教室の前に着くと、僕は扉を開けることを躊躇した。扉を開けたとき、意志のない視線がこちらに向くことが嫌いだから。
 僕がいつも早めに登校するのはそれを避けるためでもある。
 今日は仕方がない。なにせ、左腕と左手が消えてしまったのだから。
 教室に入るとき、ポケットから手を出した。ポケットに手を突っ込んだままだと、生きがっているように思われるかもしれない。
 引き戸に手をかけて、扉を開けたとき、いつもより扉が重たい気がした。
 教室の中からは、いくつかの視線が、僕の方に向けられた。
 僕は赤外線レーザーを掻い潜るようにして、自分の席まで向かった。
 僕の今日の格好に対しての質問は、当然のように誰からもなかった。
 ただ、三人でワンセットの女子達が、僕の方を何度か見てから、僕のことを嘲笑しているように感じただけだ。
 僕が席に着いてから五分もしないうちに、担任教師が教室に入ってきた。
それから、教室の中ではいつも通りの時間が流れて、何事もなく放課後を迎えた。
 ホームルームが終わると、僕は一目散に教室を飛び出した。
 早歩きで校門に向かっていると、背後から、同じような足音がした。
 僕は知らん振りを貫く。
 その足音の主に声をかけられたのは、校門を出てからすぐのことだった。
「あきら君!」
 その呼び声で、すぐに誰だか分かる。
 奈々美だ。
 彼女とは幼稚園からの付き合い。まさか、高校も同じだとは想像もしていなかった。
 ただ、付き合いと言っても、もちろん、男女の付き合いなんかではない。
 単なる、幼なじみの関係だ。
 僕はひとまず足を止めた。
 それから、上半身だけを捻って、彼女の呼びかけに応えた。
「なに……?」
 彼女に視線は合わせないで、空に浮かんでいる亀のような形をした雲を見ながら、僕はそう言った。
「その手、どうしたの? 怪我でもした?」
「……。たいしたことじゃないよ」
 彼女と言葉を交わしたのはいつ振りだろうか。昔はお互いの自宅を頻繁に行き来する関係だったのに。
「僕にかまってる暇があれば、あいつとデートでもしたほうがいいんじゃないの?」
「なにそれ。どうしてそんなこと言うの?」
「ほっといてよ」
 僕はそう吐き捨てて、自宅へ向け、さきほどよりも速いスピードで歩き始めた。