風の女神は、重々し気に口を開く。

 嵌められた、反フィアーナ派、その不穏な言葉に、ペスカと冬也は息を呑んだ。ゆっくりと女神から語られた言葉は、ペスカの想定を超えるものであった。

「あたしらはさぁ。協議会の後すぐに、対応したんだよ」

 少し時間は遡る。

 ロメリアがラフィスフィア大陸を攻めているのと同時期に、ロメリは分霊体を作り上げドラグスメリア大陸を攻略しようと企んでいた。
 そしてロメリアの分霊体は、大陸東部で魔獣達に邪気を与え悪意に染め上げた。結果として魔獣達は姿を変え、黒いドラゴンが出来上がった。

 変貌を遂げた黒いドラゴン達は、次々と飛び立ちエルラフィア王国へ向かった。ラフィスフィア大陸を混乱させる手段として。
 
 これが、ロメリアが行った魔獣のドラゴン化であった。

 その後、メルドマリューネの地でロメリアは倒され、神格は破壊された。しかし、それでも尚、大陸東部には悪意の塊が燻っていた。
 故に、女神ミュールは判断した。ロメリアの残滓を全て一掃しようと。そして、風の女神と他に、山の神、水の女神の三柱が、『邪神ロメリアが残した』と思われる『悪意の残滓』を対処する為に、ドラグスメリア大陸の東部に向かった。

 この時、ミュールを含む原初の神々は、同じ様に考えていた。

 本体が消滅した今、残った悪意の残滓の浄化は、然程難しいものでは無い。念の為に数を揃えたが、原初の神が三柱は過剰とも言えると。
 
 ただ、原初の神々は油断するべきでは無かった。相手は、あの邪神ロメリアなのだと、忘れるべきでは無かった。

 三柱の神が大陸東部に足を踏み入れた瞬間に、自らの神気が少しずつ失われていくのがわかった。この時、「悪意の残滓を浄化するのが先決だ」と判断せず、注意深く様子を探るべきだった。

 邪神ロメリアの残滓が残る中心地では、黒い澱みが渦巻く。辿り着いた神々は、浄化を開始しようと神気を解き放つ。
 三柱の強い神気が放たれ、浄化は一瞬で終わる予定だった。しかし、浄化は成されず、神気は黒い澱みに吸い込まれる。
 神に遠く及ばないただの黒い澱みが、原初の神々から神気を奪っていく。そして、大きく広がっていく。それは、有り得ない事であった。

 危険を感じた三柱の神は、立て直しを図る為に一時撤退を試みる。しかし、無事に撤退する事は出来なかった。まるで封じられた様に、思った様に体を動かす事が出来ない。
 気が付いた時には、遅かった。全て罠だったのだと。

 結果的に、辛うじて無事に撤退が出来たのは、山の神一柱のみ。それでも大量の神気を失い、顕現出来ない程に弱まった。
 そして、風の女神と水の女神は悪意の種を埋め込まれた。埋め込まれた悪意の種は、女神達の神気を吸収し、それぞれの体を乗っ取り始める。

 女神の力が悪意に染まれば、それだけで世界に大惨事を起こしかねない。懸命に大陸東部から離れた後、風の女神は西へ、水の女神は北へそれぞれ逃げ、これ以上の被害拡大を阻止する為に、己の存在ごと封印した。

 しかし、大量の神気を吸い取った黒い澱みは、猛烈な勢いで成長を遂げる。
 
大陸東部を住処とするエンシェントドラゴンのニューラが、神の力を得た黒い澱みに勝てる術はない。更に土着の神を取り込み、黒い澱みは更に勢力を拡大させる。それは、瞬く間に大陸東部全体に広がった。

「じゃあ、水の女神様が北に居るの?」
「そうさ。あんたらの話しが本当なら、状況はここと大差ないだろうね」
「良くわかんねぇけど、風の姐さん達は、誰に嵌められたんだ?」
「言ったじゃないか。反フィアーナ派の奴らだってさ」
「その反フィアーナ派ってのは何だ? お袋を狙ってる連中なのか?」
「少し違うね。フィアーナとは、対立してる連中だよ。狙ってるのは小娘、あんただよ」
「山さんも同じ事を言ってたな。目的は何なんだよ!」
「そうだね。そろそろ色々教えて欲しいね。私が狙いなら尚更だよ」
「仕方ないね。後悔するんじゃないよ」

 そして、女神は再び語り始める。

 そもそも、邪神ロメリアがラフィスフィア大陸で暴れていたのは、一つの目的があった。

 神々の勢力争い。それは太古から幾度となく繰り返されていたもの。タールカール大陸の荒廃以来、表立った争いは無くなったものの、未だに続く勢力争いである。

 原初の神々が初期に構想したのは、ロイスマリアが平和の楽園となる事だった。但し、理想通りには、事は運ばない。

 生物は欲望を糧に結果を手繰り寄せる。そして欲望は時として他者を巻き込み膨らんでいく。それは溢れて一つになり、やがて力を持つ様になる。そうして生まれたのが、混沌勢と呼ばれる神々だ。
 混沌勢は、原初の神々が生み出した生物に更なる欲望を与え、争いの絶えない世界に変えた。
 
 また、歴史を重ねるごとに生物は文化を生み出す。種族により、多様な文化が生まれ、そこから信仰が芽生える。その信仰により、次々と新たな神が生まれた。

 新たに生まれた神は、原初の神と異なる思想を持っていた。

 それは文化の発展である。そして技術の進歩を目指す。しかし、新たに生まれる神は知らない。技術や文化の進歩の結果が齎す悲劇を。
 
 原初の神々は、幾度も技術が進歩した果てに、自然が壊され世界が破壊されるのを何度も見て来た。故に、原初の神々は生物が文化を進歩させる事を阻んだ。
 時に戦争を起こし生物を淘汰し、大規模な自然災害で発展した社会を破壊した。
 
 新たに生まれた神々は、原初の神々が持つ思想に反発した。「何故、文化の進歩を阻止するのだ」と。
 文化の進歩によって生まれた新たに生まれた神々にとって、当然の反発と言えよう。
 ただ、新たに生まれた神々は、原初の神々に対抗し得る力を持たない。そこで目を付けたのは、混沌勢の存在であった。

 新たに生まれた神々は、混沌勢を体の良い駒として利用する事に決めた。生物に欲望を植え付け世界に混乱を齎す混沌勢は、いずれ訪れるだろう運命の時を恐れた。

 二つの勢力の利害は一致する。

 その結果、ロイスマリアには二大勢力が生まれた。
 保守的を旨とする大地母神フィアーナを中心とした原初の神々。混沌勢を加えた改革を旨とする神々、反フィアーナ派。

 この二大勢力は、争いを繰り返した。

 混沌勢の影に隠れ、反フィアーナ派は生物の進化を試みる。その度に原初の神々は、その進化を阻止する。

 そして対立が激化していく。

 ある時、表立って活動をする混沌勢に制裁を加える為に、原初の神々が直接手を下し戦いとなった。戦いは、一柱の大地母神の消滅と、多くの神々の消滅で幕を下ろす。
 その結果、タールカール大陸は荒廃し、そこで暮らす多くの生物が命を落とした。大地母神を失ったタールカール大陸は、生物が暮らす事が出来ない程に荒れ果てた。
 
 この戦いで、反フィアーナ派は半数以上の同士を無くす。また混沌勢も七柱の内、四柱を失う事になる。

 そしてフィアーナを中心とした原初の神々は、二度とこのような争いが起こらない様に、ロイスマリア三法と呼ばれる規律を定める。
 既に著しく勢力を減らし、原初の神々と真正面から対立が出来ない反フィアーナ派は、これを拒む事は出来なかった。

 神は互いの領域を侵さない。
 ロイスマリアに暮らす者達に、過度の干渉をしない。
 神同士の争いを禁ずる。

 これにより反フィアーナ派は鳴りを潜め、神同士の争いが消えた。地上には束の間の平和が訪れた。しかし、二人の天才が生まれてから、状況は一変する。

 一人はエルフとして生を受け、後にアンドロケイン大陸からラフィスフィア大陸に渡った天才。女神フィアーナの恩恵が届かない、打ち捨てられた土地で国を作り上げ、発展させたエルフ。

 クロノス・メルドマリューネ。
 
 二人目は人間として生を受け、類まれなる知恵と才能で、人々の暮らしを生活水準を向上させた天才。

 ペスカ・メイザー。

 二人の天才は、人の文化を加速度的に進化させた。これまでの歴史と大きく異なり、発展を始めた。原初の神々は危うさを感じ、注視する事に決めた。そして、鳴りを潜めていた反フィアーナ派は、ここぞとばかりに混沌勢を動かした。
 
 ラフィスフィア大陸で、邪神ロメリアが暴れ始める。その過程で、クロノス・メルドマリューネが、邪神ロメリアに洗脳を施される。
 
 世界を動かす鍵の一つを手に入れた反フィアーナ派は、今こそ動く機会だと考えた。
 
 邪神ロメリアを中心にして、世界中で動乱を巻き起こし、原初の神々から力を奪う。ラフィスフィア大陸での動乱は、始まりの狼煙であった。
 その渦中で、若い神々を中心に『反フィアーナ同盟』が結成される。反フィアーナ派は、彼等を新たな同士として向かい入れる。
 結果的にラフィスフィア大陸の動乱は、女神フィアーナの力を大きく削ぐ形になり、自らの勢力を増す事に成功した。

 ただし、反フィアーナ派の予定は、大きく狂いだしていた。混沌勢が暴れすぎたせいで、人が多く死に過ぎたのだ。
 そして、鍵の一つであるクロノス・メルドマリューネを失った上に、混沌勢を全て失った。
 もう一つの鍵は女神フィアーナの手に有る。事も有ろうか、鍵は神の一員として迎えられる。

 このままでは、原初の神々の勢力を削ぐどころか、新たな鍵さえも手に入れられない。糾弾されて自らの身が危うくなる前に、反フィアーナ派は更なる動きを見せた。
 目をつけたのは、ドラグスメリア大陸に残る邪神ロメリアの残滓。もう後には引けない反フィアーナ派は、女神ミュールの力を削ぐ為に行動を開始した。

 そして今に至るのであった。