ペスカ達を乗せた荷馬車は、ゴトゴトと音を立てながら進む。穏やかな日差しは、まるで日本の春を思わせ、御者席の冬也はつい欠伸が出そうになる。
空と翔一はかなり荷馬車に慣れた様で、弱音を吐かなくなっていた。
町から暫く離れると、風景は農園から平野に変わる。しかし、緑溢れる見渡す限りの平野は、喧騒を忘れさせる癒し効果が有るのだろうか、ペスカと空は幌の中でうたた寝をしていた。
「あ~、平和だな。何か久しぶりに、平和を嚙みしめてるぞ」
「これで道が舗装されてたら、北海道に来たと勘違いするね」
冬也の独り言に翔一が相槌を打つ。しかし冬也が眠気を感じているせいか、会話はさほど弾まない。
「なぁ翔一、魔法で馬に言う事を聞かせらんねぇか」
「冬也、眠いなら操縦変わるよ。少し後ろで寝たらどう?」
「そうじゃねぇよ。まぁ眠いけど。こんな平和で良いんのかって思ってな。お前さぁ、どう思う? 糞野郎の事」
翔一は返答する事が出来なかった。
納得せざるを得ない現実を、翔一は受け止めきれていない。今の翔一には世界の平和より、自分の事だけで精一杯だった。
空に触れられ突然思い出した冬也の事、母校を燃やすクラスメイトの姿。特に自分達を滅ぼそうと黒いマナを撒き散らす、邪神ロメリア。あの時ペスカや空が守ってくれなければ、冬也がいなければ、自分は何も出来ずに死んでいただろう。
翔一は高尾山中の戦いを思い出し、身を震わせる。
異世界に来てから、翔一は必死だった。邪神ロメリアとの戦いで心の底に刻まれた『恐怖』の二文字を忘れる為、一心不乱に農作業に励んだ。魔法の練習にも力を注いだ。
しかし瞼を閉じれば、恐怖は否応なしに蘇る。碌に夜も眠れず疲れは溜まり続ける。必死に自分を振るい立たせ、翔一は笑顔を作り続けた。
如何に隠そうとしても、親友である冬也は気が付いてしまう。翔一の心を浸食しようとしているのが何かをも。
「そうだ。翔一、試合しよう」
突然声を上げる冬也を、翔一は驚いた様に見つめる。冬也は有無を言わさず、馬車を街道脇に止めて降りた。
「何してんだ。早く来いよ翔一」
冬也は馬車の操縦で凝り固まった体を解す様に、柔軟体操をしながら翔一を呼ぶ。親友が何故そんな事を言ったのかは、流石に理解出来る。「気を使い過ぎだ」、そう思いながら翔一は頭を掻き、ゆっくりと馬車を降りた。
「大体お前は、色々考え過ぎなんだよ。発散しろよ」
冬也は明るい笑顔を浮かべて翔一を見る。冬也に自分の恐怖を見透かされた気がして、翔一は恥ずかしささえ込み上げて来る。しかし、冬也はお構いなしに、強引に事を進めた。
「剣と魔法、何でも有りな。お前、町で作ってもらった剣を持って来いよ」
「冬也、お前はどうすんだ?」
「何言ってんだ。お前相手に武器は必要ないだろ」
流石の翔一でも、その台詞は馬鹿にされた気分になるだろう。咄嗟に頭に血が上った翔一は、足早に剣を取り冬也に向かって構えた。冬也は泰然とし翔一に視線を送る。
「かかって来いよ、全力でな」
翔一は剣を抜くが、冬也は無手で構えすら取らない。少し困惑気味の翔一に対し、冬也は挑発する様に言い放った。
「何してんだ。早くかかって来いって! ビビってんのか? お前の攻撃が、俺に当たるわけねぇんだよ。魔法でも何でもいいから、根性入れてかかって来いよ!」
剣と言っても、ミノタウロスの町で急造した殺傷力の低い武器である。鉄製の為、当たれば多少なりともダメージを与えられるが、致命傷にはならない。
それに、戦いの基礎を遼太郎に叩き込まれたとはいえ、冬也を相手にそれが通じるとは思えない。
そんな翔一を見越した上で、冬也は挑発を行った。そして翔一は眉をひそめて、剣を振りかぶった。
翔一の剣は意図も容易く冬也に躱される。二手三手と翔一は剣を振り下ろすが、冬也に掠る事すら無かった。
「何でも有りって言ったろ、頭使えよ。魔法だよ」
翔一は冬也に言われるがままに、炎の魔法を放つ。しかし、冬也には炎は当たる事無く、体の正面で霧消する。
何度も翔一は冬也に魔法を繰り出す。炎や風が辺り巻き込む様に、一面を焦がしながら冬也に向かう。しかし冬也は何事も無かった様に、手を振りかざし魔法をかき消した。
翔一は周囲に立ち込める煙に紛れて、冬也の後ろへ回り込み剣を振り下ろす。冬也は剣を難なく躱し、翔一の鳩尾に掌底を打ち込んだ。翔一は一瞬息が止まり、態勢を崩す。その隙を突き、冬也は翔一に回し蹴りを打ち込む。
咄嗟に避けようとする翔一だが、間に合わず吹き飛ばされる。そのまま翔一は、立ち上がる事が出来ずに蹲った。
「もう終わりか? ヘタレだな。悔しかったら立ち上がれ! 来いよ翔一!」
冬也の言葉に喚起され、翔一は立ち上がり冬也を睨めつける。
「そうだ。来い! 怖がってるだけじゃ始まらねぇんだ。打ち破れ翔一!」
翔一は次第に興奮し、熱くなっていた。
抱えている恐怖、受け入れ難い異世界の生活、何もかも吹っ切る様に、冬也に向かって走り出した。
翔一は炎の魔法を数発放ちながら走る。冬也は再び打ち消そうと手を翳す。しかし翔一の放った炎は、冬也を避ける様に下へ向かう。冬也を囲む様に台地に当たった炎は、台地を削り土砂を飛び散らせる。その瞬間豪風が吹き荒れ、土砂が弾丸の様に冬也に降り注いだ。
冬也は少し慌てた表情を浮かべると神剣を作り出し、全方面から降り注ぐ土砂の嵐を尽く撃ち落とす。しかし翔一の攻撃は、止む事無く続く。
冬也が土砂に掛かり切りになっている所に、数千の氷の矢を上空に作りだす。氷の矢を見た冬也は、神気を開放し自分の周りに膜を張る。
冬也に降りそそぐ数千の氷の矢は、神気の膜に当り掻き消えた。すかさず翔一は、特大の雷を冬也に向け降らせる。
雷は冬也に届く事無く、神気の膜に当ると消え果た。
攻撃を防ぎ切った冬也が翔一を見やると、翔一は四つん這いで息を荒げていた。
「マナ切れか。でも、すげぇな翔一。焦ったぞ」
冬也は神気を収めて、翔一に近づき歩き出す。翔一は力尽きた様に仰向けに倒れた。しかしその顔には貼り付けた様な笑顔では無く、少し晴れやかな表情が浮かんでいた。
「スッキリしたか?」
「少しね」
「怖いのは俺も同じだ。隠すな! 無理して笑うな!」
「ありがとう、冬也」
「気にすんなって」
冬也は翔一に手を貸し起き上らせる。その一部始終を、荷車の中から覗いていたペスカは呟いた。
「なんか青春だよね。ずるく無いあれ?」
「仕方無いよ、ペスカちゃん。私だって怖いもん」
「空ちゃんは、私がぎゅーってしてあげる」
「フフフ、ペスカちゃんありがとう」
ペスカに抱きしめられた空が微笑んだ。
青臭い気遣いかもしれない。だが冬也の言葉は、ペスカにも響いた。
怖いのは誰もが同じ。それは、ペスカとて感じるものである。戦い慣れていない翔一や空なら、尚更であろう。だが、既に足を踏み入れてしまった。ならば、立ち向かうしかあるまい。
それぞれに葛藤はあるだろう。しかし、それを吐き出して、今は進むしかない。
荷馬車に戻った冬也は、ペスカと空が目を覚ましている事に驚いていた。その様子をペスカが馬鹿にすると、翔一は声を上げて笑った。
翔一の笑い声に釣られる様に、冬也と空が笑いだす。三人が笑う様子を見たペスカは、笑みを深めて青く澄んだ空を見上げた。
空と翔一はかなり荷馬車に慣れた様で、弱音を吐かなくなっていた。
町から暫く離れると、風景は農園から平野に変わる。しかし、緑溢れる見渡す限りの平野は、喧騒を忘れさせる癒し効果が有るのだろうか、ペスカと空は幌の中でうたた寝をしていた。
「あ~、平和だな。何か久しぶりに、平和を嚙みしめてるぞ」
「これで道が舗装されてたら、北海道に来たと勘違いするね」
冬也の独り言に翔一が相槌を打つ。しかし冬也が眠気を感じているせいか、会話はさほど弾まない。
「なぁ翔一、魔法で馬に言う事を聞かせらんねぇか」
「冬也、眠いなら操縦変わるよ。少し後ろで寝たらどう?」
「そうじゃねぇよ。まぁ眠いけど。こんな平和で良いんのかって思ってな。お前さぁ、どう思う? 糞野郎の事」
翔一は返答する事が出来なかった。
納得せざるを得ない現実を、翔一は受け止めきれていない。今の翔一には世界の平和より、自分の事だけで精一杯だった。
空に触れられ突然思い出した冬也の事、母校を燃やすクラスメイトの姿。特に自分達を滅ぼそうと黒いマナを撒き散らす、邪神ロメリア。あの時ペスカや空が守ってくれなければ、冬也がいなければ、自分は何も出来ずに死んでいただろう。
翔一は高尾山中の戦いを思い出し、身を震わせる。
異世界に来てから、翔一は必死だった。邪神ロメリアとの戦いで心の底に刻まれた『恐怖』の二文字を忘れる為、一心不乱に農作業に励んだ。魔法の練習にも力を注いだ。
しかし瞼を閉じれば、恐怖は否応なしに蘇る。碌に夜も眠れず疲れは溜まり続ける。必死に自分を振るい立たせ、翔一は笑顔を作り続けた。
如何に隠そうとしても、親友である冬也は気が付いてしまう。翔一の心を浸食しようとしているのが何かをも。
「そうだ。翔一、試合しよう」
突然声を上げる冬也を、翔一は驚いた様に見つめる。冬也は有無を言わさず、馬車を街道脇に止めて降りた。
「何してんだ。早く来いよ翔一」
冬也は馬車の操縦で凝り固まった体を解す様に、柔軟体操をしながら翔一を呼ぶ。親友が何故そんな事を言ったのかは、流石に理解出来る。「気を使い過ぎだ」、そう思いながら翔一は頭を掻き、ゆっくりと馬車を降りた。
「大体お前は、色々考え過ぎなんだよ。発散しろよ」
冬也は明るい笑顔を浮かべて翔一を見る。冬也に自分の恐怖を見透かされた気がして、翔一は恥ずかしささえ込み上げて来る。しかし、冬也はお構いなしに、強引に事を進めた。
「剣と魔法、何でも有りな。お前、町で作ってもらった剣を持って来いよ」
「冬也、お前はどうすんだ?」
「何言ってんだ。お前相手に武器は必要ないだろ」
流石の翔一でも、その台詞は馬鹿にされた気分になるだろう。咄嗟に頭に血が上った翔一は、足早に剣を取り冬也に向かって構えた。冬也は泰然とし翔一に視線を送る。
「かかって来いよ、全力でな」
翔一は剣を抜くが、冬也は無手で構えすら取らない。少し困惑気味の翔一に対し、冬也は挑発する様に言い放った。
「何してんだ。早くかかって来いって! ビビってんのか? お前の攻撃が、俺に当たるわけねぇんだよ。魔法でも何でもいいから、根性入れてかかって来いよ!」
剣と言っても、ミノタウロスの町で急造した殺傷力の低い武器である。鉄製の為、当たれば多少なりともダメージを与えられるが、致命傷にはならない。
それに、戦いの基礎を遼太郎に叩き込まれたとはいえ、冬也を相手にそれが通じるとは思えない。
そんな翔一を見越した上で、冬也は挑発を行った。そして翔一は眉をひそめて、剣を振りかぶった。
翔一の剣は意図も容易く冬也に躱される。二手三手と翔一は剣を振り下ろすが、冬也に掠る事すら無かった。
「何でも有りって言ったろ、頭使えよ。魔法だよ」
翔一は冬也に言われるがままに、炎の魔法を放つ。しかし、冬也には炎は当たる事無く、体の正面で霧消する。
何度も翔一は冬也に魔法を繰り出す。炎や風が辺り巻き込む様に、一面を焦がしながら冬也に向かう。しかし冬也は何事も無かった様に、手を振りかざし魔法をかき消した。
翔一は周囲に立ち込める煙に紛れて、冬也の後ろへ回り込み剣を振り下ろす。冬也は剣を難なく躱し、翔一の鳩尾に掌底を打ち込んだ。翔一は一瞬息が止まり、態勢を崩す。その隙を突き、冬也は翔一に回し蹴りを打ち込む。
咄嗟に避けようとする翔一だが、間に合わず吹き飛ばされる。そのまま翔一は、立ち上がる事が出来ずに蹲った。
「もう終わりか? ヘタレだな。悔しかったら立ち上がれ! 来いよ翔一!」
冬也の言葉に喚起され、翔一は立ち上がり冬也を睨めつける。
「そうだ。来い! 怖がってるだけじゃ始まらねぇんだ。打ち破れ翔一!」
翔一は次第に興奮し、熱くなっていた。
抱えている恐怖、受け入れ難い異世界の生活、何もかも吹っ切る様に、冬也に向かって走り出した。
翔一は炎の魔法を数発放ちながら走る。冬也は再び打ち消そうと手を翳す。しかし翔一の放った炎は、冬也を避ける様に下へ向かう。冬也を囲む様に台地に当たった炎は、台地を削り土砂を飛び散らせる。その瞬間豪風が吹き荒れ、土砂が弾丸の様に冬也に降り注いだ。
冬也は少し慌てた表情を浮かべると神剣を作り出し、全方面から降り注ぐ土砂の嵐を尽く撃ち落とす。しかし翔一の攻撃は、止む事無く続く。
冬也が土砂に掛かり切りになっている所に、数千の氷の矢を上空に作りだす。氷の矢を見た冬也は、神気を開放し自分の周りに膜を張る。
冬也に降りそそぐ数千の氷の矢は、神気の膜に当り掻き消えた。すかさず翔一は、特大の雷を冬也に向け降らせる。
雷は冬也に届く事無く、神気の膜に当ると消え果た。
攻撃を防ぎ切った冬也が翔一を見やると、翔一は四つん這いで息を荒げていた。
「マナ切れか。でも、すげぇな翔一。焦ったぞ」
冬也は神気を収めて、翔一に近づき歩き出す。翔一は力尽きた様に仰向けに倒れた。しかしその顔には貼り付けた様な笑顔では無く、少し晴れやかな表情が浮かんでいた。
「スッキリしたか?」
「少しね」
「怖いのは俺も同じだ。隠すな! 無理して笑うな!」
「ありがとう、冬也」
「気にすんなって」
冬也は翔一に手を貸し起き上らせる。その一部始終を、荷車の中から覗いていたペスカは呟いた。
「なんか青春だよね。ずるく無いあれ?」
「仕方無いよ、ペスカちゃん。私だって怖いもん」
「空ちゃんは、私がぎゅーってしてあげる」
「フフフ、ペスカちゃんありがとう」
ペスカに抱きしめられた空が微笑んだ。
青臭い気遣いかもしれない。だが冬也の言葉は、ペスカにも響いた。
怖いのは誰もが同じ。それは、ペスカとて感じるものである。戦い慣れていない翔一や空なら、尚更であろう。だが、既に足を踏み入れてしまった。ならば、立ち向かうしかあるまい。
それぞれに葛藤はあるだろう。しかし、それを吐き出して、今は進むしかない。
荷馬車に戻った冬也は、ペスカと空が目を覚ましている事に驚いていた。その様子をペスカが馬鹿にすると、翔一は声を上げて笑った。
翔一の笑い声に釣られる様に、冬也と空が笑いだす。三人が笑う様子を見たペスカは、笑みを深めて青く澄んだ空を見上げた。