梅雨も明けて七月中旬。
 二年生の一学期がまもなく終了する。
 夏休みの予定は夏期講習くらいで、特にない……ないのだが。
「どうしようかね」
 休日。私は妹ギャルゲーをプレイしながら、一人、思考の渦の中に囚われていた。
 何もかもがつまらない。私みたいな暗くてジメッとした奴が、これから何をやって生きていくのか。そもそも何が楽しいのか、何の未来も見えない。
 いつからだろうか。漠然としながら、そんなことを思いながら生きてきた。
 アニメやゲームは楽しい。反抗期だけどシスコンの弟をからかうのも楽しい。
 だが、それだけだ。
 私は一体、どこへ向かうのだろうかと、ずっと考えていた。
 しかし、その長い長い深淵へと向かう思考が、最近は浮上をし始めている。
 谷川くんと遊んだ時の郷愁に似た思いを抱いたり、プリルさん――その正体は佐々木さんだけども――や、神宮司くんとアニメの話をするのも楽しい。
 めぐが自分を受け入れるという進展もこんなに早く来るとは思わなかった。川崎くんについてはよく分からないが、何故私にあそこまで構うのか……それもきっかけの一つなのだろうか。
 誰かと距離を詰めるのが怖かったのに。
 それが分からないままで良かったのに。
 ――ピコーン
 スマホの通知が鳴る。
 私はギャルゲーを一旦止めて、スマホへ手を伸ばす。そして、その内容を確認して溜め息一つ。
「はぁ……じゃあ弟を誘うか……」
 そこに書かれた内容に従い、私は弟の部屋へと足を伸ばす。
 そして、二十分後。
 私は谷川工務店のガラス戸を開けた。
「――いえいえ! そうなんですよ。あ、はい、いい店知ってるので、行きましょう! 来週とか――あぁ、出張でしたか! 本当残念です、いやぁそうなんですよ! あぁ、はいはい! そうですそうです! へぇ、なるほど!」
 事務所内に入ると、奥では絶賛お得意様へのヨイショ電話の最中だった。うん、あれは社長様だな、きっと。
 話の作り方、中身の無さ、相槌オンリー、そして予定を知った上での誘い。うん、完璧だ。完璧なその場限りで後腐れない対応だ。
「親父さんからの影響、めっちゃ受けてんのね」
「そういうこと」
 事務机の前にあるキャスター椅子に座っていた谷川くんは、溜め息混じりに呟く。
「おう! 友達か? ゆっくりしていってくれな」
 どうやら親父さんは電話が終わったようで、私たちに声をかけそのまま事務所を出て行った。雰囲気も似てるね。親父さんはチャラ男って感じじゃないけど、明るそうだし。
「――俺、あれからちょっと上手になったんだ」
 後ろからやってきた弟は、谷川くんの弟くんに向けてドヤ顔で言い放つ。
 いやいや、それ私のゲームだし、勝手にやってたってことだよね……セーブデータ大丈夫かな……
「いいからいいから、兄ちゃん、俺が勝たせてやるからな!」
 谷川くんの弟――どっちも弟だから分かり辛いので、名前の瑠斗で呼ぼう。瑠斗くんは張り切り、海相手にいいところを見せたいようだ。二人は事務所にある大きめのソファーに座って、仲よさげにゲームをやり始めた。
「――悪いな、また来てもらって」
 谷川くんがキャスター椅子の乗りながらコロコロ転がって来る。私もそれに倣ってキャスター椅子に座って、その動きを楽しむ。……あ、これ楽しいかも。
「瑠斗のやつ、この前から星村さんの弟を気に入ったみたいでさ……ずっと言われててな……」
「いや、海も子供好きだし……ま、私の出番は無さそうだけど」
 私たちは再度、谷川工務店へ来ていた。先程の通知は谷川くんからで、もし暇だったらまたモン○ンを一緒にやってほしいとのことだった。そして、できれば弟も一緒に連れて来てくれないかと。
 谷川くんが恐縮する。いや、そこまで感謝しなくても……
 でも、それ以上に――
「でも、ほんと違和感……その、喋り方」
「あぁ……これ」
 去年の委員会からの付き合いだけど、私みたいな相手に普通の言動で関わってくれる。チャラチャラした言葉だと、私が萎縮するとでも思ってるのだろう。
「星村さんを見てると……なんだかな……もう止めっかな」
 私の言葉に、谷川くんは溜め息を漏らす。慣れてない普通の喋り方なら、別に私に気を使う必要はないのに。
「そう? 疲れるなら、いつもの喋り方でもいいよ? 毎日それ見てるから、私なら別に――」
「いやいや、逆だって。あっちが嘘。っていうか、顧客用」
「ん?」
「こっちが、いつもの俺。あんなチャラチャラしたバカ男、実際にいるわけないだろ?」
「……そうなの?」
 え? 普通にいると思うけど……? それにチャラが自然過ぎるし、逆に今の方が違和感だし。
「いやいや、気付けって。ゲームもエロゲーもやってるんだから、違うに決まってるだろう」
「いや、まぁ、そう言われるとそうだけど、谷川くんのパリピ感は自然過ぎだわ……」
「慣れてるし。アレを作ってると楽なんだよ。勝手に固定されたイメージを持ってくれるから、誰も深入りして来ない。適当に誤魔化せる。面倒を避けられる」
「あ、それは何となく知ってたかも。川崎くんを誘う時、わざとスケジュール被らせてたし」
「あー、それ気付いてたんだ……まぁ、春樹も気付いてるだろうしな」
「いや、気付いてなかったよ。私、教えたし」
「……教えるなや」
 谷川くんは私の暴露に頭を抱える。ごめん、その、つい。
「――ま、いいか。そんな感じ。だから、俺は陽キャのチャラ男なんかじゃないし。むしろ、ジメッとしてるから陰キャだな。そして星村さんのほうが陽キャだわ」
「え? 何言ってんの?」
「……そのまんま。陽キャとか陰キャとかよく分からんけど、分類するなら、俺は陰キャだろ。間違いなくな」
 谷川くんは自虐的に呟く。とても冗談には思えない表情なので、私は躊躇ってしまう。
「――皆、陰キャですよね。陽キャなんて存在しないですし」
 突然、弟が会話に入ってきた。ゲーム終わったのか――って、視線はゲーム機に向かったまま、両手で忙しくコントローラーを動かしていた。
「私たちの会話聞いてたの? って、ゲームは平気?」
「余裕……ぜんぜーん……余裕だから」
 余裕って言ってる割にガチャガチャ動かし過ぎなんだけど……コントローラー壊れそう……
「……陽キャなんているとしたら……うちの姉くらいですよ」
 私のゲーム機の心配を他所に、弟は一瞬、私に視線を投げる。だけど、すぐにそのままゲーム機に視線を戻し、ゲームに没頭し始めた。その視線は怒ってるようで、でも悲しげ、心配しているような目だ……最近、あのような目を向けられる気がする。
「みんな、自分を偽って、誤魔化して、どうしようもなく苦悩して。でも誰かに見せたくなくて。そして本当の自分なんて分からなくなって……そんなジメジメして生きてんの、姉さん……ってぁぁ……囲まれた……」
「何狩ってるの?」
「ジャ○ィ」
 クソ雑魚じゃん……そりゃ話する余裕あるよね。でも必死過ぎだけど……ま、瑠斗くんも楽しそうだし、のんびりクソ雑魚狩るのも楽しいかも。
「ってことだよ、陽キャの星村さん。そこで相談」
 谷川くんはキャスター椅子を転がして、私に近付いてくる。
「弟くんが言ってるみたいに、全てに誤魔化して生きてるのよ。キャラ作って、空気読んで、つまらない奴って思われないように」
「……そうなんだ?」
「まぁ、楽だからね……俺なんて本当は妹系エロゲヲタだし。星村さんが言うところの陰キャなんだわ。俺なんか、春樹とか白石さんとかギャルの佐々木さんなんかにバレてみ? めっちゃクソ叩かれるじゃん」
「……川崎くんは知らなけど、他の二人は別に叩かないと思うけど……」
 一人はトラウマ持ちのコミュ障だし、もう一人はアニヲタのプリルさんだし……むしろ同系列っていうか、何というか……
「いや、あいつら、そういうの嫌いそうじゃん……」
 諦めた表情で言うけど、いやいや、そうじゃないんだよ……でも、他言するつもりはないし……
 そもそも、そんな必死になるようなことでも――
「あ、そういえば、めぐ……白石さんを狙ってるんだっけ?」
 思い出してそう言うと、谷川くんはキョトンとした顔となり、あぁ、それなと、苦笑してその事実を説明する。
「あー、あれ。違うのよ。ああ言っておけば楽って言うのがあって、勘違いさせてるだけ」
「そうなんだ……えげつないね」
「自覚はあるっていうか、まぁな……だから尚更、星村さんに憧れる」
「え? 私?」
「星村さんってそのままじゃん? 良くも悪くも、何に対しても、そのまま。そして悪びれず、むしろ誇ってる。俺と違って陽キャだわ」
「そうそう、姉さんだけは陽キャ。だから、そのまま真っすぐでいいんだよ」
 またもや弟が乗っかってきた……所々、口を挟んでくるし……
「ってことで、俺も疲れてきてさ……キャラ止めたいんだけど、どう思う?」
 谷川くんが真剣な表情で聞いてくる。相談したいって言ってたのはこのことかな? 確かに気持ちは分かるけど……
「……止められるなら、いいと思うけど、止められないんじゃない?」
「……んー……」
 私が指摘すると、谷川くんは考え込み目を伏せる。
 彼の言ってることは分かる。でもそれは個人が身につけた防衛手段だから、他人のどうでもいい視線や独り善がりから身を守るための手段で、私とは根本的に異なると思う。
 私のは……自分で言っててあれだけど、自傷行為に近いのかも。何に対してもどうでもいいから、自分を偽る必要がない。誰が俺を傷つけても、俺が誰かを傷付けても、全て"どうでもいい"んだ。
 なので、彼のそれは、自分を偽って疲れるのは分かるけど、それは捨てられるものとは違うんじゃないかと思った。
「姉さんがいれば素も出せるんじゃない? 一緒に行動すればどう?」
 弟はゲームしながら、こちらの話をよく聞いてるね……しかし、一緒にって――
「無理だよ……学校で、あの群れに入っていく勇気はないよ……きっつい」
「じゃあ、姉さんが一人で、その人たちに軽く聞いてみたら? キャラ作りについて」
「えぇ……私が? 聞く? 何をどうやって聞けばいいんだか……」
 とはいえ、あの軍団は学校以外でコンタクトを取るのは容易だったりもする。
 でも、私がそこまでやる必要が……って、谷川くんの表情見ると、結構真剣なんだよね……ふむ……
「……まぁ別にいいけど、谷川くんは嫌なんじゃない? そこまで大事に考えてるわけでも――」
「いや。いいよ。あいつらに聞いてみてくれないか? 星村さん、頼む」
「……どうして、そこまで?」
 そこまで必死になるようなことでもないだろうに、谷川くんの表情には焦燥感が浮かんでいる。そこまで自分を追い詰め、変えたいという思いは何だろうか。単純に気になった疑問だった。
「――自分が嫌いだからだよ。自分が気持ち悪い」
 その答えはシンプルな内容で、その意味に、私も共感する。
 そして何故か、先程会った谷川くんの親父さんのことをふとを思い出した。
 いやいや、恐らくだが、別にそういうのではないだろう。反発だとか、ああはなりたくないとか、嫌悪や反面。そういうのではないだろう。むしろ尊敬してるはずだ。
 じゃあ何?
 そんなもの、閉塞感以外にない。自分の未来への。
 見えてしまう、自分が。そして何が好きで、何が嫌で、何を誤魔化して、これから生きて、自分がどうなっていくのかも。親父さんの姿は自分と同じだ。
 そこに、自分の限界を見てしまうのだろう。自分を見てしまうのだろう。そして、自分とは一体何のか考えてしまうのだろう。だけど――
「……そっか。すごいね」
 私も自分が嫌いで自分が気持ち悪くて、何なら全員が気持ち悪いと思って、ずっと閉塞感に囚われている。でも私とは違って自分を変えようとする谷川くんを、やはり私は尊敬する。
「谷川くんはすごいよ」