沢山の獲物と共に、冬也は探索から戻ってきた。生きたまま木々に捕えさせたので、エレナに捌くように冬也は伝える。そして、直ぐに井戸作りに取り掛かった。
冬也は休まず神気を通じ、井戸のイメージを大地に伝え、大地に自ら穴を掘らせる。同時に木々へ枝や蔦を譲る様に頼み、桶や滑車、蔦を組み合わせてロープを自作した。
ズマの治療と、ひと通りゴブリン達の巡回治療を終えたペスカが、冬也の様子を見に来た頃には、簡易的なつるべ井戸が出来上がっていた。
「おぉ~! お兄ちゃん、凄いね。日曜大工の域を超えてるよ」
「ペスカか。俺はほとんど作業をしてねぇよ。木の加工を少しして、組み立てただけだ。後は全部、大地や木がやってくれた」
「って事は、お兄ちゃん。かなり神気を使ったよね。お兄ちゃんの神気の影響で、水が神水になってなければ良いね」
「変な事を言うんじゃねぇ、ペスカ。それよりも話がある」
冬也は、ペスカに木々から聞いた情報を伝える。ペスカは眉を動かす事も無く、冬也の話しを聞く。そして、少し考え込む様にし、ゆっくりと口を開いた。
「そっか、ここはスールの支配地域だったか」
「ペスカ。そのスールってなんだ?」
「エンシェントドラゴンの名前だよ。北のノーヴェ、東のニューラ、西のミューモ、南のスール。何千年も生きているドラゴンなんだよ」
「んで、そのスールってのが、今は東に行ったらしいんだ」
冬也の言葉に、ペスカは少し眉根を寄せる。
エンシェントドラゴンが動きだしたのだ、事態は予想以上に悪化しているのだろう。ペスカは数少ない情報を整理し、起きている事態についての推測を冬也に語った。
「多分だけど、ロメリアはこの大陸の東でドラゴンを調達して、手駒に変えたんじゃ無いかな」
「大陸の東って限定出来るのか、ペスカ」
「お兄ちゃん。前にマーレって街に行ったでしょ?」
「あぁ、覚えてるぞ。イカの化け物と戦った場所だ」
「うぁ~。嫌な事を思い出させないで! まぁ、そのマーレから船で二か月くらい西に進むと、ドラグスメリア大陸に着くんだよ」
「じゃあ、ラフィスフィア大陸に一番近いのが、この大陸の東側って事か?」
「そう言う事。スールは、大陸の異変を感じて駆け付けたんじゃないかな」
「今更か?」
「対応の遅さは、ミュール様もそうだけど、何か引っかかるんだよね」
「トロールの暴走も、そういうのが原因って事か?」
「多分ね。なんかモヤモヤするけど」
「どうするペスカ? 直ぐに、東に向かうか?」
「暫くは、ここを拠点に調査を続行しよう。まだ見落としている事が、有ると思うの」
冬也は軽く頷いて、ペスカの意見に同意する。だが、ふと思い出したように、ペスカに言い放つ。
「俺、明日から何日か遠出するから」
「ちょっと、お兄ちゃん。どこ行くの?」
「鉱山だよ。お前は良い子で留守番してろ。それと暫くの間は獲物を運ぶ様に、森に頼んどいたから、飯には困らねぇはずだ」
「わかったよ。お兄ちゃんが留守の間は、私が周辺の調査を進めるよ」
「頼むな。鉱山辺りには、別の魔獣が暮らしてるらしいから、そいつらの様子も見て来る」
ペスカは心配そうに冬也を見つめる。そんなペスカの視線を感じ、冬也は頭を軽く撫でた。
それは、互いの無事を案じる心が、繋がり合う様だった。そして、冬也は翌朝早朝に、鉱山に向かい出かけた。
冬也が出かけて数時間した頃に、ズマが目を覚ます。
ズマが最初に見た景色は、小屋の天井であった。慌てて起き上るが、痛みが無い。訓練の途中だったはず、倒れていいはずが無い。少しふらつく体を動かし、ズマは小屋を出る。
小屋を出て集落を見渡したズマは、立ちこめる香ばしい匂いに釣られて、フラフラと歩き出す。広場では焚き火が行われており、エレナが肉を焼いていた。エレナの姿を見つけると、ズマは走り寄る。
「教官! 倒れてしまい、申し訳ありません!」
エレナの前で、ズマは畏まり姿勢を正す。恐縮するズマを気に掛ける様に、エレナは少し笑顔を浮かべて答える。
「起きたんだな。身体に異常は無いか?」
「ハッ! どこにも異常は有りません」
「そうか。明日から訓練再開だ。今日はいっぱい食事を取って休め。休む事も重要な訓練だ」
「ハッ教官! いっぱい食べて、休みます!」
エレナは串に刺さった肉を、ズマに差し出す。
「ちょうど焼けたところだ。食えズマ」
ズマは、肉にかぶりつく。肉汁が口の中に溢れる。旨味が口の中で爆発する様だった。同時に涙が溢れて止まらない。
「旨いかズマ。いずれお前達は、自分の手で獲物を獲れる様になる。自分で獲った獲物は、もっと旨いぞ!」
「ハイ! ありがとうございます、教官!」
感動しながら肉を味わうズマの後方から、声が聞こえる。ズマが振り向くと、ペスカが手を振っている。ズマは肉を置き、再び姿勢を正した。
「お~。ズマ、起きたんだ。良かったね~」
「ペスカ殿。自分の治療をして下さったのは、あなた殿でしょうか?」
「あ~、うん。私だけど、その喋り方は違和感が凄いね」
「ペスカ殿、誠にかたじけない」
態度から言葉遣いまで、別人の様に変わったズマに、酷い違和感を感じつつも、ペスカは笑顔を絶やさずに言葉を続けた。
「ズマ。今朝から少しずつあんたの仲間が、意識を取り戻してるよ」
「本当か、ペスカ殿!」
その朗報に、走り出さんとするズマを、エレナがきつく諌める。
「ズマ。食事中は落ち着け! 仲間は逃げない。さっき命じた事を忘れるな!」
「ハッ! 申し訳ございません教官! いっぱい食べて休みます!」
「食事が終わったら、行って良い! 仲間を見舞ってやれ」
「ありがとうございます、教官」
ズマはエレナに頭を下げると、食事を続ける。そして勢い良く肉を貪るズマは、喉を詰まらせる。しかし、ペスカから差し出された水で事無きを得た。
ただ、夢中で水を飲むズマは、気がつかない。この集落の傍には水場が無い。川には半日ほど歩かないと辿り着かない。
川の近くは、他の魔獣が集落を作っている。最弱のゴブリンは、水場近くに集落を作れない。水の確保はゴブリン達に取って、重要な労働でもあった。
少し時間を置いて、ようやく気が付いたのかズマは目を丸くする。
「と、ところで、ペスカ殿。こ、これは水ではないか? どこでこれを?」
「夕べ、お兄ちゃんが、井戸を掘ってくれたんだよ」
「井戸? 何ですか、それは?」
「後で見に行きなよ。これからは、水に困る事は無いからね」
「何から何まで、なんて有難い。あなた方は、神様か」
ズマは、胸いっぱいに感動を溢れさせ、深々とペスカに頭を下げる。ゴブリン達にとっては、感謝してもしきれない事なのだろう。
気にするな大したことはしてんねぇ。冬也なら、間違いなくそう言うだろう。そもそも、ペスカは何もしていないのだ。頭を下げらる謂れは無い。ペスカは少し、引き攣った表情になり、エレナの隣に座った。
エレナから、木の皿に乗った肉を受け取り、ペスカも食事を始める。
「冬也のやつ。案外と器用だニャ。この皿を作ったのもあいつニャ。ちょっと見直したニャ」
「お兄ちゃんは、やれば出来る子なんだよ」
「ところで、当の本人はどこに行ったニャ?」
「今日は鉱山に行くんだって」
「なんで鉱山ニャ?」
「エレナ、ゴブリン達を戦わせるって言っても、武器はどうするの?」
「考えて無かったニャ。後で冬也に感謝するニャ」
そう、ゴブリン達は、戦う術、狩りの仕方、何も知らない。それは同時に、武器の使い方、武器の存在すらも知らない事になる。
これから、ゴブリン達を訓練するには、武器の存在は不可欠になる。それに、訓練を終えれば、実戦が待っているのだ。冬也が高山に向かったのは、鉱石を採掘して武器を作る為である。
冬也の事を馬鹿にしていた事は否めない。陰で様々なサポートする姿に、エレナの中で冬也の評価は変わりつつあった。
エレナとペスカが会話をしている間、ズマは肉を貪る。ひとしきり肉を食べ進めると、ズマは立ち上がり、エレナに頭を下げる。
「教官! お先に失礼いたします」
かなり仲間の容態が気になっているのだろうか、ズマは走り去った。
病室代わりにしている小屋は、それほど広くは無い。すし詰め状態で、ゴブリン達が並べられている。ズマが顔を出すと、目覚めた者の中に、笑顔を見せる者が現れる。
「族長。無事だったか」
「ズマさん、良かった」
「皆がズマに助けられた様だな」
ズマの瞳から、大粒の涙が零れる。
「良かった。うぉぉぅぅぅ。元気になったんだな。ペスカ殿。あなたは、誠に女神だぁぁぁ!」
大声で泣き叫ぶズマに、目を覚ましたゴブリン達が、次々と抱き着いていく。
ズマに引きずられる様に、涙を流していた。ゴブリン達は、無事で有る事に感謝をし、口々にペスカに祈りを捧げた。
ペスカは神の一員として、名を連ねた現人神である。その事実を、ゴブリン達は知らない。ただ、純粋に感謝を捧げる様に、ペスカに祈った。意図せずにこの行為が、ペスカの神気を増す要因となる。
感動の再会を終え、落ち着きを取り戻した小屋の中で、ズマはゴブリン達を眺めて静かに口を開く。
「いま、私は戦いの訓練を受けている」
ズマの言葉に、ゴブリン達が騒めき出す。
「私はゴブリンの長として、流される様に生きてきた。その結果、トロール達に襲撃を受けても、何も出来なかった」
ゴブリン達の頭に、トロール達からいたぶられた時の記憶が蘇る。押し黙り俯くゴブリン達、ズマはゆっくりと皆を見渡し言葉を続ける。
「仕方が無いと諦めていた。誇りはいつの間にか歪み、卑屈になっていた。我々は、最弱の種族であると、自ら認めてしまっていた」
ゴブリン達には耳の痛い言葉だった。
「我々はこれからも、トロール達に蹂躙され何も出来ずに、のうのうと生きていくのか?」
ズマは仲間達に問いかける。ズマは、エレナから教えられた、生き抜く気概を仲間に伝えたかった。
「私は自分を変えたい。だから、抗うと決めた。戦うと決めた」
戦う意志、生き抜く覚悟、それらがメラメラと燃え盛り、ズマの瞳に炎が宿る。
「訓練は辛く厳しい。我らゴブリン族に、耐えられる訓練では無い。だが戦う意志の有る者は、明日の早朝に広間へ集まってくれ」
再び小屋の中が騒めき出す。
それも当然の事だ。ズマの語った通り、弱い事は仕方がないと諦めていた。種族の壁を超えられるとも思っていなかった。流されるままに、他種族の言いなりになり。いずれ淘汰される種族なのだと諦めていた。
だが、族長であるズマは、今の状況を良しとはしなかった。抗う姿勢を見せた。今迄のズマからは、信じられない言葉が放たれたのだ。
しかし如何に族長の言葉でも、直ぐには受け止められるはずが無い。
悔しくないと言えば嘘になる。嬲られる事を受け入れている事実に、情けないと感じているのは事実である。だけど、どうしようもない。
自分達は、最弱の種族なのだから。
だが、ズマは語る。抗うと、強くなると。ズマの言う訓練が、どれだけのものかわからない。耐えられるものではない。
その言葉が事実なら、訓練の中で命を落とす可能性が高いだろう。せっかく助かった命を、効果が有るかどうかわからない訓練で使い果たす。
躊躇しても、不思議ではない。寧ろ、二の足を踏むのが当然なのだ。
しかし、ズマの言葉を聞いている内に、心の中に何かが芽生え始めたのは事実であった。
「強制はしない。意思無き者に、乗り越えられる訓練では無い。だが、私は乗り越える。そして、皆をなぶり尽くしたトロール達を、必ず倒す!」
ズマの言葉はどこまでゴブリン達に響いただろうか。ズマは言い残すと医療所にしていた小屋を後にし、自分が休んでいた小屋に戻る。
そして、助かったゴブリン達は、一晩かけた悩んだ末に、答えを出した。
どれだけ苦悩をしただろう。どれだけ勇気のいる決断だっただろう。変わらなければならない、それは事実なのだ。
淘汰される種族にはなりたくない。生き残りたい。生まれて来る子供達に、不幸な運命を背負わせたくない。もしこれを逃したら、自分達が変わる事が出来る機会は、二度と訪れない。
我らは誇りあるゴブリン。その名が、偽りとならない様に、族長と共に強くなろう。
翌朝、目を覚まし広場に向かうズマが見たのは、ズマの到着を待つ様に集まるゴブリン達であった。
ここにゴブリンの軍団が作られる。逆襲の一歩が踏み出された瞬間であった。
冬也は休まず神気を通じ、井戸のイメージを大地に伝え、大地に自ら穴を掘らせる。同時に木々へ枝や蔦を譲る様に頼み、桶や滑車、蔦を組み合わせてロープを自作した。
ズマの治療と、ひと通りゴブリン達の巡回治療を終えたペスカが、冬也の様子を見に来た頃には、簡易的なつるべ井戸が出来上がっていた。
「おぉ~! お兄ちゃん、凄いね。日曜大工の域を超えてるよ」
「ペスカか。俺はほとんど作業をしてねぇよ。木の加工を少しして、組み立てただけだ。後は全部、大地や木がやってくれた」
「って事は、お兄ちゃん。かなり神気を使ったよね。お兄ちゃんの神気の影響で、水が神水になってなければ良いね」
「変な事を言うんじゃねぇ、ペスカ。それよりも話がある」
冬也は、ペスカに木々から聞いた情報を伝える。ペスカは眉を動かす事も無く、冬也の話しを聞く。そして、少し考え込む様にし、ゆっくりと口を開いた。
「そっか、ここはスールの支配地域だったか」
「ペスカ。そのスールってなんだ?」
「エンシェントドラゴンの名前だよ。北のノーヴェ、東のニューラ、西のミューモ、南のスール。何千年も生きているドラゴンなんだよ」
「んで、そのスールってのが、今は東に行ったらしいんだ」
冬也の言葉に、ペスカは少し眉根を寄せる。
エンシェントドラゴンが動きだしたのだ、事態は予想以上に悪化しているのだろう。ペスカは数少ない情報を整理し、起きている事態についての推測を冬也に語った。
「多分だけど、ロメリアはこの大陸の東でドラゴンを調達して、手駒に変えたんじゃ無いかな」
「大陸の東って限定出来るのか、ペスカ」
「お兄ちゃん。前にマーレって街に行ったでしょ?」
「あぁ、覚えてるぞ。イカの化け物と戦った場所だ」
「うぁ~。嫌な事を思い出させないで! まぁ、そのマーレから船で二か月くらい西に進むと、ドラグスメリア大陸に着くんだよ」
「じゃあ、ラフィスフィア大陸に一番近いのが、この大陸の東側って事か?」
「そう言う事。スールは、大陸の異変を感じて駆け付けたんじゃないかな」
「今更か?」
「対応の遅さは、ミュール様もそうだけど、何か引っかかるんだよね」
「トロールの暴走も、そういうのが原因って事か?」
「多分ね。なんかモヤモヤするけど」
「どうするペスカ? 直ぐに、東に向かうか?」
「暫くは、ここを拠点に調査を続行しよう。まだ見落としている事が、有ると思うの」
冬也は軽く頷いて、ペスカの意見に同意する。だが、ふと思い出したように、ペスカに言い放つ。
「俺、明日から何日か遠出するから」
「ちょっと、お兄ちゃん。どこ行くの?」
「鉱山だよ。お前は良い子で留守番してろ。それと暫くの間は獲物を運ぶ様に、森に頼んどいたから、飯には困らねぇはずだ」
「わかったよ。お兄ちゃんが留守の間は、私が周辺の調査を進めるよ」
「頼むな。鉱山辺りには、別の魔獣が暮らしてるらしいから、そいつらの様子も見て来る」
ペスカは心配そうに冬也を見つめる。そんなペスカの視線を感じ、冬也は頭を軽く撫でた。
それは、互いの無事を案じる心が、繋がり合う様だった。そして、冬也は翌朝早朝に、鉱山に向かい出かけた。
冬也が出かけて数時間した頃に、ズマが目を覚ます。
ズマが最初に見た景色は、小屋の天井であった。慌てて起き上るが、痛みが無い。訓練の途中だったはず、倒れていいはずが無い。少しふらつく体を動かし、ズマは小屋を出る。
小屋を出て集落を見渡したズマは、立ちこめる香ばしい匂いに釣られて、フラフラと歩き出す。広場では焚き火が行われており、エレナが肉を焼いていた。エレナの姿を見つけると、ズマは走り寄る。
「教官! 倒れてしまい、申し訳ありません!」
エレナの前で、ズマは畏まり姿勢を正す。恐縮するズマを気に掛ける様に、エレナは少し笑顔を浮かべて答える。
「起きたんだな。身体に異常は無いか?」
「ハッ! どこにも異常は有りません」
「そうか。明日から訓練再開だ。今日はいっぱい食事を取って休め。休む事も重要な訓練だ」
「ハッ教官! いっぱい食べて、休みます!」
エレナは串に刺さった肉を、ズマに差し出す。
「ちょうど焼けたところだ。食えズマ」
ズマは、肉にかぶりつく。肉汁が口の中に溢れる。旨味が口の中で爆発する様だった。同時に涙が溢れて止まらない。
「旨いかズマ。いずれお前達は、自分の手で獲物を獲れる様になる。自分で獲った獲物は、もっと旨いぞ!」
「ハイ! ありがとうございます、教官!」
感動しながら肉を味わうズマの後方から、声が聞こえる。ズマが振り向くと、ペスカが手を振っている。ズマは肉を置き、再び姿勢を正した。
「お~。ズマ、起きたんだ。良かったね~」
「ペスカ殿。自分の治療をして下さったのは、あなた殿でしょうか?」
「あ~、うん。私だけど、その喋り方は違和感が凄いね」
「ペスカ殿、誠にかたじけない」
態度から言葉遣いまで、別人の様に変わったズマに、酷い違和感を感じつつも、ペスカは笑顔を絶やさずに言葉を続けた。
「ズマ。今朝から少しずつあんたの仲間が、意識を取り戻してるよ」
「本当か、ペスカ殿!」
その朗報に、走り出さんとするズマを、エレナがきつく諌める。
「ズマ。食事中は落ち着け! 仲間は逃げない。さっき命じた事を忘れるな!」
「ハッ! 申し訳ございません教官! いっぱい食べて休みます!」
「食事が終わったら、行って良い! 仲間を見舞ってやれ」
「ありがとうございます、教官」
ズマはエレナに頭を下げると、食事を続ける。そして勢い良く肉を貪るズマは、喉を詰まらせる。しかし、ペスカから差し出された水で事無きを得た。
ただ、夢中で水を飲むズマは、気がつかない。この集落の傍には水場が無い。川には半日ほど歩かないと辿り着かない。
川の近くは、他の魔獣が集落を作っている。最弱のゴブリンは、水場近くに集落を作れない。水の確保はゴブリン達に取って、重要な労働でもあった。
少し時間を置いて、ようやく気が付いたのかズマは目を丸くする。
「と、ところで、ペスカ殿。こ、これは水ではないか? どこでこれを?」
「夕べ、お兄ちゃんが、井戸を掘ってくれたんだよ」
「井戸? 何ですか、それは?」
「後で見に行きなよ。これからは、水に困る事は無いからね」
「何から何まで、なんて有難い。あなた方は、神様か」
ズマは、胸いっぱいに感動を溢れさせ、深々とペスカに頭を下げる。ゴブリン達にとっては、感謝してもしきれない事なのだろう。
気にするな大したことはしてんねぇ。冬也なら、間違いなくそう言うだろう。そもそも、ペスカは何もしていないのだ。頭を下げらる謂れは無い。ペスカは少し、引き攣った表情になり、エレナの隣に座った。
エレナから、木の皿に乗った肉を受け取り、ペスカも食事を始める。
「冬也のやつ。案外と器用だニャ。この皿を作ったのもあいつニャ。ちょっと見直したニャ」
「お兄ちゃんは、やれば出来る子なんだよ」
「ところで、当の本人はどこに行ったニャ?」
「今日は鉱山に行くんだって」
「なんで鉱山ニャ?」
「エレナ、ゴブリン達を戦わせるって言っても、武器はどうするの?」
「考えて無かったニャ。後で冬也に感謝するニャ」
そう、ゴブリン達は、戦う術、狩りの仕方、何も知らない。それは同時に、武器の使い方、武器の存在すらも知らない事になる。
これから、ゴブリン達を訓練するには、武器の存在は不可欠になる。それに、訓練を終えれば、実戦が待っているのだ。冬也が高山に向かったのは、鉱石を採掘して武器を作る為である。
冬也の事を馬鹿にしていた事は否めない。陰で様々なサポートする姿に、エレナの中で冬也の評価は変わりつつあった。
エレナとペスカが会話をしている間、ズマは肉を貪る。ひとしきり肉を食べ進めると、ズマは立ち上がり、エレナに頭を下げる。
「教官! お先に失礼いたします」
かなり仲間の容態が気になっているのだろうか、ズマは走り去った。
病室代わりにしている小屋は、それほど広くは無い。すし詰め状態で、ゴブリン達が並べられている。ズマが顔を出すと、目覚めた者の中に、笑顔を見せる者が現れる。
「族長。無事だったか」
「ズマさん、良かった」
「皆がズマに助けられた様だな」
ズマの瞳から、大粒の涙が零れる。
「良かった。うぉぉぅぅぅ。元気になったんだな。ペスカ殿。あなたは、誠に女神だぁぁぁ!」
大声で泣き叫ぶズマに、目を覚ましたゴブリン達が、次々と抱き着いていく。
ズマに引きずられる様に、涙を流していた。ゴブリン達は、無事で有る事に感謝をし、口々にペスカに祈りを捧げた。
ペスカは神の一員として、名を連ねた現人神である。その事実を、ゴブリン達は知らない。ただ、純粋に感謝を捧げる様に、ペスカに祈った。意図せずにこの行為が、ペスカの神気を増す要因となる。
感動の再会を終え、落ち着きを取り戻した小屋の中で、ズマはゴブリン達を眺めて静かに口を開く。
「いま、私は戦いの訓練を受けている」
ズマの言葉に、ゴブリン達が騒めき出す。
「私はゴブリンの長として、流される様に生きてきた。その結果、トロール達に襲撃を受けても、何も出来なかった」
ゴブリン達の頭に、トロール達からいたぶられた時の記憶が蘇る。押し黙り俯くゴブリン達、ズマはゆっくりと皆を見渡し言葉を続ける。
「仕方が無いと諦めていた。誇りはいつの間にか歪み、卑屈になっていた。我々は、最弱の種族であると、自ら認めてしまっていた」
ゴブリン達には耳の痛い言葉だった。
「我々はこれからも、トロール達に蹂躙され何も出来ずに、のうのうと生きていくのか?」
ズマは仲間達に問いかける。ズマは、エレナから教えられた、生き抜く気概を仲間に伝えたかった。
「私は自分を変えたい。だから、抗うと決めた。戦うと決めた」
戦う意志、生き抜く覚悟、それらがメラメラと燃え盛り、ズマの瞳に炎が宿る。
「訓練は辛く厳しい。我らゴブリン族に、耐えられる訓練では無い。だが戦う意志の有る者は、明日の早朝に広間へ集まってくれ」
再び小屋の中が騒めき出す。
それも当然の事だ。ズマの語った通り、弱い事は仕方がないと諦めていた。種族の壁を超えられるとも思っていなかった。流されるままに、他種族の言いなりになり。いずれ淘汰される種族なのだと諦めていた。
だが、族長であるズマは、今の状況を良しとはしなかった。抗う姿勢を見せた。今迄のズマからは、信じられない言葉が放たれたのだ。
しかし如何に族長の言葉でも、直ぐには受け止められるはずが無い。
悔しくないと言えば嘘になる。嬲られる事を受け入れている事実に、情けないと感じているのは事実である。だけど、どうしようもない。
自分達は、最弱の種族なのだから。
だが、ズマは語る。抗うと、強くなると。ズマの言う訓練が、どれだけのものかわからない。耐えられるものではない。
その言葉が事実なら、訓練の中で命を落とす可能性が高いだろう。せっかく助かった命を、効果が有るかどうかわからない訓練で使い果たす。
躊躇しても、不思議ではない。寧ろ、二の足を踏むのが当然なのだ。
しかし、ズマの言葉を聞いている内に、心の中に何かが芽生え始めたのは事実であった。
「強制はしない。意思無き者に、乗り越えられる訓練では無い。だが、私は乗り越える。そして、皆をなぶり尽くしたトロール達を、必ず倒す!」
ズマの言葉はどこまでゴブリン達に響いただろうか。ズマは言い残すと医療所にしていた小屋を後にし、自分が休んでいた小屋に戻る。
そして、助かったゴブリン達は、一晩かけた悩んだ末に、答えを出した。
どれだけ苦悩をしただろう。どれだけ勇気のいる決断だっただろう。変わらなければならない、それは事実なのだ。
淘汰される種族にはなりたくない。生き残りたい。生まれて来る子供達に、不幸な運命を背負わせたくない。もしこれを逃したら、自分達が変わる事が出来る機会は、二度と訪れない。
我らは誇りあるゴブリン。その名が、偽りとならない様に、族長と共に強くなろう。
翌朝、目を覚まし広場に向かうズマが見たのは、ズマの到着を待つ様に集まるゴブリン達であった。
ここにゴブリンの軍団が作られる。逆襲の一歩が踏み出された瞬間であった。