夏の暑さが過ぎ去り、丁度いい快適な気候に恵まれ始める季節。気が付けば私の頭上を飛んでいる赤とんぼは、何を思ってそこに居るのか。
季節は文化祭シーズン。高校生になって初めての文化祭だが、友達がいない私には楽しみが見いだせない。とはいえ、そんなの自業自得だが。
賑やかな学校。校舎も構内も盛大にデコレーションされ、いつもと違う空気が漂っている。いつになくやる気に満ちている生徒たちを横目に見ながら、1人ゆっくりと校内を歩き回っていた。
《3年B組 あっつあつの「あげたこ」・駐輪場にて!》
《2年A組 チョコバナナ・生徒昇降口前!トッピング無限☆》
《1年A組 輪投げ・3年A組教室にて!景品も有り》
掲示板に書かれている文化祭案内図を呆然と眺めた。お昼ご飯を兼ねて何か買ってみようかと考えながら、自分のお腹と相談してみる。隣にいるカップルは3年C組のチュロスを買いに行くらしい。チュロスも捨て難い。……うーん、あれもこれも食べたい。そう思うと、なかなか決まらない。
「————俺のイチオシは、チョコバナナ」
「……」
「トッピング無限。俺の努力の結晶」
「…………」
隣でボソッとそう呟いた人物は、トッピングが全部で4種類あるということまで教えてくれた。しかも、それを実現するために多少の自腹を切ったらしい。そこまでしてまで行いたいトッピング無限とは、一体……。
「……4種類の内訳は何ですか」
「カラースプレー、アーモンド、マシュマロ、イチゴ」
「イチゴ?」
「うん。フレッシュなイチゴさん」
声を弾ませながら、イチゴって美味しいよね。と呟いた人物……佐藤先生。その声の方向にやっと視線を向けると、いつもとは違う格好の先生が視界に入った。文化祭だからか、珍しくスーツを着てネクタイもビシッと締めているようだ。
しかし……イチゴとは奮発したものだ。それを聞けば自腹を切ったという話も妙に納得できる。だけど学校から割り振られる予算内では収まらないことくらい、計画の段階から分かっていると思うのだが。
「てか、佐藤先生って担任していたんですね」
「そうだよ。2年A組の担任」
ふーん、と小さく頷きながら、掲示板の前から去ろうとUターンをする。チョコバナナ、買いに行ってみようかな。そう思い足を踏み出すと、背後から「待って」と小さく声が掛かった。
消えそうなくらい小さな声。いつもの大きな佐藤先生の声からは想像もできないくらい囁くような声で「特別教室棟の裏で待っていて」と一言呟いた。
「え?」
疑問に思い聞き返すも、もうそこに佐藤先生は居なかった。ダッシュで掲示板の前を後にし、どこかに向かって走っていた。
謎過ぎる言動に首を傾げながら私も歩き始める。どうせ行く宛も無い。ここは佐藤先生の言う通り、特別教室棟の裏に向かって待ってみることにした。
文化祭の喧騒から遠退いた特別教室棟の裏。
人があまり踏み入れないこの場所には、色とりどりの秋桜が咲き誇っている。赤、ピンク、白。風でゆっくりと揺れ動く秋桜が、何だかとても幻想的だ。
静かで、居心地が良い。軽く目を閉じると聞こえて来る鳥のさえずりが耳に優しく、心落ち着くような感覚がした。
「もーりの。大丈夫か」
「……佐藤先生」
閉じていた目を開けると、心配そうに顔を覗き込んでいた先生。その手には、トッピングが山盛りされているチョコバナナが握られていた。トッピング、最早バナナに乗っていない。平の受け皿に殆どが零れており、食べるのが少し難しそう。
「体調悪い?」
「いえ、鳥のさえずりを聞いていました」
私の隣に静かに腰を掛け、トッピング山盛りのチョコバナナを手渡してくれた。お礼を言って、手元に視線を落とす。主役の隣で自己主張をしている、丸々としたイチゴが4つもある。「本当はスライスして提供するのだが、ここは出資者の権限を使った」と先生は子供のような表情でそう笑った。
秋の爽やかな風が、私たちの頬をそっと撫でる。サーッと揺れ動く秋桜を横目に、貰ったチョコバナナにかぶりついた。カラースプレーに、アーモンドに、マシュマロ。そして、丸々としたイチゴ。自己主張をしていたのはイチゴだけでは無かったようで、口に入ってきたのは『チョコバナナ』ではなく、バナナ・チョコ・イチゴ・トッピングたちと、各々が激しく主張をしているだけの食べ物だった。
「いくら無限とはいえ、加減というものがありますね」
「でも永遠の夢じゃない?」
「そうですかね」
けれど、これはこれで美味しい。隣で食べるのに苦戦している先生にお礼を伝えながら、再度チョコバナナを頬張る。文化祭も1人で過ごす予定だったから、隣に先生が居てくれている状況が少しだけ不思議。だけど、心満たされる。
「……さて、森野。前に、友達を作らないのかって聞いたことあっただろ。あれ、答えられる?」
「……」
「勿論、無理にとは言わないけれど」
少し真剣な表情をした先生は、真っ直ぐ私の目を見つめていた。……余命のこと、どこまで話せるだろうか。自分にそう問いながら、私は秋桜に目を向ける。
つい最近、ナベから教えてもらった自身の病気の話。当然だが、他人に話したことは一切無い。担任すら気に掛けて来ないのに、どうして佐藤先生はこうも気に掛けてくるのか。
「先生、私のことが気になるのですか」
「あぁ。気になる。高校生活が始まって半年が過ぎたと言うのに、いつもひとりぼっちな森野のことがな」
「……そうですか」
「そうですかって何だよ……」
チョコバナナを隣に置き、制服の内ポケットから赤いカードケースを取り出した。十字とハートがデザインされたそのケース……分かる人には分かる。ヘルプマークだ。別に私は誰かに助けてもらう必要は無い。だけど、いつ何が起こるか分からないから保険として持っていて欲しい、という理由でナベに持たされているのだ。
ヘルプマークを見た先生の顔が一瞬で曇った。その表情はきっと、これが何か分かっているが故。曇った後、悲しそうに顔を歪ませた先生は、少しだけ俯いた。
「まだ、何も言っていませんけど」
「……うん」
「話、聞きます?」
「……うん」
誰にも言わないで。そう強く念を押して、私は私の事情を先生に話した。
中学生の頃に余命宣告されたこと。悲しくて見てられないと言った親に施設へ入れられたこと。主治医から高校を卒業できる確率は10%未満であること。でも、これと言って体調が悪いとか、そんなことは一切無いこと。ただ、白血球の数値が悪くなっており、状況はあまり良くないこと。
そして……その白血球の数値が原因で、運動が最近辛いこと。ナベから聞いたばかりの話も含めて、先生に全て話してみた。
隣で黙って話を聞いていた先生の目からは、一筋の涙が零れ落ちていた。私はそれを見なかったことにして、ヘルプマークをポケットに戻し、再度チョコバナナに手を伸ばす。やっぱり各々の自己主張が激しいチョコバナナ。だけど、先生に自分のことを話したからか、胸に引っかかっていた何かが取れて楽になった気がした。さっきよりも更に美味しく感じ、頬が少し緩む。
「……森野、死んじゃうの」
「さぁ。私にも分かりません」
「何でそれ、隠しているの」
「普通に考えて嫌でしょう。私、色眼鏡で見られたくないので」
小さく溜息をついた先生は、また一筋の涙を零す。……そんな悲しそうな顔をするから。だから、私は人に知られたくないんだと、改めて思う。
少し離れた場所からギターの音が鳴り響き出した。これから音楽部のバンド演奏だろうか。ギターの音に続き、ドラム、ベース、キーボードと、音出しをしているみたい。今年いっぱいで廃部になる予定の音楽部。音出しが終わると、ドラムのドンッという力強い音を機に演奏が開始された。
「……因みに。それと友達がいないこと。どう関係あるの?」
「友達が出来たら、悲しいでしょう。急にぽっくり居なくなっちゃうと、友達を悲しませるでしょう。だから、友達を作らないんです。だから……1人がいいのです」
「森野は……優しいんだ」
「優しいわけじゃないですよ。ただ逃げているだけだと、自分では思っています」
チョコバナナを最後までかじる。平の受け皿に残ってしまったトッピングを指ですくいながら、音楽部の演奏に耳を傾けた。最近流行りのあの曲。スーパーなどでよく流れているのを聞くけれど、タイトルが分からない。
隣に居る先生はまだ悲しそうだった。
進まなくなってしまったチョコバナナを手に持ったまま、何かを考えているような様子。「チョコバナナ、貰っちゃいますよ」と冗談半分で言うと、本当に差し出されてしまったから調子が狂う……。
「……先生、そんな顔をしないで下さい。だから誰にも言いたくなかったのです」
「ごめん。あまりにもビックリした。だけど、納得したよ」
「?」
「向日葵の寿命が開花してから1週間だと話した時、森野のオーラが少し変わったこと。少しだけ、本当は少しだけ気になっていた」
「えっ」
先生はそれ以上、何も言わなかった。
補習という名のプール掃除の日。あの日、確かに少し動揺してしまった。だけど冷静を装っているつもりだった。
自分では気が付かなかったけれど、寿命というワードに人一倍敏感になっているのだろう。
暫く2人で黙り込んでいると、急に手を叩いた先生。「よしっ」と言って立ち上がると、私の腕も引っ張った。
「フレッシュなイチゴさん、ゲットしに行こう」
「え、また!?」
「俺が出資者だから良いの~」
先生に連れられ、特別教室棟の裏を後にする。徐々に近付く喧騒にまた非日常を感じ、不思議な気分でいっぱいになった。
文化祭の会場に戻る一歩手前。先生は急に足を止めて振り返る。少しだけ涙が滲んでいるように見える瞳で、真っ直ぐ私を見つめて口を開いた。
「森野」
「……ん?」
「俺には何でも話してくれ」
「……」
それだけ言って、急に走り出した先生。と言っても、いつもの10分の1くらいの速度で、ゆっくりと走っていく。その背中を私も追い掛けながら静かな校舎裏を抜け、騒がしい文化祭の会場へと戻って行った。