「あぁ。そっか。わかった、わかったって。あぁ、やっとくよ。でもよフィアーナ。お前、今何時かわかってるか? 夜中の二時だよ、二時! いや、お前は神様だから、眠らねぇんだろうけどよ。俺は眠いんだよ。糞みてぇな異世界の神のせいでよ、忙しいの! 後始末が大変なんだ。そんで、久しぶりの休みなの。わかる? いや、泣くなって。強く言って悪かった。ごめん、ごめんって。今度な、今度ちゃんと相手すっから、今は寝かしてくれ。あぁ、わかった。わかったってば」

 真っ暗な部屋の中で、独り言をブツブツと言う男。その名は東郷遼太郎、冬也の父であり、異世界の女神フィアーナと通信が出来る唯一人の男である。

 東京にロメリアが転移し、異能力者を増やした事から、遼太郎は忙しい日々を送っていた。
 遼太郎の所属する機関は、政府でも知る人間が少ない秘密組織、宮内庁特別怨霊対策局という。遼太郎は組織の一員として、日本各地を巡る事が多く、ほとんど家に帰らない。
 今はほとんど都内を転々とし、休む間も無く異能力者の対応に追われていた。

 東京で起きた異能力者の続出、高尾山の爆発等から、事件は日本各地どころか、世界中に知れ渡る事となった。
 当然、異世界の神が暴れた等とは言えない政府は、緊急の記者会見の場で原因不明の爆発で調査中とだけ報じた後、緊急閣議で異能力者に関する法案をまとめた。

 だが、事はそれでは終わらない。

 臨時国会では、爆発や異能力者続出の原因を、野党にしつこく詰められ、法案はなかなか可決しない。その間、自身を取り巻く環境の変化に耐えられず、暴れ出す異能力者が増え続ける。

 マスコミは煽る様に報道を重ね、人々の不安は加速する。
 
 そんな中、久しぶりの休暇を認められ自宅で寝ていた遼太郎は、女神フィアーナの念話によって、たたき起こされた。
 遼太郎は眠い目を擦り台所へ行き、冷蔵庫を開けてビールを何本か取る。

「くそ、目が覚めちまった。しかも余計な仕事が増えちまった。なんだって、異世界人がまた来るんだよ。どう説明しろってんだ」

 プシュっという音と共に、遼太郎の喉が条件反射的にゴクリと鳴る。五百mℓの缶を瞬く間に飲み干すと、遼太郎は次の缶を開けた。

「なんだっけ、クラウスって言ったか。クラウスが日本で暮らす。なんてな」

 女神フィアーナは、異世界の現状を遼太郎に説明し、空と翔一の帰還を伝えた。ついでにクラウスというエルフを送るから、色々と手続きをする様に依頼した。
 ただ中には、遼太郎自身が上手く呑み込めない報告もあった。
 
「冬也はともかく、ペスカと会えなくなるのは、アレだな。娘を嫁に出した父親は、こうやってヤケ酒すんのか」
 
 独り言を零しながら、遼太郎はビールを煽る。

 ほとんど家に帰らず、たまに帰れば冬也を徹底的にしごく。しかしペスカの事は、自分の娘の様に思っている。帰らない事は寂しいし酷く切ない。
 血を分けた肉親の冬也が戻らない事に、僅かな寂しさを感じてはいるが、それを認めたく無いひねくれた中年の男心であった。

 ビールだけでは物足りなくなってきた遼太郎は、冷蔵庫を再び開けるが、ビール以外の物は入っていない。勢い良く冷蔵庫を閉めると、遼太郎は悪態をついた。

「くそっ、つまみがねぇ。でも、買いに行きたくねぇ。あ~、動きたくねぇ。冬也がいれば、たたき起こして、買いに行かせるのによぉ。糞つまんねぇ。あの馬鹿、頭悪い癖に何が神だよ。せっかく俺が鍛えてやったのに、ただの糞野郎じゃねぇか」

 ビールを煽って、いつの間にか遼太郎は、テーブルに突っ伏して寝てしまう。椅子から滑り落ち、音を立てて頭を打ち目を覚ますまで、遼太郎はぐっすりと寝ていた。

「いってぇ。んだよ、くそっ」

 ボヤキながら周りを見渡すと、テーブルにはビールの空き缶が散乱している。外はもう夜が明けようとしている。遼太郎は僅かの間をおき、状況を把握した。

「あぁ、そっか。あのまま、寝ちまったのか。頭いてぇ。これ、二日酔いだけじゃねぇだろ」

 独り言ちる遼太郎は、頭を押さえてフラフラ立ち上がると、冷蔵庫へ向かう。何度見ても、中にはビール以外の物は、入っていない。遼太郎の腹の虫が、運動会をしている様に、静かな部屋に鳴り響く。
 ややあって遼太郎は、お腹を擦りつつ、スマートフォンを手に取り電話をかける。何コールか後に相手が出ると、遼太郎は気安い感じで話し始めた。

「おう、俺だ。久しぶりだな」
「オレオレ詐欺は、間に合ってるよ」
「いや、そうじゃねぇよ。スマホに表示出てんだろ!」
「それで、東郷先輩。何の用です?」
「お前さぁ、今から家に来いよ。俺、今日非番で暇なんだわ」
「でも僕は、これから仕事ですが」
「そんなの、サボっちまえ。良いから来いって。酒とか色々、用意しとくからよ」
「はぁ、仕方ないですね。あ、僕はケーキが食べたい。ホールで」
「わかった。それも用意しとく。何時ごろになる?」
「昼前には行きますよ。昼飯は寿司が良いな」
「わかった、後でな」

 電話を切ると、遼太郎は棚をゴソゴソと漁る。食料の在りかは知っているのだ。しかも、ペスカが隠していたカップ焼きそばが。
 
「甘いぜペスカ。冬也に見つからなくても、俺にはお見通しだ」

 妹思いの冬也は、ジャンクフードを許さない。だが、こっそりと冬也に隠れて、ペスカがカップ焼きそばを食べている事を、遼太郎は知っていた。
 
 東郷邸は、異世界人であるペスカやシルビア、果てや女神フィアーナが滞在していた場所である。

 なぜ皆が、東郷邸に集められたのか。

 ペスカ達に関しては、女神フィアーナからの依頼があったのは事実だ。しかし、遼太郎は宮内庁特別怨霊対策局の一員である。異世界人を保護するだけで無く、監視も兼ねていた。家のあちこちに隠しカメラが設置され、遼太郎は時折監視をしていた。

 遼太郎は、女神フィアーナやシルビアから、ペスカの事情を聞いていた。だからこそ危惧していたのは、何らかの形でペスカが異世界からの干渉を受ける事だった。
 いざとなった時には遼太郎の采配で、部下が駆け付ける手筈を整えていた。

 いくら遼太郎が放任主義とは言え、幼い子供を二人だけで生活させるはずが無い。
 ペスカは気が付いていた様だが、護衛の任務にあたっている者もいた。更には、東郷邸には厳重なセキュリティが幾重にも掛けられている。
 物理的なセキュリティだけでは無く、対陰陽方面のセキュリティも万全であった。
 
 ペスカを介するトラブルの拡散防止、何らかのトラブルにペスカが巻き込まれない様に防止する。これが、遼太郎に課せられた初期の任務であった。
 ただ、いつの頃か遼太郎は任務の枠を越え、ペスカを娘の様に感じてしまった。
 
 女神フィアーナから、再び異世界人が訪れる連絡を受けた遼太郎は、受け入れの態勢を整えなければならない。
 カップ焼きそばを一気に掻き込むと、着替えて家を出る。車に乗り込むと、近くの神社に向かった。
 神社に辿り着いた遼太郎は、車を止めて真っ直ぐに本殿に向かう。神主を呼び出すと、本殿の戸を開けさせた。

「お~い! 出てきてくんねぇか? 用が有んだよ」

 遼太郎は軽い口調で本殿に声を掛ける。呼びかけに答える様に、本殿の中から光が溢れ出す。

「其方等は親子して、礼を知らんのか。愚か者め」
「硬い事言うんじゃねぇよ。知らない間柄でもねぇだろうが。土地神様よぉ」
「ならん。礼を失するとは何事か! 其方は、何度言えばわかるのだ。弁えよ!」
「わかってるよ。でもよ、ここの神社を保護してるのは、俺だぞ! そっちも忘れねぇでくれよな」

 霊能力が低い遼太郎には、土地神の姿は見えない。だが、怒る様な声は聞こえる。
 
「して、今日は何用だ」
「いや、まぁ事前報告だよ。近日中に異世界の門が開く」
「まさか、また異界の邪な神か?」
「あれは、消滅したみたいだ。今回は巻き込まれた日本人が帰って来るついでに、向こうの住人が来るだけだ」
「そうか。他の神々には、我から伝えておこう」
「助かるぜ。それと、見守ってやってくれ」
「仕方ない、それも引き受けよう。その代わりに。わかるな」
「わかってるって。供え物は、後でたっぷり用意するよ。じゃあな、土地神様」

 土地神に報告を終えた遼太郎は、車を走らせ色々な店を巡った。
 寿司、ケーキ、酒各種。様々な物を買い揃えて、自宅に戻る。時を同じくして、玄関には客人の姿が有った。
 やや小太りの男が立ち尽くし、遼太郎は声をかける。

「おう。早かったじゃねぇか」
「東郷先輩。呼んでおいて、留守って良い度胸してますね」
「わりぃな深山。その代わりに、色々買って来たからよ。一先ず上がって、飯にしようぜ」

 リビングに入り荷物を置く遼太郎。二人で買って来た寿司を摘まんでいると、小太りの男が徐に話しを切り出した。

「それで先輩。わざわざ呼びつけて、今回は何の用ですか?」
「あぁ。悪いんだけど、一人分のビザとパスポートを発行してくれ」
「はぁ? また先輩の仕事関係ですか?」
「そうだ。詳細は改めてだが、容姿は白人風だ。適当な国を見繕ってくれ」
「すっげ~丸投げじゃないですか?」
「仕方ねぇだろ。俺はその辺、素人だし。頼むよ」
「わかりましたけど、寿司とケーキじゃ安すぎですね」
「時間が出来たら、どこでも連れてってやる」
「約束ですよ。先輩は何時も忙しいって、逃げるんだから」
「わかってるって。それとこの件、うちの局長からも依頼が行くはずだ」
「うわ~。僕あの人、苦手なんですよね。怖いから」
「なら、寝回しだけでも、直ぐに始めてくれ」
「わかりましたよ先輩。折角だからケーキや酒は、お土産に頂いて帰ります」

 食事を終えると直ぐに席を立ち、男は遼太郎に別れを告げる。
 男が帰った後、遼太郎は再び車を走らせ、都内に有る事務所へ向かった。事の次第を、上司である宮内庁特別怨霊対策局の局長に報告する為だ。
 
 異界の邪神達が逃げた後の顛末を始め、ペスカと冬也が日本に帰還しない事、空と翔一が日本に戻る事、クラウスという異世界人が暫く勉強の為に日本を訪れる事、クラウスのビザ等について外務省の友人に打診した事。
 一通りの報告を局長にした後、遼太郎は局員を数名集めて、クラウスの対策を行った。
 
 クラウスは、東郷宅で生活をさせる。恐らくこの異世界人は、日本文化を知らないと思われる。そうすると、世話をする事と監視の両側面でのサポートが必要になるだろう。

 クラウスの対策を一通り決める遼太郎であったが、一つだけ大きな誤算があった。それは、クラウスが実際にゲートを潜り、日本に到着した後に気が付く事になる。
 
「お前、耳がなげぇじゃねぇか! それじゃあ、どの国出身でもおかしいだろうが!」

 遼太郎の誤算により、様々な関係者が頭を抱える事になるが、それはまた別のお話。これは、異世界人が日本で暮らす為に、影で尽力した男の一幕である。