「そう言う事かよ」
冬也が苛立たし気に言い放つ。
鉱山周辺の密林は一キロ近くに渡り枯れ果て、大地が淀んだように黒ずんでいた。瘴気を放つ大地は、かつて冬也が見た旧メルドマリューネと、近い状態に変わろうとしていた。
「おいブル。いつからこんな事になってる?」
「言ったんだな。何日か前だな」
恐らく、これがミュールの言うロメリアが与える大陸への影響だろう。
ペスカの推測が正しければ、異変は大陸の東で起きているはず。スールと呼ばれるエンシェントドラゴンが、東へ向かったのが証拠だ。
東の地だけで問題が発生しているなら、南の地に住む者達に影響は出ないはずなのだ。だとすると、大陸の南で飛び火する様に、影響が出ているのはなぜか。
トロールとゴブリンの関係は、良好だったと聞く。それが急に異常な行動を取り出した。加えて、ブルを襲ったコボルトの瞳は悪意に満ちていた。
事態の全容が全く見えない。恐らく一片を垣間見ただけあり、見落とす以前の問題なのだ。
もしかすると、手が付けられない事態に発展している可能性もある。そしてペスカの言う通り、自分達はそれに気がついていない。
事実、大陸南部の鉱山周辺は、瘴気に覆われているのだから。
「ブル。あの黒いの見えるよな」
「見えるんだな」
「お前はあれに触れて、平気なのか?」
「黒い所を踏むと、嫌な気分になるんだな。だから近寄りたくないんだな」
「果物が取れなくなったのと、黒いの出て来たのは、同じ時期か?」
「冬也の言った通りだな。木が枯れ始めて、気が付いたら土が黒くなってたんだな」
「わかったブル。ちょっと離れてろ。お前の縄張りは、俺が浄化してやる」
「わかったんだな。でも、冬也は小さいから、無理したら駄目なんだな」
ブルは少し冬也を気遣うように、柔らかい口調で注意を促す。冬也は軽く頷くと、ブルの肩から飛び降りた。
大地に降り立つと、冬也は自身の神気を解き放つ。そして大地母神ミュールの力を呼び覚ます様に、大地に問いかけた。
「大地に眠る女神の力よ。その身に宿りし穢れを払え。大地に安らぎを、木々に新たな息吹を与えよ」
冬也の身体が輝き出す。冬也を中心に、黒ずんだ土地から澱みが消えていく。同時に、木々に緑が戻っていった。
更に冬也は、木に多くの実が生る事をイメージし、大地に神気を注いでいく。大地を通し、冬也の神気が木々に伝わる。光と共に、緑溢れる森に実りが戻った。
「おぉ~。凄いんだな。おなかいっぱい食べられるんだな」
ブルの腹から轟音が鳴り響く。大きな口からは涎の雫が垂れ、ブルの足元に大きな水たまりを作った。
たわわに実る果実の森。ブルはもう一度、その光景を見る事が出来ると思ってなかった。ブルはずかっと腰を下ろし、果実に手を伸ばす。
口に入れた果実はとろける様に甘く、みずみずしい。ただ以前の果実とは、少し違う。口に入れると力が溢れる、そんな感覚をブルは味わっていた。
「美味しんだな。凄いんだな」
「そうだろう。俺が神気を込めた果物だぜ」
「冬也は、なんだか不思議な奴だな」
ブルは一つ目を細める様に、笑みを深める。そして冬也は、少し息を吐いた。
大地に広がる黒い澱みは、鉱山周辺の局所的な物だった。だから冬也が一人でも簡単に浄化が出来た。ただ、これ以上の広さになれば、神としては未熟な冬也では浄化が難しくなるだろう。
「ブル。お前は、こんな光景を、他に見た事あるか?」
「冬也がやった事か?」
「ちげぇよ。黒いやつだよ」
「無いんだな。元々ここはおでの住処じゃないんだな」
ブルは、ミューモと呼ばれるエンシェントドラゴンが支配する、大陸の西で生まれた。
サイクロプスは体の大きさ故か、集団で暮らすと周囲のものを食べ尽くし、食料不足に陥いる傾向にある。
その為、家族であっても、散らばって生活をする。それは、生まれて間もない赤子でも同様である。
赤子とは言えその大きさは、周囲の魔獣を遥かに凌駕する。
サイクロプスは、好戦的な種族ではない。しかし身を守る為、止む無く戦う事がある。それでも戦いの上で他者を傷付ける事は、極めて少ない。それは、身に降りかかる諍いを、払い除ける事に注力するからである。
ただし、知能の発達が乏しい赤子には、その理屈が通用しない。無為に手を出せば癇癪を起こし、数十を超える魔獣が死に追いやられる。体の大きな魔獣とて、手痛い傷を負う。
故に魔獣達の間では、サイクロプスに戦いを挑むのは、愚かな行為だとされている。幼いブルが親元を離れ無事に旅を続けられたのは、そんな要因があったからだろう。
物心つく前から旅を続けて来たブルは、今まで木が枯れる事態を見た事が無かった。そして幼いながらに、口にした果実が次に実るまでは、時間がかかる事も理解していた。
そしてブルは、周囲と比べ自分の体が大きい事を自覚していた。その為、住処にしている鉱山周辺も、果物を取り過ぎない様に気をつけていた。
数日前から起きた密林から実りが失われる事態に、ブルは困惑していた。次第に大地の様子が変わっていく事にも気がついていた。
新しい餌場を探す為、移動しなくてはならない。ただ移動する理由は、それだけでは無い。枯れ果てる木、淀む大地。そこに足を踏み入れれば、気分が悪くなる。
ブルは本能的に感じていた。直ぐに鉱山周辺から離れなければと。
実の所、山脈地帯に連れて行けと冬也に言われた時、ブルは少し戸惑いを覚えた。せっかく離れた気味の悪い場所に、なぜ戻らなければならないのか。
しかしブルは、冬也の言う事を聞くべきだと、何となく感じていた。冬也が神気を持って、ブルに命じた訳では無い。ブルの直感が、冬也に従う事を良しとしていた。
ただこの時のブルは、冬也との出会いが運命を変えるとは思っていない。
そして古巣に戻った時に冬也が行った事は、ブルにとって驚きでしかなかった。
嫌な気分になる黒い塊は大地から消え、木々に緑が溢れていく。冬也が何をやったのか、ブルにはわからない。しかし光を放つ冬也の姿はとても神秘的に感じた。
ブルに自覚は無いだろう。
コボルトの群れから助けてくれた時は、まだ冬也の事を怖くて乱暴な生き物という認識でしかなかった。
それは、お気に入りの餌場を、元に戻してくれた恩人。嫌な気分になる黒い塊を、取り除いてくれた凄い奴へと変化していく。
何より果実から溢れる旨味は、これまで味わった事が無い。
ブルは、果実を夢中で頬張りながら、冬也の質問に答える。嬉しそうに笑顔を浮かべて。
そんなブルを、冬也は優しい眼差しで見つめた。
「まぁ、あれを見た事ねぇなら、仕方ねぇな」
「役に立てなくて、ごめんなんだな」
「いや、構わねぇよ。情報なんて、そう簡単に手には入らねぇからな」
「お礼はちゃんとするんだな」
「助かるぜ、ブル。丁度、手を借りたい仕事が有る」
☆ ☆ ☆
冬也が集落を離れてから結成された、ゴブリン軍団の訓練は、日々苛烈を極めていった。
筋力、体力の総合強化から、戦闘、狩りに至るまで、早朝から深夜に訓練は及ぶ。倒れ伏すゴブリンが続出する。
ズマとて、未だエレナの訓練に着いていける訳では無い。しかし何度倒れても、一番最初にズマが立ち上がる。そして、仲間達を鼓舞した。
「諦めるな! 俺達は何のために、厳しい訓練を受けているのだ! またあの蹂躙される日々に、戻りたいのか? 立ち上がれ!」
ズマは怒声を上げる。それは、自分自身への問いかけでもあった。負けるな、挫けるな。ひたすらに、自分を叱咤し続けた。
ズマの強い意志は、周囲に伝播していく。ゴブリン達は、仲間同士で声を掛け合い、訓練を乗り越えていく。日を重ねる毎に、ゴブリン達は戦う集団に変わっていく。
踏みにじられる事に、疑問を感じなかった。虐げられる事に、甘んじていた。
しかし、次は抗う。次は倒す。ゴブリン達の誰もが、一方的に他種族から蔑ろにされる日々には、戻りたくないと感じていた。
力は弱くても、戦う力が無くても、ゴブリンは誇り有る戦士の一族。そしてゴブリン達は、少しずつ戦う力を持ち始めた。拙さは有れど、戦士の表情になって来つつある。
訓練教官を務め、檄を飛ばしていたエレナは、変わりつつあるゴブリン達の姿を見て頬を緩める。
一方ペスカは、ニヤリと笑みを浮かべる。
「そろそろ良い頃合いだね」
冬也が苛立たし気に言い放つ。
鉱山周辺の密林は一キロ近くに渡り枯れ果て、大地が淀んだように黒ずんでいた。瘴気を放つ大地は、かつて冬也が見た旧メルドマリューネと、近い状態に変わろうとしていた。
「おいブル。いつからこんな事になってる?」
「言ったんだな。何日か前だな」
恐らく、これがミュールの言うロメリアが与える大陸への影響だろう。
ペスカの推測が正しければ、異変は大陸の東で起きているはず。スールと呼ばれるエンシェントドラゴンが、東へ向かったのが証拠だ。
東の地だけで問題が発生しているなら、南の地に住む者達に影響は出ないはずなのだ。だとすると、大陸の南で飛び火する様に、影響が出ているのはなぜか。
トロールとゴブリンの関係は、良好だったと聞く。それが急に異常な行動を取り出した。加えて、ブルを襲ったコボルトの瞳は悪意に満ちていた。
事態の全容が全く見えない。恐らく一片を垣間見ただけあり、見落とす以前の問題なのだ。
もしかすると、手が付けられない事態に発展している可能性もある。そしてペスカの言う通り、自分達はそれに気がついていない。
事実、大陸南部の鉱山周辺は、瘴気に覆われているのだから。
「ブル。あの黒いの見えるよな」
「見えるんだな」
「お前はあれに触れて、平気なのか?」
「黒い所を踏むと、嫌な気分になるんだな。だから近寄りたくないんだな」
「果物が取れなくなったのと、黒いの出て来たのは、同じ時期か?」
「冬也の言った通りだな。木が枯れ始めて、気が付いたら土が黒くなってたんだな」
「わかったブル。ちょっと離れてろ。お前の縄張りは、俺が浄化してやる」
「わかったんだな。でも、冬也は小さいから、無理したら駄目なんだな」
ブルは少し冬也を気遣うように、柔らかい口調で注意を促す。冬也は軽く頷くと、ブルの肩から飛び降りた。
大地に降り立つと、冬也は自身の神気を解き放つ。そして大地母神ミュールの力を呼び覚ます様に、大地に問いかけた。
「大地に眠る女神の力よ。その身に宿りし穢れを払え。大地に安らぎを、木々に新たな息吹を与えよ」
冬也の身体が輝き出す。冬也を中心に、黒ずんだ土地から澱みが消えていく。同時に、木々に緑が戻っていった。
更に冬也は、木に多くの実が生る事をイメージし、大地に神気を注いでいく。大地を通し、冬也の神気が木々に伝わる。光と共に、緑溢れる森に実りが戻った。
「おぉ~。凄いんだな。おなかいっぱい食べられるんだな」
ブルの腹から轟音が鳴り響く。大きな口からは涎の雫が垂れ、ブルの足元に大きな水たまりを作った。
たわわに実る果実の森。ブルはもう一度、その光景を見る事が出来ると思ってなかった。ブルはずかっと腰を下ろし、果実に手を伸ばす。
口に入れた果実はとろける様に甘く、みずみずしい。ただ以前の果実とは、少し違う。口に入れると力が溢れる、そんな感覚をブルは味わっていた。
「美味しんだな。凄いんだな」
「そうだろう。俺が神気を込めた果物だぜ」
「冬也は、なんだか不思議な奴だな」
ブルは一つ目を細める様に、笑みを深める。そして冬也は、少し息を吐いた。
大地に広がる黒い澱みは、鉱山周辺の局所的な物だった。だから冬也が一人でも簡単に浄化が出来た。ただ、これ以上の広さになれば、神としては未熟な冬也では浄化が難しくなるだろう。
「ブル。お前は、こんな光景を、他に見た事あるか?」
「冬也がやった事か?」
「ちげぇよ。黒いやつだよ」
「無いんだな。元々ここはおでの住処じゃないんだな」
ブルは、ミューモと呼ばれるエンシェントドラゴンが支配する、大陸の西で生まれた。
サイクロプスは体の大きさ故か、集団で暮らすと周囲のものを食べ尽くし、食料不足に陥いる傾向にある。
その為、家族であっても、散らばって生活をする。それは、生まれて間もない赤子でも同様である。
赤子とは言えその大きさは、周囲の魔獣を遥かに凌駕する。
サイクロプスは、好戦的な種族ではない。しかし身を守る為、止む無く戦う事がある。それでも戦いの上で他者を傷付ける事は、極めて少ない。それは、身に降りかかる諍いを、払い除ける事に注力するからである。
ただし、知能の発達が乏しい赤子には、その理屈が通用しない。無為に手を出せば癇癪を起こし、数十を超える魔獣が死に追いやられる。体の大きな魔獣とて、手痛い傷を負う。
故に魔獣達の間では、サイクロプスに戦いを挑むのは、愚かな行為だとされている。幼いブルが親元を離れ無事に旅を続けられたのは、そんな要因があったからだろう。
物心つく前から旅を続けて来たブルは、今まで木が枯れる事態を見た事が無かった。そして幼いながらに、口にした果実が次に実るまでは、時間がかかる事も理解していた。
そしてブルは、周囲と比べ自分の体が大きい事を自覚していた。その為、住処にしている鉱山周辺も、果物を取り過ぎない様に気をつけていた。
数日前から起きた密林から実りが失われる事態に、ブルは困惑していた。次第に大地の様子が変わっていく事にも気がついていた。
新しい餌場を探す為、移動しなくてはならない。ただ移動する理由は、それだけでは無い。枯れ果てる木、淀む大地。そこに足を踏み入れれば、気分が悪くなる。
ブルは本能的に感じていた。直ぐに鉱山周辺から離れなければと。
実の所、山脈地帯に連れて行けと冬也に言われた時、ブルは少し戸惑いを覚えた。せっかく離れた気味の悪い場所に、なぜ戻らなければならないのか。
しかしブルは、冬也の言う事を聞くべきだと、何となく感じていた。冬也が神気を持って、ブルに命じた訳では無い。ブルの直感が、冬也に従う事を良しとしていた。
ただこの時のブルは、冬也との出会いが運命を変えるとは思っていない。
そして古巣に戻った時に冬也が行った事は、ブルにとって驚きでしかなかった。
嫌な気分になる黒い塊は大地から消え、木々に緑が溢れていく。冬也が何をやったのか、ブルにはわからない。しかし光を放つ冬也の姿はとても神秘的に感じた。
ブルに自覚は無いだろう。
コボルトの群れから助けてくれた時は、まだ冬也の事を怖くて乱暴な生き物という認識でしかなかった。
それは、お気に入りの餌場を、元に戻してくれた恩人。嫌な気分になる黒い塊を、取り除いてくれた凄い奴へと変化していく。
何より果実から溢れる旨味は、これまで味わった事が無い。
ブルは、果実を夢中で頬張りながら、冬也の質問に答える。嬉しそうに笑顔を浮かべて。
そんなブルを、冬也は優しい眼差しで見つめた。
「まぁ、あれを見た事ねぇなら、仕方ねぇな」
「役に立てなくて、ごめんなんだな」
「いや、構わねぇよ。情報なんて、そう簡単に手には入らねぇからな」
「お礼はちゃんとするんだな」
「助かるぜ、ブル。丁度、手を借りたい仕事が有る」
☆ ☆ ☆
冬也が集落を離れてから結成された、ゴブリン軍団の訓練は、日々苛烈を極めていった。
筋力、体力の総合強化から、戦闘、狩りに至るまで、早朝から深夜に訓練は及ぶ。倒れ伏すゴブリンが続出する。
ズマとて、未だエレナの訓練に着いていける訳では無い。しかし何度倒れても、一番最初にズマが立ち上がる。そして、仲間達を鼓舞した。
「諦めるな! 俺達は何のために、厳しい訓練を受けているのだ! またあの蹂躙される日々に、戻りたいのか? 立ち上がれ!」
ズマは怒声を上げる。それは、自分自身への問いかけでもあった。負けるな、挫けるな。ひたすらに、自分を叱咤し続けた。
ズマの強い意志は、周囲に伝播していく。ゴブリン達は、仲間同士で声を掛け合い、訓練を乗り越えていく。日を重ねる毎に、ゴブリン達は戦う集団に変わっていく。
踏みにじられる事に、疑問を感じなかった。虐げられる事に、甘んじていた。
しかし、次は抗う。次は倒す。ゴブリン達の誰もが、一方的に他種族から蔑ろにされる日々には、戻りたくないと感じていた。
力は弱くても、戦う力が無くても、ゴブリンは誇り有る戦士の一族。そしてゴブリン達は、少しずつ戦う力を持ち始めた。拙さは有れど、戦士の表情になって来つつある。
訓練教官を務め、檄を飛ばしていたエレナは、変わりつつあるゴブリン達の姿を見て頬を緩める。
一方ペスカは、ニヤリと笑みを浮かべる。
「そろそろ良い頃合いだね」