけど」

「ナァー?」

 衛兵さんに報告したほうが良いのでしょうか。
 しかし、あのパンダと名乗った魔族の少女からは、悪意の欠片も感じられなかった。だから、すごく戸惑う。
 結局、すごく悩んで、私はこの一連を無かったことにした。だって、もし悪くない魔族がいたなら、それでいいではないですか。
 あと、どうせ衛兵に伝えれば事情聴取やら何やらで、少ない時間をさらに削ることになる。それだけは避けたかった。

「ナァー! ンナァー!」

 私よりも嗅覚の良いナーには、ムムの実の臭いは余計にきつかったのだろう。空いた片手で鼻をごしごしと擦っている。

「ふふっ、本当に酷い臭いでしたね。……におい?」

 瞬間、私は閃いた。ぽこっと底から湧いた気泡が、徐々に数を増していく。仮説の域を出ないものの、ちりばめられた違和感が一つにまとまっていった。
 もしかして……。
 私の予測が正しければ、そりゃ、どれだけ探しても見つからないはずだ。

「ナー、行きましょう。当てが付きました」

 タリスさんは知っていたのだろうか。だとすれば、やっぱりあの人は少し性格が悪いのかもしれない。
 念のため、次の日朝から夜まで対象を尾行し、私は時流しの魔法を解いた。
 刹那、脳を揺らす衝撃に視界がばちんっと総変わりする。ぼやける世界で、私の身体を支える男性が目に入った。

 なぜだろう、すごく気持ちが悪い。思考が濁流のように流れる。

「マナさん、大丈夫ですか?」

 芯の通った優しい声にいくらか落ち着く。
 先ほどまでは宿屋のベッドにいた。今は……どうやら戻って来れたようだ。ずらりと並ぶ棚と陳列された意味のない飾りの本たち。

「ナァー!」

 どこからかナーの声も聞こえてきた。
 良かった、一緒に戻って来れたのですね。

「落ち着いて、ゆっくりと呼吸してください」

 生唾を飲み込み、言われた通り規則的に深呼吸をする。

「――ふぅ……。お騒がせいたしました」

 タリスさんに支えてもらい、倒れ掛かった身体を起こす。まだ、身体は気怠く重たいが、すぐによくなるだろう。

「初めて大量の魔力を使ったのです。辛かったでしょう。徐々に慣れていきますよ」

 この倦怠感は魔法の副作用というわけではないのかと安堵する。毎回、帰って来る度にこんな辛い思いしなければならないのかと思った。
 私が十分に落ち着くのを待って、タリスさんはゆっくりと話し出す。

「こちらの時間にして四時間いかないくらいですか。随分、苦戦したと見えますね」

 言われて、ようやく壁掛けの時計に目を向ける。本当だ、魔法を使ってから四時間しか時間が進んでいない。
 つまり、向こうの世界での一日は、こちらの世界で一時間程度ということだ。

「それはもう、すごく大変でした。だけど、楽しかったです」

 素直に伝えることにした。少しだけ、この世界の一端を見ることが出来た。その機会を与えてくれたタリスさんにはちゃんと感謝しているのだ。
 タリスさんは濁りの無い笑みを零し、隣に座るロムガさんを横目で見る。

「さて、それでは『擬態』の魔法。いかがでしたか?」

 ロムガさんも私に目を向ける。相変わらず、ドワーフの圧のある瞳だ。しかし、それはもう怖いとも思えなかった。

「ロムガさんの人柄については十分に把握しました。問題無しということで大丈夫だと思います。そして、『擬態』の魔法に関してですが、それはこちらで伺った方が早いと思いまして」

「ほう、それはどういうことですか?」

 タリスさんの表情を見るに、やっぱりこの人、全部知っていたんだなと心の中で悪態をつく。
 何か意図があるにしろ、意地悪な人ですね。

 ロムガさんに向き直る。

「味の感想、まだでしたね。買わせていただいたお菓子、とても美味しかったです」

「ナァー!」

 急にナーが私の肩で顕現する。お菓子という単語につられたのだろうか。
 すると、ロムガさんはドワーフの見目に似合わない可愛らしい笑いを漏らし、その姿を光に包ませる。すっぽりと全身を包んだ丸い光が、徐々に縦に細くなる。
 光が晴れると、そこには露店の店員さんの姿があった。緩く内に巻いた白金色の髪が音もなく揺れる。
 やっぱり、そちらの姿が本物でしたか。

「気に入っていただけたようで何よりです。そちらの黒猫さんも」

「ナァー!」

 とまあ、『擬態』の魔法については調査出来ていないふりをしたが、実はちゃんと過去でも『擬態』の魔法を見ていた。
 まさか、あんな夜更けに『擬態』の魔法を使っていたなんて。一日目も、二日目も私が宿に戻った後の時間帯だ。
 ロムガさんは美人のお姉さんからドワーフの姿へ『擬態』し、冒険者で賑わう酒場に赴いていた。そして、それはもう至福の様で大酒を食らっていた。
 大丈夫です、ロムガさん。私、口は堅い方ですので。

 それにしても、まさか残業必須の調査だったとは思いもしませんでした。

 私はタリスさんを窺う。その視線に気が付いたのか、彼は少し気まずそうに頬を掻いた。

「タリスさん、最初からロムガさんが『擬態』で姿を変えていることわかっていましたね?」

 観念したのか、タリスさんは肩を竦ませる。どうやら、話す気になってくれたようだ。

「騙すようなことをしてすみません。これはマナさんへの試験だったのです」

「試験……?」

「はい、時流しの魔法に耐えられるか、予想外の事態に焦らず対処出来るか。どちらが欠けても、危険なお仕事ですからね」

 なるほど、私は最初から試されていたということですか。
 事実、四日もかかってしまったから、試験という意味ではぎりぎり合格ってところだろう。

「彼女は私の昔からの友人でして、今回の試験に協力していただきました」

「ごめんなさいね、マナさん」

 ロムガさんを最初からドワーフ族の男性だと決めつけていたせいで、探すのに手間がかかってしまった。
 合格といえど、反省するべき点は多そうですね。

「参考までに、なぜ彼女がロムガだとわかったのか、教えていただいてもよろしいでしょうか」

 タリスさんに訊かれ、頭の中でごちゃごちゃな情報を整理する。

「そうですねぇ……。色々ありましたけど、やはり染みついた甘い匂いでしょうか」

 そういう今も、ロムガさんからはほのかに良い香りがしている。ナーがロムガさんの周りをせわしなく飛び回るのもそういう理由だ。

「ドワーフの方にしては甘い匂いがして、なんか似合わないなぁと最初に感じたのを思いだしました」

「マナさん、結構ずばりと言う性格なのですね」

 タリスさんほどじゃないと思うのですが。

「あとは身長ですね。よく考えたら、最初に入店した時ドワーフの姿では絶対に頭をぶつけることは無いのに、タリスさん同様に軽く頭を下げて入ってきていました。あれは背が高い人の癖みたいなものなのでしょう」

 タリスさんが「ほぅ……」と声を漏らす。感嘆と受け取っていいのだろうか。
 魔族の少女のことは……言わない方がいいだろう。流石にタリスさんでも魔族の仕込みは無理だろうし。
 あの世界は今よりも二か月も前の場所。この二か月の間に隣街で魔族が出たなんて噂は聞いていないし、大事に至っていない証拠だ。

「いいでしょう。マナさん、合格です」

 タリスさんが私の手を取る。破壊力のある微笑みを向けられていることも相まって、ほんのり頬が熱を帯びた。
 この人、セクハラは気にするのにどこかズレているんですよね。

「私と共に、魔法店『ノイアッシェ』をよろしくお願いしますね」

 ずくんと胸が熱く疼く。前世でも、今世でも、文字通り足手まといだった私が、初めて認められた瞬間だった。
 今さら、魔力を誰よりも多く授けてくれた神様に感謝した。
 誰かの役に立てる。私にしか出来ないことがある。
 そして、何より、まだまだこの世界のことを知りたい。見て回りたい。
 だから、私はタリスさんの手を強く握り返した。

「はい、私の方こそ、よろしくお願いします!」

 こうして、私は正式に〝異世界中古〟魔法店『ノイアッシェ』で働くことになったのです。

 ちなみに時流しの魔法による辻褄合わせ、人々の記憶の再構築はしっかり機能しているようで、隣街でケット・シーに首を鷲掴みにされる少女がいるという噂話が広まっていたのは、また別のお話。
「ひぃぃいいいいっ!」

 間抜けな声と共にこんにちは、過去の皆さん。
 『ノイアッシェ』の店員として働き始め、早いもので一か月が経過しました。時流しの魔法で過去に滞在している日数も合わせたら、もっと経っているのですが、私は一か月分のお給料しかもらっていません。
 ケチだな、と思いましたが、その金額を見て目ん玉が飛び出してしまうかと思いました。魔法って、すごく高値で取引されているんですね。
 『ノイアッシェ』に競合のお店が無いのと、魔法をお求めの方が貴族や訳アリの人が多いのも理由でしょうか。

 そんなわけで、私は日々、過去へとせわしなく飛んでいます。忙しいのは良いことです。しかし、癖の強いお客様が多いということは、その分問題も多いわけで――

「ナー! 避けてください! 避けてぇえッ!」

 轟音の唸りを上げ、すさまじい速度で飛んでくる火球を前に、私は悲鳴を上げていた。あまりの熱気に肺の奥まで熱く痛みを帯びる。

「ナァー!」

 ナーは私の指示を聞いてくれないことの方が多い。私の首根っこを掴んだまま、その場でぴたりと宙に静止する。
 私――というより、ナーの前方に青白く輝く魔方陣が展開した。刹那、空気を焦がす熱波がぴたりと止まる。同時に目と鼻の先まで迫っていた火球の先端にぷつりと小さな霜柱が立つ。いつの間にか辺りを漂っていた白い冷気が、霜柱に向けて渦を巻いて集まり、火球を包み込むように広がっていく。

 一瞬のうちに炎の塊を丸々包み込んだ氷塊が完成した。

「うそぉ……」

 ゴトッとエネルギーの塊とは思えない音を立てて、火球が地面に転がる。氷の膜越しに未だ抵抗を続ける炎の揺らめきが徐々に小さくなっていく様を、私は口を半開きにして見守った。

「おい、何なんだよ!」
「化け物だ……」
「早く逃げろ! あの少女みたいに捕まってゾンビにされるぞ!」

 調査対象の方々が散り散りになって逃げていくのを、私は重たい息と共に見送る。

「私、ちゃんと生きているんですけど……」

 全く、何て失礼な人たちなのでしょうか。

「ナァー」

「ナーも化け物扱いされて災難でしたね」

「ナァー!」

「あれ……喜んでます?」

 とにかく、今回も魔法を売ってよい方々ではなかったようです。ちょっと調べたら、すぐにボロが出ました。
 魔法を売ってくれる人は問題が無いことがほとんどなのに、どうしてか買い手に関してはほとんど毎回、何かしら黒い理由がある。
 魔法は簡単に力を得ることの出来る理不尽なもの。どんな魔法にも有益な使い道があるように、いくらでも悪用する手段はあるということなのだろう。

「ふぅ……。これ以上の調査は必要なさそうですね。帰りましょうか」

「ナァー!」

 いつの間にか、辺り一帯が凍り付いていた。寒暖差に風邪を引きそうだ。
 ナーもいつも通り派手に暴れられて満足そうですし。というか、本当に強いですね、ケット・シーというのは。
 私は時流しの魔法以外は使えないので、本当にナーが魔法を使うことが出来て様様だ。戻ったらご褒美にお菓子でも買ってあげるとしよう。

 人目のつかないところで時流しの魔法を解除した。瞬間、テレビのチャンネルを変えるように視界がぱちんっと変化する。
 軽く揺らぐ頭。魔力酔いもだいぶ慣れてきた。

「おかえりなさい」

 すぐ横で声がする。どうやら、タリスさんの肩を借りてしまっていたらしい。顔の右側面がやたら熱を帯びる。

「す、すみません! お邪魔でしたよね!?」

 よし、今度から座って過去に飛ぶのは辞めましょう。

「いえいえ、お安い御用です」

 タリスさんは私が時流しの魔法を使っている最中、片時も離れずに側にいてくれる。発動中、こっちでの私の身体は完全な無防備となってしまうからとのことだ。
 過去ではナーに、こちらではタリスさんに、私は常に誰かに助けてもらいながらお仕事をしているのです。せめて、自分の役割くらいはしっかり務めなくてはいけませんね。

「それで、今回はいかがでしたか……? 『透明』の魔法を所望のお客様だったので、ある程度予想は付きますが」

 軽く息を吐き、首を振る。

「レパーラス国のスパ――あ、えっと諜報人でした。国境を越えようとしていたところをお声がけしたら、いきなり魔法を放たれましたよ」

「それは災難でしたね。お怪我はありませんか?」

 タリスさんが心配そうに私を隅々まで視診する。とても恥ずかしいのでやめていただきたい。この容姿に不備はないけれど、浅ましい心の内まで見透かされてしまいそうだ。

「大丈夫ですよ。ナーが今回もしっかり守ってくれました」

「ナァー!」

 すっと肩に黒猫が顕現する。

「そうですか。ナー、よくやりましたね」

 タリスさんがナーを撫でようと手を伸ばす。が、ナーの右手が勢いよくタリスさんを払いのける。

「ナァー! ナァーッ!」

 威嚇するように声を上げるナーにタリスさんは苦笑いだ。

「やっぱり、私には懐いてくれませんね」

「もー、いつも仲良くするように言ってるんですけど……」

「ナァ」

 ぷいっとそっぽを向くナー。一体、タリスさんの何が気にくわないのだろうか。

「ははっ、私にマナさんを獲られると警戒しているのでしょう」

「なっ……!?」

 突然、何を言い出すのだろうか。思わずナーに目を向ける。まだほど近いタリスさんを私から遠ざけまいと手でぐいぐいと押していた。

「ナー、やめなさい。タリスさんに失礼ですよ」

「ナァー!」

 まるで言うことを聞かない子供みたいだ。

「安心してください。マナさんは割と私の好みの女性ですが、従業員に手出しはしませんよ」

 本当、勘弁してください……。

「お世辞はそれくらいにしてください」

「おや、そう捉えられてしまいますか」

 え、もしかして冗談じゃない……?
 しかし、ロムガさんみたいにすごく綺麗なお知合いがいて、わざわざ私に(なび)くこともないのではないだろうか。そう思うと、赤面しそうな頬も熱をいくらか冷ました。

 ちりんっと呼び鈴が鳴る。その音で、私とタリスさんは即座に入口の方へと身体を向ける。

「「いらっしゃいませ、ようこそ魔法店『ノイアッシェ』へ」」

「ナァー!」

 最近、ようやくタリスさんの挨拶に間に合うようになった。店員としての自覚が出てきたというものだ。
 さて、今回のお客さんはどんな方でしょうか。

 視線を上げると、まず黒曜色の艶やかな肌が目に入った。随分と引き締まったスタイルの良い女性だ。周りの彩色を吸収してしまいそうな銀髪は私とそっくりで、鋭い金瞳がまっすぐに私とタリスさんに向けられている。暗色のタイトな衣装は、私がその種族を想像するのにぴったりだ。凛々しい顔つきも前世でゲームの中に登場したまんまで、妙に感心してしまった。

「これはまた珍しいお客様ですね」

 タリスさんがそう言うのも頷ける。私だって、この世界で初めてお目にかかる種族だ。彼女のツンと突き出す耳につい視線が向いてしまう。

 そう、次のお客様は人嫌いで有名なダークエルフ族の方でした。
 今回の依頼人であるダークエルフの女性は、〝ネメリス〟と名乗った。
 凛とした、楽器のようによく通る声色だ。女性の私から見ても、とてもカッコいい。まさに、女性があこがれる女性像を体現したようだ。

「それで、さっそく取引の話をしたいのだが」

 基本的にはお客様との話はタリスさんが進める。私はいつも横で会話を聞くに過ぎない。しかし、今回はタリスさんが表情も変えずに、押し黙ってネメリスさんをじっと見つめる。
 途端に訪れる静寂。
 一体、どうしたというのでしょうか。

「あの、タリスさん……?」

 堪らず声を上げた私の唇に、タリスさんの人差し指がそっと触れる。
 黙れ、ということは伝わった。
 でも、今はお客様の前なんですけど……。いや、お客様の前じゃなかったら、良いとかそういうわけでは……。
 そんな自問を心の中で独り言ちる。
 だって、喋るなと合図されているわけですし。

 じっと、まるでにらみ合うように視線を交わす二人。私は未だに状況が理解できないでいた。

「取引の前に、」

 ようやく、タリスさんが口を開く。
 そして、前置きの後、タリスさんを中心に床一面を大きな魔方陣が広がる。

「――えっ……?」

 肌が粟立つほどの威圧。空気が振動し、棚から本が落下する。今にも魔法を発動しそうなタリスさんの瞳には、明確に敵意が伺えた。
 ネメリスさんはそれを見て、瞬時に腰の短剣に手をかける。
 ナーも先ほどからずっときょろきょろしているし、何が起きているのだろうか。

「店を取り囲むように身を隠した方々は、あなたのお仲間ですか?」

 静かに、低くタリスさんが問う。
 その様に私はちょっとした畏怖を覚える。が、同時に見惚れてしまっていた。

 私を背に隠すように、タリスさんが一歩前へと躍り出た。

 震撼する空気が一層強まる最中、ネメリスさんはそっと短剣から手を離す。そして、いつでも動けるように曲げた膝をゆっくりと伸ばした。

「すまない。敵意があるわけではないのだ」

 彼女の目尻がわずかに下がる。
 ふっと、空気が軽くなった。それでも、まだタリスさんは魔方陣を消さない。

「ご説明を」

「……彼らは私の護衛だ。必要ないと言ったのだが……」

 どんどんしおらしくなっていくネメリスさんを見て、何だかこちらが申し訳なくなってきた。

「護衛、ですか?」

 タリスさんに代わって聞き返す。

「あぁ、私は砂の都カシェットから来たのだ」

 カシェット……聞いたことのない地名ですね。
 とりあえず、この周辺の街町でないことは確かだ。そもそも、ダークエルフは他大陸にしか集落を持っていなかったはず。もしかしたら、ネメリスさんはとても遠いところから来たのかもしれない。
 このお店、一体どこまで噂が伝わっているのだろうか。

 タリスさんを一瞥すると、彼は先ほどまでの殺気を解き、いつも通りの柔らかな表情に戻っていた。
 やっぱり、タリスさんにはこちらの方が似合っていますね。
 私の言わんとしていることがわかったのだろう。タリスさんが難しそうに唸る。そして、ややあって彼は「行けばわかりますよ」と言った。

 この感じ、きっとタリスさんはまた少なからず知っていることがあるなと、私の直感が囁く。
 そんな意地の悪い店長を横目に、私は過去へと潜った。

「いってらっしゃい」

 タリスさんの言葉に見送られ、意識が微睡む。結局、身体の自由が利かなくなり、またタリスさんに肩を借りる羽目になってしまう。

 ぐにゃりと歪んだ視界が暗転し、程なくして小さな気泡の群れが私を包み込んだ。

 今回、私がしなければならないことは二つ。
 ダークエルフの秘魔法の調査。そして、ネメリスさんが『擬態』の魔法を買う資格のある方なのかの調査。
 おっと、そもそもネメリスさんがどんな人なのかも調べる必要がありますね。

 魔法の等価交換を持ちかけてくるお客様は少なくない。
 タリスさんが定める魔法の価値が違う場合は別途差額が出るのだが、今回に関してはダークエルフの秘魔法の方が『擬態』よりも価値が高いと判断された。

 一体、ダークエルフの秘魔法とはどんなものなのでしょうか。
 私が過去で得た情報と、タリスさんが売り手本人から直接聞いた内容が一致した場合のみ、正式に問題なしと判断される仕組みだ。
 誰も、私が時流しの魔法で過去を調査できるとは思うまい。傍から見れば、調査するとか言って急に眠りだすおかしな店員だ。
 嘘を炙り出すことは重要。嘘をつく人は信頼に置けない、というのが店の本意だ。

 それにしても、砂の都ですか。やはり、砂漠なのでしょうか。
 まだ見ぬ世界の景色を想像し、胸が躍った。

 さて、今回の旅はどんな出会いが待っているのでしょう。

 ふっと意識が覚醒する。今回も問題なく過去へと飛べたらしい。
 ぼやける視界に人工的な灯りが浮かぶ。どうやら、室内のようだ。

「ナァーッ!」

 鋭い耳鳴りの奥から微かにナーの声が聞こえた。徐々に、喧騒が身を包んでいく。
 ゆっくりと、身体を起こした。

「ふぅ……さて、今回の出発地点はどこになりまし――」

「――侵入者だー! 捕えろー!」

 四方八方から突きつけられる無数の槍。

「んぇ!?」

 我ながら間抜けな声が出る。
 晴れた視界に映るのは、きらびやかな広いホールで私とナーを取り囲む無数の甲冑を着た人たち。長い赤絨毯の先には、玉座と思しき絢爛な椅子に座る一人の若い男性。横には執事か宰相のような初老の男性が何人か、固唾を呑んでこちらを伺っている。

「貴様、どこから現れた!」

 なるほど。なんとなく状況は把握できました。

「えっと……」

 動かない脚を二度擦る。最近決めたナーとの合図だ。瞬間、ナーは私の首根っこを掴み、高く飛び上がる。

「とりあえず、逃げましょう!」

「ナァー!」

 どうやら、今回も一癖ありそうな旅になりそうです。
 砂の都――カシェット。
 そこは一帯を砂漠に囲まれた都市だった。『ノイアッシェ』のあるリムガシアの街から、海を跨いだ西の大陸に存在する小さな一国だ。
 ついに、大陸すら飛び越えて旅が出来るとは。感無量ですね。……開幕王城に召喚されて、犯罪者扱いになってしまいましたが。

「あ、暑すぎる……」

 私は着ていたタリスさんとお揃いの魔法ローブを脱ぐ。店員着らしいが、実はすっごく高価な物だと私は知っている。きっと、タリスさんのご厚意なのだろう。
 あの人はどうせ、「従業員の安全のためですので」とか言いそうだけど。素直に嬉しかったりする。

 じりじりと照り付ける熱波をかいくぐり――あと、追手の兵士たちを振り切るために、裏路地へと転がり込む。

「ナァー……」

 ナーも暑いのは苦手らしい。猫だから、当然か。

「しかし、困りましたね……。いきなり動きづらくなってしまいました」

 兎にも角にも、ネメリスさんを見つけないといけない。私の過去旅行はいつも、対象を探すかくれんぼから始まるのだ。
 陽炎の揺らぐ表通りを覗き見る。どうやら、ナーの素早い移動のおかげで追手は撒けたらしい。

「ナー、行きましょう。夜までに色々と進めておきたいのです」

「ナァー……」

 ナーが渋る気持ちもわからなくない。ひび割れた砂地の地面と雲一つない快晴過ぎる空。
 世界は広いですね。

「冷たいものが売っていたら、買ってあげますから。早く行きますよ」

 ひとまず、街を散策してみることにした。まっすぐ、外壁まで直進してみる。
 王城は大抵、街の中心にそびえることが多い。王城から外壁までの距離で、おおよその国の大きさがわかる。
 これは私がこの一か月で、色んな国を巡って得た知見だ。

 思いのほか、すぐに決して高くない防壁が見えてきた。つくりも甘く思える。きっと、外敵があまり存在しないのだろう。そんな想像も、容易につく。

 周りに人の目が無いことを確認し、ナーに壁を飛び越えてもらう。

「これはまた壮観ですね……」

 街の外はどこまでも続く砂、砂、砂。地平線の隅々まで見渡しても、灰色がかった薄い黄色が広がっていた。
 砂丘が至る所で凸凹を成し、確かにこれでは外敵の心配をする必要は無さそうに感じる。

「サボテンとか生えてないんですね。流石にピラミッドもありませんか」

 私の浅い砂漠へのイメージ。仕方がない、前世を含めて初めての景色なのだから。

「ナァー?」

「ふふっ、何でもありませんよ」

 高く昇ってもらい、街を一望する。

「何だか、奇妙なつくりですね」

 というのも、振り返った先は一面の砂漠というわけではなかった。色どりに欠ける街並みの先に、鮮やかな緑が茂っている。森と呼ぶには規模が小さい。なんせ、そのさらに奥にはやっぱり砂塵が見える。

 一帯が乾ききった世界で、そこだけは不自然なほど瑞々しい自然に満ちていた。

「とりあえず、行ってみましょうか」

 滲む汗を拭い、ナーを促す。
 それにしても、今回は過酷な旅になりそうですね。
 むしろ、陽が落ちてから動いた方が良いのかもしれない。

 街を横断し、目的の緑の地へと向かう。

「ナー、止まってください」

 私が言う前に、ナーは既に私の身を建物の陰に隠すように動いていた。
 流石、私の相棒です。

「何でしょうか……随分と厳重な見張りですね」

 林地を含めての街だと思っていたが、どうやら違うらしい。むしろ、林地を阻むように外壁がつくられている。そして、そこには何人もの見張りの兵士が目を光らせていた。

「ふーむ……何だか益々気になってしまいますね」

 林地を重要な場所としているのなら、その見張りの配置には納得だ。しかし、林地を阻むように建てられた外壁。
 もう一度、上空から眺め見ても、林地と砂漠の境目は壁以外に特に何か建てられているわけでもない。ただ、そこに存在しているだけの木々の集まりだ。

「エルフと種族名に入っているくらいですし、どうしても気になりますよねぇ」

「ナァー」

 ここまで結構な種族の方とすれ違いはしたが、ダークエルフは一人として見当たらなかった。しかし、ネメリスさんはこの国にいるはず。やっぱり、こんな絶好の違和感ある場所は見過ごせるはずがない。
 とはいえ、流石にこの見張りの数では動きようがないですね。
 砂漠側から回り込んでもいいのだが、どうやらナーが限界そうだ。

「仕方ありません。明日に備えましょう」

 この暑さで一日飛び回ってくれたのだ。目いっぱい労ってあげなければならない。
 宿を取り、その足で酒場へと向かう。この一か月でわかったことその二、情報は酒場で得るべし、だ。
 酒場には現地の人、そして外から来た人が入り乱れている。ちょっと怖そうな冒険者や、流れの商人、中には危なげな職業の方々もちらほら。

 ひとまず案内された席に着く。今日はまだ時間があることだし、焦る必要もない。

「ナー、今日もありがとうございました。好きなもの頼んでいいですよ」

「ナァー!」

 小さな身体のどこにそんな入るのか、と毎回思うほどナーはたくさん食べる。しかも、野菜からお肉、魚まで何でもだ。
 絶対、猫に与えてはいけないものも食べているのだろうけど、まあケット・シーですし。

 しばらく、豪快に貪るナーを眺め見ながら、周りの席の会話に耳を立てる。が、取り立てて有用な話は無さそうだ。

「ナー、それ食べ終えたら、情報を取りに行きますよ」

 ナーが皿の隅々まで綺麗にしたのを見て、合図する。

「あの方々にしましょう」

 酒場の端のテーブルに向かう。私が選んだ人たちは、少し年を重ねた男性四人組。風貌からして、冒険者では無さそうだし、恐らくこの街に住む人たちだ。
 私が欲しいのは、外界の情報じゃない。この国の内情について。それにはこの街に住む人に訊くのが一番効率的だ。

「あのー、すみません」

 四人が一様に振り向く。そして、私を見て目を見張るのだ。
 やれやれ、やっぱりどこでも同じ反応をされますね。
 どこか、黒猫に首根っこを掴まれている少女を見ても、何も疑問すら持たないでいてくれる国は存在しないものだろうか。

「ど、どうしたんだい、嬢ちゃん」

「少しお尋ねしたいことがありまして」

 ニコッと必死に練習した笑みを零す。この一撃で、男性たちは私を見る目をがらりと変える。
 本当、見目美しく転生させてくれた神様に感謝ですね。

 念のため、ウェイターに声をかけて彼らに一杯ずつ酒を振る舞う。情報とは、見た目と金で買い取るものだ。

 何だか、偏った知恵ばかり身について行っている気がするのは、気のせいでしょうか。

「それで、嬢ちゃんは何が訊きたいんだい?」

「そうですね。私はこの街に来たばかりでして、国の内情だったり、後は――」

 小一時間、彼らに話を伺って酒場を後にする。
 随分と長居してしまったようで、外はすっかり帳を降ろしていた。昼間の茹だる様な暑さとは打って変わって、かなりの冷え込みだ。

 欲しかった情報も得たことだし、今日は流石に引き上げるとしましょう。
 宿は酒場が点在する南区とは違い、西区に取っていた。昼間は結構な人がいたが、夜は見回す限り静寂に包まれている。この街では娯楽が乏しいのだろうか。街によって昼の顔も夜の顔も変わるのは、実際に巡ってみるとよくわかる。

「ナァー……」

 突然、ナーがぴたっと動きを止める。

「どうしましたか?」

「ナァー、ナァー」

 どうやら、前を見ろと言っているみたいですが……。
 私の前方には真っ暗な闇が広がっているだけだ。明かりと言えば、私の持つ手元のランプが照らす範囲だけ。
 じっと、目を凝らしてみる。すると、暗闇の中をこっそり動く人影が見えた。

 猫って、本当によく夜目が効くんですね。

「こんな時間に明かりも持たずにどうしたんでしょうか……」

 物陰に入る振りをし、ランプをそっと消す。
 その人影は、西区の奥へとこっそり足を運んでいるらしい。というのも、明かりを消したせいで、私の視界は人影を捉えることが出来ない。
 暗闇の中でもしっかり見えているナーに尾行してもらっているのだ。

 そして、その人物は突き当り、つまり外壁に備え付けられた門の前で足を止めた。左右に付いたかがり火がその人物を照らす。

 あれ……? あの人は……。

「ナァー……」

 ナーも見覚えがあるみたいだし、やっぱり思い違いということではなさそうだ。
 質の良さそうな外套を羽織り、腰には装飾の施された鞘がちらりと見える。この国では珍しく日に焼けていない肌。そして、手入れの行き届いた金色の髪。
 間違いない、王城の玉座に座っていた人だ。
 この一か月で得た知見その三、面倒事に首は突っ込むな。こっそり、眺め見るべし。

「仕方ないですね。残業と行きましょう」

「ナァー……」

 気怠そうな反応。ナーには申し訳ないですね。しかし、流石に見過ごせない状況なのです。

 男性はきょろきょろと周りを伺い、見張りが席を外していることを確認すると、こっそり門をくぐって林地へと足を踏み入れた。

「追いますよ」

「ナァー……」

 玉座に座っていたということは、つまりあの男性はこの国の王様ということだろう。そんな重要人物が、こんな夜更けに護衛の一人も無しにいるのだ。何かあるに決まっている。

 外壁を飛び越え、林地へと踏み入る。いや、浮かび入る。
 そこはひんやりとした清涼な空気で満ちていた。まるで、全く違う場所へと急にワープしてしまったみたいだ。明らかに、空気の質が外壁を境に変わった。

 さて、王様はどこに行ったのでしょうか。

 もちろん、林地の中は真っ暗だ。木々に阻まれ、ナーにも見つけられないらしい。
 すると、前方から小さな明かりがぽうっと浮かぶ。

「こっそりですよ。お願いします」

 小声でナーに頼む。草木を上手く避けて、音を立てずに光源へと近づくと、やがて小さな話し声が聞こえてきた。どうやら、誰かと密会しているようだ。

 地面に降り立ち、盗み聞く。

「ようやく会えたな。五日ぶりだろうか……。相変わらず、お前は美しい」

 なーるほど……。どうしましょうか、急にものすごい罪悪感がこみ上げてきました。
 流石に男女の逢引きに付き合う必要もないだろう。私からすれば虚しいだけだ。
 その場を離れようとしたその時、私は相手の女性の声を聞いてピタッと動きを止めた。

「リンデルも相変わらず世辞が上手だ」

 凛としていて、明瞭度の高い声色。私はその声に聞き覚えがある。
 大木の陰からこそっと見る。やっぱり、そうだ。

「これは世辞などではない。本意だぞ――ネメリス」

「ふんっ、会って間もない頃は散々な物言いだったではないか」

 一人のダークエルフと一人の人間は、肩を寄せ合い、互いを見つめ合っていた。

「あ、あれはその……いわゆる照れ隠しだ。本当は一目惚れだったのだ」

「ふっ、まあいい。今日も会いに来てくれたことに免じて許そう」

 ……いや、いいんですよ。存分にいちゃついてください。私としては、ネメリスさんを見つけられて万々歳なのですから。
 そうですとも。決して、羨ましいとか思っていませんよ。これっぽっちもです。

 感覚すらない脚に触れる。

 こんな脚では、恋愛なんて出来るはずがありません。前世でも、この世界でも。不完全な私を愛してくれる人など、いないのでしょう。

 感傷的な思いを切り離し、冷静に考える。
 酒場の男性たちから聞いた話では、この街はダークエルフの森を解体してつくられた場所らしい。それこそずっと昔の話、互いに戦乱に明け暮れていた時のことだとか。
 つまり、人間とダークエルフは争い合い、勝利した人間がダークエルフの棲み処の一部を奪い取ったということだろう。
 そして、二種族の禍根は今でも根強いらしく、互いに接触を禁止し合っているほど。お隣さん同士なのに、ものすごく仲が悪いのだ。

 そんな状況で、彼らが逢引きに会っていると。何だか、話が見えてきたような気がする。

「それで、この前話したこと、考えてきてはくれただろうか……」

 真剣な眼差しでネメリスさんを見つめるリンデルさん。
 本当、盗み聞きなんてしてごめんなさい。

「あ、あのことは……。すまない。やっぱり無理だ……リンデルと婚姻は結べない……」

 まぁ……!? そこまで発展したお話なのですね。

「どうしてだい!? 僕は絶対に君を幸せにしてみせるよ!」

「……リンデルは王だ。そして、私はダークエルフ族の族長の娘。ゆくゆくはその座を継ぐことになる」

「人間とダークエルフはわかり合えるよ。僕たちがその証じゃないか!」

 若いですね。きっと、ネメリスさんはもっと大きな話を、現実の話をしている。リンデルさんの言いたいことはよくわかる。しかし、凝り固まった風習を正すことほど面倒なことはない。

「それこそ、暴動が起きるぞ。カシェットにも多くの過激派がいるのと同様、ダークエルフの中にも隙あらば戦争を仕掛けようとする馬鹿者も多くいる。そんな奴らが私たちの婚姻など、受け入れるはずがない……」

「それは……」

「お前は私たちのために民に血を流させると言うのか……?」

 これは完全にネメリスさんが一枚上手ですね。
 しかし、そう言いながらも寄せた肩を離せないことが、ネメリスさんの心情をしっかりと現している。彼女もまた、本意ではリンデルさんと一緒なのだ。それを互いの地位と環境が邪魔をする。
 いっそのこと、責務を投げ出して二人で駆け落ちが出来るのなら、どれだけ幸せなのでしょう。

「――話、長い……」

「ナァー」

「そうで――えっ……?」

 真横を振り向く。そこに少女がいた。あの変な果実を手に持ち、白い角をローブに隠したパンダさんだ。

「――ッ!?!?」

 とっさに大きな声が出そうになるのを、パンダさんの手が私の口を塞いで阻止する。しかし、その際に足元の草がわずかに音を立てた。

「――誰だ!?」

 ネメリスさんがばっと立ち上がる。その矢のような瞳がまっすぐにこちらの方角を向いていた。幸い、姿は見られていないようだけど、これは非常にまずい。
 どうしましょう……!? バレるのも時間の問題です……。

「ナァー!」

 不意に、ナーがいつものように声を鳴らす。

「……なんだ、猫か」

 ネメリスさんはほっと胸をなでおろし、再びリンデルさんの横に座る。
 なんて古典的なのでしょう……。いや、本当に猫なんですけどね。 

「ど、どうしてここにパンダさんがいるんですか……!」

 超小音で尋ねる。

「……たまたま」

「そんな馬鹿な……」

 相変わらず、神出鬼没のよくわからない少女だ。何か怪しく感じるのは彼女が魔族ということだけじゃないだろう。だって、偶然にしては出来過ぎている。

「ぼ、僕は本気だ!」

 リンデルさんの大きな声で意識が引き戻される。どうやら話が進んでいたようだ。彼の手にはどうしてか、今まさにパンダさんが横でむしゃむしゃと食べている果物とまるっきり同じものがあった。

「これはエルフ族から取り寄せたウルの実だ。一口かじれば、龍すらも卒倒する猛毒……」

 えっ? それ本当ですか……?
 チラッとパンダさんを一瞥する。すると、彼女は得意げにその黒紫色の果肉を口に運ぶ。
 うわぁ……。

「なぜ、そんなものを持ってきた」

「……僕はネメリスを愛している。ネメリスはどうだい?」

「そ、それは……。私だって、」

 二人が居たたまれなくなってきました。悲しいお話ですね。

「なら、僕はネメリスに命だってかけるよ。その証だ。ズルいのはわかっている」

 長く息を吐き、リンデルさんが大きく口を開ける。その瞬間、私は飛び跳ねるくらい焦った。今、まさに猛毒を食らおうとしているのだから。

「よ、よせっ!」

 ネメリスさんが止めようとするも、既にリンデルさんの歯はウルの実の皮に触れていた。

「だ、駄目だ……。そんなの駄目だぁあっ!」

 ネメリスさんの手がウルの実に触れる。
 刹那、魔力の気配がした。ネメリスさんの手とウルの実が鮮やかな紫色に輝く。暗闇を切り裂く、鋭い光だった。

 そして、リンデルさんが意を決してウルの実を大きくかじる。
 思わず立ち上がってしまいそうになり、パンダさんに袖を引かれた。彼女はまさに猛毒の実を食らったリンデルさんをぼんやり見ているに過ぎない。

「大丈夫。もう、あれ毒ない」

 私がかがむのと引き換えに、パンダさんがすっと立ち上がる。

「パンダさん……?」

 彼女は私を見下ろし、小さく笑みを零す。

「また、会おう」

 そう言い残し、彼女は木々の奥へとぺたぺた歩いて消えてしまった。
 またですか……。
 相変わらず、おかしな魔族だ。しかし、やっぱり悪いようには見えなかった。
 実際、二回とも私は何もされていないわけですし。

「ナァー」

 ナーが鼻を手でくしくしと搔いている。この距離でも、ナーにはウルの実の臭いが伝わるのだろう。
 視線を戻すと、リンデルさんはひどく顔を歪めていた。しかし、それだけだ。倒れるとか、嘔吐するとか、そう言ったことは起きていない。
 そこでようやく、私は自分がここにいる意味を思いだす。

「そうか、あれがダークエルフの秘魔法なのですね」

 触れたあらゆるものを浄化する魔法。それがダークエルフの秘魔法の正体だった。だとすると、この神聖さすら感じる空気も納得がいく。
 間違いない。ネメリスさんはウルの実に対して魔法を行使したのだ。

「何をしているんだ。この馬鹿者……! ウルの実を食べるやつなんて、聞いたこともないぞ!」

 ネメリスさんの瞳が手元の輝きに合わせて潤いを浮かべる。

「これが君の答えということでいいのかい?」

「それは……」

 ネメリスさんは黙り込んでしまう。きっと、今も心の内で激しく葛藤しているのだろう。その様子を見て、リンデルさんが口を開く。

「なあ、ネメリス。東の大陸には魔法を売ってくれるおかしな店があるらしい」

 ……おや? ここで『ノイアッシェ』のことが話題に上がるとは予想外です。

「それがどうかしたのか……?」

 リンデルさんはネメリスさんの肩に手を添え、意を決したように言う。

「――二人で、世界を騙さないか……?」
 微睡む意識から覚める。懐かしさすら感じるようになった魔法の香りがする空気に、疲れがどっと浮かぶ。

「おかえりなさい」

 いつも通り、タリスさんが傍で迎えてくれた。
 私は返事をすることも忘れ、先ほどまでのネメリスさんリンデルさんの会話にぼんやり思い返していた。
 中々、難しい話だ。帰って来たものの、まだ私の中で結論は出ていなかった。

 ――二人で、世界を騙そう。

 その言葉から先の内容が、どうしても客観的に受け止められなかった。

「姿かたちを変える『擬態』という魔法がある。ネメリス……どうか僕のために人間として生きてはくれないだろうか」

 リンデルさんは苦しそうに告げる。この人もまた、何も考えていないわけではないのだろう。たくさん葛藤して、悩み抜いて、出した結論はどんなことをしてでも、ネメリスさんと添い遂げたい。その一心なのだ。
 リンデルさんの言葉にネメリスさんは困惑の色を浮かべた。

「あまり、話が見えないのだが……」

「数の少ないダークエルフに僕がなるのは流石に無理がある。その点、人間は数多といる。貴族の一人や二人、偽造することだって僕ならできる」

 ……まあ、こうやって聞くと良いことではないのは確かなんですよね。でも……。

 トンっとタリスさんの肩に頭を乗せる。どうせ、いつも過去に潜る時は借りているのだ。少しくらい、私に考えをまとめさせる安定材料として使わせてもらおう。

「あの、マナさん……」

「どうしましたか。私は今、タリスさんにお力を貰っているのです。駄目ですか?」

「駄目ではないのですが……。その、お客様の前ですので」

 瞬間、私は勢いよく身体を起こす。まるで、ねじ曲がったばねが強く戻るような勢いだ。
 耳まで真っ赤に染まる私に、ネメリスさんが戸惑いがちな笑みを向ける。

「あ……えっと、その……」

 言葉が出てこない。というか、完全にネメリスさんがいることを忘れていた。
 何だろうか、このやり返された感。今回は過去で本人と接触していないから、時流しの魔法の辻褄合わせは起きていないはずなのに。

「二人は仲が良いのだな。いいではないか、恥ずかしがることではない」

「あぁあああっ……!? 本当にすみませんでした……。何といいますか、お見苦しいところをお見せして……」

 こればっかりはタリスさんも苦笑いを浮かべる。
 私、一体何をしているのでしょうか。

「それで、早かったですが、ちゃんと調査はしてこれましたか?」

 急に話を戻され、余計に感情がぐちゃぐちゃになってしまう。

「それなんですが……」

 次の言葉が出てこない。ダークエルフの秘魔法を買い取ることは何ら問題はない。しかし、『擬態』の魔法を売っても良いのか、その決断はまだしかねていた。
 ネメリスさんを一瞥する。すると、彼女は少し悲し気な自虐じみた笑みを浮かべた。

「タリス殿から訊いた。見てきたのだな。私の過去を」

「はい……」

「ならば、私はマナ殿の決断に従おう。何ら、異を唱えることもないと誓う。私自身、ここまで来てしまったものの、答えの出しようがないのだ」

 微かに彼女の手は震えていた。
 半端な気持ちで答えられる話じゃない。
 大きく深呼吸をして、未だに暴れる心臓を沈める。

「もう少し、お時間をください」

 結局、私にはまだ考える時間が必要だった。


 宵闇に包まれる小川を眺め、ため息が零れ落ちる。ここに来た時には夕照にすら染まっていなかったのに、どれだけこうしていたのだろう。
 いつの間にか膝の上で丸まって眠るナーを起こすのも気が引けて、身動きが取れない。
 ……いや、そんなのは言い訳に過ぎない。結局、私は自分の中で答えが付かない限り、『ノイアッシェ』には戻れないんだと思う。
 ネメリスさんとその護衛の方々には一日だけ待ってもらうことになった。だから、明日までに結論を出さなければいけない。

 タリスさんに相談することも考えた。あの人のことだ、きっと親身に相談に乗ってくれるだろう。しかし、元々彼は私を信じてこの仕事を任せてくれているのだ。だから、私なりの答えが出たうえで、タリスさんに事を告げたい。

「こんなところにいたのですか」

 本当、間が悪い。今、独りで考えるべきだと再度、決心を固めたばかりなのに。

「タリスさん……」

「探しましたよ。いくら経っても戻ってこないので、心配しました」

「ご、ごめんなさい。つい、ぼーっとしてしまって……」

 タリスさんは少し間を置き、隣に座った。そして、私と同じように川辺を眺める。

「ネメリスさんに大方の事情は伺いました。そのうえで、きっとマナさんが悩んでいることも予想が付きます」

「そうでしたか。見ての通り、すごく悩んでいます……」

 タリスさんはそっと私の膝の上のナーを撫でる。流石にナーも寝ていれば無防備だ。

「私なりの結論を述べてもいいのですが、それでは意味がありません。私はたとえ、マナさんが出した答えが私の考えと違くとも、マナさんの意見を『ノイアッシェ』の総意とします」

 すっと私の心の奥までタリスさんの瞳が射抜く。

「タリスさんはどうして、そこまで私を信用してくれるのですか……?」

 私の質問にタリスさんは微笑みで返した。
 そして、タリスさんは手元で魔方陣を浮かび上がらせる。小さかった魔方陣が、魔力を放ちながら拡大し、すっと空気に溶け込む。
 一拍置いて、水中を小さな光球が浮かんだ。その光は瞬く間に無数に広がり、形を変える。色とりどりの光輝く魚の群れが、小川を踊るように回遊する。
 その様子に、私は目を奪われた。
 優雅に泳ぐ魚たちが、パシャっと水面を飛び跳ね、そのまま今度は輝く小鳥となって、私とタリスさんの周りを飛び回る。

「綺麗……」

 無意識に口を衝いていた。
 タリスさんはそんな私に柔らかな顔を向けて、尋ねる。

「マナさん、この一か月どうでしたか?」

「と言いますと?」

「色々な場所を巡り、景色を見て、たくさんの人々とふれあって、何を感じましたか?」

 その言葉に濃密な一か月が思い返される。
 そうか、私はまだ『ノイアッシェ』で働きだして、一か月しか経っていないんですね。
 それにしては、随分と色々なことがあった。たくさんの魔法を見たし、人の良いところ、悪いところにもいっぱい触れた。

「私が何よりも信頼に置いているのは、マナさんが見て、感じた全てのことです。そうして出した結論に、誰が異を唱えられるというのでしょうか」

「ナァー!」

 いつの間にか、ナーが起きて私を見上げていた。

「難しく考えなくてよいのです。マナさんが過去を体験して、その上であなたが望む未来を思い描けばいい。そうすれば、自ずと答えが出ると思いますよ」

「私が、見たい未来……」

 すっと浮かんでしまった。あの二人の姿が。
 そうして出した結論が正しかったのかは、やっぱり良くわからない。けれど、次の日、少なくとも私は笑顔でネメリスさんを見送ることが出来た。
 ネメリスさんの一件があってから随分と日付が経ち、相も変わらず私は過去を飛び回っています。しかし、ここ数日は珍しく暇な日々が続いていました。

 時間がありすぎて、タリスさんが散らかしたカウンターもすっかり綺麗になってしまった。そのせいか、タリスさんはちょっと居心地が悪そうだ。汚したら、また私に怒られると思っているのだろう。
 まあ、その通りですけど。

 カウンターにぐにゃりと垂れる。ガラス窓から射し込む陽気な気配に、思わず二人のことを考えてしまう。

「気になりますか? ネメリスさんのこと」

 不意にタリスさんが言う。
 やっぱり、心の内を読む魔法は存在する。絶対に、今使われた。

「気にはなりますが、あまりお客さんに深入りするのもどうかと思いますし」

「そうですか、せっかくネメリスさんから手紙が届いたのですが」

 タリスさんが既に手紙を広げて読んでいた。

「……読み終わったら、私にも見せてくださいね」

 彼がちらっと私を見る。そして、手紙を二つに閉じた。

「いえ、マナさんは実際に見てくる方が良いと思います」

「見てくる……?」

「はい、時流しの魔法はだいぶ使い慣れましたね? 今なら、意識すれば正確な日付を指定して飛べるはずです」

 そうだったのか。
 てっきり、完全にランダムな年日に飛ばされると思っていました。

「でも、それって職権乱用というやつなのでは……?」

「おや、そんなことありませんよ。お客様のアフターケアもサービスの一環です」

 物は言いようですね。しかし、タリスさんの厚意は素直に受け取っておくとしましょう。

 私は逸る心を抑え、遥か西の国へと飛んだ。


 真っ先に向かったのはもちろん酒場だ。昼間から飲んだくれている人を適当にひっ捕らえて話を聞く。

「ちょうど今日、この後王城で王妃様のお披露目があるらしい。婚約者はずっと秘匿にされていたから、皆こぞって見に行ってやがるよ」

 なるほど、だから昼間とは言え、酒場はガラッとしているわけだ。

「ありがとうございます。私も行ってみますね」

 酩酊した男性の視線が、私をつま先から頭までするっと流れる。

「嬢ちゃん。ダークエルフには気を付けな」

「……はい。ご忠告ありがとうございます」

 やっぱり、この街の住人とダークエルフの禍根は思ったよりも根強いらしい。私は事情を詳しく知らないし、これ以上首を突っ込むつもりもない。というか、過去改変に繋がってしまうから、私は手出しが出来ないわけだ。

 王城へと向かうと、そこには溢れんばかりの人だかりが出来ていた。人が多いと、猫に首を鷲掴みされている私はいつも以上に注目を集めるわけで、すごく居心地が悪い。

 しかし、いくら人が多いと言っても何やら見られすぎな気が……。

「おい、例の侵入者だー!」
「捕らえろ!」

 あー、なるほど。すっかり忘れてました。

「ナー……早く逃げてくださいぃいい!」

 言い終わる前に、ナーがとんでもない速度で広間を駆け抜ける。

 そう言えば私、この国ではお尋ね者でした。

 ナーは広間の端にある大きな時計台の壁を垂直に昇る。そして、やがて宙に浮遊するように動きを止めた。

「――皆の者、よく聞いてくれ!」

 魔法で拡声された男性の声が、広間中を響き渡った。皆の意識が私から、王城の方へと向く。
 厳かに着飾ったリンデルさんがそこにいた。あの夜の、少しナヨナヨした彼と同じ人物だとは思えないほど、凛とした表情だ。広間を端からゆっくり眺望し、その威光を民に振りまく。

「これはギャップ萌えというやつでしょうか」

「ナー?」

 そして、リンデルさんの横には見知らぬ女性が煌びやかな白いドレスを身に着け、寄り添っていた。
 いや、知らないわけではない。間違いなく、あれは『擬態』を使ったネメリスさんだ。白磁の肌に、長くない耳。射るような鋭い目つきは、丸っとしたものに抑えられている。
 どこから見ても、人間の彼女がそこにいた。

 彼女はリンデルさん同様、広間を一望し、そして最後に上空を浮かぶ私にその視線を向ける。

「お綺麗ですよ、ネメリスさん……」

 聞こえるはずもないのに、彼女は柔らかく微笑んだ。

「今日は、私の妻となるものを紹介したい!」

 リンデルさんの声をかき消すように、広間から歓声が広がる。
 良き王様なのですね。

 やっぱり、これで良かった。そう思わされるほどに、人々の表情は明るかった。

「先代が崩御し、私が王の座を継いだとき、皆は不安に思っただろう。実際、私が成したことは多くない。しかし、それでもここにいる人々は、私に付いてきてくれた! 深く、感謝する」

 リンデルさんの口上に広間からの歓声はより大きいものとなる。やはり、彼には王としての才覚がある。そう感じざるおえない。

「――だからこそ!」

 ひときわ大きなリンデルさんの声が、歓声を貫くように放たれる。その圧に場の空気が締まった。まるで何か起きる前のような静けさが広間に広がる。
 全員がリンデルさんの言葉を待っていた。

「……だからこそ、私は皆に嘘をつくことは辞めにしようと思う」

 ざわっと少し緊張感が増す。

「私はこの国と、民草と、ここにいるネメリスと共に歩んでいく。そして、潜んで見ているであろう隣人の民にも、よく聞いてほしい」

 魔力が満ちる。
 ネメリスさんを眩い光が取り囲んだ。その光が消え落ちると同時に、広間がどよめきの声で埋まる。

「おい、あれはダークエルフじゃないか!」
「どういうことだ!?」

 そんな声が、至る所から聞こえてくる。どんどんと増幅する疑念の声に心が痛んだ。
 ――でも、ネメリスさんはすごく、すっごく綺麗だった。
 リンデルさんの、ネメリスさんの毅然な沈黙が、人々の言葉を奪う。まるで、ここにいる全員が二人に見惚れているみたいだった。

「過去のことを忘れろとは言わない。納得できない者がいることも承知だ。……長い間、いがみ合ってきた相手と、いきなり手を取り合えなどと言うつもりもない」

 静かな、落ち着いた声だった。

「しかし、私は隣人とも良好な関係を築きたい。私とリンデルがわかり合えたように、いつか、人々とダークエルフが互いに認め合って共存出来る、そんな国にしたい。そのための努力は惜しまないとここに誓う。――どうか、私のわがままに付き合ってはくれないだろうか」

 広間を沈黙が満たす。
 その張り詰めた空気を切り裂いたのは、幼い少女だった。

「王女様、綺麗!」

 あどけない、純朴な言葉だった。
 瞬間、驚くくらい空気が軽くなったのが肌でわかる。

「いいぞー、王様!」
「昔のことなんて水に流せー!」
「王女様ー! お美しいですよー!」
「俺もダークエルフと結婚したいー!」

 まるで何かが弾けたように、今日一番の歓声が巻き起こる。その様子を見て、私は自然と肩を竦めていた。
 結局、一部の人の声が大きく聞こえてしまうのはこの世界でも同じこと。大勢はリンデルさんと同じ思いだったのだろう。ただ、それを口に出来ない雰囲気があっただけだ。

「やれやれ、してやられましたね」

 まさか、『擬態』の魔法すらダシに使われるなんて。
 最初からダークエルフと結婚すると言えば、ここまで認められていたのかは定かじゃない。彼らが皆に嘘をつかないという、真摯な姿勢を見せることが重要だったのだ。

 ダークエルフの民がどう感じるかは、私にはわからない。過去のことは見に行けても、未来のことは知りようがない。けれど、きっと大丈夫だろう。
 この国はダークエルフと手を取り合って、ますます発展する。砂の地に囲まれようと、豊かで、笑顔の絶えない素敵な国になるのだろう。
 ネメリスさんの幸せそうな表情を見て、私はそう結論付けた。
 連日、暇続きだ。
 私は店のカウンターに伏し、すやすやと眠るナーを撫でる毎日。退屈過ぎて、このまま溶けてしまいそう。

 店に閑古鳥が鳴いているというわけではない。むしろ、先月に比べ、お客さんは圧倒的に多い。ただ、私が過去へと飛ぶ機会が少ないのだ。
 そうなっているのには訳がある。

 何でも、魔王とやらが勇者によって倒されたらしい。

 ちなみに私は全然詳しくない。ここは異世界。前世のインターネットのように、そうたくさんの情報はすぐには回らないのだ。
 勇者が戦う地についていける者など限られているわけで、そもそも誰も勇者の功績を正しく理解していない。

 しかし、長年音沙汰の無かった勇者が、この度、魔王を討ち滅ぼして堂々と帰還したらしい。めでたい話だ。この街でも数日間はお祭り騒ぎだった。
 では、どうして魔王が倒されたことによって、『ノイアッシェ』にお客さんが増えたのか。

 理由は単純明快。多くの人が勇者に触発され、憧れたからだ。
 だから、ここ最近は魔法の買い取りではなく、販売がとても多い。しかし、魔法とはものすごく高価な代物。安価で売られているのは一部の生活魔法だけだ。それでも、おいそれと手が出る金額じゃない。
 大抵の人がここにきて、タリスさんから魔法の値段を聞いてそのまま店を後にしていく。
 需要に対して、供給が圧倒的に足りていないのが『ノイアッシェ』の現状。そもそも、一般庶民を対象としたお店ではないから、世間の浮足立った空気が落ち着くのを待つほかない。

 よって、タリスさんは忙しいけれど、私はとても暇なのです。

 ちりんと呼び鈴が鳴る。
 おや、困りましたね。今、タリスさんは買い出しに出ているのですが。

「いらっしゃいませ、ようこそ魔法店『ノイアッシェ』へ」

 そうは言っても、私はこのお店の従業員です。接客はしっかりしなければいけません。
 自慢の笑みでお客さんを迎え、私は思わず口角が歪にひくっと上がった。
 全身を黒ローブで隠し、口元にさえ烏色のマスク。ローブ越しに覗く剣の鞘だけが白金色でバランスが悪い。
 怪しさが限界突破している人を前に、私は思わず言葉を失ってしまった。

 まさか、タリスさんがいない時にこういったお客さんが来るとは。
 お客さんはローブから微かに覗く黒曜色の瞳で店内をじっくりと見回す。

「ここが噂の店か。うん、とても良い雰囲気だ」

 マスク越しに発された声はとても優しく、思わぬ誤算だ。やっぱり、見た目で人を判断するのは良くない。

「当店のご利用は初めてですか?」

「あぁ、噂は耳にしているが、良ければ教えてもらえるかな。――あっ、その前に、このお店って衛兵とか、貴族とか来ない?」

「お客様として貴族の使いの方が来店されることはございますよ」

「そうか、どうしたもんかな……」

 顎に手を当て、考えるように視線を下げるお客さん。その様子を見て、私はナーを呼び出す。

「ナー、表の看板をひっくり返してきてもらえますか? 念のため施錠もお願いします」

「ナァー!」

 怪しい人……では依然あるのだけれど、多分、危ない人ではないと思う。このお店で働き始めてから、私は人を見る目が成長しすぎている。
 そもそも、このお店を悪用しようと考える人はわざわざ、怪しい者です! みたいな見た目では来店しない。当たり前だ。

「すまない……。正直、助かる」

「いえ、よくあることなのです。魔法を秘匿されたい方も多いですからね」

 ローブ越しの瞳が微かに細くなる。
 そして、お客さんはナーがドアを施錠したのを確認すると、フードとマスクを煩わしそうに外した。それだけでも、普段からこういった服装というわけじゃないことが伝わる。
 不思議な気配を纏った青年だった。硝子玉のような透き通った瞳と、この世界では珍しい真っ黒な髪。整った顔立ちから視線を剝がすように刻まれた首元の大きな傷痕。斜めに斬られたことがよくわかる痛々しいものだ。
 私がその傷に目を奪われていることを察したのか、彼はそっと首に手を当てる。

「これは先日負ってしまったものでね。治癒魔法で傷を塞いでも跡が残ってしまったんだ」

「す、すみません。じろじろ見てしまって……」

 すると、彼は可笑しそうに声を立てた。黒髪に黒目ということもあって、ちょっと懐かしさがこみ上げる。

「いいさ、綺麗な人に見つめられて嫌がる男はいないよ。それよりも、お店の説明をしていただけるかな、店主さん?」

「あっ、そ、そうでした! って、いや、私はただの店員でして……」

 そういや、扉閉めちゃったけど、タリスさんどうしましょうか……。あの人、確か鍵持っていかなかったような。
 ま、いいか。私はとりあえずお仕事をするとしましょう。
 彼に一通りの内容を話す。噂を聞いていたということもあって、特に口を挟まれることもなかった。

「なるほど、伺っていた通りの店のようだ。ならば、僕の魔法を買い取っていただきたい」

「買い取りですね。それですと店主の許可と、私の方による簡単な視察を行わせていただくことになります」

「もちろんだ。何でも訊いてくれていいし、視てくれていいよ」

 彼は自慢げに腕を広げる。
 まあ、そうなりますよね。大丈夫です。私が視るのは過去のあなたですので。

「助かります。それで、どのような魔法をお持ちなのですか?」

「あぁ、自己紹介がまだだったね。僕の名前はハヤシダアキト」

 いや、名前を聞いたわけじゃないのに。というか、ハヤシダアキト……?

「……はい?」

()()()では名前を反対から読ませて、トキアと名乗っている。それならば、この世界でも違和感はないだろう?」

 あぁ、もしかしなくとも、そういうことだ。
 考えたことが無かったわけじゃない。でも、まさかこんな場所で出会うなんて。

「あなたって……」

「うん。よろしくね、同郷の人」

 やっぱり、彼は日本人だ。ただし、その容姿、そして名前。つまり、アキト――トキアさんは転生の私と違い、転移というものに当たるのだろう。道理で、彼に懐かしい面影を見るはずだ。

「マ、マナといいます……。しかし、どうして私が転生者だとおわかりに……?」

 問題はそこだ。当たり前だが、私は前世の記憶を持ち合わせているだとか、違う世界のことを知っていますなんて、誰にも話していない。そんなことを話せば、頭のおかしい人だと思われてしまう。

「僕は人の魂を見ることが出来るんだ。マナさんの魂は、明らかに年相応のものではないからね。転生してきた地球の人だと思ってさ」

 トキアさんの話では、数こそ多くないものの数年に一度くらいで、転生者か転移者と出会うことがあるらしい。
 意外といるものなのですね。

「しかし、トキアさんってどこかでお名前を聞いたことがあるような……ないような……」

「恥ずかしい話だけど、一度は耳にしているかもね」

 うーん……あっ、思いだした。
 同時に今回調査をする魔法もわかってしまった。

「えっ、もしかして……」

 トキアさんは照れくさそうに頭を掻く。
 やれやれ、どうやら暇な日々は終わりのようです。

「僕が最近魔王を倒した――勇者ってやつだね」

 ここは異世界中古魔法店『ノイアッシェ』。
 いつも、いっつも、癖の強いお客様がご来店します……!