車から降りたペスカは、翔一にお疲れ様と声を掛けた後に、一人の兵士に向けて魔法をかける。ペスカの魔法で目を覚ました兵は、辺りを見回した。倒れる仲間を見て兵士は、状況を理解する。

「話が出来る位は、冷静になったかな?」

 ペスカが優しく微笑んで兵士に尋ねると、兵士は少し沈黙した後、諦めの色を顔に浮かばせて軽く頷いた。

「私達はこの国とは一切関係ないから、あんた等が何かやった所で裁く事は出来ないよ。でも仲間に喧嘩を売ったんだから、色々事情を話して貰うよ」
「わかった。全て話す」

 兵士から事情聴取して得た事実は、概ねペスカの予想通りだった。

 国王から下された、突然の開戦の号令に、誰もが戸惑っていた。二十年に続く停戦を破り、なぜ戦争をしなければならないのか。誰もが疑問を感じていたが、王命により兵士達は出陣する。
 しかし、戦いの要となるモーリス将軍は不在である。なぜ将軍は戦場にやって来ないのか。そんな不安の中、戦争は始まった。

 この戦争は、端から異常であった。

 率いる将が存在しない軍では、規律は効力を発揮しない。そして敵を殺せと、頭の中で何かが語りかける。その言葉に耳を貸せば、不思議と戦わなければという使命感に駆られる。奇妙な感覚に囚われ、自分が自分で無くなる感覚があった。
 
 誰もが好き勝手に暴れて殺し合う。それは戦場とは違い、地獄と言われるものだろう。殺意と狂気に満ちた地獄の中心で、皆が目の色を変えて殺し合う。
 日々積み上げられる死体の山。兵站は無く日を増す毎に飢えが進む。それでも戦は終らない。戦を終わらせるべき指揮官がいない。

 只々三国が入り乱れて殺し合いをする。段々と何の為に戦っているのか、わからなくなって来る。

 何時この戦争が終わるのか。何故いつまでも殺し合わなければならないのか。果たして自分達は生きて帰れるのか。ふと兵士に疑念が過った時、彼は自分達の小隊を連れて戦場を逃げ出した。

 戦場から逃げ出した兵達は、彼らだけでは無い。幾つかの小隊や中隊が戦場から離脱している。逃げ出した兵士は、地獄の周辺で戦っていた者達である。中心から外れていた為、戦場から離脱する事が出来たのだろう。

 戦場から逃げ出したものの、飢えに瀕している兵達は食料を求めた。しかし普通に町に入れば、捕らえて死刑になる。それを恐れた兵達は、夜間に町へ侵入し盗みを働いた。
 窃盗を犯した兵達は、その罪から逃れる様に町を転々とし、窃盗を繰り返した。だがそんな事が長く続くはずが無い。昨晩侵入した町では、窃盗行為が見つかった。住民に囲まれて、戦闘行為に発展した。そして、住民達を虐殺する結果となった。

「悪いとは思ってる。だが、俺達も生きるのに必死だった。あんな大義名分も無い戦場で死ぬなんてごめんだ!」

 涙を流しながら、訴える様に兵士は叫ぶ。

「反省は要らないから、もう少し詳しく教えてよ。何故モーリス将軍は戦場に現れなかったの? 投獄されたって噂を聞いたけど」
「知らない。モーリス将軍がいれば、とっくに戦争は終ってる。ただの殺し合いにはなってない」
「他の二国にも将軍がいるよね。ケーリア将軍とサムウェル将軍。その将軍達は戦場で見た?」
「見てない。アーグニールやグラスキルスの連中も俺達と同じだ。ただ殺し合ってるだけだ」
「戦場から離脱した他の隊はどうしてるの?」
「俺達は、逃げる途中で四つの隊と合流した。他の奴らは知らない」

 ペスカは質問を止め、冬也達に視線を送る。

 彼らが行った様な、窃盗や虐殺行為が各地で行われているかも知れない。ペスカの意図を悟った翔一は、車内に戻り広域の探知を行う。戦場から広がる様に、赤い光が映っているのが見える。

「ペスカちゃん。ちょっと不味い状況かもね」
「わかってるよ。翔一君」

 翔一の問いかけに、ペスカは苛立たし気に答える。そんなペスカを一撫でして、冬也が兵に向かって話しかけた。
 
「お前等はどうするんだ? 物を盗んで、人を殺して、これからどうするんだ?」

 冬也の重い口調は、兵士の耳へ痛い程に響く。無言で言葉を失う兵士。冬也は言葉を重ねた。

「お前等に償う気が有るなら、このまま王都へ向かって自首しろ。逃げる気なら、俺がその首を全て刎ね飛ばしてやる!」
 
 冬也は神気を高めて兵士を威圧する。すると途端に兵士は、顔を青ざめさせ震え出した。口を開こうとするが、震えて声が出ない。兵士はただ、頷く事しか出来なかった。

「それは、自首するって事で良いんだな?」

 冬也の問いに、兵士は頷いて返す。そして失禁していた。地獄の只中を経験した兵士だが、その地獄よりも死の恐怖を感じたのだろう。

 兵士は仲間を起こして、事情を説明する。目覚めた兵士が、仁王立ちする冬也を見る度に、震えが止まらない様子だった。
 やがて隊列を整えて兵士達が、王都に向かって歩きだす。誰の表情も暗く、犯した罪の重さより死の恐怖からか、二度冬也を見る者はいなかった。

「お兄ちゃん、脅し過ぎたんじゃ無い? おしっこ漏らしてたよ」
「益々迫力が出て来たね、冬也。戦いの神よりも怖かったよ」
   
 ペスカと翔一から感想を述べられ、冬也は苦笑いを返す。
 車内で一部始終を見ていた空は、冬也と結ばれる為にはもっと強くならなきゃと、密かに決意を新たにしていた。   

 兵達が去ると、町の様子を確認しにキャンピングカーを走らせる。
 そして町に入ると、惨憺たる有様が広がっていた。戸は破られ、家の中は荒らされている。住人達の死体がそこかしこに転がり、至る所から赤い川が流れ、血の海を作っている。

 その惨状に、空と翔一は口を押える。そして念の為にと、手分けして町中を見回った。しかし、生きている住人は見当たらなかった。そこは、生者のいない町になっていた。

 口を封じるだけなら、脅すだけで充分のはずだ。殺す必要は無い。逃走する時間が稼げればそれでいいはずなのだ。しかし兵士達は住民を皆殺しにした。大人は無論、子供や老人、そして物言わぬ赤子に至るまで。
 
「これでよく、生きるのに必死って言えたもんだ。ひでぇ事しやがって」
「これじゃあ、国中が戦場に変わっちゃうよ。急ご、お兄ちゃん」

 冬也は大きく頷いて返した。一行は急いで車に戻り、王都に向けて出発する。時間を追うごとに、スクリーンに映る光は色を変えていく。戦場と思われた場所から、王都と思われる場所にかけて、真っ赤に染まって行く。

「あ~。もうこんなに真っ赤だと、何処が王都か分かんないね」
「大体の方角で行くしかねぇな」

 ペスカの呟きに、冬也は頭を掻きながら答える。
 広がりを見せる赤い光。スクリーンをじっと見つめていた空が、ペスカに質問を投げる。

「ねぇペスカちゃん。虚飾の神様は、キャトロールで倒したんだよね。まだ、影響が残ってるの?」
「直ぐには消えないんじゃないかな? それと、恐慌状態に有った所に、戦場からの脱走者達が起こす騒動で、相乗的に悪意の類が広がってるんだと思うよ」
「あの町みたいな事が増えてるのかな?」
「わかんないけど、似た様な事態は起きてるんじゃない?」

 町に広がっていた光景を思い出して、空は血の気が失せる感覚を覚えていた。同じようにスクリーンを見つめていた翔一が、ペスカに話しかける。

「ペスカちゃん。この辺りを遠見で拡大投影出来る?」

 翔一が指定したのは、車の進む数キロ先の地点である。ペスカは、指定された辺りを拡大してスクリーンに映しだす。飛び込んで来た光景は、住民同士の激しい諍いであった。
 血を流しながら、住民達は殴り合う。倒れても尚、立ち上がる。それは、先の兵士から聞いた戦場の状態に似ている。

「うぇ~。喧嘩上等的な感じだね~」
「ペスカちゃん、呑気に言ってる場合?」
「仕方ない。空ちゃん、魔攻砲発射準備!」
「どうする気?」
「沈静の魔法を、町に降り注ぐ様に撃ってね」
「うゎ~この子、簡単に言った。簡単に言ったよ。でも、やるけどね」

 空は魔攻砲の発射管の前に座り、スコープで狙いを定める。沈静効果を持たせる様にマナを込めて、レバーを引く。魔攻砲から放たれた光は、大きく弧を描き町の上空に達すると拡散して降り注ぐ。
 間違いなく魔攻砲の効果はあった。拡大されたスクリーンに映し出されたのは、不思議そうに辺りを見回す住人達だった。

「これで一安心かな? 情報取集もそうだけど、そろそろ地図ゲットしたいね」
「凄い威力だったな、空ちゃん。かなり魔攻砲の使い方に、慣れてきたんじゃねぇか」
「本当ですか! 冬也さん、ウフフ」

 冬也に褒められ空は頬を朱に染める。対照的に、スクリーンに映っていた赤い光が青に変わる。
 冬也は車を町中まで走らせると、広場で停車する。ペスカは、空と翔一に町の状況調査を任せると、冬也の腕を掴んで商店区画方面へ歩き出した。
 手を繋ぎスキップするペスカに、面倒そうに冬也が呟く。

「鬱陶しいからスキップすんな」
「良いでしょ別に! 妹が可愛く無いの?」
「そう言う問題じゃねぇんだよ。馬鹿!」
「お兄ちゃんの照れ屋さん!」

 ペスカは上目遣いで冬也を見上げる。冬也は少し照れたように、そっぽを向いた。しかし、直ぐに冬也は顔つきを険しく変え、ペスカに尋ねる。 
 
「所でペスカ、さっきは何であんな嘘ついたんだよ!」
「嘘なんかついて無いよ! 半分は本当だもん」
「戦争のきっかけは、グレイラスかも知れねぇ。けど奴の影響なんて、とっくに消えてんだろ? 本当はその混乱を操る奴がいる。大気の澱みが消えてねぇのが証拠だ! お前も気が付いてるんだろ?」
「相乗的に悪意が広がってるのは、本当だもん」

 冬也は立ち止まり、ペスカを見下ろす。対してペスカは真剣な顔つきで、冬也の瞳を見つめ返す。

「糞野郎が、力を取り戻しつつ有る」
「わかってるよ。じゃ無いと、こんな混乱がいつ迄も続く訳ないし」
「あいつ等には、話さねぇのか?」
「今はね。神と対峙するには、それなりの覚悟が必要だからさ」
  
 フゥと冬也が息を吐く。ペスカの尤もな答えに、冬也は返す言葉が無かった。

「お兄ちゃん。東京の時と一緒だよ。間違いなくあいつは、力を蓄える為にこの戦争を利用した」
「それこそ相乗効果ってやつか?」
「だから、翔一や空ちゃんに色々やらせてんのか?」
「そう。いざとなった時に、自分の身くらい守れる様にね」
「まったく、お前は大した妹だよ」
「そう言うお兄ちゃんだって、心配だから鍛えようとしたんでしょ?」
「馬鹿、俺とお前のじゃ全然違うだろ? 俺はいつも強引だ。でもお前は、あいつらの出来る事を見極めてやらせてる」
 
 冬也はペスカの意図を理解し、少し笑顔を取り戻す。そして優しくペスカの頭を撫でた。
 そのまま二人は商店区画に歩いて行く。何処の商店でも、喧嘩により店内は荒れ果て、品物が散乱していた。生憎と食料の補給は出来なかったが、ラフィスフィア大陸やシュロスタイン王国の地図は手に入った。
  
 ペスカ達が車に戻るのとほぼ同じ頃に、翔一達も車に戻って来る。そして翔一達が住人達から聞き出した情報を、全員で共有した。
 
 戦争が起きて以来、町中の住人達は不安を感じていた。それもその筈、二十年に渡り無かった戦争が、突然起きたのだから。
 不安は段々と広がっていった。それと共に生気の無い者が増え始めた。いつ巻き込まれるかわからない。徴兵が行われるだろう。いずれ、食料の備蓄も徴収されるだろう。しかし、依然として徴兵や食料の徴収も無かった。

 戦時下において、普通の生活を送る事は出来ない。町中が暗く沈み切っており、誰もが気力を失っていく。しかし一昨日位から、町のあちこちで諍いが始まった。次第に町中に諍いは増え、良くわからない内に、住民全員が殴り合っていた。
 冷静になった今でも、何故そんなに苛立っていたのか、住人達は理解出来ていなかった。

 話を聞き終わったペスカと冬也は、顔を見合わせる。空は二人の様子を、訝し気に見ていた。

「ともかく地図も入手したし、ここからは王都へ一直線だよ!」

 ペスカは空の視線に気が付いていた。それを誤魔化す様に声を張り上げる。全員が車に乗り込み車は出発する。
 混乱が広がり続けるシュロスタイン王国。その真っ只中に、ペスカ達は足を踏み入れようとしていた。