「河童を探しに行こう!」

 小学五年生の夏休み、クラスの友達が近所の皆瀬川(みなせがわ)に私を連れて行った。男子二人、女子三人の仲良し五人組だった。魚取り網と、絶対に河童なんか入りっこないようなバケツを持って、膝までズボンを捲り上げる一同。私はとてもじゃないけれど、川に入る気にはなれなかった。
 だって、河童なんているわけないし……。
 私は知っていた。本を読むのが好きで、河童は架空の動物なんだって、いろんな本に書いてあったのを読んだから。
 四人がはしゃぎながら水中に網をつけて、「河童はどこじゃー!」「出てきなさい」と声を上げるのを、橋の下の河川敷に座って眺める。ちょうど日陰になっていて心地が良かった。みんな、私の方なんて見向きもしない。河童探しに夢中で、一人人員が欠けていることにすら気づかない。
 私は「はあ」とため息をついて、鞄から一冊の本を取り出した。
 お気に入りのイルカの栞を挟んだページを開けると、すぐに物語の世界に入り込むことができる。さわさわと草木が揺れる音、蝉が命を燃やして鳴いている声、そのすべてが心地よいBGMになり、私を物語の主人公にしてくれているようだった。

「あれ、栞里(しおり)じゃん。何読んでるの」

 不意に名前を呼ばれて、声がした方を振り返った。そこに立っていたのは、別のクラスで幼稚園時代から友達の、渡部文也(わたべふみや)だ。いわゆる幼馴染なんだけど、クラスの友達は私が文也と仲良しであることを知らない。

「『都会(まち)のトム&ソーヤ』っていう小説。文也、知ってる?」

 私が聞くと、彼は首を横に振る。

「そっか。文也って、本とか読まないもんね」

「うーん、読んでみたいなとは思ってたけど、きっかけがなくて……」

 文也はどちらかと言えば日陰に座っているのが似合う、文化系男子だ。運動は苦手らしく、昔から体育でよくヘマをしているところを見る。私にはそんな彼も可愛らしく見えるんだけど、クラスの女子からは「格好悪い」って不評だ。

「それならこの本、一緒に読もうよ!」

 私は、文庫版『都会のトム&ソーヤ』を彼の前にすっと差し出す。彼は少し迷った後、「うん」と頷いた。

「でも一緒に読むって難しくない?」

「大丈夫。私、読むの早いから、文也が読み終わったらページめくるようにしよう」

「分かった」

 私は本を開き、文也と至近距離に座る。お互いの肩が触れているのに、なんとも思わないのか、文也は本をじっと覗き込むようにして読み始めた。
『都会のトム&ソーヤ』は中学生の二人組が謎解きと冒険に挑む物語だ。ワクワクする展開に、何度も胸が踊らされる。私はシリーズ全巻読んでいるけど、今日は一巻をもう一度読もうって思って持ってきてよかった。まさか、文也と一緒に読むことになるなんて、思ってもみなかったけど、ちょうどよい。

 さわさわと草木が揺れる音が耳に心地よい。気温が高く暑いけれど、日陰で物語に集中していると暑さも忘れられる。夏の河辺で文也と並んで大好きな本を読んでいるこの瞬間が、たまらなく愛しく思った。文也ともっと、たくさん本を読んでみたい。
 遠くで遊んでいる友人たちの声は、もうとっくに聞こえなくなっていた。