「未来ちゃん、今日は暇?」
「……え、ナベ?」
川内総合病院内にある、川内わかば園。休日の今日、予定がない私は部屋で1人テレビゲームをしていた。最近ハマっているのは、村を開拓してのんびりライフを送るゲーム。今日の時間を全て使って、思い通りの村を作ってみよう……。なんて、そんなことを考えていた。
ナベとは基本的に診察でしか会わない。わざわざ私の部屋まで訪ねて来ることが無いから、何かあったのかと少しだけ心配になった。
「ナベ、どうしたの」
「いや。僕さ、今日は非番なんだ。それで、ある人の所に行こうと思ってね。未来ちゃんが良ければ一緒に行かないかなって」
「……ある人? 両親の所ならお断りです」
「違うよ。未来ちゃんの知らない人」
普段から真面目そうなナベだけど、今日は一層真面目そうな表情をしていた。というか、真剣な表情と言うのが正解だろうか。
ある人というのが誰なのか皆目見当もつかないが、ここはナベの誘いに乗ることにした。ゲームを理由に断るのも、何か違う。
夏芽さんと朱音さんにナベと出掛ける旨を伝えて、わかば園から外に出る。いつもの白衣ではなく私服を着ているナベの後ろを付いて歩き続けると、駐車場に停めてあった黒い車の前で止まった。
「少し遠いんだ。乗って」
「うん」
左ハンドルの高級車……。高校生の私でも分かる、有名な外車。初めての外車にドキドキしながら乗り込むと、同時に運転席へ乗り込んでいたナベに笑われた。
「緊張してる?」
「外車って初めてだから……」
ふふふ、と意味深に笑ったナベは車を発進させる。「僕じゃなくて、外車にドキドキね」と言ったナベの腕をパァーンと叩き、「ナベではドキドキしないしっ!」なんて大声で叫んで、移り変わる景色を視界に入れた。
車は隣の市に入り、どんどん山の方へ向かって行く。
見たことが無い場所に不安を覚えながらナベと雑談を繰り返していると、車が辿り着いた場所はなんと墓地だった。
降りるよう促され、ナベの背中を追って墓地に入って行く。私たち以外誰もいない。鳥のさえずりだけが響く広い墓地には、真っ赤な彼岸花が粗雑に咲いていた。
「ナベ、ここは?」
「……もうすぐ。目的の人の所に着くよ」
数々のお墓の前を通り過ぎて行くと、とある1つのお墓の前で立ち止まった。『戸野家』と書かれた、立派なお墓だ。
「……戸野。久しぶり」
「…………」
その場でしゃがみこみ、軽く手を合わせて目を伏せるナベ。何か話しているのか、ブツブツと私には聞き取れないくらい小さな声で呟いていた。
戸野家。その周りには沢山の彼岸花が咲いている。どこよりも多い花の量に、このお墓がまるで彼岸花を誘き寄せているような気がした。
真っ赤な彼岸花が揺れる。ナベが呟いた後に、何度も強い風が吹き抜けて行く感覚がするから不思議だ。
「未来ちゃん、ごめんね。お待たせ」
「ううん、大丈夫だけど……このお墓は……?」
「…………」
泣きそうに唇を噛み、眉間に皺を寄せる。強く目を瞑り、何かを言うか言わないか、葛藤しているようなナベの様子に不安を覚える。
妙な空気感。目に雫を浮かべたナベが小さく溜息をつくと、また強い風が吹き抜けた。やっぱりお墓と関係があるのだろうか。ナベは微笑みながら「そうだな、ありがとう」と普通の声量で呟き、私と目を合わせた。
「————戸野和都、僕の友達。8年前に亡くなった」
「……」
「友達であり、僕が脳神経内科医になって初めての、患者でもあったんだ」
「…………」
あまりにも悲しそうだった。こんなナベの表情は、今までに見たことが無い。
ヒューっと、また風が吹き抜ける。ここがお友達さんのお墓であることは分かった。だけど、どうしてここに私を連れて来たのか、それが今も分からずにいる。
ナベにどんな言葉を掛けたら良いのか分からなくて、つい黙り込んでしまう私。近くに咲いていた彼岸花に目を向けて静かに眺めていると、ナベは小さく言葉を継いだ。
「僕、未来ちゃんに病名を伝えていない」
「そ……そうだね」
幼い頃からこの病気を患っているのに、両親もナベも病名を教えてくれていない。自分が何の病気に罹っているのか、それを何も知らないまま生きてきた。だから余計に、余命云々の意味が分からないっていうのもある。
ずっと隠されて来たこと。
それを今、話題として切り出す理由とは……。
「今日はね、未来ちゃんにきちんと話しておこうと思って、ここまで連れて来た。そろそろ君自身にも、自分のことを知っておいて欲しい」
「…………そのくらい、悪化してたってこと?」
「……」
私の質問に対して、ナベは何も言わなかった。
その代わり、ナベの言う“知っておいて欲しい”ことについて、意を決したように話し始めたのだ。
世には、“記憶能力欠乏症”というのがあるらしい。
先天性と後天性があって、前者の場合経過が非常にゆっくり。一方後者は非常に早く、あっという間に症状が出て……。両者とも、最終的には死にゆくらしい。
記憶が……というか、覚えていたことを徐々に忘れていく。記憶の消失と共に、身体機能も連動して落ちていく為、最終的には寝たきりになる。そうして、その人は死んでいくのだと。ナベはそう教えてくれた。
「戸野は後天性の“記憶能力欠乏症”だった。大学を卒業して2年後くらいに、急に発症したんだ。……早かったよ。病気が見つかってから1年も経たずに寝たきりになったのだから」
何の予兆も無かったらしい。急すぎて。あまりにも突然で。ナベ自身も理解に苦しんだという。
「でね、未来ちゃん……。非常に言いにくいんだけど——……」
「私も、その戸野さんと同じ病気ってこと?」
「……」
「そういうことでしょ?」
「…………」
またナベは何も言わなかった。
潤んでいた瞳から零れ落ちる一筋の涙。それは……私の言葉を肯定したと捉えても良いだろう。
静かな墓地に吹く、秋らしい爽やかな風。
小さく揺れる彼岸花だったが、中でもやはり『戸野家』と書かれたお墓の周りに咲く花だけ、強く自己主張をするかのように揺れ動いていた。
まるで、生きている————……。そう感じてしまうくらいに。
「……未来ちゃんは、先天性の“記憶能力欠乏症”なんだ。生まれつき血液を始めとする、体の複数個所に異常があって、それでずっと僕の元に通って貰っていた。最初は当然小児科だったんだけど、早かったよ。脳神経内科に切り替わったタイミング。大方、当時の小児科医は“何か”に気が付いていたのだろう」
「……」
「血液……というか、主に白血球数に異常が出る。最初は“白血病”と間違わないように、他の要因も加味しながら慎重に検査をしていくんだ。先天性の“記憶能力欠乏症”の人は白血球数の増加が緩やかで、基準値よりも少し高いかな。というのがずーっと続く。未来ちゃんも、そうだったんだけど……」
そこで、一旦言葉を切ったナベ。
何だかんだ言いながらも、私自身覚悟はできている。
だから——……ナベが何を言いたいのか。比較的簡単に理解ができた。
「中学の時に余命云々言い出したのって、そのタイミングで白血球数の数値が爆上がりしたってこと?」
「……」
「てか最近、運動がめっちゃ苦しいんだけど。それってやっぱり白血球が高いのが関係あるってことよね」
「未来ちゃん……」
覚悟をしていた分、思ったより衝撃は少なかった。
何だ、そんなことか。そう思ってしまう自分が、正直怖い。
一方、堰を切ったように泣き出したナベは、『戸野家』と書かれたお墓の前に座り込み、両手で顔を覆っていた。嗚咽が漏れ、見たことないくらい泣きじゃくるナベの肩に、そっと自身の手を乗せてみる。
「ナベ。別に私、悲しく無いよ。正直、自分の病気のことを殆ど知らなかったからさ、余命云々言われたって実感が無かった。だけど……教えてくれてありがとう。なんとな~く、軽い気持ちでしていた覚悟が、より一層強くなった……気がする」
振り向いたナベは、顔を真っ赤にして涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。その顔が面白くてつい笑ってしまうと、ナベも泣きながら笑みを浮かべて「未来ちゃん、強いね」と一言呟いた。
多分、強くはない。
私は強い人間では無いけれど……。
「私が死ぬ時は、ナベが傍に居てね」
そう笑顔で呟くと、先程よりもより一層泣き出したナベに、強く、だけど優しく抱きつかれた。包み込むように私を抱きしめながら「僕は、君を死なせたくない……!!」と絞り出すような声で囁く。
ヒューッと、また強く吹いた風。
スピリチュアルや宗教などは信じていないけれど。
その強い風で激しく揺れる、目の前の一輪の彼岸花から。
私でも、ナベでもない。
『きっと、病気に勝てるよ——……』
まるで私を鼓舞するかのような言葉が、微かに聞こえたような気がした————……。