この物語の主人公、高校一年生の横須賀明菜(よこすがあきな)は、親に厳しく躾て育てられたため自分の言いたいことは言えず、友人にも気を遣う毎日。そのせいで、夢もなにもなくなんとなく生きていた。ある日、明菜の両親が離婚をすることになる。

 明菜は母親の方へついていかなくてはいけなくなった。そんななか、明菜を気にかけてくれる男子が存在した。同じクラスの男の子で、いつも本ばかり読んでいるような男子生徒だった。

 誰もいない放課後に、その男の子と話すようになる。けれど、残りの学校生活の日にちはこくこくと近づいていた。文学男子生徒に惹かれる明菜は勇気を振り絞って男子生徒に告白をする。返事はもらえないまま転入することになってしまったが、告白したことで自分の意見をもっと口にしてみるのもいいかもしれないと思い始め、少しずつ自分の言いたいことが言えるようになっていく。

 15分の読書時間に少しずつ読んでいたけれど、函館さんに会う前に内容を把握しておきたくて一気に読んでしまった。この物語のヒロインはヒーローと結ばれることはなかったけれど、ヒーローを好きになったことで自分の意見を言える人になっていく。ヒロインの心情が凄く細かく書かれてあり、読み終えた頃には頬まで涙が伝っていた。

 オレがこのヒロインと同じ心境だったら、きっと、こんな強く生きられない。

 函館さんがおススメと言って貸してくれた理由が分かった。と、同時にオレもちゃんと自分の気持ちを函館さんに伝えたいと思った。

 明日は朝の10時に海辺のところに待ち合わせをしているし、函館さん、お弁当も作ってきてくれるって言ってたし。好きじゃないヤツには弁当なんて作らないよな、と、自分自信に必死に言い聞かせ眠りについた。

 明日のことが楽しみで、浮かれすぎて、田川のことなんてすっかり忘れていた。

 日曜日当日、朝の7時に目が覚めた俺はいてもたってもいられなくなり、洗面台で顔を洗ったり歯を磨いたり、せっせと準備をする。する。朝ごはんを食べ終えリビングでテレビをつけているとズボンのポケットに入れていたスマホが鳴った。

 画面のディスプレイには田川と表示されている。

 ……そ、そうだった。田川がいることすっかり忘れてた。恋のキューピットか何か知らないけどマジでオレと函館さんの間に割って入ってくる気じゃないよな……も、もしかして田川も函館さんが好きだったりするのか? もはや、そうとしか考えられない。 恋のキューピットとか言いつつオレ達を邪魔する気だ……

 あえて田川の電話は出ない。

 10時に待ち合わせならまだ出るのは早いけれど、函館さんを待たせるわけにはいかない。昨日の夜に準備しておいた服に着替え早々に玄関の扉を開けた。

「よう!」

 玄関の前には自転車に乗った田川が立っていて、オレを尾行する気満々らしい。反射的に家の中に入り、

「……っ、や、やっぱ今日ナシ。行かない」

 玄関先で田川に聞こえるように声を荒げる。

「ああ!? 函館と待ち合わせしてんだろ?」
「函館さんには明日ちゃんと謝る。オレ、具合悪くなっちゃったから」
「はあ!? ふざけんなよてめぇ」

 ――函館さんには悪いけど、明日謝ればいい。

 明日……謝れば……

 申し訳なくて後悔で押しつぶされそうになっていると、ふと、夢で見た走馬灯のようなものが頭の中を駆け巡った。

 函館さんに謝ろうと学校に登校した翌日、先生から函館さんが行方不明になったということをホームルームで聞かされている場面だった。

 その時オレは察知した。これ、夢で見たヤツだ。ただの夢なんかじゃない。多分これは予知夢とかいうやつだ……
 オレが行かなかったら函館さんは攫われてしまう。
 根拠はないけどそんな気がした。

「――ご、ごめん、田川! オレ、やっぱり行く! っつーか、函館さんの家に迎えに行きたいんだけど」

 函館さんがいつ行方不明になるか分からない。
 今日一日は函館さんの側から離れちゃいけない。

 玄関の扉を開けて飛び出すオレに田川もビックリしたようだった。

「ああ、家ね。じゃあ迎えに行くか」
「え、田川……函館さんの家知ってんの?」
「中学の時から同じクラスだし。プリント届けに行ったりしたから」

 ……な、なんか函館さんのことをオレより知ってるの納得いかない。

 ちょっと待ってろと、スマホを取り出しては誰かに電話をし始めた。

「おお、函館、今から内田と家に行くから待ってろよ」

 ……なっ!?
 まさかの電話の相手は函館さんだった。
 なんで番号知ってんだ!? って、函館さんと中学から同じクラスって言ってたな。やっぱり田川、オレと函館さんの邪魔する気じゃ……

 オレの横を自転車で漕ぐ田川に質問をする。

「あのさ、田川、函館さんのこと好きなの?」
「あ? そんなんじゃねぇよ。ネタ探しだよ、ネタ探し!」

 ネタ探しって……やっぱりクラスでバカにする気満々なんじゃないか。
 どうせ動画にして拡散する気だろ。そんなヤツじゃないのかもと、田川を少しだけ信用したオレがバカだった。

「にしても、おまえ家まで迎えに行くって紳士じゃん。ドタキャンする最低野郎かと思ってたけど見直したわ」

 見直されても嬉しくない。
 だいたい、田川がいるせいで最低野郎に成り下がるところだったっての。でも、なんで行く気になったのか、話してみてもいいかもしれない。

「今日、函館さんとの待ち合わせ場所に行かなかったせいで、函館さん行方不明になったんだ」
「……は?」
「――っていう夢を、待ち合わせ場所を約束する前の日に夢に見たんだ」
「それ、まじ?」
「うん。田川にからかわれるのがイヤで函館さんとの約束すっぽかしちゃって。函館さんが行方不明になったってこと、明日のホームルームのときに担任言われた」

 「まあ夢なんだけどね」と言いつつ、田川の反応を見る。

「へぇ……まあ、『この瞬間、夢で見たことある』っつーことは、少なくともあるよな」
「――うん」
「それマジだったら俺が原因じゃね?」
「そうだよ! 田川が原因だよ! ……って言いたいけどオレが根性なしだっただけ。心の弱さから逃げてたんだ」
「弱さねぇ……」

 と言いつつ、田川に函館さんの行方不明になった原因を話して、だから、そうならないような行動をしないでね、と、求めてしまっているオレ。結局責任の全部を田川に押し付けてしまっている気がする。

 こんな自分が吐き気がするほど大嫌いだ。
 こんなオレじゃ、函館さんが好いてくれるはずない。

 木造の一軒家を指さした田川は「函館の家、ここ」と、教えてくれた。

 家のチャイムを鳴らすべく。人差し指をインターホンに持っていく。

「お、押すよ?」
「おう。おめぇ、ピンポンダッシュだけはするなよ」
「なに言ってんだよ、するわけないだろ!」

 深呼吸を繰り返し、ドキドキしながら函館さんの家のチャイムを鳴らす。

 すると、私服の函館さんが「はーい」と返事をしながら玄関を開けてくれた。
 カジュアルな長袖のシャツに黄色のレディースパンツがとてもよく似合っている。

「函館さんの私服かわいい」
 おもわず言葉にすると、
「内田くんも青いシャツにあってるね」
と褒めてくれた。

 ーーああ、なんかこういうのいいな。と思っていた矢先に、

「…………電話でも思ったけど、なんで田川くんもいるの」

 函館さんの視線は田川に向けられた。
 ……くっそ、やっぱ田川邪魔!

「いいじゃん、ネタ探しだって」

 逆に函館さんにまで嘘いつわりなく白状する田川はすごい。普通、「ネタ探し」なんて、いかにもからかいに来てますみたいなこと絶対言えない。ある意味尊敬する。

 函館さんは「仕方ないか」と言わんばかりに小さく息を吐きながらオレに「行こうか、内田くん」と合図をした。
 ……え? 田川からかいに来てるのに、函館さんはそれでいいの?

 いや、何を函館さん任せにしてるんだ、オレは! 男なんだから、やっぱりガツンと言わないと!

 オレと函館さんは一緒に並び、田川はオレ達の散歩ほど後ろを歩いている。

 せっかく函館さんと歩いているのに、田川が気になって何話したらいいかわかんねぇ……というか、ガツンと言うタイミング逃した。

 ふと函館さんの手元を見ると両手がバッグで塞がってしまっている。

「函館さん、荷物オレのチャリに乗っけてよ」
「いいの? じゃあお言葉に甘えて……」

 函館さんはそっと自分の荷物を自転車のカゴの中に入れた。両手が空いて、ほっほっと、快適に歩いている姿にきゅんとしてしまう。

「内田くん、ごめんね、重いよね?」
「ううん、全然!」

 ――全然と言ってみたはいいものの、結構重い。
 乗せた瞬間ずっしりきた。こんな重いものを持って歩かせないでよかった……

「実は私、違う人に『重そうだね。乗っけるよー』って声かけられてたら乗っちゃってたかも……」

 「えへへ」と笑う函館さん。
 …………これだ!!
 思わず後ろを振り返り田川に目線を向ける。田川も「マジ?」と言うような目で俺を見て「完全に予知夢じゃね?」と呟いた。

 この荷物の多さで函館さんは車に乗せてもらって、下ろしてもらえることなく誘拐されてしまったんだ……

「函館さん、絶対知らない人の車に乗っちゃダメ! あ、いや、えっと……知ってる人の車でもダメ! 絶対ダメだから! 重い時とか、ツライ時とか、オレ呼んでくれたらすっ飛んで行くからいつでも頼ってよ!」

「ありがとう、内田くんは頼りになるね」

 褒められるような人間では決してない。けれど、函館さんの前では少しくらいかっこつけていたいなんて、田川を前にして思うのは気が引けるけど、それでも、少しくらいかっこいいと思ってほしい。

 歩くこと15分。通学路から見える海辺の読書スポットへと到着した。

 自転車スペースに停めてカゴの中にある函館さんの荷物を手に持つ。田川もオレのすぐ隣に停めていた。

「じゃあ俺は離れたところで二人を観察してるから。ごゆっくりどーぞ」

 ごゆっくりどーぞって。気になってそれどころじゃねぇんだわ。
 けれど、函館さんは田川の存在を気にしませんとでもいうように、「内田くん、こっち」とオレを呼んだ。

「荷物持たせちゃってごめんね」

 どこまでも気遣い屋の函館さん。
 もう少し親しくなったら慣れてくれるだろうか。

「函館さん、これ。借りてた小説。ありがとう。感動して泣いちゃった」

 からっていたショルダーバッグから借りていた小説を取り出し、函館さんに差し出す。
 こういう風にちゃんと本を読んだことがないからだろうか、もっと感想を言いたい。

「――と、特に、このヒロインがさ、自分のことを強く持てるようになったとことか、凄くよかった!」

 興奮のあまり一人ベラベラと話していると、函館さんはフフッと笑った。

「他にも内田くんが好きそうな小説色々持ってきたんだ」

 「ただ、持ってきすぎて重くなっちゃった」という函館さん。鞄の中を見せてもらうと、見事に本の山と化していた。
 オレのために、何を貸そうか悩んでこんなにたくさん持ってきてくれたんだ。

「これとか、文体も軽いし、重くないから読みやすいかも。こっちはね、主人公が男の人でね。だから内田くんももっと共感して読めると思う。気になったヤツ全然貸すから言ってね」

 函館さん、楽しそう。いかに読書が好きなのかが伝わってくる。
 それにこの本の量。持ってきてくれたということは、オレに全部読んでほしいと思ってくれたからだ。

「函館さん、持ってきてくれた本全部借りてっていいかな」

 函館さんに確認しながらオレは一冊の本を手に取った。

 作者の名前を見て函館さんに尋ねる。

「これ、この、男が主人公だっていう本、函館さんが貸してくれた本の作者?」
「うん、そうそう。タガワ先生。貸しといてなんだけど、内田くんはそっちの方が読みやすいかもしれない」

 あらすじを見てみると、一番最初に貸してくれた本とは違って明るい内容のような気がした。

「……オレ、こっちの方が好きだな……」

 ぼそっと呟くと、函館さんは「だってよ、田川」と、後ろでパソコンを広げて何やらカチャカチャキーボードを打っている田川の名前を呼んだ。
 そうだ。なんの縁か、コイツ、名前が作家の先生と一緒だったんだ。

 せっかく良いムードだったのに、なんなら田川のことなんてマジで忘れかけてたのに、なんで田川の名前を呼ぶんだんだよ、函館さん!
 ムスッと頬を膨らませると、田川は「ぶふっ」と笑いを零した。

「さっきからパソコンで何してんだよ! ゲームなら家でやれよなー」

 ランクが低かったらからかってやろうと、重い腰を上げ、田川の元へ向かう。
 パソコンの画面には何やら大量の文字が綴られていた。

「……田川、なにこれ」
「ん? なにって話作ってんの」
「話? なんの?」

 曖昧にしか答えない田川。
 頭の中がハテナだらけのオレに、函館さんが教えてくれた。

「田川、小説家なの。で、田川がこのお話の作者のタガワ先生」

 函館さんはオレが読み終えた小説を手に持ってヒラヒラと合図した。

「え……ええっ!? ちょっとまって、意味わかんない」

 田川のパソコンの画面に再度視線を移す。登場人物の名前に目を向けるとオレが函館さんから借りた小説の登場人物名、明菜と書かれてあった。
 おもわず食い気味に文字を追っていると、田川が俺の胸を押し、「まだ公の場で発表してないんだから見るなよ」とあしらった。

 いや、だって、そんなこと言われても……読んだのなんて一瞬だったけど、もう既に続きが気になって仕方がない。

「それ、発売日いつ?」
「一応、半年後の予定」

 田川が作者と聞いて何言ってんだよと小馬鹿にしていたのに、あの文章を読んで田川が本の作者なんだとすんなり受け入れてしまった。

「ああっ!? だから、ネタ探しとか言ってたんだ!?」

 今、「ネタ探し」の真の意味がしっくりきた。ムカつくヤツだと思っていたけど、それなら腑に落ちる。

「おう、だからしっかり頼むぞ、未来のヒーロー」

 そんな田川に耳打ちでヒーロー扱いされ、恥ずかしくて顔が赤くなった。

「はあ!? なに、ヒーローって」

 函館さんに聞かれないように小声で質問をする。

「この物語のヒロイン、育った境遇は違うけど、函館をモデルにしてんの」
「え、じゃ、じゃあ、ヒーローって……?」
「おまえな。前作で告白の返事保留にしたろ。俺の作品に影響するんだからちゃんと頼むぞ、ヒーロー。つーか、さっさと告れや。内田が告白らなきゃ物語が進まねぇんだよ」
「勝手にモデルにすんな! 今日は告るとか……そんな下心で函館さんと会ってるんじゃないし……」

 田川も函館さんのことが好きだとばかり思っていた。
 けれど、オレ達はただ、田川の掌で転がされていた駒にすぎなかったようだ。

 オレは田川みたいにかっこよくもないし、クラスのムードメーカーでもないし、話し上手ってワケでもない、頭がいいわけではないけれど、函館さんが向けてくれる優しい笑顔があれば、その笑顔がこれからもオレに向いてくれているだけで、それで十分だ。

 ――本当にそれだけで十分なんだろうか。

 オレ、今日函館さんとの約束をドタキャンしそうになったのに……オレは田川がモデルにしてくれるほどの人間なんだろうか。

 函館さんの元へ戻り、しんみりとした面持ちで座り直す。

「内田くん、どうかしたの?」
「オレさ、今日函館さんとこうやって過ごせるの楽しみにしてたんだ。けど、函館さんの家に行く前、田川がいるって知って、からかわれるんじゃないかって不安で、ドタキャンしようとしたんだ……ごめん、函館さん」
「確かに、田川くんは余計だよね。でもまあ、私は田川くんが小説書いてるのは知ってたし、できることなら協力してあげたいって思ったから強く言えなくて……」
「協力してあげたいって、函館さん……知ってたの?」

 なんとなく、ヒロインの明菜は函館さんをモデルにしているの知ってるの?とは聞けなかった。

「田川くんが男の読者の意見もほしいって言ったから、内田くんに本を貸して意見がほしかったの」
「え…………それってつまり……」

 それって、別にオレを気にしてくれてるとか、オレに好意があるからとか、そういうワケじゃなくて。ただ単にオレが話しかけやすかったからってことじゃん!?

 別に函館さん、オレのこと好きなわけじゃないじゃん!

 ほんの少しでもオレのこと好いてくれているかもしれないと自惚れた自分がバカだった。
 早とちって告白しなくてよかった……

 「はあ」と、がっくし肩の力を落とす。すると、函館さんは「あと、内田くんとも仲良くないたいってずっと思ってたから」と、天のような言葉をオレにくれた。

「……それ、本当?」
「うん、これからもこうやって読書したり、話したりしようね」
「……っ、うん、うん!!」

 涙ぐみながらこくこくと頷くと、

「じゃあ、次回も同行するんで、ヨロシクー」

 後ろから余計でしかない声が聞こえてきた。
 …………いい雰囲気でコイツはいつもいつも! 恋のキューピットになってくれるんじゃねぇのかよ!

 まるでオレの言いたいことが分かっているとでも言うように田川はニヤリと口元の口角を上げた。

 ――絶対、函館さんのヒーローになってやる!
 ーー今はこれでいい。
 少しずつ歩み寄れたらそれでいい。

 そうやって、オレはオレなりに彼女との思い出を作っていく。


【END】