仕事が、休んでいた分たまっていた為、前回のように午後丸々お休みにする事は出来ず、今回は夕暮れ時の散歩となった。黙々と二人で歩き辿り着いた先。そこに待つのは変わらない綺麗な草の緑と真っ赤な夕日を広げたオレンジ色の空。心地の良い風がさらりと流れていき、その冷たさに秋の訪れと夜の来訪を感じた。
 あの日と少し違う景色の中、同じようにベンチに座ると、お姉ちゃんがお菓子を鞄から取り出した。なんでもうすぐご飯なのに?と疑問に思う私に、外で食べると特別な味がするからこういう時は食べないともったいないんだよ、という自論を教えてくれた。

「で、恵子。最近どう?」
「……お母さんに聞くよう言われたの?」
「そうだね。でも……まぁ、私も心配してる」
「…………」

 心配してると言われても、もちろんそのまま素直に受け取る事なんて出来ない。私を疑っているからこうしてまた探りを入れているに違いないし、お姉ちゃんももうそれを隠そうとはしていなかった。
「あのさ、恵子」と、お姉ちゃんは真面目な顔をして私を見る。

「あの時さ、また恵子は戻ってこないんだろうなって正直思ってたんだ。でも戻ってきたじゃん」
「…………」
「なんで? 何が恵子の中で変わったの?」
「…………」

 あの時っていうのは地下室で話した時の事だろう。なんでって、言われても……私がまた恵子として家族の元に戻ってきた理由。その方向へ考えるきっかけを与えたのは紛れもなくお姉ちゃんだ。

「お姉ちゃんは、私を戻らせたかったんじゃないの?」

 だから、あんな話をしたんだと思っていた。私を取り囲む現実の話を。想像もしていなかった未来の話を。
 私の中で、一体何が変わったのか。

「今までは、私が恵子にならないとどうなるかまで考えた事は無くて……まぁ、死ぬつもりでいたから私には関係ないし、考える意味も無かったから。恵子についてちゃんと考えようと思った事は一度もなかったんだ」
「…………」
「でも、お姉ちゃんに言われてから、恵子を受け入れない事も悪い事な気がしてきて。今回の事で結局何をしても恵子からは逃げられない事がわかって、そもそも元の私なんてものも存在しなかったし、だったらもう恵子として生きるしかないんだなって。地下室から出たいからっていうのも大きいけど、でも、お姉ちゃんと話してから恵子になるべきなんだろうなって考え方が頭の隅に生まれたんだよね。恵子になる理由が増えたっていうのかな」
「…………」
「今はここにいる為に恵子にならなきゃって思ってる。ここにいたい訳じゃなくて、恵子になりたい訳でもないけど、それしかここに生まれた私には生きる道が無いから。多分さ、みんなそうなんだよね」

 家族の皆。お客様の皆。この場所を必要とする皆。

「何かと死ぬかの二択を選びながら生きてる。その何かがこの場所って人もいて、そんな人を作ってしまったのがこの家って事でしょ? その責任を負う人が私なんだよね? だって、恵子なんだもん」
「…………」
「まだ、正直何が正解なのかわからない。こんなもの無くなれば良いって思ってるけど、無くすのは人を殺してしまう事に繋がるかもしれないとなると、無責任でもいられないし、とにかく今は恵子を受け入れるしか道は無いって、そう思ったの。言ってて自分でもよくわかんないんだけど……伝わったかな」
「…………」

 お姉ちゃんは、じっと黙っていた。黙って私の話を聞いて、じっと私の目を見つめると、ふっと力が抜けたように微笑んだ。

「恵子ってさ、真面目だよね。才能あるよ、人々を救う存在側の」
「……何それ」
「いや、ちゃんと受け止めて考えてくれてありがとうって事だよ。とりあえず私が路頭に迷わないで済む事がわかった」
「……お姉ちゃんってさ、結局信者なの?」

 飄々とした態度に、その言動もそう。全然信者には見えない。

「信者だよ信者。子供の頃からここにいるんだから」
「信仰してたのは親で、お姉ちゃんは違うんでしょ? よく今日までお母さんに追い出されないで家族の中で生きてこれたね」
「ここにしがみつくしか生きられなかったんだから、なんでもやりますよ。変えられる力みたいなものが私には無いからね。でもさ、恵子にはあるでしょ?」
「……?」

 どういう事だと首を傾げる私に、お姉ちゃんは笑っていった。

「だってあなたは教祖様なんだから」

 それは一体、どういうつもりの言葉なのだろうか。

 “教祖様”
 その言葉が私を表すものだと言われてもちっともピンと来なくて調べてみた。宗教の創始者や指導者の事を指す他に、神と信者の仲介者として信者の苦悩を救済する人の事も指す事があるらしい。後者は確かに私の立ち位置として合っていて、なるほどと思った。私の中では教祖はお母さんだと思っていたけれど、恵子という名前と一緒に教祖という立場も私が引き継いだという事か。
 つまり、フランクに“恵子さん”と呼ばれてはいるが、“教祖様”と呼ばれているのと同じという事。そう思うと更にその名前が重く感じる。
 嫌なのだ。その宗教の教祖が一番お恵様という神を信仰していないなんて笑える。ここに神など存在しない証拠のようだった。起源は大分昔の話だというからわからないけれど、今はいない、絶対に。だってお恵様の天啓を一度も感じた事はないし、お母さんからどういうものか教えられた事も無かった。
 ずっとずっと、ただの私が話を聞いているだけ。それを有り難がっている信者を騙しているだけ。そういう宗教の神としての仕事が今日も詰まっている。毎日毎日、飽きもせず悩みを抱えた信者達がやってくるこの部屋は、とても窮屈だった。けれど、そこにしか私は存在出来ない。ここにいるのはただの私なのに。でも、私って誰?