アルキエルが大声を張り上げた瞬間、更に神気が膨れ上がる。慌ててペスカは飛び退き、壊された結界を修復する様に、アルキエルの周りに張りなおす。それでも、空が補助をしている結界はビリビリと震えている。
「ペスカ。お前は下がって、結界を維持しろ」
「わ゛がっだ」
ペスカは未だ涙で霞む目で、懸命に結界を張る。そして、ラアルフィーネも冷静を取り戻したのか、ペスカの結界に神気を注ぎ込んだ。
「ったく、面倒だよなぁ。そうは思わねぇか? 少し力を出しただけで、この有様だぁ」
忌々しげに呟くアルキエルは、更に神気を膨れ上がらせていく。やがて、失われたはずの両腕が再生していく。
「何を呆けてやがる。神格が無事なんだ、腕なんて幾らでも生えてくんだろ」
当たり前の様に言われても、当然ながら冬也は神の常識など知らない。それ故に、目を丸くしていた。しかし、直ぐに我に返る。
「卑怯だとは言うなよ」
「言うかよ。てめぇこそ、そんな事が出来るなら、何でわざわざ悲鳴を上げやがった」
「いてぇもんはいてぇだろ。それに、俺に傷を付けられる奴なんて、ミスラ以外にはいなかったしな。あぁ、シグルドもか。あいつは、本当に強かったな」
「何ごちゃごちゃ言ってんだよ。本気を出すんなら、かかってこいよ」
「いい度胸じゃねぇか。それでこそだよなぁ。これからが本気の殺し合いだぁ!」
両者の神気が拮抗していく。そして、アルキエルも冬也と同様に剣を作り出す。
「お前の本当は、これじゃねぇんだろ?」
「だから何だ?」
「本当のお前を見せてみろって事だぁ!」
咆哮する様に言い放つと、アルキエルは剣を振り上げながら冬也との間合いを詰める。そして振り下ろされた剣は、冬也によって受け流される。次の瞬間、冬也は体を捻りアルキエルの頭部に向けて、蹴りを繰り出す。
アルキエルは、剣を持たない方の腕で冬也の足を払い除けると、横凪に剣を振るう。冬也はそれを一歩退いて躱し、頭から両断する様に縦に神剣を振るった。
アルキエルは冬也の神剣を払い除けると、そのままの勢いで再び剣を横凪に振るう。しかし、それも冬也に往なされる。
冬也はアルキエルの腹を目掛けて蹴りを入れ、後方に吹き飛ばす。そして、上段から剣を振り下ろす。アルキエルは後方に飛んだまま態勢を立て直す様にし、神剣を躱した。
一進一退の攻防が続く。互いに神気をぶつけ合い、それを削り合う。大気は震え、所々の空間が割けている。
冬也はアルキエルの眼前から姿を消すと、死角に回り込んで足を払う様に蹴りを繰り出す。気配で察知したのだろう、アルキエルは上方に飛ぶとそれを躱し、上段から剣を振り下ろした。
冬也は、勢いよく迫って来る剣を避けようとはしなかった。それどころか、神剣で受けようともしない。
冬也は気が付いていた。アルキエルが時折、肩を庇うような仕草をしていた事を。それは、アルキエルすら無意識の行動なのだろう。
如何に両腕が元に戻ろうと、痛みの記憶は残る。幻肢痛の様なものだろう。それこそが、唯一の隙になっている事も知らずに。
冬也は、目の前に迫る剣を横から殴りつけると、そのまま叩き折る。そして、裏拳をアルキエルの顔面に見舞う。
顔面に強烈な一発を食らったアルキエルは、一瞬だけ意識を失った様に頭を後ろに逸らす。そこからは、冬也のターンだった。
膝に強烈な蹴りを食らわせ、顎に痛烈な一撃を見舞う。ふらつき始めるアルキエルの体から神気を奪う様に、滅多切りにする。
目にも止まらぬ攻撃に、アルキエルは抵抗すら出来なかった。正確には、冬也の神気に押さえつけられ、自由に動く事が出来なかった。
それは冬也の思惑なのか、アルキエルの神気は失われていく。
「考えたなぁ。俺から神気をとりゃあ、勝てるとでも考えたかよぉ!」
それでも、アルキエルの闘志は失われる事は無い。失われるはずもない。何しろ、戦いの神なのだから。ここから本領発揮なのだろう。
冬也の神気によって体は自由に動かない、大量の神気を奪われ力も出せない。それでも、アルキエルは笑っていた。心の底から楽しいと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
どれだけ神気で縛られようが、神の力を封じられていようが関係ない。もう、武器も神気も腕力も全て要らない。目の前の相手をぶん殴れれば、それでいい。
アルキエルは高く飛び上がる。そして、体を思い切り捻り回転させる。それは、落下と回転の勢いを加えた攻撃であった。
隙が多い、しかし容易に近付けない。そんな攻撃を冬也は防ぎきれない。冬也はアルキエルの攻撃を受けて、勢いよく後方に吹き飛ばされる。
そして、アルキエルは追撃を行おうと冬也に迫る。冬也は空中で態勢を立て直すと、強引に着地する。そして、アルキエルと冬也の拳は交差した。
それは、一瞬の攻防なのだろう。僅かに躱した冬也に対し、アルキエルは拳を顔面に食らう。それは、既に限界に近かったアルキエルの体を、完全に壊した瞬間だった。
アルキエルは足元から崩れる様にして、膝を突く。脱力した様に両腕をだらりと垂らしている。
もう戦う力は残っていない。ほとんど神気も感じられない。しかし、アルキエルはそれでも笑っていた。動かせないはずの体を動かそうとした。
「まだまだ終われねぇよなぁ。面白れぇのはこれからだもんなぁ!」
アルキエルは立ちあがった。体を支えるのも精一杯なのだろう、足は震えている。それでも、顔には笑みを湛えている。
「お前、名前は?」
「東郷冬也だ」
「そうか、冬也。冬也か。覚えておくぜ、冬也。生きてりゃ、またやろうぜ」
そう言うと、アルキエルは残りの神気を体に充満させて、冬也に飛びかかる。目にも止まらぬスピードで冬也に迫る。しかし、冬也は微動だにしない。アルキエルの拳が届くその瞬間、冬也は神剣を軽く振るった。
アルキエル再び冬也と交差する。しかし、その胴から上に首は無く大地に転げていた。
「まだ負けてねぇぞ」
「終わりにしよう。アルキエル。シグルド、お前の勝ちだ!」
首だけになっても、アルキエルの闘志は揺るがない。そして冬也は静かにいい放つと、アルキエルの頭に神剣を突き立てる。
アルキエルの頭は、消滅する。しかし、首を切り離された胴体は、冬也を探して蠢く。冬也は、胴体にも神剣を突き立てた。
胴体が消滅すると同時に、アルキエルの神気は完全に消えうせ、最後は小さな球体になった。
辺りに静寂が戻ると、ペスカが冬也に抱き着いて泣きじゃくる。冬也は、ペスカの頭を優しく撫でた。
「あいつの勝ちだ。グレイラスは弱り切っていた。アルキエルも怪我をして隙が出来た。シグルドの勝ちだ」
「うん、うん。勝ったね。シグルドが、勝ったね。凄いねシグルド」
どれだけ自分に言い聞かせても、悔いは残る。シグルドがどんな想いで戦ったのか、それが用意に想像つくだけに。戦いに勝っても、虚しさが残る。
冬也は、ペスカに優しく語り掛けるが、その表情は険しいままである。そして、ペスカが泣き止む事は無かった。
冬也に抱き着き、ペスカは泣き止まない。そんなペスカを冬也は撫でてあやす。そして二人に、空と翔一が走り寄る。しかし空と翔一は、不安に表情を曇らせる。
空と翔一は、女神の結界に守られ全てを見ていた。
二柱の神共に、現れた時に肌が粟立つのを感じた。今も未だ震えが止まらない。最初の神に感じたのは、禍々し恐怖。次の神に感じたのは、圧倒的な強者からのプレッシャーだ。
自分達が無暗に手を出して良いレベルを超えていた。もし、結界から一歩でも外に足を踏み出せば、命は無かっただろう。そんな確信を持てる程、狂気じみた空間が広がっていた。
拙い自分達にもわかる、あれこそ理不尽な神の力だ。そんな神二柱との戦いは、理解し難い程に凄まじかった。
激昂し慟哭し、ペスカと冬也はどんな想いで戦ったのだろう。そしてペスカと冬也は、果敢に挑み、神二柱を打ち滅ぼした。
神二柱を倒した。そんな奇跡に驚くよりも、ペスカと冬也の事が心配であった。体は無事なのは、何よりである。それよりも、大切な友人を失う事が、どれ程の喪失感であろうか。二人に駆け寄っても、かける言葉が見つからない。
「二人共、無事だったか。良かった」
冬也は優しく微笑んで、空と翔一を見つめる。何故、そんな優しい笑みを浮かべる事が出来る。空と翔一は冬也に軽く頷き、二人をただ見つめる事しか出来なかった。
この二人を支えた想いは何だったのだろう。世界を守る正義感か、亡き友人への弔いか、それとも別の何かが有ったのだろうか。
今もペスカは、感情を露に泣き続ける。神アルキエルに向けたペスカの殺気には、恐怖すら感じた。悔しさに震える姿は、涙を誘った。
友人の死を知らされた後の冬也には、凍える様な冷たさを感じた。理不尽な暴力を理不尽に消し尽くす。どれだけ身と心を削れば、そんな力を出し得たのだろう。
空と翔一は、掛ける言葉が見つからない。ただ、冬也は二人に優しく微笑む。
「良いんだ。ありがとう」
空と翔一は、思わず涙を零した。そしてペスカも涙を流しながら、空と翔一に頷く。堪らず空と翔一は、ペスカと冬也を抱え込む様に抱きしめた。
ほんの一時、四人が固まり抱きしめ合う所に、怒声が聞こえる。
「冬也君。貴方ねぇ、何て力の使い方してるのよ!」
女神ラアルフィーネが、顔を顰めて近づいて来る。
「聞いてるの! 冬也君! 危ない力の使い方しないでって言ってるのよ!」
「ラアルフィーネさんか。何がだよ」
「あのね。神気を碌に扱えない癖に!」
「あぁ。でも、奴を倒すにはそれしか無かった」
「馬鹿! 少しでも力の調整を間違えたら、この辺一帯が消滅していたのよ! それに剣に神気を集めてたら、他は無防備でしょ! アルキエルに勝つつもりあったの?」
「当たり前だ! そもそも、あれは勝負にすらなってねぇ。なぁ、ラアルフィーネさん。神様ってのは、地上では力を制限させられてるんじゃねぇのか?」
「そうよ。神の神気は、生物に影響を与える。良くも悪くもね」
「あれは、力の差でも、技量の差でもねぇ。勝負以前の問題だ。俺は奴の本気を出させなかった。だから生きている。それだけだ」
淡々と答える冬也に、女神ラアルフィーネが深い溜息を吐く。その時だった。彼方から声が聞こえた。
「そうですね。危ない所だった。ともすれば、この大陸全土がタールカールの二の舞となる所でしたね」
「セリュシオネ! 貴女まで何しに来たのよ!」
「ラアルフィーネ。随分なお言葉ですね。私はフィアーナの指示で、そこの子供達を探していたんですよ」
「何故ここがって、聞かなくてもわかるか?」
「そうですよ。これだけ派手に神気が放たれれば。まさか背信の二柱を、人間が倒すとは思いませんでしたが」
更に一柱、神の出現に空と翔一の表情が引き締まる。しかしペスカは、涙を拭い女神セリュシオネに頭を下げる。
「女神セリュシオネ、お久しぶりです」
「頭を上げなさい、ペスカ。それで、そこの君がフィアーナの息子かな?」
「そう言うあんたは誰だよ!」
「確か冬也君だったね。君はもう少し、礼儀を学ぶべきだね」
冬也は訝し気に女神セリュシオネを睨む。しかし、女神セリュシオネは、冬也の視線を気に留めず辺りを歩き回り、転がる二つの球を拾った。
「ラアルフィーネ。これは、私が回収していきます」
「ちょっと待てよ。それをどうする気だよ?」
女神ラアルフィーネに向いていた視線を、女神セリュシオネは冬也に向ける。
「半神なら、知らないのも仕方ない。これは神格と言う物。神の根幹を成す物だよ。君達が倒した神々は、背信により神格剥奪が決定されている。神格剥奪は、生と死を司る私の役目だ」
「セリュシオネ、ちゃんと神格剥奪するの? まさか、アルキエルを蘇らせる気は無いわよね。あなた達、仲良かったじゃない」
女神ラアルフィーネの言葉に、冬也が殺気立つ。ビリビリとする神気が辺りに広がる。咄嗟に女神ラアルフィーネが庇わなければ、空と翔一は気を失っていただろう。
「おい! それが目的なら、そいつを渡す訳にはいかねぇな」
「駄目! お兄ちゃん!」
「止めんなペスカ! こいつが糞野郎共を復活させられたら、どうすんだ!」
「お兄ちゃん、抑えて! セリュシオネ様を倒したら、生命の輪廻が途絶えちゃう」
女神セリュシオネに近づこうとする冬也を、ペスカが必死に食い止める。深い溜息をついた女神セリュシオネが、女神ラアルフィーネに視線を送った。
「止めて下さい、ラアルフィーネ。貴女の不用意な一言で、子供が殺気立ってます。そもそもアルキエルは、勝手の良い駒ですよ。アルキエルの神格を奪っても、別に戦いの神が生まれます。新たな神を手駒にすれば良いだけです」
「それもそうね。ごめんね~、冬也君。未来の妻に免じてここは抑えて~」
「誰が未来の妻だ! 意味がわかんねぇよ。俺はどいつを、ぶっ飛ばせば良いんだ?」
「お兄ちゃん、落ち着いて。ラアルフィーネ様、お戯れが過ぎますよ」
ペスカは必死に、冬也を宥めて落ち着かせる。女神セリュシオネは、更に深い溜息をついた。
「全く、酷い三文芝居に巻き込まれたものだ。目的を忘れたら、フィアーナに叱られる所です。あぁその前に」
何かを思い出した様に、女神セリュシオネは、懐から虹色に輝く球を取り出す。
「生憎、肉体の再生は叶いませんでしたが、君達と最後の別れ位はさせてあげようと思い、連れて来ました」
女神セリュシオネが呟くと、虹色に輝く球は人の体を成していく。そこには一人の男が立つ。光に溢れ表情は良く見えない。しかしそこに立つのは紛れも無く、失った友人の姿だった。
ペスカと冬也は目頭が熱くなるのを感じる。男はゆっくりとペスカに近づき、膝を突き頭を垂れる。
「ペスカ様。ご命令を守れず、申し訳ありません」
ペスカの瞳からは、滂沱の涙が溢れる。ペスカは言葉を詰まらせ、ただ首を横に振る。
そして、男はゆっくりと頭を上げ立ち上がり、冬也に視線を向ける。
「冬也、見ていたよ。強くなったな」
「シグルド、シグルド、シグルド~!」
冬也から、涙が溢れる。神々との戦いにおいて、冬也は怒りを捨て心を凍らせた。だが、目の前にいる男を前に、熱い涙が溢れる。激情に駆り立てられ、叫び声を上げる。
「神を倒した男が、そんなに泣き喚くものじゃ無いよ」
「それはお前がいたからだ! シグルド、お前はあの糞雑魚に深手を負わせてた。だから、俺達が勝てた。アルキエルにも」
「違うよ冬也。あれは、君達の勝利だよ。よく頑張ったな。それに、ありがとう」
冬也の目から涙が止まらない。シグルドは、冬也の肩を軽く叩く。
「君と出会えた事を誇りに思う。君と友人であった事が私の宝だ、冬也」
「俺もだ。俺もだ。シグルド!」
シグルドは、再びペスカに体を向けて、頭を下げる。
「何も守れませんでした。何も」
「そんな事無い! シグルド、あんたは良くやったよ。良く戦ったよ」
掠れた声で、ペスカは叫ぶ。
「私は、貴女達の様に勇敢で有りたかった。貴女達の様に守れる強さが欲しかった」
ペスカは首を横に振る。
「ねぇシグルド。あんたの様な奴の事を勇者って呼ぶのよ。勇敢な者と書いて勇者」
「ペスカ様……」
「高潔なる勇者シグルド! 此度の任務、誠に大儀で有った!」
「有難きお言葉です。ペスカ様」
肉体を持たぬシグルドに涙は流れない。しかし、シグルドの目には光る物を感じる。晴れやかな笑顔は、やり遂げた男の笑顔その物だった。
やがてシグルドの体が崩れていく。
「どうやら時間の様です。ペスカ様、冬也。後はよろしくお願いします」
「うん、わかってるよ」
「あぁ、任せろ」
シグルドは最後に微笑むと、完全に形を崩し、元の虹色に輝く球になった。
「「シグルドぉぉぉぉぉぉ~!」」
ペスカと冬也の叫び声は、天まで届く様に響き渡る。
「こんなに虹色に輝く魂魄は、なかなか無いんだよ。確かに勇者かもしれないね」
「セリュシオネ様……」
「この魂魄は、私が責任を持って転生させるよ」
「頼むよ。セリュシオネさん」
ペスカと冬也は、涙を拭わずセリュシオネに頭を下げる。
勇敢に散った魂に安らぎを。どうか、その魂に幸運が訪れる事を。
ペスカと冬也は願わずにはいられなかった。
「ペスカ、行こう。俺達は、あいつの分まで世界を救う!」
「うん。お兄ちゃん。行こう!」
ペスカ達は向かう。戦い止まぬラフィスフィア大陸へ。
友の想いを胸に。危機迫る仲間を救いに。
世界を守る為に。
「行くぞ~!」
「おぉ~!」
お決まりの掛け声であろうが、四人の心は一つになる。ただ、これから向かうラフィスフィア大陸は、現在危機に陥っている。
それはシグルドの死が語っている。戦火が広がらない様に、シグルドは独りで二柱の神へ立ち向かった。そのシグルドが死んだ今、帝国はどうなっている? エルラフィア王国は? それ以外の国々は?
考えれば考える程、不安が過るだけ。しかしペスカと冬也は、シグルドとの邂逅で、気持ちを新たにした。
勇者が命を賭けて守ろうとした大陸を、必ず救って見せる。
勇者シグルドが、身命を賭して守り抜いた意地。それは、ペスカ達に大きな勇気を与えた。彼の分まで、この世界を守る。その想いは、自然と空や翔一にも伝播していく。四人の瞳には、今までより強い意思が宿っていた。
世に知られる事の無い『勇者シグルド最後の戦い』を語り継ごう。その為にも、大陸から戦乱を無くさねばならない。
ペスカ達四人は、キャンピングカーに乗りこもうと歩き出す。そんな矢先に、ラアルフィーネから声がかかった。
「ちょっと、あなた達! どこに行くのよ!」
「ラアルフィーネさん。何言ってんだよ。ラフィスフィア大陸に行くに決まってんだろ」
「どうやって?」
「どうやってって、どうするんだペスカ?」
「もぅ。お兄ちゃん。色々台無し! キャンピングカーを水陸両用にして、海を渡るんだよ!」
「すっげ~な。ペスカ! ロマンだな!」
冬也は目を輝かせて、ペスカを見る。しかしペスカの言葉に驚いた空と翔一が、待ったをかけた。
「いやいや、ペスカちゃん。初めて聞いたよ、そんな事!」
「そうだよ。流石にファンタジーが過ぎるね。冬也もそう思うだろ?」
「思わねぇよ! かっこよくねぇか? 車が海を走るんだぞ! 乗ってみてぇよな?」
騒めき始めた四人を諫める様に、セリュシオネが咳払いをする。そしてゆっくりと話し始めた。
「あのね君達。私が何の為に、時間を割いてここに来たか。わかって無いのかい?」
その言葉に、ペスカ達は四人揃って首を傾げる。それを見たセリュシオネは、更に深い溜息をついて説明を続けた。
「はぁ~、君達は揃いも揃って! 私は忙しいんだよ。分かるかい?」
「いや、わかんねぇ」
「お兄ちゃんは少し黙って」
「今のラフィスフィア大陸では、多くの人間が死んでいる。転生が滞る位にね! 転生が滞るとどうなるかは、当然知っているよね? まさか知らないのかい?」
ペスカは知っているだろうが、空や翔一はこの世界の常識を知るまい。ましてや冬也においては、論外であろう。四人の反応を見ると、溜息交じりにセリュシオネは説明を始める。
マナは惑星のありとあらゆる物に宿る。マナは、循環し続ける事で惑星を潤し続ける。
例えば、草を食べた動物が、草が持つマナを吸収する。動物が死に土に還る事で、マナも大地に還る。こうして、マナは循環している。
循環を止め、一か所に停滞したマナが飽和状態となれば、暴走し生物をモンスター化させる。モンスターの増殖は、マナの淀みを増長させ、いずれ惑星を朽ちさせる。
ただマナの循環に関して、より効率の良い方法が有る。それは意志ある生物による、意図的なマナの循環である。
野菜や動物に蓄えられたマナを人間が吸収し、マナを放出する事で自然に還る。マナを吸収する事は動物でも出来る。
しかし放出する事は、意思や理性を持った人間や亜人、一部の魔物しか行えない。それが魔法であり、理性の無い動物には行えない、数少ないマナ放出の手法である。
よって多数の人間が死に転生が滞る事は、マナの淀みを増長させる要因となる。ひいては惑星自体の寿命を減らす事に繋がりかねない。
「それはセリュシオネさんが、頑張って仕事しろって事じゃねぇのか?」
「馬鹿なのかい君は! 戦時の混乱中で子作りに励む人間が、どれだけいると思うんだい?」
「多いのか? 良い事じゃねぇか!」
「そうだよ。命の危機って時に本能が刺激されるとか?」
「逆だ! 馬鹿者!」
いくら生と死を司る女神であっても、人間が子を産み育まなければ魂魄を転生させようがない。明日死ぬかも知れない。そんな時に、生殖行為をするだろうか。
セリュシオネは、苛ついているのだろう。かなり早口で捲し立てる様に、一連の説明をする。しかし、冬也は一向に理解を示さない。
この時、薄っすらとセリュシオネは感じていた。この男とは、馬が合わないと。
神アルキエルは、身勝手な行為が目立つが理知的な面もあった。だから、利用し続けた。この男は、神アルキエルを倒した。半神ながらに、腕は立つのだろう。だが間違いなく利用価値は無い。なぜなら、この男は命令を理解しない。
セリュシオネの苛つきは、概ね冬也に向けられていたのかもしれない。対する冬也も、苛つきを覚えていたのは間違いない。
「まどろっこしいんだよ、セリュシオネさん。結局何が言いてぇんだよ!」
「ラフィスフィア大陸の戦争を、止めて来いって言ってるんですよ!」
「はぁ? 馬鹿じゃねぇのか? それを止めに行こうって所を、引き留めたのはあんた等だろうが!」
「あぁ~もう! 君は本当にフィアーナの子供なのかい?」
「馬鹿野郎! 知るかそんな事!」
セリュシオネは、苛立ちを露わにする。そして冬也も。口喧嘩に発展しかける、両者の言い合い。それに割って入ったのは、ペスカであった。
「ハイハイ、お兄ちゃん。深呼吸して落ち着く! 多分だけど、連れってってくれるんじゃない?」
「何処へだよ!」
「もう、お兄ちゃん! この話の流れだと行く場所は、ラフィスフィア大陸しか無いでしょ!」
「それなら、はっきりそう言えよ! セリュシオネさんの説明は難しいんだよ!」
セリュシオネは、冬也を見やると深い溜息をついた。そして徐に口を開く。
「まぁ。私も少し思う所があってね。当初はアルキエルを使って、混沌勢が隠れた場所を突き止めようとしたんです。しかし、戦狂いのアルキエルは役立たずな上に、貴重な人材を殺して行く」
「そりゃあ、あんたが悪い。セリュシオネさん」
「お兄ちゃん。少し黙ろうね」
冬也の言葉に、セリュシオネは眉を顰める。しかし冬也と口論しても、無駄な事は理解したのだろう。セリュシオネは、冬也を無視して言葉を続けた。
「未だ見つからないメイロード達を、神々が探している間に、君達は大陸各地の混乱を収めて欲しいんですよ」
「そろそろ結論を言え! わっかんねぇよ!」
「君と話をしていると、私に馬鹿がうつりそうだ。あぁフィアーナ、可哀そうに」
「んだと、コラ! 喧嘩売ってんのか、あぁ?」
再び口喧嘩になりかける所に、今度はラアルフィーネが止めに入った。
「冬也君、落ち着いて。落ち着かないとチューするわよ」
「うわぁ。あんたは近寄んな。ドキドキする」
「もう可愛い。私はあなた達をラフィスフィア大陸に送る様に、フィアーナに頼まれてるの。ゲートを開いて送ってあげる」
「やったね! お兄ちゃん」
ペスカは冬也を守る様に抱きつき、ラアルフィーネを見やる。そんなペスカの行動を、ラアルフィーネは微笑ましそうにフフっと笑う。そしてセリュシオネに、視線を送り合図する。
女神二柱が向かい合うと、神々しい光が放たれて、ラフィスフィア大陸へのゲートが開かれる。
「準備は良いですか? 早くゲートを潜って下さい」
急かすセリュシオネに、ペスカは異議を唱えた。
「そう言われても、色々補給しないと。食料とか色々」
「それはゲートを開く前に、言って欲しいですけどね」
「いやいや、こっちの段取り無視して先にゲートを開いたのは、セリュシオネ様ですからね。せっかちさんですか?」
「あぁ、何て面倒な子供達だ。ラアルフィーネ、手を貸してあげて下さい」
「はいはい。抜かりは無いわよ」
ラアルフィーネが笑みを浮かべると、補給物資を乗せた荷車が勝手にゴロゴロと近づいて来るのが見えた。よく見ると小さい幼稚園児が、荷車を引いている様にも見える。
「お兄ちゃん。あれ、ウィル君じゃない?」
「そうだな、ウィルだ。お~いウィル~!」
荷車を引く少年に向かい、ペスカと冬也は手を振る。ウィルラスはムッとした表情で、荷車を引いて近づいてきた。
「お前達! 敬意を払えと、何度言ったらわかるんじゃ!」
「久しぶりウィル君。相変わらずちっちゃいね~」
「止めよ小娘! 抱えるで無い!」
「ウィル。元気だったか? 身長伸びねぇな」
「馬鹿者! 坊主、撫でるで無い!」
ひとしきりウィルラスで遊んだペスカと冬也は、セリュシオネからのお叱りを受ける。
「君達ね。遊んでないで、早く準備を整えなよ!」
「そうじゃ、馬鹿者共! せっかく土地神の儂が、土地を離れて持ってきてやったんじゃ。感謝して、積み込むが良い」
採掘の神ウィルラスが持って来た物は、食料や鉱石から金銭に至るまで多岐に渡る。ペスカ達は手分けして、キャンピングカーに積み込んだ。
「準備が済んだら、早くゲートを潜りなよ。私は忙しいから失礼する」
セリュシオネは、ペスカ達に言い放つと消えうせる。荷物を積み終わり、出発準備を整えたペスカ達は、ラアルフィーネとウィルラスに頭を下げた。
「ありがとうございます、ラアルフィーネ。それにウィル君」
「けどよ。そこに寝てる亜人達はどうすんだ?」
「後の事は私に任せてあなた達は、早くゲートを潜りなさい」
「では、お願いします。ラアルフィーネ様。行こお兄ちゃん」
「おう!」
女神達に手を振り、ペスカ達はキャンピングカーに乗り込む。そして、キャンピングカーを動かして、ゲートを潜る。
しかし潜った先に見える光景は、見た事が無い風景である。先の見えぬ戦乱の台地に、ペスカ達は降り立った。
☆ ☆ ☆
「まぁ、地上の事は少しはマシになるでしょう」
「セリュシオネ。それで、新興勢力の方はどうなったの?」
「トップのグレイラスがこの様です。少しは混乱が起きるでしょう」
「それで尻尾を出せば良いのだけど」
「えぇ。ロメリアもそろそろ回復する頃でしょうし。ここいらで、一気に叩きたいものです」
ラフィスフィア大陸の東側に、国土を隣接する三国が有る。
大陸東海岸沿いに面するシュロスタイン王国。同じく東海岸沿いに面し、シュロスタイン王国の南側にアーグニール王国。その二国の西側、両国に面する様に位置する、縦に長い国土を持つグラスキルス王国である。
この三国は、資源を巡って古くから対立を繰り返して来た。
シュロスタイン王国とアーグニール王国は、大陸東側海域の漁業水域を巡って争いを繰り返す。海の無いグラスキルス王国は、大陸東側海域の漁業水域を狙う。逆にグラスキルス王国の持つ大きな鉱山を、湾岸二国が狙う。
諍いの絶えなかった三国は、二十年前の悪夢をきっかけに不戦協定を結ぶ。それ以降二十年に渡り、この三国間で戦争は起きていなかった。
そしてこの三国には、一人ずつ高名な将軍が存在する。
シュロスタイン王国にはモーリス将軍が。
アーグニール王国には、ケーリア将軍が。
グラスキルス王国には、サムウェル将軍が。
その強さは一騎当千。彼等の魔法は天を割き、刃は地を割る。その将軍達の存在が大きな抑止力となり、平和を維持していたと言っても過言ではない。
そして虚飾の神グレイラスに操られ、隣接した三国が帝国に攻め入った時、真っ先に動いたのは、この三人の将軍達だった。
いずれ、混乱は東の地にも訪れる。戦争回避の為に動き始めた三人の将軍は、それぞれの国で反逆罪に問われ投獄された。
そして抑止力の無くなった三国は、三つ巴の戦争状態に陥る。そして、たった数日で数千人の死者を出す。それでも終わらない戦争の影響は、国中に広がっていく。
東の三国は、今にも潰えようとしていた。
☆ ☆ ☆
「ゲートで来たのは良いけど、ここ何処だよペスカ?」
「知らないよ。エルラフィア王国じゃ無い事は確かだね」
「そうなのか?」
ゲートから出たキャンピングカーは、海岸付近に降り立った。周囲には長い海岸線が見える。見た事も無い風景に、ペスカでさえも首を傾げる。故郷であるエルラフィア王国の、海岸であれば直ぐにわかるであろうが。
「ねぇ、お兄ちゃん。私さ、エルラフィアでこんな海岸を、見た事ないんだよ」
「お前、意外と地理に詳しくねぇのか?」
「まぁ私の本分は、研究だからね。実際に見たのは、エルラフィアの周辺と帝国周辺くらいかな」
「帝国には、海がねぇのか?」
「あるよ、南側にね。ただ、すっごく熱いんだよ。東南アジアみたいにね」
「そっか。じゃあ、こことは違うんだな」
呑気な会話を繰り広げていても、凡その検討はついていた。
先の話しに出た、ライン帝国の南方に面する海は、とても波が静かである。そして、数十キロにも渡り、長く続く砂浜は観光名所にもなっている。
対してこの海岸は、見渡す限りの岸壁が続き荒波が打ち付けている。ペスカの知識が確かなら、ここはアンドロケイン大陸のマールローネから、最短距離の場所だ。つまりラフィスフィア大陸の東海岸沿いの可能性が高い。
「セリュシオネ様は、大陸各地の混乱を収めて欲しいって言ってたよね」
「言ってたな」
「それって、エルラフィア王国に着くまでの道中、全ての戦争を止めろって意味だったりして」
「まさか、んなこたぁねぇだろ。無茶振りにも程が有るぜ」
「それにしても、ショートカットは海だけか~!」
「五月蠅いよ、ペスカちゃん」
「空ちゃ~ん。だって~」
「なぁに、ペスカちゃん」
「これって丸投げだよね? 何がどうなってるか、自分達で調べて、対処しろって事だよね?」
「仕方無いよ、ペスカちゃん。何か月もかかるはずの航路が、短縮出来たと思えば良いじゃない」
「まったく、女神様ってどうしてこう、中途半端に丸投げするかな。翔一君、とりま十キロ位でサーチかけて」
一先ずペスカは、周囲の探索を翔一に指示する。翔一が車内の魔石をコントロールし、探知の能力で周囲のマナをスクリーンに映し出す。するとスクリーンには、青く点滅する光が集まってる場所が数か所ほど見つかる。
「ペスカ、この光の集まりは何だ?」
「この青い点滅は、多分集落だね。この数だと村だと思うよ」
「ペスカちゃん、もう少し距離を広げてみるかい?」
翔一が尋ねると、ペスカは軽く頷く。翔一が探知の範囲を広げると、スクリーンには次々と、光の点が映し出される。現地点から南西方向に進むに連れ、光は青から赤に変わり、真っ赤な光の塊が映し出されている所が数か所ほど有った。
ペスカは、少し考え込む様に腕を組んで、スクリーンを見つめている。そして翔一は、険しい表情で問いかけた。
「ペスカちゃん、どう思う?」
「間違いなく、赤の数か所は、戦争中だね。しかもかなり大規模だと思うよ!」
「マジかよペスカ! もう少し優しく兄ちゃんに教えてくれ」
「もぅ! しょうがないなぁ~。翔一君のサーチを利用して、マナの使用状況だけじゃ無くて、攻撃の意思を色でスクリーンに投影させてるんだよ。青が平和、赤が危険」
「じゃあこの紫色の集まりは?」
「そこそこ戦う気満々な人達の集まり!」
「お~。じゃあ青いのは、戦う意思が無い奴らの集まりって事か?」
ペスカは冬也に向かって頷き、話しを続けた。
「翔一君には、広域でサーチして貰ったからね。今スクリーンに映ってるのは、ざっと百キロ位の広域マップかな」
「ペスカ。マップって地図っぽいの何もねぇぞ」
「良いんだよ。お兄ちゃんの癖に、細かい事気にしないの! ラフィスフィア大陸の地図を手に入れたら入力するもん!」
ペスカ達は南西方面で一番近い青い光の集まりを目当てに、車を走らせる事に決めた。数キロ走らせると、海風の影響が薄れ始める。辺りは平野となり、段々と畑が見え始めた。
しかし畑に近づくと、ペスカ達は明らかな違和感を感じる。作物は一様に枯れ果て、かなりの間手をかけられていない様子が見て取れる。
「お兄ちゃん。ちょっと止めて」
ペスカが車から降りて、農作物や土の状況を確かめる様に歩き回る。
「ペスカ、何かわかったか?」
「うん。暫く手入れされて無い。それよりも、土地が汚染されかけてる」
ペスカに続いて、冬也達も車から降りて周囲を見渡す。冬也は敏感に感じた。この辺りの空気が何か淀んだ感じがすると。疑問に思った空が、ペスカに問いかける。
「ねえ、ペスカちゃん。この辺りには、大地の神様はいないの?」
「いるよ。フィアーナって女神様が」
「それなのに、大地が汚染されてるってどういう事?」
「多分だけど、女神の加護が薄れているのと、グレイラスのせいだね」
ペスカは空達に、想定される事態を聞かせた。
東京で自分達を助ける為に、フィアーナは大きな力を使った。その為、フィアーナは神気を失い、ラフィスフィア大陸中から加護が薄れている可能性が有る。
その上、グレイラスの手によって大規模な戦争が起きている。戦争で発生した悪意や恐怖が伝播し、国中の人々が恐慌状態に陥る。
大きく二つの要因により、周囲のマナが淀み始め作物を枯らせ、大地を汚染させた。
「このまま汚染が進むと、自然的なモンスター発生が起きるね」
「ちょっと待て、不味いだろそれ!」
「かなり不味いね」
「何とかならねぇのか」
「私が物理的にどうこう出来る次元じゃ無いよ」
冬也が慌てて問いただすが、ペスカは首を横に振る。
「ペスカ、フィアーナさん呼び出すか?」
「お兄ちゃん。それじゃ根本的な解決にはならないんだよ」
「冬也。多分ペスカちゃんは、戦争を終わらせる事が一番の解決だって、言いたいじゃ無いかな?」
「ペスカちゃん。戦争を終わらせるって言っても、どうするの?」
空の質問に答える前に、ペスカは少し咳払いをする。
「ここが大陸の東なら、頼れる人がいる! ウルトラレアクラスの凄い人!」
「ペスカちゃん。ソーシャルゲームじゃ無いんだから」
「うっさい、空ちゃん。お兄ちゃんなら判るよ。ウルトラレアは、シグルドクラスって事ね」
「おぅ。そいつは頼もしいな! 直ぐに会いに行こう!」
「お兄ちゃん、馬鹿なの? 大陸の東ならって言ったでしょ? まぁ、大陸の東で間違いないとは思うけどさ。先ずは、情報収集ね」
再びペスカ達は、青い点滅の集合地点へ車を走らせる。そして数時間程で、集落に到着する、しかし集落の状態は、余り良いとは思えなかった。
ただ、呆然と立ち尽くす男。地べたに突っ伏してる男。口を開け、天を仰いでいる女。膝を抱え蹲り震える子供達。集落の人々は、とても活発とは思えない。寧ろ精気が抜け、だらりとする姿が多く見られる。
「あ~。何だか酷いね」
車から降りたペスカの呟きに、冬也達は頷いた。
「どうする? 俺が活を入れるか?」
「止めてお兄ちゃん! あの状況で神気を受けたら、みんな死んじゃう! 私に任せて!」
ペスカは笑顔を浮かべた後、近くに落ちていた木の棒を拾い、クルクルとバトンの様に振り回し、クルリと回ってポーズを決めた。
「元気でろでろ、でろりんちょ!」
光がペスカから飛び出し、村中を包み込む。人々からは、やや活気を取り戻した様に見えた。立ち尽くしていた男は、我に返って歩き出す。空を仰いでいた女は、キョロキョロと辺りを見回している。子供達はゆっくりと立ちあがった。
「ペスカの魔法、すげぇな!」
冬也は感想と共に、ペスカの頭を撫でる。しかし空と翔一の反応は、今ひとつだった。
「うゎ~、ペスカちゃん。それ魔法少女?」
「そうだね。ペスカちゃん流石に年齢、いでっ!」
ペスカは俊敏な動きで、翔一にデコピンを食らわせる。余計な一言で、お仕置きを受けた翔一は、額を抑えて蹲った。
「どうだ! お兄ちゃん直伝のデコピンの味は! 乙女に年齢の事を言っちゃ駄目なんだよ!」
「ペスカちゃん。なんで僕だけ!」
翔一は額を抑えて蹲る。そんな翔一の肩を冬也は優しく叩いた。
「仕方ねぇよ。ペスカだし」
「冬也。意味が解らないよ」
ただ、間違いなく村人達には、多少精気が戻った様に見える。
軽く話しを聞いた限りでは、ほとんどの村人達が数日の間、まともな食事を取っていない事がわかった。
確かに、多少は元気が戻ったと言っても表情は未だに暗く、ふらついて歩く者が多いのはそのせいだろう。
急いで冬也と空は麦粥を作り、村人達を集めて振舞った。麦粥を食べた村人達は、僅かに体力が戻って来た様で、少しずつ笑顔を見せ始める。その間ペスカは、一人の女性から話を聞いていた。
「こんな辺境の村では、教えられる事は少ないわ」
「何か噂でも良いんだけど、知ってる事は教えて」
「そうね。モーリス将軍が捕らえられたって噂を聞いたわね」
「うそっ!」
「噂よ、噂。でもモーリス将軍がいれば、戦争は起きて無かったんじゃ無いかしら」
女性の話しでは、村中の人々の気力が段々と失われていったのは、アーグニール王国、グラスキルス王国と三国間で戦争が起き始めてからとの事だ。
また、モーリス将軍の名前で、現在地が明らかになる。ここはシュロスタイン王国。女性の話しでは、王国の北東に位置する村だという。
悪い予感は外れて欲しかった。しかし、現状から推測するに、戦争は間違いないのだろう。
確かに、女性の言葉通りだ。モーリスが健在ならば、戦争は起きなかったはずだ。ただ、あのモーリスが何故投獄されているのだろう? グレイラスが仕掛けた置き土産か? そんな負の遺産はうんざりだ。
ペスカは少し眉間に皺を寄せ、考え込む様に口を噤む。そんなペスカに、麦粥を配り終えた冬也が近付く。
冬也にも女性の話が耳に届いていたのだろう。少し驚いた様な声で、ペスカに話しかける。
「ペスカ。まさか、モーリス将軍ってのが鬼強い人か?」
「そう。この国の将軍! まさか捕まってたなんて」
「どうする? 助け出すか?」
「そうだね、助け出そう。それで、戦争を止めてもらうの!」
勢い良く拳を掲げるペスカに、翔一が質問する。
「その将軍って人が、戦争を起こしている張本人って可能性は無いのかい?」
「モーリスに限って、ぜ~ったい有り得ないね」
「万が一その将軍に問題が無かったとして、それだけ影響力の有る人なのかい?」
「この国の将軍だよ。鬼強いんだよ。翔一君なら覇気だけで、おしっこ漏らすよ」
「漏らさないよ!」
翔一はモーリスの姿を幻視し、少し震える。
「兎に角、出発! 目指せ、王都!」
ここで、これ以上の情報を聞き出すのは無理だと判断したのだろう。ペスカは車に乗り込むと、村人から聞き出した王都の方角と、車のスクリーンに映る光の点を照らし合わせる。
それから遅れる様にして、後片付けを済ませた空と翔一が冬也に合流し、三人は車に乗り込んだ。
「恐らく、この赤紫の塊が王都だね」
「ペスカ、地図は?」
「こんな寂れた村に、地図なんて大層な物無かったんだよ!」
ペスカが手を払う様な仕草で冬也に答えると、冬也は仕方なく赤紫の塊に向けて車を走らせる。
目指すは、シュロスタイン王国の王都。戦争終結に向けた、ペスカ達の冒険が始まろうとしていた。
☆ ☆ ☆
とある城の謁見室、そこには少年と美女の姿が有った。そして少年は玉座に座り、いやらしい笑みを湛えて美女を見下ろす。美女はうっとりと少年を見上げていた。
「そっか、グレイラスがくたばったんだ」
「役に立たない奴でしたわ。結局、あのガキ共を連れてこれなかったですし」
「まぁそう言わないでよ、メイロード。彼だって役に立ったさ」
「どんな風にですの?」
「原初の神から離反する者を増やしただろ?」
「それはそうですわね」
「何よりも、大陸の中央部を滅茶苦茶にしてくれた」
「あれは、怒りに任せてですわ」
「良いんだよ、それで。おかげでやりやすくなったよ」
「それで、我が君はこれからどの様に?」
「中央部では死体が転がってるだろ? そいつを利用してもっと面白くしようと思ってるよ。離反者の追跡で原初の連中も混乱してるだろうしね」
「良いですわね。その間に我が君が完全に力を取り戻せば」
「そうさ。ようやく、あの忌々しいガキ共を殺せる」
そして、男女は互いに笑いあう。それは大陸を終末へと導く笑いであった。
☆ ☆ ☆
暗い檻の中に向かって、影の様に姿を隠した何者かが話しかけていた。
「閣下、帝国に攻め入った三国は死者で溢れております」
「これは、人間が出来る事じゃねぇよな」
「それと、エルラフィアの近衛隊長であるフィロス卿が、行方不明になられていると」
「あの御仁は、俺よりよっぽど強いじゃねぇか。また、神の気まぐれってやつか?」
「私からすると互角としか」
「煽てんじゃねぇよ、ミーア。それより、各国の情報収集を頼む」
「畏まりました」
「アーグニールやシュロスタインだけじゃなくて、帝国やエルラフィアの方もな」
「承知致しました。それで、モーリス将軍とケーリア将軍は無事なのでしょうか?」
「殺そうとしたって、死にはしねぇ連中だよ。それよりミーア。帝国やエルラフィアの方が気になるな」
「十中八九、帝国は終わりかと。エルラフィアが無事なら、いつでも連携が出来る様に連絡を取っておきます」
「こんな事態だ。俺の名ばかりの肩書なら、どんどん使ってくれて構わねぇぞ」
「ところで、閣下はいつまでここにおられるのでしょうか?」
「まぁ、あと暫くはな。今は、ここにいた方が色んな声が聞こえてくるからな」
そして、影の様に姿を隠した何者かは、檻の前からいなくなる。その後、少し経ってから檻の中にいる閣下と呼ばれた男は、独り言ちた。
「賢帝の死と三国の侵攻。国王陛下のご乱心に、アーグニールとシュロスタインとの戦争かよ。加えて、あの禍々しい瘴気。こりゃあ、二十年前よりも酷い事になりそうだな」
ペスカ達の車は、シュロスタイン王国の王都へ向かいひた走る。車内から見える風景は、作物だけで無く木々や草花も、枯れ果てる光景だった。上部のハッチから顔を出すと、外の空気は淀んでいるのがわかる。
途中立ち寄る村や町の住人達は、一様に精気が失われていた。ペスカが元気の出る魔法を使い、冬也達が簡単な食料配給を行う。その間に集まった情報は、最初の村と然程変わらない。
誰もが突然起きた戦争に戸惑い、怯え、段々と気力が失われたと話していた。
ペスカは立ち寄った村や町で、大地母神フィアーナに祈りを捧げる事を言いつけた。広場の中心で火を起こし、それを三日三晩絶やさない事。その火を取り囲み、住人達が交代で祈り続ける事。備蓄の食糧を使い、供物を捧げる事。
ペスカは、人々から大地母神フィアーナへの信仰を集める事で、女神の加護を取り戻そうと考えていた。
採掘の神ウィルラスが集めて来た兵站のおかげで、ペスカ達の食料には余裕が有る。王都への道すがら車中泊を繰り返しつつ、村や町に立ち寄っては復旧の足掛かりを作っていった。
しかし王都に近づく度に、様相は変化していく。王都から遠い場所は、住民は精気が失われる程度であった。王都に近づく程、住人達は怒り狂い始めている。
ペスカ達がある街に近づいたある朝の事だった。車内で目を覚ましたペスカが、ぼうっとスクリーンを見つめて呟いた。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「どうしたペスカ」
「この辺に光が集まってたよね?」
「そうだな。次の目的地にしてた場所だろ?」
「光が消えてるんだよ」
「壊れたんじゃねぇか?」
「壊れて無いよ! 他は光が映ってるじゃない! ちょっと待って、何これ! 翔一君、急いでサーチ!」
スクリーンに映る光の変化に、ペスカは慌てて大声で翔一を呼ぶ。朝食のパンをかじっていた翔一が周囲の探知をかけ、スクリーンに再投影させる。
「皆、注意して! 何か変な集団がいる!」
探知をかけた翔一は、焦った様に大声で警告を発した。スクリーンには真っ赤に染まる光が、目的地にしていた周辺に映っていた。
ペスカはすぐさま望遠機能で、全面スクリーンの一部を拡大させる。そこには傷だらけの兵士が五十人程、映し出されていた。
彼らの頬はガリガリに瘦せこけ、髪は乱れ、顔や体中のあちこちに傷を負っている。体を包む簡素な皮鎧は、ボロボロに傷ついて血が赤黒くこびりついている。中には片腕を失い、簡単な血止めだけの処置をしただけの兵や、片足を失い槍を杖代わりにして歩いている兵もいた。
兵達の顔に浮かぶのは、怯えや嘆き、激しい憎悪の表情だ。碌に食事も摂れず戦わせられ、傷を負っても禄な治療を受けられない。兵士達の様子を見れば、この戦争の過酷さが伺える。
そして、スクリーンの様子を見た翔一が、ペスカに尋ねる。
「ペスカちゃん、どう思う?」
「脱走兵と言いたい所だけど、スクリーンが赤く光ってるのは気になるね」
「ペスカ、どういう事だ?」
「よく見て!」
ペスカがスクリーンの一点を指さす。更にペスカは、それを皆にもわかる様に拡大する。
「血って乾くと固まるのは知ってるよね? でも一部の人は、今も血が流れてるでしょ?」
ここは戦場ではない。それは、スクリーンを見てもよくわかる。突如としてスクリーンから消えた光、そして現れた兵士達、加えてスクリーンが示す赤色と兵士達の様子。それが物語っている理由は、最早一つしかあるまい。
「まさか、ペスカちゃん。この人達は、近くの町を襲ったの?」
「空ちゃん。光の塊が消えて、こんな奴らが現れたら、そう考えるのが自然でしょ?」
「ペスカちゃん、どうするの?」
「普通、脱走兵は捕まって死刑。ただし、この国の社会機構が正常だったらだけどね」
「それって戦争にかまけて、内政だけじゃ無くて、公安組織も機能して無いって意味?」
ペスカは腕を組んで空に頷き、話しを続ける。
「戦争って準備に時間をかけるんだよ。兵士や糧食を集めなきゃいけないし」
「でも、この国では徴兵された様子が無いって事かい?」
「翔一君、ご名答。どの町でも男達が残っていた。備蓄の食糧は戦時中と思えない程の蓄えだった」
「ペスカ、そろそろ兄ちゃんの頭が限界だよ。もう少し優しく教えてくれよ」
ペスカは溜息をついて、冬也を見やった後に結論付けた。
「恐らく、兵站がまともに機能してないから、一部の兵士が飢えて脱走した。途中の町を襲って食料を調達したって所じゃないかな」
「でも、それなら捜索部隊が派遣されても、おかしく無いとおもうけど」
「翔一君。確かに普通ならそうなると思うよ。でもグレイラスに洗脳されて始まった戦争下で、常識的な行動を取れる人間がどれだけいると思う?」
「厄介だね。捕まえてお上に引き渡すってだけにはいかなそうだね」
「まぁそうなんだけど。そんな難しい事を考えてる翔一君に、一つ提案が有ります」
ペスカは笑みを浮かべて人差し指を立てる。翔一は嫌な予感がしつつも、ペスカに恐る恐る尋ねた。
「ペスカちゃん、何させる気だい?」
「嫌だな~。最近役立たず感が激しい。もとい、活躍の場が少ない翔一君に出番をあげようって、私の思いやりだよ~」
「ペスカ。あんまり、翔一を虐めんなよ」
「虐めてないよ~。せっかくお兄ちゃんに鍛えられた剣の腕を、お披露目する場面だよ。さぁ行け、翔一君!」
「行けってどうすれば?」
「意思を斬るイメージを剣に乗せれば、多分大丈夫。ね、お兄ちゃん」
「あぁ、そうだな。斬るのは肉体じゃなくて、悪意みたいな物をズバット斬るんだ。頑張れ翔一!」
ペスカの意図を理解した冬也が、翔一にアドバイスを送る。当の翔一は、強引に背中を押されて頭を抱えた。
そして冬也は車を走らせると、脱走兵と思われる集団まで二百メートル程の距離まで近づく。
兵達は酷い困憊のせいか、車には気が付いていない。翔一は、意を決し車から降り兵達に近寄った。
近づくと、兵達からは鋭い視線が突き刺さる。殺気の籠る目だ。しかし、ここまでの道中でそんな目は沢山見て来た。
「なんだ、おめぇは?」
一人の兵が警告を発する様に大声で叫ぶと、兵達が武器を構えだす。だが翔一は平静を装い、兵達に尋ねた。
「君達は、ここで何をしているんだ?」
「おめぇには関係ねぇだろ。殺されたくなきゃすっこんでろ!」
「僕は、この先に用が有るんだ。君達、何か知らないかな?」
「あぁん? おめぇ余所者か? この先には、町なんかねぇんだ。早く消えろ!」
「この先には、町が有るのかい? 町の人達は、無事なのかな?」
「知るか! 町もねぇし、人も食料もねぇよ」
「語るに落ちたね。それは、君達が奪ったって事かな? 犯罪だよね?」
兵達から殺気が漏れる。顔は強張り、臨戦態勢に入っていく。翔一は何とか平静を保ち、兵達に問いかけを続ける。
「君達は、どこに行こうと言うのかな? 戦線離脱、町で強盗、もう死罪確定だよね」
「うるせえ! こんな訳わかんねぇ戦争で死んで堪るか! 皆、こいつを殺せ!」
その掛け声と共に、兵士達は一斉に翔一へ襲い掛かる。しかし翔一は、冷静にマナを剣に纏わせる。斬るのは悪意、その一念をマナに込める。
最初の一人が剣を振り下ろす。翔一は易々と剣を躱して、胴を薙ぐ様に剣を振るう。斬られた兵は、意識を失い倒れた。
翔一はこの時、確かな手応えを感じていた。冬也との訓練は、確実に翔一を成長させていた。
どの兵士も動きが遅い。剣を振り下ろす速度にも勢いがない。それは、彼らがやつれているからか? 否、根本的な技能の問題だろう。碌な訓練も出来ていないのではないか。そんな事すら思わせる。
翔一は、少し前までただの高校生だった。喧嘩もした事がない、武術の経験も無い。普通の高校生である。
そんな普通の高校生が、殺傷能力の高い武器を構えた相手に、立ち向かう事が出来るであろうか。命の危機に遭遇すれば、必然的に戦わざるを得ないか? それは誤謬であろう。生き延びる意志がなければ、死ぬだけなのだから。
翔一を変えたのは、覚悟であろう。神との戦いを目の当たりにし恐怖しても尚、前を向こうとする意志が翔一を強くした。冬也との訓練で戦う技術を得て、過酷な環境が翔一の心を鍛えた。
そんな翔一に、一介の兵士が敵うはずがない。
二人目、三人目と翔一に向かい剣を振り下ろす。翔一は向かって来る剣を往なして、一人を袈裟懸けに、次の一人を逆袈裟に斬り付ける。斬られた兵二人は、一人目と同様に意識を失い倒れる。
肉体を斬った感触は無く、悪意めいた淀みを斬り払った感触が有った。
次々と襲い掛かる兵達を、翔一は斬り捨てていく。実戦の中で翔一の集中力は、高まっていく。
剣は鋭く真っすぐに振り、決して大振りはしない。歩幅は短く、後ろ脚を直ぐに引き付ける。残心を忘れず、背後の気配を捉える。
翔一が意識したのは、剣の基礎かも知れない。だが、冬也に叩き込まれたその基礎が、兵士達を圧倒した。
翔一は五分とかからず、約五十人の兵達を無力化させる。車内でのんびりと翔一の様子を見ていたペスカが、冬也に話しかけた。
「まぁまぁじゃない? お兄ちゃんの感想は?」
「充分つえぇだろ! すげぇよ翔一は!」
「翔一君ってある程度は、小器用に熟すからな~。まぁこの位やってくれないと、後々本当の役立たずになるしね」
「あんまり虐めんなよペスカ。あいつはあいつで、頑張ってんだから」
「はいはい。わかってますよ、お兄ちゃん」
ペスカは齧りかけのパンを口の中に押し込むと、立ち上がり車を降りる。
「さてと、事情聴取といきますか」
腕を回しながら呟くペスカに続いて、冬也が車から降りる。一線で戦っていた兵士達から、どんな情報が得られるのか、ペスカの心は少し踊っていた。
車から降りたペスカは、翔一にお疲れ様と声を掛けた後に、一人の兵士に向けて魔法をかける。ペスカの魔法で目を覚ました兵は、辺りを見回した。倒れる仲間を見て兵士は、状況を理解する。
「話が出来る位は、冷静になったかな?」
ペスカが優しく微笑んで兵士に尋ねると、兵士は少し沈黙した後、諦めの色を顔に浮かばせて軽く頷いた。
「私達はこの国とは一切関係ないから、あんた等が何かやった所で裁く事は出来ないよ。でも仲間に喧嘩を売ったんだから、色々事情を話して貰うよ」
「わかった。全て話す」
兵士から事情聴取して得た事実は、概ねペスカの予想通りだった。
国王から下された、突然の開戦の号令に、誰もが戸惑っていた。二十年に続く停戦を破り、なぜ戦争をしなければならないのか。誰もが疑問を感じていたが、王命により兵士達は出陣する。
しかし、戦いの要となるモーリス将軍は不在である。なぜ将軍は戦場にやって来ないのか。そんな不安の中、戦争は始まった。
この戦争は、端から異常であった。
率いる将が存在しない軍では、規律は効力を発揮しない。そして敵を殺せと、頭の中で何かが語りかける。その言葉に耳を貸せば、不思議と戦わなければという使命感に駆られる。奇妙な感覚に囚われ、自分が自分で無くなる感覚があった。
誰もが好き勝手に暴れて殺し合う。それは戦場とは違い、地獄と言われるものだろう。殺意と狂気に満ちた地獄の中心で、皆が目の色を変えて殺し合う。
日々積み上げられる死体の山。兵站は無く日を増す毎に飢えが進む。それでも戦は終らない。戦を終わらせるべき指揮官がいない。
只々三国が入り乱れて殺し合いをする。段々と何の為に戦っているのか、わからなくなって来る。
何時この戦争が終わるのか。何故いつまでも殺し合わなければならないのか。果たして自分達は生きて帰れるのか。ふと兵士に疑念が過った時、彼は自分達の小隊を連れて戦場を逃げ出した。
戦場から逃げ出した兵達は、彼らだけでは無い。幾つかの小隊や中隊が戦場から離脱している。逃げ出した兵士は、地獄の周辺で戦っていた者達である。中心から外れていた為、戦場から離脱する事が出来たのだろう。
戦場から逃げ出したものの、飢えに瀕している兵達は食料を求めた。しかし普通に町に入れば、捕らえて死刑になる。それを恐れた兵達は、夜間に町へ侵入し盗みを働いた。
窃盗を犯した兵達は、その罪から逃れる様に町を転々とし、窃盗を繰り返した。だがそんな事が長く続くはずが無い。昨晩侵入した町では、窃盗行為が見つかった。住民に囲まれて、戦闘行為に発展した。そして、住民達を虐殺する結果となった。
「悪いとは思ってる。だが、俺達も生きるのに必死だった。あんな大義名分も無い戦場で死ぬなんてごめんだ!」
涙を流しながら、訴える様に兵士は叫ぶ。
「反省は要らないから、もう少し詳しく教えてよ。何故モーリス将軍は戦場に現れなかったの? 投獄されたって噂を聞いたけど」
「知らない。モーリス将軍がいれば、とっくに戦争は終ってる。ただの殺し合いにはなってない」
「他の二国にも将軍がいるよね。ケーリア将軍とサムウェル将軍。その将軍達は戦場で見た?」
「見てない。アーグニールやグラスキルスの連中も俺達と同じだ。ただ殺し合ってるだけだ」
「戦場から離脱した他の隊はどうしてるの?」
「俺達は、逃げる途中で四つの隊と合流した。他の奴らは知らない」
ペスカは質問を止め、冬也達に視線を送る。
彼らが行った様な、窃盗や虐殺行為が各地で行われているかも知れない。ペスカの意図を悟った翔一は、車内に戻り広域の探知を行う。戦場から広がる様に、赤い光が映っているのが見える。
「ペスカちゃん。ちょっと不味い状況かもね」
「わかってるよ。翔一君」
翔一の問いかけに、ペスカは苛立たし気に答える。そんなペスカを一撫でして、冬也が兵に向かって話しかけた。
「お前等はどうするんだ? 物を盗んで、人を殺して、これからどうするんだ?」
冬也の重い口調は、兵士の耳へ痛い程に響く。無言で言葉を失う兵士。冬也は言葉を重ねた。
「お前等に償う気が有るなら、このまま王都へ向かって自首しろ。逃げる気なら、俺がその首を全て刎ね飛ばしてやる!」
冬也は神気を高めて兵士を威圧する。すると途端に兵士は、顔を青ざめさせ震え出した。口を開こうとするが、震えて声が出ない。兵士はただ、頷く事しか出来なかった。
「それは、自首するって事で良いんだな?」
冬也の問いに、兵士は頷いて返す。そして失禁していた。地獄の只中を経験した兵士だが、その地獄よりも死の恐怖を感じたのだろう。
兵士は仲間を起こして、事情を説明する。目覚めた兵士が、仁王立ちする冬也を見る度に、震えが止まらない様子だった。
やがて隊列を整えて兵士達が、王都に向かって歩きだす。誰の表情も暗く、犯した罪の重さより死の恐怖からか、二度冬也を見る者はいなかった。
「お兄ちゃん、脅し過ぎたんじゃ無い? おしっこ漏らしてたよ」
「益々迫力が出て来たね、冬也。戦いの神よりも怖かったよ」
ペスカと翔一から感想を述べられ、冬也は苦笑いを返す。
車内で一部始終を見ていた空は、冬也と結ばれる為にはもっと強くならなきゃと、密かに決意を新たにしていた。
兵達が去ると、町の様子を確認しにキャンピングカーを走らせる。
そして町に入ると、惨憺たる有様が広がっていた。戸は破られ、家の中は荒らされている。住人達の死体がそこかしこに転がり、至る所から赤い川が流れ、血の海を作っている。
その惨状に、空と翔一は口を押える。そして念の為にと、手分けして町中を見回った。しかし、生きている住人は見当たらなかった。そこは、生者のいない町になっていた。
口を封じるだけなら、脅すだけで充分のはずだ。殺す必要は無い。逃走する時間が稼げればそれでいいはずなのだ。しかし兵士達は住民を皆殺しにした。大人は無論、子供や老人、そして物言わぬ赤子に至るまで。
「これでよく、生きるのに必死って言えたもんだ。ひでぇ事しやがって」
「これじゃあ、国中が戦場に変わっちゃうよ。急ご、お兄ちゃん」
冬也は大きく頷いて返した。一行は急いで車に戻り、王都に向けて出発する。時間を追うごとに、スクリーンに映る光は色を変えていく。戦場と思われた場所から、王都と思われる場所にかけて、真っ赤に染まって行く。
「あ~。もうこんなに真っ赤だと、何処が王都か分かんないね」
「大体の方角で行くしかねぇな」
ペスカの呟きに、冬也は頭を掻きながら答える。
広がりを見せる赤い光。スクリーンをじっと見つめていた空が、ペスカに質問を投げる。
「ねぇペスカちゃん。虚飾の神様は、キャトロールで倒したんだよね。まだ、影響が残ってるの?」
「直ぐには消えないんじゃないかな? それと、恐慌状態に有った所に、戦場からの脱走者達が起こす騒動で、相乗的に悪意の類が広がってるんだと思うよ」
「あの町みたいな事が増えてるのかな?」
「わかんないけど、似た様な事態は起きてるんじゃない?」
町に広がっていた光景を思い出して、空は血の気が失せる感覚を覚えていた。同じようにスクリーンを見つめていた翔一が、ペスカに話しかける。
「ペスカちゃん。この辺りを遠見で拡大投影出来る?」
翔一が指定したのは、車の進む数キロ先の地点である。ペスカは、指定された辺りを拡大してスクリーンに映しだす。飛び込んで来た光景は、住民同士の激しい諍いであった。
血を流しながら、住民達は殴り合う。倒れても尚、立ち上がる。それは、先の兵士から聞いた戦場の状態に似ている。
「うぇ~。喧嘩上等的な感じだね~」
「ペスカちゃん、呑気に言ってる場合?」
「仕方ない。空ちゃん、魔攻砲発射準備!」
「どうする気?」
「沈静の魔法を、町に降り注ぐ様に撃ってね」
「うゎ~この子、簡単に言った。簡単に言ったよ。でも、やるけどね」
空は魔攻砲の発射管の前に座り、スコープで狙いを定める。沈静効果を持たせる様にマナを込めて、レバーを引く。魔攻砲から放たれた光は、大きく弧を描き町の上空に達すると拡散して降り注ぐ。
間違いなく魔攻砲の効果はあった。拡大されたスクリーンに映し出されたのは、不思議そうに辺りを見回す住人達だった。
「これで一安心かな? 情報取集もそうだけど、そろそろ地図ゲットしたいね」
「凄い威力だったな、空ちゃん。かなり魔攻砲の使い方に、慣れてきたんじゃねぇか」
「本当ですか! 冬也さん、ウフフ」
冬也に褒められ空は頬を朱に染める。対照的に、スクリーンに映っていた赤い光が青に変わる。
冬也は車を町中まで走らせると、広場で停車する。ペスカは、空と翔一に町の状況調査を任せると、冬也の腕を掴んで商店区画方面へ歩き出した。
手を繋ぎスキップするペスカに、面倒そうに冬也が呟く。
「鬱陶しいからスキップすんな」
「良いでしょ別に! 妹が可愛く無いの?」
「そう言う問題じゃねぇんだよ。馬鹿!」
「お兄ちゃんの照れ屋さん!」
ペスカは上目遣いで冬也を見上げる。冬也は少し照れたように、そっぽを向いた。しかし、直ぐに冬也は顔つきを険しく変え、ペスカに尋ねる。
「所でペスカ、さっきは何であんな嘘ついたんだよ!」
「嘘なんかついて無いよ! 半分は本当だもん」
「戦争のきっかけは、グレイラスかも知れねぇ。けど奴の影響なんて、とっくに消えてんだろ? 本当はその混乱を操る奴がいる。大気の澱みが消えてねぇのが証拠だ! お前も気が付いてるんだろ?」
「相乗的に悪意が広がってるのは、本当だもん」
冬也は立ち止まり、ペスカを見下ろす。対してペスカは真剣な顔つきで、冬也の瞳を見つめ返す。
「糞野郎が、力を取り戻しつつ有る」
「わかってるよ。じゃ無いと、こんな混乱がいつ迄も続く訳ないし」
「あいつ等には、話さねぇのか?」
「今はね。神と対峙するには、それなりの覚悟が必要だからさ」
フゥと冬也が息を吐く。ペスカの尤もな答えに、冬也は返す言葉が無かった。
「お兄ちゃん。東京の時と一緒だよ。間違いなくあいつは、力を蓄える為にこの戦争を利用した」
「それこそ相乗効果ってやつか?」
「だから、翔一や空ちゃんに色々やらせてんのか?」
「そう。いざとなった時に、自分の身くらい守れる様にね」
「まったく、お前は大した妹だよ」
「そう言うお兄ちゃんだって、心配だから鍛えようとしたんでしょ?」
「馬鹿、俺とお前のじゃ全然違うだろ? 俺はいつも強引だ。でもお前は、あいつらの出来る事を見極めてやらせてる」
冬也はペスカの意図を理解し、少し笑顔を取り戻す。そして優しくペスカの頭を撫でた。
そのまま二人は商店区画に歩いて行く。何処の商店でも、喧嘩により店内は荒れ果て、品物が散乱していた。生憎と食料の補給は出来なかったが、ラフィスフィア大陸やシュロスタイン王国の地図は手に入った。
ペスカ達が車に戻るのとほぼ同じ頃に、翔一達も車に戻って来る。そして翔一達が住人達から聞き出した情報を、全員で共有した。
戦争が起きて以来、町中の住人達は不安を感じていた。それもその筈、二十年に渡り無かった戦争が、突然起きたのだから。
不安は段々と広がっていった。それと共に生気の無い者が増え始めた。いつ巻き込まれるかわからない。徴兵が行われるだろう。いずれ、食料の備蓄も徴収されるだろう。しかし、依然として徴兵や食料の徴収も無かった。
戦時下において、普通の生活を送る事は出来ない。町中が暗く沈み切っており、誰もが気力を失っていく。しかし一昨日位から、町のあちこちで諍いが始まった。次第に町中に諍いは増え、良くわからない内に、住民全員が殴り合っていた。
冷静になった今でも、何故そんなに苛立っていたのか、住人達は理解出来ていなかった。
話を聞き終わったペスカと冬也は、顔を見合わせる。空は二人の様子を、訝し気に見ていた。
「ともかく地図も入手したし、ここからは王都へ一直線だよ!」
ペスカは空の視線に気が付いていた。それを誤魔化す様に声を張り上げる。全員が車に乗り込み車は出発する。
混乱が広がり続けるシュロスタイン王国。その真っ只中に、ペスカ達は足を踏み入れようとしていた。
王宮の地下牢獄に投獄されている一人の男がいた。投獄されて以来、まともな食事を与えられず、頬は瘦せこけていた。マナを封じる特殊な枷で繋がれた男は、魔法を使う事が出来ない。
しかし、男からは闘気が満ち溢れ、瞳には諦めの文字は微塵も映って無かった。
男の名はモーリス。シュロスタイン王国で軍を率いる将軍の地位にある男。国王や大臣達の異変にいち早く気が付き、戦争を止めようと画策した。しかし王命により捕らえられ、牢に繋がれた。
モーリスの中には後悔が渦巻く。
陛下のご様子は、尋常では無かった。あれは、何か暗示にかけられていたのやも知れぬ。何故、力づくでも陛下を御諫めしなかったのか。
兵達の様子も同じだ。尋常な様子では無い、妙な高揚感に満ちていた。このまま、言うがままに戦争になれば……。
いいや、無用な殺戮は止めねばならぬ。しかし、既に戦争は起きているだろう。将がいなければ、戦争は終らぬ。
そうだ俺の役目は、まだ終わっていない。この国に剣を捧げたその日に、俺の命はシュロスタインの為に有る。終わらない。ここでは終われない。
モーリスは、牢の中で自問自答を繰り返していた。その度に後悔に苛まれ、己を律していた。
モーリスは、貧しい農村で生まれた。生まれながらに、大きなマナを持った特異体質の子供。同年代の子供達と比べ、体つきも大きく力も強かった。
モーリスは、己の力を誇示する様に暴れ回った。喧嘩に明け暮れる毎日を繰り返した。大人でさえ、暴れ出したモーリスを止められなかった。
父や母が諫める言葉に耳を貸さず、モーリスは日々暴れ回る。
「モーリス、喧嘩ばかりしてないで、畑の手伝いをしなさい。野菜を育てる喜びを知りなさい」
「モーリス、相手を傷つけては駄目よ。きっとお前が傷つく事になる」
「うるせぇ! 俺が何をしようと俺の勝手だ! 黙ってやがれ!」
やがて十五になった日、モーリスは故郷を捨てて王都へ旅立つ。既に身長は二メートルを超え、筋骨隆々の逞しい体に成長したモーリスは、自分の力がどこまで通用するのか試してみたいと考えていた。この拳で、てっぺんを目指すと。
王国に上り、モーリスは兵士となった。モーリスの相手が務まる者は、王国軍にもいなかった、只一人を除いて。
訓練でモーリスは、力を示す様に暴れ尽くした。先輩の兵士達を圧倒し、打ちのめしていく。訓練の中で、暴力の限りを尽くすモーリスを、次第に周りの兵達は疎む様になっていった。
若いモーリスにとって、力こそが全てであった。陰口なら叩けばいい。そんな気力すら起こさせない程に、周りの奴らを恐怖させてやる。この力で全てを叩き潰す。モーリスはそう考えていた。
しかしモーリスの驕った考えは、一人の男によって覆される事になる。
その男は、モーリスより頭一つ小さい男だった。モーリスが、どれだけ剣で打ち込んでも、軽く往なされる。どれだけ殴りかかろうと、投げ飛ばされる。全力で魔法を使っても、打ち消される。
「モーリス。お前は何の為に戦う。お前の力は何の為に有る」
モーリスを投げ飛ばす度に、男は言った。だがモーリスは、理解が出来なかった。
「俺の力は、俺の為に有るんだ! だから戦う! それの何が悪い!」
モーリスを襤褸切れの様にして、男は語る。
「お前は、俺に勝てない! 何も背負う物がない男に、俺は負けない!」
その男の名はヒューラー。当時シュロスタイン王国で、将軍職を務める男だった。ヒューラーは、来る日も来る日もモーリスを打ちのめした。
「お前の正義は何だ! 愛する者は! 守るべき者はいないのか!」
「知るか! 知るか! 知るかぁ!」
打ち据えられ、地べたに転がり、モーリスは思う。
何故、俺は奴に勝てない。何故俺の力は、奴に届かない。わからない。何故だ。何故だ。
ある日、ヒューラーはモーリスを自宅に招いた。訓練以外に用はねぇと、不承不承でモーリスはヒューラーの自宅に赴いた。その自宅でモーリスが見たのは、温かい家庭だった。
ヒューラーから嫁と娘を紹介されて、モーリスはふてぶてしく挨拶をする。そして紹介された娘をモーリスは見やる。その子は、か細く簡単に壊れそうな存在に思えた。ヒューラーは娘を抱き上げて、モーリスに話しかける。
「どうだ、モーリス。これが俺の守るべき家族だ! 見ろこの子、可愛いだろ。お前も小さい頃は、こんな風に親の手で抱かれたんじゃないか?」
モーリスは、ふと小さかった頃を思い出す。大きく見えた父の手、優しい母の温もり。その時モーリスの瞳から、自然と涙が零れていた。モーリスは初めてヒューラーの言葉を理解した。
「俺にもいる。家族がいる。俺はそれを捨てて出てきちまった」
ヒューラーは娘を下ろして、モーリスの肩を優しく叩く。
「遅くない。遅く無いぞモーリス。お前にもちゃんといたろ、守りたい人が。守れる様に強くなれ、モーリス」
モーリスは涙を浮かべて頷いた。
その日以来、モーリスは少しずつ変わっていった。何もかも潰す様な暴力では無く、ヒューラーの中に有る、守る強さを求めた。
ヒューラーは、モーリスに戦い方だけで無く、文字、知識、道徳等あらゆる事を教えた。いつしかモーリスは、ヒューラーを師匠と呼ぶようになっていた。
「いいかモーリス。お前が戦場で一人殺せば、その家族が悲しむ」
「師匠。何故戦争が起きるのですか?」
「グラスキルスは海が無い。我々の海を欲しがっている。アーグニールとは、漁業水域の問題で争う事が多い。根本に有るのは、自国の民を幸せにしたいと言う欲求だ。利権がぶつかれば、諍いが起きる。それが戦争だ」
「我等兵士は、どうすれば良いのでしょう?」
「戦争で犠牲者を出さない事だ。叶わぬ理想だ。だが、私はそのつもりで戦に臨んでいる」
「戦争で死者を出さない事が可能なのでしょうか?」
「無理だ。死者は必ず出る。だから肝に銘じておけ。お前が殺した敵の数だけ、彼らの人生を背負え」
「はい、師匠!」
「そして、戦争が起きない平和な世界。その方法を諦めず俺と一緒に探せ!」
「はい、師匠!」
モーリスはヒューラーの導きの元で、心身共に逞しく成長していく。モーリスが二十歳になる頃には、武においてはヒューラーすらも越え、将軍の右腕と称される様になっていた。
そしてモーリスが二十歳の夏、二人の男との出会いが有った。
アーグニール王国のケーリア。それと、グラスキルス王国のサムウェル。彼らとの出会いは、戦場であった。
アーグニール王国との小競り合いに、モーリスは中隊を率いて出陣した。そこで相対したのは、同じく中隊を率いるケーリアであった。
攻勢をかけるシュロスタイン軍に一歩も引かず、アーグニール軍は応戦する。直ぐに前線を後退させて、モーリスとケーリアの一騎打ちとなる。幾百の剣を打ち鳴らし、刃が折れても拳で殴り合う。モーリスは心が躍った。こんな強い男がいたのかと。
何時間も殴り合い、力尽きて二人は倒れる。しかし両者の顔には、笑みが浮かんでいた。
「お前の名は?」
「ケーリアだ。お前は?」
「モーリスだ。ケーリア、お前とは戦場とは違う場所で、思いっきりやり合いたい」
「同感だ、モーリス。戦争の無い世界で、もう一度お前と勝負がしたい」
アーグニール王国との小競り合いは、指揮官二人のおかげで、戦死者は出なかった。
同じ頃、シュロスタイン軍内に奇妙な噂が流れ始めた。グラスキルス王国の軍に、長棒を巧みに操り前線を駆け回る一人の男がいる。
その男は兵士達を後方に陣取らせ、一人で前線に立つ。そして長棒で次々と相手を薙ぎ倒して、引き揚げていく。百人がかりでも、決して倒す事の出来ない剛の者。
その噂を聞いたモーリスは胸が高鳴った。面白い男がいる。そいつは、俺と同じ志を持つ者かも知れない。ただモーリスと、噂の男との出会いは、意外と早く訪れた。
グラスキルス王国と小競り合いになった際、モーリスの中隊に出番が訪れた。モーリスの頭には、噂の男が過る。そしてモーリスは、木剣を中隊全員に用意させて出陣した。
グラスキルス軍と対峙した時である。兵を後方に置き去りして、一人の男が歩み寄って来る。その男は長棒を一本抱えて、散歩でもしてるかの様に歩く。それを見たモーリスは、用意して来た木剣を持ち、男の前に歩み寄った。
「モーリスは、おまえだな? 強いらしいな。ケーリアの奴に聞いたぜ」
「お前の噂も聞いた。名は?」
「サムウェルだ。よろしくな、モーリス!」
サムウェルは、鍛え上げられた肉体と鋭い眼光に副わず、明るく快活な男だった。
「モーリス。戦争なんかで命を落とすなんて、勿体無いと思うよな!」
中隊を率いる者としては、間違ったセリフかも知れない。モーリスは、心からサムウェルに同意した。
「サムウェル。お前の言う通りだ」
モーリスは木剣を翳して、サムウェルに答える。サムウェルは、モーリスの行動を見て笑みを深めた。
「モーリス。お前の事、気に入ったぜ。このまま無傷で帰ったら、色々面倒だしな。戦争ごっこを始めようぜ!」
「あぁ。面白くなりそうだ」
木剣を揃えたモーリス率いるシュロスタイン軍、長棒を揃えたサムウェル率いるグラスキルス軍。両軍は日暮れまで戦い続けた。特にモーリスとサムウェルの一騎打ちは壮絶だった。
何本も得物を折り、打ち合い続ける。互いに一歩も引かない互角の戦い。全力を尽くしても、まだ倒れない相手。そして両者の顔は笑っていた。
両軍の兵達は、力尽きて倒れる。そして兵達も、互いの健闘を称えあっていた。
「モーリス。強いな、お前。楽しかったぜ!」
「サムウェル、俺も楽しかった。またお前とは勝負したい。今度は俺が勝つ!」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、勝つのは俺だぜ」
「ケーリアにサムウェル。頼もしい奴らだ」
「いつか一緒に飲み明かそうぜ。三人で必ずな」
「あぁ、サムウェル。いつか必ず」
戦の絶えない三国では、叶わぬ約束かも知れない。しかしモーリスにとって、叶えたい願いとなった。
暫く後、国内でモンスターが発生し始め、その数は日増しに増加していく。モンスターから住民を庇った深い傷が原因で、ヒューラーは退役をする。
「今こそ我等の力が必要な時だ。国を国民を守れ、モーリス」
その言葉を最後に、ヒューラーは永久の眠りについた。そしてモーリスは、ヒューラーの後を継いで、シュロスタイン軍の将軍となる。最後に残した師の言葉を胸に秘め、軍を率いてモンスターを駆逐する。
その勇猛果敢ぶりは、国内でも有名となり、段々と国内での発言権も増えて行った。
やがてモンスター被害の対策をする為、大陸各国が集まる事になる。そこでモーリスは、運命の出会いを果たす。
モーリスにとって、今でも輝く懐かしい思い出。もう二度と会う事の無いその人と、共に戦った輝かしい日々は、今でもモーリスの宝である。
枷で繋がれたモーリスは呟いた。
「ケーリア、サムウェル、どうか無事でいてくれ。お前達なら判るはずだ。これが人知を超えた者の仕業だと。ペスカ殿。貴女が生きていたら、この醜態をどう思われるでしょう。不甲斐ない私を笑うだろうか?」
モーリスの一方的な想いだった。だが、今でも彼女を想うと、胸が高鳴り勇気が湧く。再びモーリスは牢の中で闘志を燃やした。ここが最後の場所では無いと、己に言い聞かせて。
モーリスがペスカを初めて見た時は、不戦協定の会場だった。会場は主催を務めた、大陸随一の国土を持つライン帝国の王宮であり、エルラフィア王国を初め大陸各国の重鎮が集められている。
大陸各国が呼び集められたのは、只の不戦協定だけでは無い。同時に大陸各国で増え続けるモンスターの対策局が設置される。
モーリスは国王の護衛と兼任し、モンスター対策局のメンバーとして参加していた。参加国には、アーグニール王国やグラスキルス王国も列席している。
そんな参加者の中に、モーリスはある女性を見つけた。光り輝くブロンド、すらりと伸びた手足、美しくも凛とした表情。モーリスの視線は、ペスカに釘付けになっていた。
「モーリスじゃねぇ~か。何見つめてんだ?」
背後から声を掛けられ、振り返るモーリスの瞳に映ったのは、戦場で友情を育んだ友の姿だった。久しぶりの再会にもかかわらず、つい最近会った様な軽い口ぶりに、モーリスは思わず狼狽する。
「さ、サムウェルか? な、何を言っている。俺は何も」
「隠すなって、誰見てたんだよ、女か? お堅いモーリス将軍のお眼鏡に叶うのは、どんな美女だよ」
「ば、馬鹿。よせ!」
狼狽しているモーリスは、サムウェルの前でうっかり視線をペスカに向けてしまう。
「あ~。あの人は止めとけ。俺達じゃ釣り合いがとれねぇよ」
「さ、サムウェル。あの女性が誰だか知ってるのか?」
「エルラフィア王国のペスカ・メイザー殿だ。才女ってだけじゃねぇぜ。モンスター対策局の局長になられるお人だ。これがまた滅茶苦茶強い!」
モーリスは目を皿の様にして、サムウェルの両肩を掴み揺さぶりながら、問い詰めた。
「何でお前が、そこまで知っているんだ!」
「おい、揺らすなモーリス。昨日だよ、昨日。彼女に試合を申し込んで、ボコボコにされたんだ!」
「お前程の男がか? 信じられん!」
「信じないなら、お前も試合を申し込めよ!」
「馬鹿を言うな!」
「お近づきになりたいんだろ? ほら、行ってこいよ!」
モーリスの背中をサムウェルがぐいぐいと押す。モーリスは更に狼狽した。
「お、おい。止めろ、押すな、サムウェル」
茶化しているのか、にやけた顔のサムウェル。そして背後から、声が聞こえる。
「騒がしいと思ったら、貴様だったか、サムウェル」
「お~! ケーリアじゃねぇか!」
「相変わらず、貴様は軽い男だ」
「聞いてくれよ、ケーリア。モーリスがあそこのご婦人にご執心なんだよ!」
「馬鹿、よせ! ケーリア、戯言に耳を貸すな!」
ケーリアは苦笑いを浮かべて、モーリスに向き合う。
「モーリス、久しぶりだ。妙な再開になったな!」
「同感だ。全部この馬鹿のせいだ!」
ケーリアは苦笑いのまま軽く頷いた。
ここは各国の首脳が集まる重要な場所である。パーティー会場ではないのだ。子供の様にはしゃいでいい訳がない。そもそも、国王の護衛を兼任している立場なら、尚更であろう。
しかしモーリスは、サムウェルを諫める気にはなれなかった。
予想外の状況では有るが、自分達が夢にまで見た不戦協定が結ばれる。モーリスとて、心が弾まぬ訳が無い。互いに国は違えども、戦場で誓った約束は今でも覚えている。それ故、軽薄なサムウェルの態度を戒めなかった。
モンスターの被害は深刻になる一方である。しかし今だけはその事を忘れて、友と語り合いたい気分になっていた。これから頼もしい友と肩を並べて戦える喜びに、モーリスは浸っていた。
その想いはケーリアも同様である。各国の代表が集まる場だけに、騒ぐサムウェルに苦言を呈したものの、諫めるつもりは無かった。
ここがもし酒場であれば、自分も同様に騒いでいたかも知れない。そう思うとケーリアの顔には、自然と笑みが浮かんだ。
「御三方、騒がしいですね。場を弁えた方がよろしいかと思いますよ」
モーリス達が再開を喜んでいる場に、鈴の様に澄んだ声が聞こえる。モーリスが振り返ると、そこには先ほど自分が見惚れていた女性の姿が有った。
「またですか、サムウェル将軍。お怪我はもうよろしいのですか?」
「これは、メイザー殿。丁度あなたにご挨拶しようと、思っていたんですよ」
サムウェルが仰々しくペスカにお辞儀をすると、モーリスの脇腹を肘でつつく。モーリスは、ただボーっと、ペスカに見惚れて佇んでいた。その様子を見て、サムウェルは肩を竦める。
「メイザー殿。お初にお目にかかります。アーグニール王国のケーリアと申します。お見知りおきを」
「こちらこそよろしくお願いします、ケーリア将軍。エルラフィア王国のペスカです。これから、対策局の仲間となる身、私の事はペスカで構いません」
軽くお辞儀をするペスカの姿を、モーリスは見つめている。美しい。なんて美しいのだ。この御方は女神ではないか。モーリスの鼓動は高鳴る。戦場とは違う高揚感に満ちていた。
ケーリアと挨拶を交わすと、ペスカはモーリスに向き合う。モーリスの鼓動は更に高まった。
「そちらは、シュロスタイン王国のモーリス将軍ですね。ペスカと申します。お見知りおきを」
「も、も、も、も、モーリスともうしゅます。よろしきゅお願いもうしあげましゅ」
「モーリス将軍。緊張されてらっしゃるのですか? 力をお抜き下さい」
片手で口を塞ぎフフフと笑うペスカに、モーリスは真っ赤になって俯いた。そしてサムウェルは、大声を出して笑った。
「は~っははっは。お、お前、噛んでやがる。は~っはは。あの豪傑モーリスが、緊張して噛んでやがるぜ~」
「サムウェル、笑うな。仕方なかろう。この様な美女の前では」
「サムウェル将軍。これ以上騒ぐなら、叩き出しますよ。ケーリア将軍、軽口はほどほどに」
ペスカが軽くサムウェルを睨んだ後、三人に軽く礼をし立ち去る。モーリスは、その光景をただぼーっと見つめていた。
やがて不戦協定の調印が終わり、モンスター対策局の会議に移る。ペスカ主動で会議は進み、神ロメリア、ロメリア教徒、マナ増加剤の事を知らされる。
「我々の目的は、マナ増加剤の撲滅と、ロメリア教徒の殲滅です。いくらモンスターを倒しても、元凶を断たねば徒労に終わります。では、具体的な作戦内容に移ります」
神の関与。当初は耳を疑う内容だった。信仰心のないモーリスにとって、神の存在は疑わしいものであった。故に説明を聞いてもピンと来ない。
マナ増加剤が作られた経緯、ロメリア教徒と神ロメリアの関係を聞かされても尚、ただの狂信的な一部の人間が起こした出来事としか、捉えていなかった。
しかし真実は、そこにない。それをモーリスが知るのは、ペスカと共に作戦行動を行ってからであろう。
そしてペスカと行動する毎に思い知らされていく。自分の矮小さと世界の広さを。
モーリスは驚愕した。そしてペスカを知れば知る程、モーリスはその魅力に惚れ込んだ。
何という女性だろう。腕力で勝る相手だが、勝負をしたら全く勝てる気がしない。
自分を圧倒的に凌駕する戦闘能力。革新的な技術とそれを再現する知性。類まれなる魔法の才能と、生み出す兵器の数々。ペスカがもたらす全てが新鮮で、驚きに満ちている。
これほどの人が、この世界にはいたのか。モーリスは嬉しかった。ペスカの下で戦える事を心から喜んだ。この御方は、この大陸を真に平和に導いてくれる存在だ。
最初こそペスカの外見に一目惚れした。しかし、直ぐに崇拝に近い感情へ変わっていった。
一人の女性として、軍を率いる者として、敬愛して止まなかった。
やがてペスカの指揮の下、対策局はモンスターやロメリア教徒を圧倒していく。そしてロメリア教本部の襲撃にも成功する。本部陥落と共に、ロメリア教徒とモンスターの発生は、次第に勢力を弱めていく。ロメリア教徒の残党は鳴りを潜め、モンスターの発生が沈静化した頃、対策局は解散となった。
対策局への貢献により、ペスカの名は大陸各地に広がる。大賢者ペスカ、英雄ペスカ、呼び名は様々だが、ペスカを褒め称える言葉を聞くと、モーリスは誇らしさでいっぱいになっていた。俺は彼女の下で戦っていた。それがモーリスの誇りだった。
しかし、モーリスは知っていた。近くで補佐をしていたからこそ、知っていた事実である。ロメリア教本部の襲撃に成功した頃から、ペスカは吐血する事が多くなっていた。
「ペスカ殿。お体、何処かお悪いのでは? 休まれては如何か?」
「モーリス、ありがと。でも大丈夫。これはドルクを止められなかった私の罪。倒れてらんないよ」
「しかし、ペスカ殿!」
「あんたこそ、三日も寝てないんだから、少しは休みなさい! 命令よ、モーリス!」
「はっ!」
吐血を続けているにも係わらず、ペスカは作戦行動中、常に前線で指揮を執り続けた。対策局が解散されて間もなく、ペスカ死去の知らせがモーリスの元に届く。
モーリスは泣いた。泣いて泣き喚いた。師であるヒューラーが亡くなった日よりも、喪失感は深かった。
それ以来、あの時ペスカを止めていれば、自分がペスカの代わりになり得る器だったらと。モーリスが後悔しない日は無かった。
そして、ペスカの代わりにこの世界に平穏を、そう心に誓い職務を全うしてきた。
そして今、モーリスは捕らえられ、牢に繋がれている。満足な食事が与えられず、頬がこけ筋肉が衰えている。それでもその瞳に宿る意志は、熱く燃え盛っている。英雄ペスカが残した、その意思を継ぐ者は、このシュロスタイン王国にも存在していた。
「まだだ。ペスカ殿は諦めなかった。どんな苦境も乗り越えて来た。俺が此処でくたばる訳にはいかんのだ!」
モーリスの心には、ペスカの残した戦う意志が強く残されている。そして救いの手は、モーリスのすぐ傍まで訪れようとしている。
シュロスタイン王国を救う、最後の一手が打たれようとしていた。