ペスカに勧められて、療養所に向かった空は、目を疑いたくなる光景に遭遇する。運ばれていたのは、旧メルドマリューネ戦で負傷した兵士だけでは無かった。

 手足が千切れ飛ぶ者、大火傷を負い苦しんでいる者、全身の複数個所が骨折し動けずに居る者等、様々な症状で苦しむ一般民達が、手当てを受けていた。
 いずれも、旧メルドマリューネのミサイル攻撃で、運よく生き残った者達である。
 
 兵士と一般民が混じり、治療を待っている。患者に対して、療養所にいる職員の数が圧倒的に少ない。故に多く見受けられるのは、応急手当を施された後、放置されている患者である。
 痛みは消えていない、歩く事もままならない。そんな患者達が、療養所の廊下にひしめいていた。
 
 そこかしこから、苦しみ喘ぐ声が聞こえる。だれもが治療の順番を待ち、痛みに耐えていた。ただ空には、この状況が違和感でしかなかった。

 この世界の医療は、全て回復魔法で行われる。

 イメージを具現化する魔法では、現代医療で不可能と思われる事も、可能に出来るはず。しかし見る限り、治療の効果が明らかに弱い。何故、応急手当程度の処置しか行わないのか。

 それは、使用者のマナ量によるものなのか。それとも治療が出来る職員が少ないのか。人員不足は誰が見ても、明らかである。療養所から溢れ出る程の患者が、治療を待っているのだ。

 空は国境沿いの光景を思い返す。そこでも、単に傷を塞いだだけ、流れる血を止めただけの応急手当しかされていなかった。
 戦場で治療が簡易的なのは、治療施設が無いからだと思っていた。衛生兵を揃えていても、戦場ではやれる事に限りがあるだろう。
 
 ただ、問題は本当にそれだけなのか?

 人員不足が要因で、マナを節約する為に効果を低くしている。それならば理解は出来る。しかし魔法で治療をしているのだ、仮に応急処置であろうと、高い効果を与える事が出来るはずなのだ。

 待機患者が多いのは、職員不足だけが原因ではないと、空は感じていた。

 助けを呼ぶ声に、耐えられなくなっていた空は、職員の一人を捉まえる。そして、職員の前で頭を下げた。

「私に、手伝わせてください」
「君、回復魔法を使えるの?」
「はい、微力ですがお手伝いは出来ると思います」
「そう。なら、来てくれる?」
「わかりました」

 怪訝そうな顔をする事なく、職員はあっさりと頷く。そして、会話をする暇すら惜しいとばかりに、足早に廊下を歩いていく。空は職員の後に続き、治療室に入る。

 そして、治療室に入るなり、職員は言い放った。

「じゃあ、この部屋にいる人達に、回復魔法をかけて。よろしく」
 
 自分の持ち場に戻るのだろう。特に詳しい説明もなく、案内した職員は去って行く。疑問が残る対応に、首を傾げながらも空は呟いた。

「あの人、良く私に治療を任せたね。猫の手でも借りたい状況なのかな? 命を預かる場所にしては、対応が軽すぎだと思うけど」

 呟きながら空は、治療室内を見渡す。患者達は、比較的軽傷に見える。
 案内した職員は、何も考えずに空をこの治療室を担当させた訳ではないのだろう。多少納得した空は、回復魔法を順番にかけ始める。

 切り傷は瞬時に治り、捻挫も簡単に治療した。数十人の患者が待機していた治療室は、数分の間からっぽになる。その光景を、偶然見ていた一人の男が、空に近づき声をかけた。

「君、凄いね。ちょっと、こっちも手伝ってくれる」

 空は男に案内される最中に、疑問をぶつける。

「あの、失礼ですが、私の事を疑わないんですか?」
「あぁ、ここは特別な結界が施されていてね。害意が有る人間が、入り口を通ると警告が鳴る様になってるんだよ。君がどこの誰だか知らないけど、人手不足の状況では頼るに充分って事だ」 

 次に、空が連れて来られたのは、重傷者の集まる治療室であった。
 深い傷を負った者、四肢を失くした者等は、簡単な血止めだけして放置されている。ベッドを置くスペースが邪魔だと言わんばかりに、患者達は床に転がされている。誰もが痛みに耐えきれず、呻き声を上げていた。

 空は先ず末梢神経に働きかけ、痛みを抑える事をイメージして魔法をかける。流石に失った四肢を復元させる事は、空に出来ない。
 しかし、患部の炎症を抑える事は可能で有る。傷や骨折程度なら復元も難しくは無かった。
 
 傷で抉れた箇所は、付近の真皮を増殖させ、抉れた箇所を埋めるをイメージする。骨折は、折れた箇所の適切な診断と、整復をイメージして魔法をかけた。

 次々と治療をしていく空を見て、院内ではどよめきが起き始めていた。
 無論、重傷者の治療を行っている場所である。空以外にも、職員は何人かいる。職員達と空では、明らかに効果が違うのだ。
 
 驚いていたのは職員ばかりではない。患者達からも驚きの声は上がっていた。彼らは一様に、常識を覆された様な表情を浮かべていた。

 驚く職員達に、どの様に回復魔法をかけているのか、空は尋ねる。返って来た説明の中に、空がずっと疑問に感じていた答えが存在していた。

 空は医学の知識に、精通している訳では無い。だが日本生まれという環境で、ある程度の基礎知識は持ち合わせていた。
 対してこの世界では、回復魔法という現象は、漠然と元の状態に戻すという解釈が一般である。その為イメージの大小で、魔法の効果が変わる。治療効果が出ない場合も有り得るのだ。

「そっか、この世界では医学の知識が、乏しいのね」

 所謂この世界は、回復魔法が有る為、医学知識に乏しい。簡単に言えば、痛いの痛いの飛んでいけで、傷も病気も治ってしまう。
 平時ならこれでも通用するのだ。ウィルス性の疾患であったり、軽度の怪我程度なら、容易に治せるだろう。しかし重症患者が大量に発生する中、効率よく治療を行うには、不十分と言わざるを得ない。

 これが、空の抱いていた違和感の正体で有る。そして治療に対する解釈の差が、歴然とした結果に表れた。
 遅々として進まなかった治療院の作業が、空を中心にして急速に回転し出した。

 何時間にも渡り魔法を使用し、空はマナが枯渇しかける。だが、それでも職員達から請われ回復魔法を使用し、使い方も教えていった。
 
 空は、自分のすべき事を実感し始めていた。それと同時に力不足も感じていた。
 もっと、知識が有れば多くの人を救える。多くの傷を癒し、多くの病を治せる。その知識が、私には足りない。知識が欲しい。
  
 渇望を埋める様に、空は治療に没頭する。それは日が暮れても宿に戻らない空を、心配したペスカが治療院を訪れるまで続いた。ペスカが見たのは、治療院の中を駆け回る空の姿であった。

「空ちゃん、何してんの? もしかして、ずっと治療院の手伝いしてた?」
「うん。手伝い出したら、帰れなくなっちゃった」
「馬鹿なの? クラウスに言っておくから、宿に戻ろ。もうヘロヘロじゃない」
「うん。でも」
「でもじゃないの。帰るよ、空ちゃん」

 ペスカは、念話という魔法でクラウスに連絡を取る。

「あのさぁ、クラウス。空ちゃんが、治療院で強制労働させられてんだよ。引き揚げさせるからね」
「申し訳ありませんペスカ様。治療院の所長には、きつく申し付けます」

 職員達が止める間もなく、空の手を引きペスカは、治療院を後にした。ペスカが空の顔を見やると、少し残念そうにも見える。

「空ちゃん。無理しない程度にだったら、明日からも治療院の手伝いが出来る様に、クラウスへ伝えとくよ」
「う、うん。ペスカちゃん。お願いしよっかな」
「でも、マナが枯渇するまで働いちゃ、駄目だからね」
「わかったよ、ペスカちゃん」

 軽く息を吐くペスカは、空の顔を見やると言葉を続ける。

「見に行くだけだと思ってたのに。アグレッシブになったね、空ちゃん」
「だって、あんな光景見せられて、そのまま帰れないよ」
「そんで、何か掴めた?」
「うん。私、日本に帰るよ。それで医大を目指す。医師免許を取ったら、ここに戻って来るね」
「そっか。それをお兄ちゃんにも、伝えてあげてね。多分、褒めてくれるよ」

 晴れ晴れとした空の顔をみて、ペスカは笑みを深める。宿に帰った空は、冬也へ日本に帰る決断と意図を伝えた。

「そっか。やっぱり凄いな空ちゃんは。絶対にまた会おうな」
「いやいや、それだけですか? 撫でるとか」

 冬也は少し顔を赤くしながら、空の頭を撫でる。だが空は、更に注文を加えた。
 
「確かフィアーナ様が、冬也さんのお母さんなんですよね」
「そうみたいだな」
「あの女神様って、冬也さんのお父さんに、連絡してましたよね」
「あぁ。そう言えば、糞親父がそんな事、言ってた気がするな」
「母親の女神様に出来て、冬也さんに出来ない事は、無いですよね」

 空の笑顔が冬也に突き刺さる。
 空は、邪神ロメリアに立ち向かっただけではない、互角以上に戦ったのだ。その内には、とてつもない強さを秘めている。冬也がたじろぐ程に。

「私が日本に帰っても、定期的に連絡下さいね。とうやさん」
「お、おう」

 満面の笑みを浮かべる空に、冬也は嫌だと言えなくなっていた。
 定期連絡の約束を、冬也からもぎ取った空は、翌日も治療院で働いた。数日も経たずに、空はエルラフィアの天使と呼ばれる事になる。
 いつの日かその天使は、ラフィスフィア大陸の医療に、革命を起こす一員となる。
 これは、一人の少女が起こす奇跡。始まりの物語。