ペスカと冬也がスールの背に乗り、西へ向かい飛び立つ。
 暴れ続ける巨大魔獣を抑え続けるミューモ。彼を救い、魔獣達を抑える為にも、急がねばならない。スールは翼を大きく広げ、速度を上げる。ペスカと冬也は、スールに神気を繋げる。そして胸躍る大空の旅へ二人を誘った。

「う~っ。ひゃっほ~!」
「ペスカお前、この間とは全く違うな」
「何と言うか、超すごいVRゲームをやってる感覚だね。すっごい不思議。ただ背中に乗ってるだけなのに、飛んでる気分」
「良いけどよ。落ちんなよ」
「だいじょび! 今の私は風! 吹き荒れる暴風!」
「吹き荒れるなよ!」

 先程まで深刻な話をしていたはず。しかも向かう先には、激しい戦いが待ち受ける可能性が高い。それにも関わらず、ペスカのテンションは、冬也が呆れる程に高かった。
 
 一方、ペスカ達が西に向かう間に、ゴブリン達は快進撃を続けていた。

 ペスカ達がドラゴンの谷で寝ている間、山の神と話をしている間にも、与えられた期限が迫っている。だが、コボルトとトロールを加え、大きな勢力となった集団と、まともにやり合える敵は多く無かった。

 特に、命を救われたトロールは、ゴブリン達に敬慕の情を抱き志気が高い。高まった力はそのままに、従順なトロールは前線の壁役に止まらず、その力で敵の包囲網を突破していく。

 対してコボルトは、類まれな嗅覚と俊敏さから、攪乱や奇襲、諜報活動など様々な戦術において功績を重ねていく。
 当初こそコボルトは、ゴブリン達の力に恐怖を抱き、従っているだけであった。しかし任務を重ねる毎に、戦いの先に有る本当の意味を理解し、真の意味でゴブリン達に賛同する事になる。

 ゴブリン軍団は、大陸でも名だたる好戦的な種族である、ウルガルムを始め、ケルベロス、バジリスクなどの魔獣を、次々と制圧していった。

 戦いを重ね、新たに戦力を増強し、ゴブリンの軍団は益々巨大になっていく。
 しかし、組織が巨大になれば問題も発生する。時にそれは、内部分裂を起こし組織を崩壊させかねない。
 その組織運営について、ゴブリンに知恵を貸したのは、エレナであった。

 故郷キャトロールにてエレナは、格闘術だけでなく戦術を始め、組織を動かす為の経営学を学んできた。その知恵は、遺憾なく発揮される。
 
 エレナの知恵を受けたズマは、軍団を統制する為に組織再編を行った。

 先ずは、軍の細分化によるリスクコントロール。

 主戦力となるトロールを始め、新たに加えたウルガルム、ケルベロス、バジリスクが種族間の同士の諍いを起こさない様に隊に分けると共に、競わせて戦果を挙げさせた。

 軍の細分化と共に、新たに設置したのは情報伝達の部隊であった。

 瞬時に適切な情報が共有される事は、必須である。同時に、組織の意思が末端まで、素早く伝達される事には、大きな意味を持つ。
 ここでは俊敏で、数の多いコボルトが活躍する事になる。
 
 数の多いコボルトは、後方支援班にも配属された。大規模になったゴブリン軍団の食糧補給は、進軍の生命線にもなる。

 大陸随一の結束力は、食料補給に大きな力を発揮した。

 そして各隊に、リーダーとしてゴブリンを配置した。エレナによって鍛え上げられたゴブリン達は、各種族を指揮しながらも、自らが率先して模範を示す。
 リーダー足り得る行動力に、他の種族は敬服の念を抱く。エレナから学んだ全てが、ゴブリンを通して他種族に伝わる。

 これまで、ドラグスメリア大陸において存在しなかった、複数の種族による巨大な組織。それも統率のとれた集団は、一つの軍隊として機能していく。

 目の色が変わった様に暴れる魔獣達は、依然として大陸の南に点在している。力を増し荒れ狂い、大地を汚していく。それが、如何に危険であるのか。

 ゴブリン配下の魔獣達は、まざまざとその脅威を見せつけられる。

 だが、ズマを初めゴブリン達は、配下の魔獣達に伝える。「悪意に呑まれるな。あれは、いずれ魔獣全てを喰らい尽くし、大地を飲み込むだろう」、「生き延びたければ抗え!」、「我らを信じ、共に戦え!」と。

 ゴブリン達の手で、悪意から解き放たれた魔獣がいる。ゴブリン達の手で、救われた命がある。ゴブリンは、既に魔獣達の中において、大きな影響を持つ存在となっていた。

 ゴブリンの軍団は進軍を続ける。ただ、一つだけ大陸内で最大の難敵が、南の地にも存在した。戦闘にならない様に、避けてきた相手でもある。

 スライム。

 物理攻撃が利かず、分裂を繰り返し、取り付いた相手を融解させる。また知能が低く、意思疎通が成り立たない。非常に厄介な相手である。
 
 通常スライムは 自らが攻撃をされない限りは交戦に及ばない。所謂、自身の身を守る為にのみ戦うのだ。
 スライム自身はとても警戒心の強く、常にひっそりと岩陰などに隠れている。ただ、警戒心の強さ故か、近づくだけで攻撃とみなされる場合が有る。
 その為、戦いを好むウルガルムでさえ、スライムの住処近くでは、滅多に戦闘行為を行わない。これが、大陸内の常識である。
 
 しかし、この非常事態に際し、スライムは危うい存在でもあった。

 スライムが悪意に取り込まれ交戦的になれば、手が付けられない。しかし、エレナは無論の事、ズマ達ゴブリンや他の魔獣でも、スライムと意思疎通が出来ない。

 悩むズマ達に、助け舟を出したのはブルであった。

「山さんにお願いすれば、良いんだな」
「山さんって何ニャ?」
「神様なんだな。偉いんだな」
「神様なのかニャ? もう私は神様を信用しないニャ」
「エレナ心配ないんだな。山さんは良い神様なんだな」
 
 神から散々な目に遭わされているエレナは、眉ねを寄せて険しい表情になる。ブルから優しく諭されようが、変わる事は無い。

 しかしエレナは、冬也の顔を思い出す。

 言われた期限が守れなかった場合、相当な怒りが待っているのではないか。想像しただけで背筋が凍り、肌が一斉に粟立つ。

 他に手立てが無いのなら、仕方がない。冬也に怒られる位なら、他の神に縋った方が些かましだ。
 耳をペタンと伏せ、しっぽを身体に巻き付けながら、エレナはブルにチラリと視線を向けた。

「それで山さんはどうやって呼び出すニャ?」
「祈れば良いんだな。そうすれば、冬也が呼び出してくれるんだな」

 ブルの言葉を聞いた瞬間、エレナは全身の毛を逆立てた。

「馬鹿なのかニャ? 冬也は居ないニャ! もう少し現実的な方法を教えるニャ!」
「でも、祈る事が大事なんだな」

 声を荒げるエレナ。対してブルは、呑気な笑顔を浮かべている。そしてエレナは、溜息をついてズマに言い放った。
 
「仕方ないニャ。取り敢えずお前らは、山の神に祈っておくニャ」
「ただ、教官。それで山の神が現れてくれるでしょうか?」
「現れなければ、このデカブツを山の神の住処まで走らせるニャ。責任とらせれば良いニャ」
「別に構わないんだな。おなか減ったし、一度帰りたいんだな」
「ブル! 余計な事を言ったら駄目ニャ! 皆の士気が落ちたらどうするニャ!」

 激しい怒りをぶつけるエレナ。しかし、その怒りはブルによってすぐさま鎮めれる。
 
「エレナ、警戒するんだな。凄い勢いで何かが近づいて来るんだな」

 ブルは怯えた様に、声を発する。ズマは、直ぐに伝令を出し、警戒態勢を整えさせる。だが警戒態勢が整う間も無く、それは高速で接近した。

 それは、一体のドラゴンであった。突風が吹き荒れ、ドラゴンが舞い降りる。密林はドラゴンを避ける様に、枝をしまう。
 ドラゴンは、ゴブリン軍団から日の光を奪った。ズマやエレナは、目を見開く。天を覆うような大きな存在に、声が出なかった。

 そして、本能的な恐怖がゴブリン軍団を包み込む。その大きな存在感は、これまで拡大した勢力を、矮小であるかの様に錯覚させる程であった。

「一つ目のガキ、貴様がブルだな。着いて来てもらおう。冬也様のご命令だ、否は認めん」

 低く響く声は、ブルをして恐怖で足を竦ませる。ただ、その言葉の中にあった冬也という名で、ブルは安堵の気持ちが芽生える。

「冬也がどうかしたんだな? おでに何の用かなんだな?」
「冬也様が貴様にご命令を下された。その手に持つ武器を作るのだ」
「よくわからないんだな。でも冬也の頼みなら、従うんだな」
「良い覚悟だ。特別に俺の足に掴まる事を許してやる」

 ブルはドラゴンの大きな足を掴もうとする。その瞬間、震える声でエレナが叫んだ。

「ま、待つニャ。ぶ、ぶ、ブルを連れていかれると、困るニャ」

 エレナの言葉に、ドラゴンは威嚇する様に睨め付けた。
 
「矮小な存在よ。何故、我が意志を妨げる。相応の理由が無ければ、死して償え」

 圧倒的な力、圧倒的な殺意に、エレナは意識を失いかけた。しかし懸命に堪え、震える足で立ち、枯れる声を絞り出す。

「と、冬也の命令ニャ。大陸の魔獣を手下にするニャ。でも、スライムだけは何ともならないニャ」
「そうか、貴様も冬也様のご命令を受けていたのか」
「今から、山の神を呼び出す所だったニャ。邪魔しちゃ駄目ニャ」
「ふむ。それなら座して待つが良い。我が吉報を届けてやろう」

 冬也の名で、やや態度が軟化したドラゴンは、ブルを連れて飛び去っていく。エレナを始めズマ達ゴブリンも、腰を抜かした。
 呼吸が止まる程の緊張感に包まれていたのだ、致し方ないだろう。他の魔獣達も同様に、極度の緊張から解き放たれて、深呼吸をしていた。意識を失っている魔獣も少なくない。
 
「あれがドラゴンニャ。おっかないニャ」
「流石は教官。自分は何も出来ず」

 悔しそうに歯噛みするズマに、エレナは優しく諭した。

「ズマ、あれは仕方ないニャ。それに時間は有るニャ。まだまだお前は成長できるニャ。今は、皆の志気が下らない様に注意するニャ」
「はっ、教官」

 近づく期限と迫る脅威。その中で、魔獣達は生を求めて足掻き続ける。ゴブリンは、その中心で闘志を燃やす。そして、エレナの困難は始まったばかり。
 深まる混乱の中で、魔獣達は光明を見いだせるのだろうか。