「きっと、谷川先輩は姉さんと話したかったんじゃないかな?」
 帰り道。私たちは夕暮れの住宅街、自転車を並走させていた。
「そうだね……私もそう思う」
「姉さんはどう思った?」
「んー、似てるなって思ったよ。そして凄いって」
「そっか」
 嬉しそうな弟。何故か分からないけど。
「それで、どうやって他の人に聞いてみるの?」
「面倒だから全部言っちゃおうかと思ってるけど」
「……最悪」
「いや、めぐと佐々木さんは大丈夫でしょ。むしろ伝えたほうがいいような気もするし」
「そっか……って佐々木さんって?」
「プリルさん。ほら、ツイッターで盛り上がってた」
「……え? プリルさん? え? それがどう関係あるの?」
 私の言葉に疑問を投げると、弟は自転車を止める。そして隣に来て説明しろと目で訴えた。もちろん、私はそれに抗えるはずもなく。
「いや、その……簡単に言うと、クラスメイトだった」
 私は歩道の真ん中で、自転車に跨がりながら弟にこの前の出来事を説明する。
「ふーん……聞いてないんだけど?」
 ここで「聞かれなかったから」と言っちゃ駄目だ……駄目だぞ?
「言おうと思ってたんだけど、すっかり忘れてた」
「まあ、いいけど……それで、佐々木さんも、アニヲタなのに誤魔化してると?」
「それもあるし、ギャルの格好してるけどギャルじゃないみたい」
「なんか、面倒く――あ、見た目とは違うってことだね」
「いや、その通りで面倒くさい。でも、私たちは皆そうでしょ?」
「……そうだね」
「目に見えるもの、聞くもの。全部ウソだったりするから」
「そうだね……全部ウソなんだよね」
 そして、私たちは自転車を漕ぎ始め、並走を始める。
「それじゃ、姉さんは谷川先輩のこと……そのまま伝えるの?」
 風で乱れる前髪を邪魔そうにしながら、弟は先程の話を続ける。
「そうだね……」
 考えるけど、やはりその方がいいかな。川崎くんは後で考えるとして……
「あぁ、面倒だなぁ……みんな同じ――」
 と思ったところで、私は唐突にある事実に気付いた。
 ってか……そもそも――
「……陽キャなんていなかったね」
 その独り言のような呟きが風に乗る。
 かき消されず残ったその声は、私と弟に何かの重みを植え付けたようで、そこからお互いに何の会話もしなくなった。
 変な感じがする。私だけが世界から嫌われて、私も世界が大嫌いで、早く消えていきたい。そう思ってたのに。
 なんだ、みんな嫌われてるんじゃん。
 嫌われていることを知ってるか、知ってないかの差だけ。陽キャはそれを知らない。陰キャはそれを知ってる。でも本質はどちらも嫌われている。なんだ、そんな簡単なことなんだね。
「私たちは……みんな陰キャなんだ」
「姉さん……」
 私の声に、弟は悲しげな声を出した。
「生きるのって難しく感じない? 何でこんなに難しいんだろう」
 私は吐露してしまう。いつもなら笑って誤魔化し、全てに諦め、全てにどうでも良くなってたのに。
「そもそも人生なんて意味がないと思わない? ただ生きて死ぬだけのことに意味を付けるなんて、ナンセンスだよね」
 弟は私の言葉を黙って聞いている。
 自転車で並走しながらなのに、私の声はよく通る。加えて、風の音がアクセントになることで私も高揚する。
「私たちは何処へ行くんだろう……? 何になりたいんだろう……? 生きることが難しくて、つまらない」
 何かが壊れたように、堰き止められていた闇が口から溢れ出る。
「別に……何者にもなりたくない……生きる意味なんて要らない……全てがくだらない」
「……」
 悲しげな顔をする弟を見て、私は言い過ぎたことを理解した。感情が乱れてしまい、要らないことまで言ってしまった。
 そこまで話したところで、私たちは家に着いた。
 私は弟の顔を見ることができず、自転車を降り、玄関を開けてそのまま自分の部屋へ入っていく。
 ベッドに体を投げ、目をつむる。
 そして、谷川くんの家の出来事を思い出す。全てが嘘だと断言した弟の言葉も。
「……なんだ、そうなのか……」
 私と同じように知っているんだ。このくだらなさを。意味の無さを。でも谷川くんは自分を変えようと思ってる。ありのままの自分を。
 私は諦めている。ありのままの自分を。何にもなりたくない自分自身のことを。
 どのくらいだろう。私はそのまま目を閉じて、思考を分断した。
 再度、現実に戻ってきたのは、いつの間にか隣に佇むめぐの姿を認識した時だった。
「……めぐ?」
「……りんりん……大丈夫?」
 めぐはベッドの上でうつ伏せになっていた私を、心配するように覗き込んでいた。
「……遊びに来たの?」
 私は仰向けになり、寝転んだままめぐを見上げる。
「……海くんから聞いて……」
「そっか」
 ってか、この角度からめぐを見ると、ちょっと……ドキドキする。
 やっぱり可愛いから、下から見上げると無防備な顔が超接近して、その……同性なのにも関わらず、キスされるような錯覚に陥ってしまう。
 うし、これは特殊な機会だから、このままガン見して、キスされるような空気を味わっておこう!
「……いつも無理して……自分を卑下して……」
 めぐはそう言って、私の頭を撫でてくれる。
 え? ちょっと、本当キスしちゃうの? 頭を撫でるとか、次のシーンは「ぶちゅ」っなるやつじゃん!
「……私のこともいつも助けてくれて、駄目だよ……もっと自分を大切にしないと」
 近い! 近いって! やばいって、余裕無くなってきたんだけど! 顔近付けんな! あ、分かった。私からキスをさせようと誘ってる?
 ……よし、分かった。やってやろうじゃん。
「……」
「……? りんりん?」
 私は気合を入れるが、そもそもキスした経験がないので、どうやってするのか分からない。
「どうしたの?」
 私に対して疑問を持ったのか、そこでめぐは離れてしまった。
「あら……キスするのかと思って」
「――っ!? キ、キス!?」
 めぐは驚いて口に手を当て驚愕している。顔は真っ赤だ。
「あぁ、ごめん。私の妄想が爆発しちゃった……」
「も、妄想――っ?」
 あ、プルプル震えだした。いやいや、女の子同士だし、キスの妄想でそこまで引かなくても……って、考えたら恥ずかしくなってきた……
「……それにしても、めぐの方こそ大丈夫なの? 最近は"二人"の中間で安定してるけど」
「あ、うん……でも、たまに深くなる」
 深くなる……言わんとすることは、オリジナルのめぐになる、ということかな。
「……あのね、りんりん」
「……ん?」
 私はめぐの視線が恥ずかしいので、斜め下を見ながら返答する。
「みんな、同じだから……私も、海くんも、クラスの皆……川崎くんとか谷川くん、佐々木さんも」
「うん……そうなんだよね……」
「私は私がいちばん嫌いだった。誤魔化した自分も大嫌い、本当の自分も大嫌い。そして、皆嫌いだった」
 めぐは畳み掛けるような饒舌になる。どちらの恵でもない言葉。でもどちらの恵でも言える言葉。
「私はどこへ行くのか、どこへ向かうのか。考えて、どこにも行きたくなかった。何にもなりたくなかった。それでも、自分を誤魔化すしかなくて」
 更に畳み掛ける。私は見上げる。めぐはもう私の目を見ていなかった。いや、そもそも私を見ていない。私を通り越して、別の何かを凝視し、それに向けて必死に訴えかけてる。
「でも……りんりんが教えてくれた……私の全部、私そのものって。そして……私を肯定してくれた」
 そこで視線は私を捉えた。私の目を覗き込む。そして、私は動けなくなる。
「……その言葉に……私は……救われた……だから、今度は、私が肯定してあげる。りんりん……あなたの、その気持ち、私はいいと思う。前に行かなくても、後ろに進んでも、途中で落ちちゃっても。それは全部素敵だよ。みんなを嫌っていいよ。私のことも。未来のことも。楽しいことも。それでも私が、全て肯定するから……」
 めぐは私を抱きしめた。
 強くもなく、弱くもなく。ただ暖かさを感じる。
 きっと、皆、同じなのだろう。自分の居場所を探してる。本当の自分を探している。
 谷川くんはその居場所を広げるつもりなのだろう。肯定されるために。自分を肯定するために。傷つくと知っていても。
「……そうだね……ありがとう」
 私はめぐを抱きしめ返す。暖かさを伝えるように、感謝を伝えるように。
「私も……探してみるかな。谷川くんや、めぐと同じように」
「……うん」
「あ、そうそう。谷川くんってエロゲヲタなんだけど、どう思う?」