突然の状況変化に圧倒され、顔を青ざめさせていたシグルドの表情は、煮えたぎる様な怒りに満ちた表情に変わり、ロメリアを睨みつけている。
邪神の口から放たれた、ライン帝国の終焉と遊ぼうの言葉と、謁見室の惨状は、シグルドの憎悪を燃え上がらせるには充分であった。
シグルドは、ライン帝国の惨状をその目で見て来た。冬也を抑えながらも、腸が煮えくり返る思いであった。同じ国を守る者として絶対に許せないのは、己が守るべき民をその手に掛ける事である。
兵士を志す動機なら、幾らでも有るだろう。しかし、兵士として従事するのは、一つの意志により成される。それは、国と民を守る事である。それ故の戦いで有るならば、好んで先陣を切ろう。体を張り命を賭しても、使命を遂行しよう。
だが、ライン帝国の惨状は全く異なる。意図も容易く操られ、意志のないままに戦わされる。そして、犠牲になるのは民なのだ。
シグルドは冷静ではいられなかった。純粋で真っ直ぐな程、陥りやすい罠に掛かっていた。それは、邪神の好む感情である。だからこそロメリアは、最初の獲物をシグルドに選んだのかもしれない。
しかし、ロメリアの体から溢れた光は、謁見室内を包み込んでいく。それと同時に、シグルドは膝を突いた。先の戦いでペスカを苦しめた神の力だ。シグルドが抗えずにいるのも無理はない。
「あれれ、そんなもんかい? 少しは遊べると思ったのに、拍子抜けだね」
「それなら、俺が遊んでやるよ」
「君の出番は未だだよ。だって、物事には順番ってモンが有るじゃないか」
「あぁ? 糞みてぇな事、言ってんじゃねぇよ!」
「君の出自は知ってるんだよ。あの忌々しい女神の血を引いてるんだろ? 僕は、お楽しみを最後に取っておく方でね」
シグルドが起き上がれない状況下で冬也が平気でいられるのは、全て女神フィアーナの血によるものだろう。
そして、ペスカは女神フィアーナの加護を受けている。平静でいられたならば、その力は本領を発揮する。ロメリアの意識が冬也に向かっている間、ペスカはトールの下へ駆けていた。
ペスカがトールに駆け寄る中、冬也はシグルドを守る様にして、ロメリアの前に立ち塞がる。
そして冬也はマナを全身に漲らせる。これまで幾多の戦いを経て、マナを鍛え上げて来たのだ。冬也のマナは体から溢れる様に流れ出し、謁見室に満ちていたロメリアの力と拮抗し始める。
そんな時だった。
「だ、い、じょう、ぶ、だ。とう、や。私が、やる。私にやらせてくれ。こいつは、絶対に、許せない」
それは勇敢な近衛隊長が、振り絞る様にして吐いた言葉だった。
冬也のマナによって、ロメリアから溢れた力は少し緩和されている。それでも、普通の人間ならば堪えられないだろう。しかし、シグルドは立ち上がろうとしていた。振るえる足でしっかりと床を踏みしめ、剣を抜こうとしていた。
それは常人とは一線を画す最強故の出来事だったのか。それとも、誇りを踏みにじられた者達の無念を晴らす為の行動だったのか。
どちらにせよ、シグルドは剣を抜く。そして、ロメリアに向かって飛び掛かった。
「駄目だシグルド! 戻れ!」
怒りに我を忘れたシグルドに、冬也の言葉は届かない。そしてシグルドは、目に捉える事が出来ない程の速さで、邪神に斬りかかる。
シグルドの剣は邪神の体を切り裂くが、直ぐに体は再生する。怒り任せ、何度もシグルドは光速の剣を振るう。しかし邪神は薄笑いを浮かべ、されるがままにシグルドの剣を受けていた。
「駄目だ! それじゃ奴には効かない! 戻れシグルド!」
その時、冬也の頭に浮かんでいたのは、女神フィアーナの言葉であった。
ロメリアは、恐怖や悪意の様な感情を食い物にする神だ。今のシグルドを見ればわかる。怒りに震え、我を忘れ、がむしゃらに剣を振るうだけなら、どれだけ強くても戦いにすらならない。それどころか、邪神ロメリアを喜ばせるだけだ。
冬也は、前回ペスカが戦った時の様子は見ていない。だが、何となく想像は出来た。多分、今のシグルドと同じなのだろう。だからペスカは、何度も冬也に語ったのだ。怒りに流されるなと。
耳に届いても、頭の中には届かないのだろう。冬也の言葉は、空しく響くだけ。そしてシグルドの剣が、邪神の体を縦に切り裂く。尚も邪神は、汚らしい笑みを崩さなかった。
丁度その時ペスカから声がかかる。
「お兄ちゃん、トールが生きてる! まだ間に合うよ!」
「お前はトールを頼む。こっちは俺に任せろ!」
冬也に言われ、ペスカは自分とトールの周りに結界を張る。そして、トールの延命処置に取り掛かった。ペスカが治療を始めた所を確認すると、冬也は剣を抜き邪神に向かい走り出した。
邪神は体の半分まで割かれながら、ペスカと冬也を一瞥する。そして、剣を胴に留めたまま、肉体を再生させる。
シグルドの剣は邪神の胴に埋まる。力を入れて抜こうとしても、びくともしない。焦るシグルドの姿を楽しむ様に、邪神は手刀を振り上げた。
邪神の口は裂けるように割れ、瞳は爛々と輝く。そして手刀がシグルドに向かい振り下ろされる。まさに斬られようとした瞬間、シグルドの体は横から体当たりされ、吹き飛ばされた。
邪神の手刀は空を切る。忌々しいとばかりに冬也を睨め付け、再び振りかぶる。その瞬間を冬也は見逃さなかった。
邪神の振りかぶった手を左手で押さえた冬也は、右手で胴に埋まるシグルドの剣を抜く。そして剣をシグルドのいる方角へ投げると、謁見室全体に響き渡る程の大声で叫んだ。
「目を覚ませシグルド! お前の正義を果たせ! それが出来ないなら、すっこんでろ!」
「とうや……。何を……」
吹き飛ばされたシグルドは、呆気に取られ動けずにいた。ただ、冬也と邪神の姿を見つめていた。
「混血の分際で、僕の楽しみを奪うなよ」
低く響き、全て凍りつかせる様な声で、邪神が忌々しそうに呟く。
「何言ってんだてめぇ! 馬鹿じゃねぇのか?」
冬也の言葉で、邪神の表情は一変し、能面の様になる。
「僕にそんな事を言った奴は、君で二人目だよ。混血の分際で神を舐めた罰、教えてあげないとねぇ」
邪神は手刀を振りかぶり、冬也に襲い掛かる。その手刀は冬也に届く事は無く、冬也は剣で受け止め弾き返す。弾き返した剣を返す様に振り下ろし、冬也は邪神に斬りかかかる。
邪神は冬也の剣を避けようとするが、僅かに腕を斬りつけた。斬りつけられた腕の傷は元に戻る事は無く、邪神は僅かに表情を曇らせた。
「やっぱり邪魔だな。君から殺すよ混血」
邪神は次に手刀を横薙ぎに振るうと、鋭い風の刃が冬也を襲う。冬也は、剣を真上から振り下ろし、風の刃を両断した。
次の瞬間、邪神が光を放ち姿を消す。一瞬で冬也の後ろに回り込むと手刀を振り下ろす。冬也は振り向き様に、手刀もろとも邪神の腕を斬り払う。邪神は叫び声を上げ、後方へと逃れた。
邪神は斬られた腕を、もう片方の手で押さえる。能面の様に、表情を消していた顔は酷く歪み、怒りに満ち溢れている。わなわなと体を震わせ、憎悪は臨界点を突破しようとしている。
神に痛覚が有るかは、わからない。しかし、敢えて冬也は言い放った。
「おい! 痛いか? 痛いかよ? それが痛みだよ! お前はその何倍もの痛みを、人に与え続けたんだ。今更、謝って済むと思うなよ! 俺がお前を調伏してやるよ」
「貴様ぁ! よくもよくも!」
邪神の顔が殺意に染まり、淀んだ様な黒いマナが体から漏れ出した。黒いマナは謁見室に充満し始める。ただその瞬間、黒いマナを吸い込んだシグルドが、途端に苦しみ始める。
冬也はシグルドを見やると、黒いマナをまき散らす邪神に向かい、剣を振り下ろす。
「消え果ろ、この野郎!」
冬也は黒いマナごと邪神を斬り払おうとした。すると、謁見室中に充満した黒いマナは消えうせ、邪神の姿もなくなっていた。
「シグルド無事か?」
「あぁ、すまない冬也」
辺りを警戒しながら、シグルドに声を掛ける冬也。シグルドは視点の定まらない目で、冬也を見つめて答えた。
邪神は消滅していない。それは、謁見室に満ちる濃密な殺意からも、よくわかる。少しでも気を緩めれば、狂ってしまいそうな強烈な殺意。それは、冬也に向かい放たれている。
邪神が姿を消そうとも、謁見室に静寂は戻らない。やがて上方から、おどろおどろしい声が響く。声と共に謁見室が真っ黒く染まる。
「この腕の恨みは、命一つでは足りないぞ!」
邪神の口から放たれた、ライン帝国の終焉と遊ぼうの言葉と、謁見室の惨状は、シグルドの憎悪を燃え上がらせるには充分であった。
シグルドは、ライン帝国の惨状をその目で見て来た。冬也を抑えながらも、腸が煮えくり返る思いであった。同じ国を守る者として絶対に許せないのは、己が守るべき民をその手に掛ける事である。
兵士を志す動機なら、幾らでも有るだろう。しかし、兵士として従事するのは、一つの意志により成される。それは、国と民を守る事である。それ故の戦いで有るならば、好んで先陣を切ろう。体を張り命を賭しても、使命を遂行しよう。
だが、ライン帝国の惨状は全く異なる。意図も容易く操られ、意志のないままに戦わされる。そして、犠牲になるのは民なのだ。
シグルドは冷静ではいられなかった。純粋で真っ直ぐな程、陥りやすい罠に掛かっていた。それは、邪神の好む感情である。だからこそロメリアは、最初の獲物をシグルドに選んだのかもしれない。
しかし、ロメリアの体から溢れた光は、謁見室内を包み込んでいく。それと同時に、シグルドは膝を突いた。先の戦いでペスカを苦しめた神の力だ。シグルドが抗えずにいるのも無理はない。
「あれれ、そんなもんかい? 少しは遊べると思ったのに、拍子抜けだね」
「それなら、俺が遊んでやるよ」
「君の出番は未だだよ。だって、物事には順番ってモンが有るじゃないか」
「あぁ? 糞みてぇな事、言ってんじゃねぇよ!」
「君の出自は知ってるんだよ。あの忌々しい女神の血を引いてるんだろ? 僕は、お楽しみを最後に取っておく方でね」
シグルドが起き上がれない状況下で冬也が平気でいられるのは、全て女神フィアーナの血によるものだろう。
そして、ペスカは女神フィアーナの加護を受けている。平静でいられたならば、その力は本領を発揮する。ロメリアの意識が冬也に向かっている間、ペスカはトールの下へ駆けていた。
ペスカがトールに駆け寄る中、冬也はシグルドを守る様にして、ロメリアの前に立ち塞がる。
そして冬也はマナを全身に漲らせる。これまで幾多の戦いを経て、マナを鍛え上げて来たのだ。冬也のマナは体から溢れる様に流れ出し、謁見室に満ちていたロメリアの力と拮抗し始める。
そんな時だった。
「だ、い、じょう、ぶ、だ。とう、や。私が、やる。私にやらせてくれ。こいつは、絶対に、許せない」
それは勇敢な近衛隊長が、振り絞る様にして吐いた言葉だった。
冬也のマナによって、ロメリアから溢れた力は少し緩和されている。それでも、普通の人間ならば堪えられないだろう。しかし、シグルドは立ち上がろうとしていた。振るえる足でしっかりと床を踏みしめ、剣を抜こうとしていた。
それは常人とは一線を画す最強故の出来事だったのか。それとも、誇りを踏みにじられた者達の無念を晴らす為の行動だったのか。
どちらにせよ、シグルドは剣を抜く。そして、ロメリアに向かって飛び掛かった。
「駄目だシグルド! 戻れ!」
怒りに我を忘れたシグルドに、冬也の言葉は届かない。そしてシグルドは、目に捉える事が出来ない程の速さで、邪神に斬りかかる。
シグルドの剣は邪神の体を切り裂くが、直ぐに体は再生する。怒り任せ、何度もシグルドは光速の剣を振るう。しかし邪神は薄笑いを浮かべ、されるがままにシグルドの剣を受けていた。
「駄目だ! それじゃ奴には効かない! 戻れシグルド!」
その時、冬也の頭に浮かんでいたのは、女神フィアーナの言葉であった。
ロメリアは、恐怖や悪意の様な感情を食い物にする神だ。今のシグルドを見ればわかる。怒りに震え、我を忘れ、がむしゃらに剣を振るうだけなら、どれだけ強くても戦いにすらならない。それどころか、邪神ロメリアを喜ばせるだけだ。
冬也は、前回ペスカが戦った時の様子は見ていない。だが、何となく想像は出来た。多分、今のシグルドと同じなのだろう。だからペスカは、何度も冬也に語ったのだ。怒りに流されるなと。
耳に届いても、頭の中には届かないのだろう。冬也の言葉は、空しく響くだけ。そしてシグルドの剣が、邪神の体を縦に切り裂く。尚も邪神は、汚らしい笑みを崩さなかった。
丁度その時ペスカから声がかかる。
「お兄ちゃん、トールが生きてる! まだ間に合うよ!」
「お前はトールを頼む。こっちは俺に任せろ!」
冬也に言われ、ペスカは自分とトールの周りに結界を張る。そして、トールの延命処置に取り掛かった。ペスカが治療を始めた所を確認すると、冬也は剣を抜き邪神に向かい走り出した。
邪神は体の半分まで割かれながら、ペスカと冬也を一瞥する。そして、剣を胴に留めたまま、肉体を再生させる。
シグルドの剣は邪神の胴に埋まる。力を入れて抜こうとしても、びくともしない。焦るシグルドの姿を楽しむ様に、邪神は手刀を振り上げた。
邪神の口は裂けるように割れ、瞳は爛々と輝く。そして手刀がシグルドに向かい振り下ろされる。まさに斬られようとした瞬間、シグルドの体は横から体当たりされ、吹き飛ばされた。
邪神の手刀は空を切る。忌々しいとばかりに冬也を睨め付け、再び振りかぶる。その瞬間を冬也は見逃さなかった。
邪神の振りかぶった手を左手で押さえた冬也は、右手で胴に埋まるシグルドの剣を抜く。そして剣をシグルドのいる方角へ投げると、謁見室全体に響き渡る程の大声で叫んだ。
「目を覚ませシグルド! お前の正義を果たせ! それが出来ないなら、すっこんでろ!」
「とうや……。何を……」
吹き飛ばされたシグルドは、呆気に取られ動けずにいた。ただ、冬也と邪神の姿を見つめていた。
「混血の分際で、僕の楽しみを奪うなよ」
低く響き、全て凍りつかせる様な声で、邪神が忌々しそうに呟く。
「何言ってんだてめぇ! 馬鹿じゃねぇのか?」
冬也の言葉で、邪神の表情は一変し、能面の様になる。
「僕にそんな事を言った奴は、君で二人目だよ。混血の分際で神を舐めた罰、教えてあげないとねぇ」
邪神は手刀を振りかぶり、冬也に襲い掛かる。その手刀は冬也に届く事は無く、冬也は剣で受け止め弾き返す。弾き返した剣を返す様に振り下ろし、冬也は邪神に斬りかかかる。
邪神は冬也の剣を避けようとするが、僅かに腕を斬りつけた。斬りつけられた腕の傷は元に戻る事は無く、邪神は僅かに表情を曇らせた。
「やっぱり邪魔だな。君から殺すよ混血」
邪神は次に手刀を横薙ぎに振るうと、鋭い風の刃が冬也を襲う。冬也は、剣を真上から振り下ろし、風の刃を両断した。
次の瞬間、邪神が光を放ち姿を消す。一瞬で冬也の後ろに回り込むと手刀を振り下ろす。冬也は振り向き様に、手刀もろとも邪神の腕を斬り払う。邪神は叫び声を上げ、後方へと逃れた。
邪神は斬られた腕を、もう片方の手で押さえる。能面の様に、表情を消していた顔は酷く歪み、怒りに満ち溢れている。わなわなと体を震わせ、憎悪は臨界点を突破しようとしている。
神に痛覚が有るかは、わからない。しかし、敢えて冬也は言い放った。
「おい! 痛いか? 痛いかよ? それが痛みだよ! お前はその何倍もの痛みを、人に与え続けたんだ。今更、謝って済むと思うなよ! 俺がお前を調伏してやるよ」
「貴様ぁ! よくもよくも!」
邪神の顔が殺意に染まり、淀んだ様な黒いマナが体から漏れ出した。黒いマナは謁見室に充満し始める。ただその瞬間、黒いマナを吸い込んだシグルドが、途端に苦しみ始める。
冬也はシグルドを見やると、黒いマナをまき散らす邪神に向かい、剣を振り下ろす。
「消え果ろ、この野郎!」
冬也は黒いマナごと邪神を斬り払おうとした。すると、謁見室中に充満した黒いマナは消えうせ、邪神の姿もなくなっていた。
「シグルド無事か?」
「あぁ、すまない冬也」
辺りを警戒しながら、シグルドに声を掛ける冬也。シグルドは視点の定まらない目で、冬也を見つめて答えた。
邪神は消滅していない。それは、謁見室に満ちる濃密な殺意からも、よくわかる。少しでも気を緩めれば、狂ってしまいそうな強烈な殺意。それは、冬也に向かい放たれている。
邪神が姿を消そうとも、謁見室に静寂は戻らない。やがて上方から、おどろおどろしい声が響く。声と共に謁見室が真っ黒く染まる。
「この腕の恨みは、命一つでは足りないぞ!」